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浅野太志 songe a Paris

パリでエテイヤ・タロットの取材を終えた、占い師・浅野太志の日々の活動をつづります。

気配りの優しい英雄

 豊臣秀吉と徳川家康は、性格こそ対照的ですけど、二人とも共通点はいっぱいあります。
 その共通点こそが、成功者の条件とも言えるでしょう。
 この二人の共通点がわかれば、いかにしたら成功者になれるかも、わかるような気がします。

 まずは、二人とも真面目で努力家です。何をやるにも、ひたむきで一生懸命…
 しかも、人に対してとても気を遣います。
 悪く言えば、小心者という事です。この辺は、織田信長には絶対にない部分です。

 この二人の違いを言えば、秀吉は楽観的で開放的、家康は極端に用心深く慎重です。

 秀吉のこの陽の部分というのは、本当に気持ちいいです。
 絶対的に自分を信じているというか…、というよりも、自分の運命とか天命みたいなものを信じていたのかも知れません。
 そして素早いです。
 チャンスは決して逃さない。

 本能寺の変の後の秀吉の一連の行動は、まるで神業と言えるくらいの素早さです。
 だから、後世の歴史の研究家の中には、「実は信長を死に追いやった黒幕は秀吉ではないか」 みたいな仮説を立てる人もいます(笑)

 それはともかくとして、豊臣秀吉の真骨頂は、必要以上に敵を作らない所にあります。
 うまく相手を丸めこんで、自分の味方にしてしまう…
 「みんなで一緒にやっていこうよ」 てな感じです。もちろん、人間同士が命をしのぎ合う戦国時代ですから、そんなやわな言葉は出てきませんが、きっと心の中にはそんな部分があったと思います。

 豊臣秀吉が天下統一を決める最後の戦いである小田原の陣に、伊達政宗が参陣してきた時の事です。
 伊達政宗は東北地方を統一していた実力者で、おそらく計算に計算を重ねて、秀吉には従っておいた方が良いだろうという結果になって、やっと参陣したんですね。
 つまり、秀吉にとって絶対的に油断ならない相手です。

 秀吉は何と、小田原城を見下ろす崖の上で、政宗に刀を持たせて二人きりになっているのです。
 伊達政宗が、背中からドーンと秀吉を崖から突き落としていたら、天下は明らかに変わっていました。
   太閤殿下が崖から落っこちました…とか話になって(笑)

 こういう芸当は、絶対に徳川家康には真似できないですね。
 家康は、余程信用している家臣以外、疑って心を許しませんから…

 こういう所が秀吉のすごい所だと思います。
 人を信じるという事ができる。
 サラリーマン社会で豊臣秀吉みたいな上司がいたら、僕はその部下はとても幸せだと思います。
 これが本当の意味での統率力だと思う。

 だから、本能寺の変以来、秀吉の事を牽制していた家康でさえ、毒気を抜かれて秀吉に従ってしまいました。

 秀吉は、自分の出自や身分にコンプレックスを持っていました。
 現代は、生まれながらの身分なんてものは存在しない時代ですが、当時は家柄とか血統の貴賎みたいなものが、かたくなに信じられていた時代です。
 とはいえ、この戦国動乱時代は、そういった価値観に対する変革期の時代でもあったのですが…

 秀吉は、そのコンプレックスを見事に武器にしました。そして、気難しい信長の心を惹きつけ、足軽から天下人にまで上り詰めた英雄です。

 秀吉という人は、明るくて裏表がなく、細かい所に気がきいて自分から率先して動きまわる事ができる人です。
 庶民の出だから、弱者の気持ちや苦労も良くわかる。
 夏の猛暑の賤ヶ岳の合戦の際、照りつける太陽に苦しむ負傷兵に、敵も味方も関係なく、近隣の農家から買い上げた すげ笠をかぶせて回ったと言います。
 こうした行為は、決して計算ではなく、秀吉の持っている優しさから出たものである事は言うまでもありません。

 まさに、安国寺恵瓊が言う 「さりとての者」 …天下をおさめる器を持った偉人であり、慈愛の心を持った優しい英雄でした。
 僕は、ここまでの秀吉は大好きですし、とても尊敬しています。

 しかし、油断したんですね。
 天下を取ってしまってからの秀吉は、本当に愚かな老人になり下がりました。
 もう、まるで別人です。人間ここまで変わってしまうものなのか… というくらい。

 生まれた身分とかのコンプレックスが完全に解決していなかったのかも知れません。
 自分が何をやっても許されるような状況になると、人間は自分を制御できなくなって道を誤るものですね。
 本当に惜しいです。  というか、今までの生き方が台無し…

 もし、秀吉が道を誤る事がなければ、歴史の流れはかなり別の物になっていたし、秀吉は本当の意味での英雄になっていたに違いありません。


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