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浅野太志 songe a Paris

パリでエテイヤ・タロットの取材を終えた、占い師・浅野太志の日々の活動をつづります。

暦が刻み続ける悠久の時の中で…

 今日は朝からずっと雨…
 自分で作った特製万年暦をずっと見直していました。
      う~っ、目が痛い(笑)

 暦って、はるか過去から、ずっとこの先の未来まで永遠に時間を刻み続けて行くんですね。
 当たり前の事なんですけど、そう思うとちょっと不思議な気持ちになります。

 はるか昔から古今東西、人というのは、他人から正しく評価されたいと願っているものだと思います。
 白隠のように悟りを開いて、そういう事に囚われなくなった人は別として…昨日のブログ参照)

 僕は昔、できる事なら実際の自分以上に評価されてみたいと思っていました(笑)
 まあ、今は変わりましたけど…

 実際以上の評価されちゃったら、もうそれは自分じゃないし、苦しくて息がつけませんから。

 野口英世も、ある時ニューヨークの自宅に送られてきた自分の伝記を読んで、
 「あれは悪い本だ。あれは人間ではない。」 と語っています。
 (2012/6/12ブログ 「偉人達の隠された葛藤の日々」 参照)

 実際の歴史上の人物なって、かなり歪められて伝わってます。
 最近は、いろいろと歴史的な検証が進んで、その人物像が再評価されたりもしていますが…

 例えば、徳川秀忠という人は、徳川家康の息子であり、言わずと知れた江戸幕府2代将軍ですが、凡庸で能無しのお人好しのイメージがついて回っています。

 何でそんなイメージになっちゃったかというと、おそらくは関ヶ原の合戦の時に、3万8千もの兵を引きつれていながら、真田昌幸・幸村父子に挑発され、ずっと上田城の2千の兵に釘づけにされていて、結局関ヶ原の戦い本戦に間に合わなかったからです。

 真田太平記なんかですと、それを家康が激怒して、こっぴどく秀忠を叱りつけるシーンがあるんですけど、これは真田父子の智謀に箔をつける為の虚構ですね。

 実際の所、秀忠は真田父子に挑発されて上田城に釘づけにされていた訳ではなく、元々家康から上田城を含む中山道を制圧するように命を受けていたのです。

 ところがその後戦況が変わって、家康は、秀忠に関ヶ原に合流するように伝える使者を出したのですが、その使者は利根川の増水に阻まれて、秀忠の元に到着するのが大幅に遅れてしまい、秀忠がその伝令を知った時には、もうどんなに急いでも関ヶ原の本戦には間に合わなかったのです。

 従って、家康が秀忠をこっぴどく叱りつけたというシーンもウソです。
 まあ、とはいえ秀忠の方は、関ヶ原の本戦に間に合わなかった事をずっと気に病んでいたみたいですが…

 でも、秀忠がもし現代に生きていて、こんな無様なキャラの扱いをされていると知ったら、さぞ嘆くと思いますね(笑)

 事実この人は、政治的手腕で言えば、父の家康以上だと思います。
 現に、お取りつぶしになった大名家の数というのは、秀忠の治世の時代が一番多いです。
 自分の娘を入内(天皇の妃にする事)させたのも、徳川将軍の中で秀忠ただ一人ですし…

 まあ、こんな風に歴史の中で過小評価されてしまった人物はいっぱいいます。
 だいたい人気者の敵役になると、どうもそういう損な役回りにされますね(笑)

 源頼朝も、人気者の弟・義経の影響で、かなり狡猾で非情なイメージがついてしまっていると思いますし、忠臣・楠木正成の敵だった足利尊氏なんて、戦前は逆賊呼ばわりされていましたし…

 織田信長を討ちとった明智光秀なんかも、今は再評価されてきていますが、ひと昔前までは本当に嫌われ者の武将でした。
 まあ、僕は信長より光秀の方が、うんと共感が持てるんですけど(笑)

 あとは、家康の敵になった石田三成…
 実力も無いのに身の程知らずな貪欲な官僚みたいなイメージがありますが、僕はこの人は、無欲でとても義理堅い人だと思うんですね。

 秀吉から大封を与えられそうになった時に、何度となく辞退しているし、それに一切私財を残した形跡もありません。
 居城がある佐和山の領民の評判も良いですし…

 そういう徳川家康だって、江戸時代には 「大権現様」 とか 「神君」 とか呼ばれて、あがめられていましたが、今のような 「狸親父」 のイメージが作られたのは、明治政府の印象操作によるものとも言われています。

 そんな意味においては、第二次世界大戦時の日本も、いかにもキチガイじみたファシズム集団みたいな印象になっちゃってますけど、これなんかは明らかにアメリカなどの戦勝国の印象操作です。

 戦争開戦直前、日本がアメリカとの和平交渉を模索している時に、アメリカが日本に提示した、いわゆる 「ハル・ノート」 と呼ばれる文書が存在するんですけど、あれを読むと、まるで日本はアメリカにハメられたようにしか思えないんですね。

 もちろん歴史の中で絶対に正しいなんて言いきれるものは存在しませんが、残されている資料は、歴史の真実を知る大切な手掛かりになります。

 それで、何よりも大事なのは、少しでも相手を理解してあげようと努める事じゃないかという気がします。
 そうすれば、この世から戦いというものが無くなるはずだから…

 自分の事を人にわかってもらいたいと思うのが人情であるならば、だからこそ、自分も人の事をわかってあげようとする事が大事なのかも知れません。

 暦が刻み続ける悠久の時の中で…

 そう遠くない未来、お互いがわかりあえる時代が来る事を強く信じて。


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