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浅野太志 songe a Paris

パリでエテイヤ・タロットの取材を終えた、占い師・浅野太志の日々の活動をつづります。

手紙に込められた真心

 早いもので、もう今年もあと2か月です。
 ついこないだまで、暑い暑いと思っていたら、もう年末なんですね…

 何だか信じられない速さで、時間が進んでいるような気がします。
 まだ10代や20代の頃には、こんな感覚はなかったんですけど…
 この分だと、一生なんてあっという間かも知れません。

 今日はずっと一日、頂いたメールの返信をやっていました。
 シルフィーユの準備をしている間、しばらく返信を溜めてしまっていたので、かなりの数になっていました。

 皆さま、心のこもったたくさんのメールを、本当にありがとうございました。
 本来こういうものは、すぐ返信しなければいけないのですが、全く申し訳ありません。

 やはりどうしても、一通一通の返信に時間がかかってしまいます。
 心がこもったメールだから、やはり心をこめて返信したいし、良い文章が出てこないと、作業が止まってしまいます。

 僕は今、メール鑑定は受け付けていないのですが、それは僕の性格上、やたらと時間がかかり過ぎてしまうからなんです(笑)

 実は昔、今から10年前ぐらいに、会社から依頼を受けて、文書鑑定の仕事をやっていた事があるのですが、一人一人の文書にやたら時間を掛け過ぎるので、どんどん仕事が溜まってしまって、ついに破綻してしまいました。

 言葉というのは、人の心を動かします。
 話し言葉もそうですけど、文章として残る物は、何度も何度も読み返す事ができるから、それだけに影響力も大きいです。

 わずかな言葉の言い回しで、微妙に伝わる事も違ってきます。
 あまり細かい事を気にしない人には、「意味が伝われば、何だっていいじゃないか」 って事になるかも知れませんが(笑) 

 現代はメールが主流ですけど、一昔前は手紙が主流でした。
 ちなみに、戦国時代とかですと書状ですね。
 巻紙なんかの和紙に、墨で手紙がしたためてあるやつです。

 また、僕が大好きな徳川家康の話になってしまうのですが…

 関ヶ原の合戦の前、東軍の諸将は、栃木県の小山から西に向かって前進していきました。
 ところが、東軍の先鋒の福島正則が、西軍についた岐阜城の織田秀信(信長の孫)を攻略している時も、総大将の徳川家康はずっと江戸にこもって動かなかったんです。

 よく、家康は、あえて豊臣恩顧の武将たちに先に戦わせるつもりで、江戸から動かなかったなどと言われる事がありますが、それは違います。

 実をいうと、家康は、江戸城でずっと手紙を書いていたんです(笑)

 携帯のメールと違って、当時の手紙(書状)は和紙に墨ですから、馬に乗りながらでは当然書けません。

 家康だって、豊臣秀頼が大坂城から出てくる前に、自分も戦さに参加して、一気に勝負を決めたかったと思うのですが、手紙を書いていたから江戸から出られなかったんですね。

 手紙の届け先は、全国の大名達です。

 家康が書いた書状は、決して何かを強要するものではなくて、相手の立場に同情した上で、最後は気遣いで締めくくられています。
 決して、人に上から命令するような言葉を使わない…

 なんと、家康の直筆の手紙で、現在発見されて見つかっている物だけで、すでに122通です。おそらく全部で180通ぐらいはあったんじゃないかと言われています。

 ちなみに、西軍の石田三成が送った手紙なんて、たった数通しか現在発見されていません。

 家康は本当いつも筆無精で、書状を書くといっても、多くて月に2~3通位でした。

 それが関ヶ原の前には、見つかっているものだけで122通ですから、家康も相当に疲れたんじゃないですかね。 
 全ての書状を書き遂げて、ようやく西へ向かったものの、体調を崩してなかなか前に進めなかったくらいですから…

 よく、関ヶ原の東軍の勝因は、この書状の数にあるなどと言われます。

 ちなみに、家康が最後の最後まで躊躇して、返信がずい分と遅れてしまった書状というのが、一通だけあるんです。

 それは、吉川広家の書状…

 吉川広家は、毛利の血を引く人で吉川家の当主なのですが、同時に毛利家の家老のポジションでもあるという人です。
 ところが、吉川広家の主君筋である、毛利家の当主・毛利輝元は、なんと西軍の総大将になってしまっているんです。

 広家の書状には、「毛利輝元は、安国寺恵慧や石田三成にたぶらかされて、訳もわからずに、西軍の総大将に祭り上げられているだけなので、毛利の兵は決して動かさないように自分が食い止めるから、毛利家に一切おとがめを与えないでほしい」 とあります。

 家康はきっと、躊躇したと思うんですね。

 吉川広家は好意でこの手紙を書いているけど、大の大人が 「訳もわからず西軍の総大将に祭り上げられている」 なんて事がある訳ないし、はたしてその毛利の部下のポジションの人に、裏切りをそそのかすような事が筋が通っているんだろうかって… きっとかなり悩んだと思います。

 ずい分と前からもらっている書状なのに、結局、この書状の返信をしたのは一番最後…
 広家に対する気遣いの文章と、「よろしくお願いします」 という、何だか宙ぶらりんの返事です。

 まあ、でも、この最後の手紙が、関ヶ原の戦いで東軍の勝因を決定づけたといっても良いでしょう。
 (2012/11/8ブログ 「周りの人に流されない」 参照)

 家康は、戦さに勝って天下を取るために、これだけの数の手紙を書いたと、よく言われますけど、僕は、それが本当の理由だとは思いません。

 きっと家康は、ただ、自分の事をわかってほしくて書いたんじゃないかと思うんですね。
 この人は、いつも人からどう思われているかを気にするような、小心な人だから…

 家康の手紙は、一つとして命令口調のものはなくて、行動の選択に関しては、常に相手にゆだねています。

 そして、その一つ一つの手紙に、真心がありました。

 僕も今回、たくさんの真心のこもったメールを受け取りました。
 前日までのメールは何とか返信し終えたつもりですが、はたしてちゃんとその分の真心を込められているか不安です。
 (ひょっとして、漏れているかも知れません。その時はどうかもう一度催促してください)

 でも、事務的なメールの返信をのぞいて、一通たりともコピペは使いませんでした。
 例え、誰にも見られてなくても、そんな事はできないです。

 こんな風にお互いの気持ちが手紙で伝わりあって、心がつながりあえたなら、とっても嬉しいです。

 メールをくださった皆さま、本当にお待たせして申し訳ありませんでしたm(_)m

 P.S.
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