もちろん、だいたいであって100%ではないと思いますけど…
でも、要所要所以外の所(例えば日常の些細な出来事)は、ほとんど決まっていないと思いますね。
その領域に関しては、人生で自由がきく部分だと思う。
日常の生活の些細な部分のツキというのは、サイコロを振るのと同じで、偶発的にどんな目が出るかわからない…
こないだお昼に、一人で中華料理店に入ったんです。
僕はこういう時でも時間を無駄にしたくないので、料理が出てくる前に、本やブログの原稿のチェックとかをしたりします。
広い4人掛けのテーブルが2つも空いていたので、そのお店に入ろうと決めたのですが、店員さんに、わざわざ奥の他のお客様がいるテーブルを案内されて合い席にされてしまいました。
目の前でお客様がラーメンを食べているから、これでは原稿も取り出せません(笑)
あの空いているテーブルは予約席だったのかな… なんて思っていると、次に一人で入ってきたお客様は、別に予約したわけでもなさそうなのに、その広いテーブルに案内されているし…
頼んだ料理は全然出てこないし、残った一つのテーブルには誰もすわる気配もない…
あそこに案内してくれれば、この時間に原稿を見直せるのになんて思ったりして…
僕はパリから帰ってきてからというもの、本当にツキまくりの人生ですが、こういう部分に関しては、ツイてたりツイてなかったりです。
ただし、全体的にツイているので、常に心に余裕があります。
日常生活の細かな事に関するツキというのは、完全に確率論です。サイコロを振っているのと同じですね。 「1」 が出る事もあれば、「6」 が出る事もある。
ツイている人が、いつも 「6」 ばかり出るサイコロを持っている訳ではないです。
ところがツイている時って、例え 「1」 が出ても、結構余裕でいられたりします。
それで 「6」 が出ると、ものすごく嬉しかったりする…
逆にツイていない人はどうかというと、「6」 が出てもそんなに感動する事もないのですが、たまたま 「1」 が出たりすると、
「なんてツイていないんだ~」 って、嘆き悲しむんです(笑)
あげくの果てに、店員さんにクレームをつけちゃったりします。
「後から入ってきた客に、広い席を案内するなんておかしいだろ」 なんて…
でも、お店の人にだって考えがあったんです。
あの大きなテーブルは、3名様とか4名様が来たら案内しようと思って、わざと空けているんです。
結果的にたまたま一人のお客様が続けてきちゃったから、仕方なくそういう事になってしまった…
心に余裕があると、そういう部分も見えてくるし、相手の立場も苦労もわかる…
これが人に対する気配りにもつながるし、結果的に人望とか、運の良さにもつながっていくと思うんですよ。
あの場で店員さんにクレームをつけて、広い席に移されたとしても、その代わりにその人は大切なものを失ってしまう…
そういう狭い視野で生きている人というのは、人望も得られないし、結果的に運も開きにくい… 毎日が不平不満のクレーマー人生です。
人生は、まるで双六ゲームです。
一つだけ大きな違いがあるとすれば、人生にはゴールというものが存在しない事…
振ったサイコロは、予測不能のいろいろな目が出ます。
「6」 が出て喜んだのも束の間、入ったマスは3回休みだったり、「1」 が出たけど入ったマスは10マスすすむだったりします(笑)
好きだった恋人に振られて悲しんだのも束の間、もっと素敵な人が現れる事だってある…
一喜一憂しないで、自分の信じた道を進んだらいいです。
なるべく相手の立場を理解してあげて、いつも笑顔でそれでいて全力でぶつかっていく…
やがて、どんなサイコロの目が出ようが、サイコロを振るチャンスが与えられている人生そのものに、感謝できるようになるはずです。
そう言えば 「人生ゲーム」 昔、みんなでよく遊んだなあ… 懐かしい(笑)
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