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浅野太志 songe a Paris

パリでエテイヤ・タロットの取材を終えた、占い師・浅野太志の日々の活動をつづります。

権利を主張しすぎると幸せが逃げる

 「人は幸せになる権利がある」 と言います。
 この言葉は間違ってはいないと思います。
 ただし、社会と共に生きて、人に貢献している人が主張する分にはいいのですが、自分の事しか考えていない人がこれを言いだしたら、収拾がつかなくなります。

 実際に世界中の人が幸せになれているかと言ったら、やはり現実は遠く及ばないでしょう。
 みんなが同じようにお金持ちになれる訳ではないし、同じ社会的地位になれる訳でもない…
 もしも、自分が不幸だと思っている人が、「人は幸せになる権利があるんだ」 と一斉蜂起して暴動を起こしたら、世界は修羅場です。

 これは何が間違っているかというと、自分では何一つ幸せになる努力をしないで、幸せになる権利だけを人に求めている所です。
 「オレが不幸なのは、みんなが悪いんだ」 とあたかも正論のように主張している。

 そういう人が一人か二人ぐらいなら、そばにいる優しい人が何とかしてあげられるんだろうけど、それが世界中に蔓延したら、それこそ世界の終わりです。

 これが個人主義の限界だと思う…
 僕は、個人主義は嫌いではないけれど、それを貫くのなら、自分の幸せは自分でつかむべきだし(もちろん人に迷惑をかけないで)、例え自分が不幸でも、それは自分の責任だと腹をくくる覚悟が必要です。

 もちろん、「自分の権利の主張はやめて我慢しろ」 という意味ではなくて、例えば、ちゃんと働いているのに給料がもらえないとか、そういう時はむしろ、自分の権利をきちんと主張すべきです。
 でも例えば、「競合会社のA社の社員はうちの社員の給料よりも高いから、A社以上の給料にしろ」 と主張するのは、やっぱり行きすぎです。
 たまたまその主張が通って給料が上がったとしても、そんな風に自分の事しか考えない生き方をする人は、ずっと幸せになれない気がする。

 何か大切なものを見失っていると思うんですよ。
 たぶんそういう人は、次から次へと不満が出てくると思うし…

 権利を主張しすぎると、幸せは逃げる…

 アメリカの精神科医であるマリー・ロビンソンは、女性の性的不感症の事をまとめた自著の中で、次のような指摘をしています。
 それは、アメリカの不感症の女性のほぼ全員がフェミニズム(性差別を廃止し、女性の権利を拡張しようとする思想)の考え方を持っている、というものです。

 僕はフェミニズムそのものを悪いとは言いません。
 むしろ男性のフェミニズムは、思いやりと優しさの証だと思う。
 でも、女性自身があまりフェミニズムに傾倒するのはどうかと思うし、どちらにしても行きすぎたフェミニズムは考えものです。

 例えば、あるフェミニスト(フェミニズムの思想を持った人)が言うには、「男女」 という言葉は、男という文字が先に来るので差別用語だそうです。
 だから 「女男」にすべきだという事で、実際に東京都品川区の教科書には、一時 「女男」 という言葉が使われてました。
    あの、じゃあ「女男」は差別用語じゃないんですか(笑)

 そんな事言ったら、「紅白歌合戦」 は差別用語だから、「白紅歌合戦」 にすべきだという主張も成り立ちます(笑)
 どちらにしても、くだらないです。
 くだらない事に囚われて、わざわざ自分で問題を作り出して不幸になっている…
 その行きつく先が性的不感症というものであったとしても、大して不思議ではありません。

 自分の権利を主張するのは、このまま放っておいたら誰かに自分のテリトリーを侵されてしまう時だけで十分です。
 防衛の手段として行うものであって、自分の利益を得る為のものではありません。

 アメリカではそういうものが流行っているかも知れませんけど、そんな生き方のスタイルでは、人は絶対に幸せにはなれないと思う。

 自分の幸せは自分でつかみ取る。
 できれば、自分に関わった人を幸せにする事によって…
 僕は、常にそんな風でありたいと思います。


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