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浅野太志 songe a Paris

パリでエテイヤ・タロットの取材を終えた、占い師・浅野太志の日々の活動をつづります。

団結する事で、困難が乗り越えられる

 戦国時代の最大の智将といわれる毛利元就には、「三本の矢」 という有名な逸話があります。
 イソップ物語の中にも、「三本の棒」 というほとんど同じような話があったりします。
 「一人一人で物事を行うより、協力して行う方が大きな効果を得ることができる」 という教訓の話です。

 毛利元就には、毛利隆元、吉川元春、小早川隆景という3人の息子がいました。
 なぜ兄弟なのに苗字が違うかというと、次男の元春を吉川家に、三男の隆景を小早川家に養子に出して、それぞれの家を乗っ取ってしまったからなんですね。
 戦国時代には、こういう事はよくある事です。

 毛利元就も自分の余命がいくばくもないと知ると、枕元に3人の息子を呼んで、まず1本の矢を折らせるんです。
 矢はいとも簡単に折れてしまいます。
 それで次に矢を3本束ねて、「これを折ってみよ」 という…
 すると、誰も折る事ができなかった。

 「1本ではもろい矢も、3本合わされば頑丈になる。お前達が3人結束していれば戦国の世を無事に生きていける」
 と語ったと言います。

 これは逸話であって、長男の隆元は父親より早く死んでますから、実際にはありえない話なのですが、元就が3人の息子に兄弟の結束の必要性を語ったのは事実です。

 毛利元就が生きている頃は、毛利家・吉川家・小早川家は、まるで一枚岩のようでした。
 それで、この3人兄弟は仲が良かったかというと、そういう訳でもありませんでした。

 長男の隆元が父にあてた手紙でこんなのが残っています。

 「近頃、元春と隆景の両弟は吉田郡山に来ても長期滞在せず、自分の家の事ばっかりに固執し相談事があっても私ではなく父上を相手にする。私をまるで見下して除け者にしているようで、非常に腹が立つ」

 これ、どこの家の兄弟にもありそうな長男の文句ですね(笑)

 この毛利隆元、吉川元春、小早川隆景の3兄弟は、3人とも非常に優秀な武将でした。
 長男の毛利隆元というのは、他の2人のようにあまり評価される事は少ないのですが、領国経営や領民からの人気は突出していて、父の元就や2人の弟を上回るほどです。

 しかし残念な事に、この隆元は父の元就よりも早く、40歳の若さで亡くなってしまったんですね。
 そこで、隆元の嫡男である輝元が、元就の後継者として毛利家の当主となり、元春・隆景という2人の叔父がそれを後見する形となりました。

 昨日のブログで、関ヶ原の合戦の西軍の敗因は毛利輝元の統率力の無さのせいだと書いたのですが、一応輝元の事をフォローしておくと、この人性格はとってもいいんです。
 温厚そのものというか、坊ちゃん育ちというか…(笑)
 慎み深く、ゆったりと大らかな人だったと言われています。

 でも、戦国大名としてはそれだけでは生きていけません。
 輝元は叔父の小早川隆景から、家臣のいない所では事あるごとに、折檻を受けていたといいます。

 とはいえそれでも毛利宗家は、この吉川家と小早川家の支えによって戦国屈指の大大名として存続していきました。

 ちなみに、次男の吉川元春と三男の小早川隆景は仲が良かったのかというと、必ずしもそういう訳ではないです。
 戦国の世はいろいろな事が起こりますから…

 本能寺の変が起きた時、毛利家と戦っていた豊臣(羽柴)秀吉は、織田信長の死をひた隠して毛利家と和睦し、明智光秀を討ちに行きました。

 後になって信長が死んだ事がわかると、次男の吉川元春は秀吉の追撃を主張したのに対し、三男の小早川隆景は秀吉との同盟の遵守を主張しました。
 結局、小早川隆景の意見に決まったのですが、吉川元春としては面白くありません。

 それでも、吉川元春は毛利家の為を思い、嫌いな秀吉の要請を受け病気をおしながら九州征伐に参加し、そのまま遠征先の九州で亡くなっています。

 ある時、毛利家にとって存続の危機という最大のピンチが訪れました。
 その原因は、当主の毛利輝元に実子がいなかった事です。

 そこにあざとく目を付けた豊臣秀吉が、
「自分の身内の子供を、養子として毛利家にやろう」
と言ってきました。

 これって、毛利元就が昔の吉川家や小早川家に対して自分の息子を押しつけたのと同じです。
 自分の身内を入れて跡を継がせて乗っ取っちゃえ、っていう訳ですね。
 そうはいっても秀吉に、「いえ、それは結構ですから…」 とも言えないし(笑)

 そこですかさず、小早川隆景は自分も実子がない事を理由にして、
 「是非とも、そのお子を我が小早川家に下さいませんか」
と、秀吉に懇願したんです。
 それと同時に、毛利家の血を引く秀元を急いで輝元の養子にさせました。
 こうやって宗家から毛利の血が途絶える事を阻止したんですね。

 秀吉も小早川隆景の意図は読めたのですが、まあしょうがない… という事で、その子を小早川家に養子に出す事にしました。
 この子供が、あの関ヶ原の戦いで東軍勝利の引き金を引いた、のちの小早川秀秋です。
 小早川隆景は、自分の家の血は途絶えても宗家の血が途絶えなければそれでいい… と考えたんですね。 

 毛利家に暗雲がたちこめたのは、宗家を支えた優秀な叔父である吉川元春と小早川隆景が亡くなってからです。

 人は団結する事によって、一人では乗り越えられないような困難でも乗り越える事ができます。
 これは兄弟や親族だけに限った事ではありません。

 仲間の為なら自分が多少損をしてもよいという覚悟が、その団結力をお互いに高めていくのかも知れません。

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