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浅野太志 songe a Paris

パリでエテイヤ・タロットの取材を終えた、占い師・浅野太志の日々の活動をつづります。

幸せの種をまき続けよう

 昨日のブログでご紹介した、萩本欽一さんの 「ダメなときほど運はたまる」 は、本当におすすめの一冊です。

 この内容を、超簡単に骨組みだけ言ってしまうと、こういう事です。

 「運というものは、貯金みたいなもので、不幸な時というのは、その貯金がたまっている。そして、運気の法則を知って、人に気を遣えると、大きな運がやってくる。ヘタな運の使い方をすると、運は消えてなくなってしまう。   以上 」

 という事です(笑)
 こんな風に要約すると、味もそっけもないですね。
 是非、実際に一度お読みになってみて下さい。

 萩本欽一さんは、運を貯金のようなものと捉えましたが、この捉え方は、そんなに特別なもの、という訳ではありません。

 例えば、作家の故・阿佐田哲也さんの小説にある運の捉え方も、これと類似しています。
 この捉え方は、昔からある一つの概念と言っても良いでしょう。

 手相家の西谷泰人先生が、よくされるお話ですが、人生には、徳(とく)と劫(ごう)の法則というものがあって、家代々の徳がある人はどんどん幸せになるし、逆に劫のある人はどんどん不幸になります。
 また、徳は幸せになる事で減っていき、劫は不幸になる事で減っていきます。

 劫については、また明日のブログででも語るとして、徳というものについて、以前に僕の知人で、こんな事を言っていた人がいました。

 「幸せになると、徳がどんどん減ってしまうから、なるべく幸せにならないようにした方がいいよね。ご飯もまずいものを食べていた方が、徳が減らなくていいよね」

 その発想って一体…(笑)
 でも、その気持ちわからなくもありません。

 徳とか劫という概念での古い記録としては、支那大陸の明の時代の袁了凡(えんりょうぼん)の逸話があります。

 若い頃、袁了凡は白髪の老人の占い師に、自分の一生の運命をつぶさに占ってもらいました。

 「貴方は、学問を修めて、歳の時に科挙の試験に合格し、役人になる。歳の時に結婚、子供は生まれる事はなく、53歳で病気で死亡」

 そして、その予言は、ことごとく的中していくのです。ピッタリその年になると、老人の占い師が予言した決まった通りの事が起こる…
 袁了凡は、すっかり運命論者になってしまいました。

 ある時、袁了凡は、雲谷禅師(うんこくぜんじ)に出会います。
 寺で、静かに座禅を組んでいる袁了凡を見て、雲谷禅師は、

 「お主は、若いのに雑念が全くない。一体どこで修業をされたのか」
 と、問いかけます。

 人生はどんなにあがいたって、決まった通りにしかならない、袁了凡はそう悟りきっているから、雑念がないのも当然です。
 その事を話すと、雲谷禅師は声高に笑い始めました。

 「そういう事であったか。では、お主は一体、何のために生きておるのか」
 と、問いかけました。

 そして、雲谷禅師は袁了凡に、徳を積むという行為によって、本来の運命をいくらでも変えられる、という事をさとします。

 袁了凡は、雲谷禅師から授けられた 「功過格」(こうかかく)という徳と劫の得点表みたいなものを参考にして、徳を積み続けました。
 その表には、「身寄りのないものを養うは、プラス50」 とか、「一人の人を中傷誹謗するは、マイナス30」 とか、事細かく記されていました。

 そうやって、徳を積み続けるうちに、袁了凡の未来は、老人の占い師が予言した未来と、だんだんズレていくようになりました。

 やがて、袁了凡は、老人の占い師から病気で死ぬと予言された53歳の年も無事クリア。
 69歳の時、本来生まれないはずの多くの子や孫に囲まれながら、昔の回顧談に花を咲かせていました。
 袁了凡は、当時としては長寿の74歳まで、人生を全うしました。

 さて、袁了凡が徳を積むのに使った「功過格」は、ちょっと現代では使えません。
 「人を殺すと、マイナス100」 とか書いてあっても、普段あんまり人を殺す事はないと思いますし…(笑)

 大ざっぱに、徳を積む方法としては、2つあります。

 一つは、自分自身を高める為に、勉強や努力をする事。
 もう一つは、周りの人を幸せにする事です。

 どちらの場合も他の人に知られると、効果がやや低くなります。「いい事をしたね」って、人から称賛されると、徳が目減りしちゃうんですね。

 東日本大震災の時、日本中の多くの人が、義援金を被災地の方々に送りました。

 SMAPの中居正弘さんなんかは、本当に立派です。
 2億円を匿名で募金した上に(この事は身内にバラされた)、仕事がオフの日に被災地を訪れて、ニット帽にサングラスとマスクをして、誰にも気づかれないように、ご飯の炊き出しをやっていたんです。

 もちろん、それ以外にも多くの人々が、匿名で義援金を出したり、奉仕活動をしたりしました。

 こういう善意があふれる人を、神様が無視するはずがありません。

 募金などというものは、出来る範囲でやれば構わないです。
 無理して募金したって、心が苦しいだけだし、ましてや徳積みの為に募金するのなら、本末転倒です。

 一番最悪なのは、「うちの部長が張り切っちゃって、みんなで募金しようなんていうから、本当に金がないのにキツイよ」
 と言って、いやいや募金するパターン…
 これなら、募金しない方がいいですね(笑)

 それで、募金や奉仕をしている時に、心がスカーッとして気持ちいいと感じた人… これは相当に徳を積んでますね。

 結婚運を上げたい、子供が欲しい…、というような望みを叶えるのに、この 「徳積み」 という方法は、確かに使えなくはありません。
 ただ、ちょっと難しいのは、「結婚運を上げたいから徳を積もう」 という下心があると、大して徳を積めないという事です。
 皮肉なもんですけど…

 それで、さっきの結論を言うと、幸せになれる時は、どんどん幸せになったら良いんです。
 徳を使うのがもったいないなんて、ケチな事を言っていてはいけません(笑)
 人は幸せになって、裕福になると、それだけ大きな事も出来ますし、徳も積みやすくなります。
 そうしたら、自分の得意分野で、どんどん周りの人を幸せにして、徳を積んでいったら良いです。

 自分が幸せになれば、徳なんて無限に積めますよ。幸せの種をまき続けられるんです。
 だから、遠慮しないで、思いっきり幸せになって下さい(笑)


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