2012.03.09
幻のピラミッド
昨日のブログを書き終えると、僕はすぐさま、アパルトマンの最寄駅から地下鉄でひと駅の「ポルト ドゥ ベルサイユ」へ急ぎました。
それは、「Le Project Triangle」という名の高さ200mの巨大ビルが、今年2012年完成予定という、ネット上の記事を見たからです。
200mもある建築物が、今年完成予定というのが本当なら、駅を降りて見渡せば、すぐに発見できるだろうと思ったのですが……

…… ないよ~。
ポルト ドゥ ベルサイユにあったのは、交通量の多い住宅街に、小高い丘に建った教会、それに「パリ・エクスポ」と呼ばれる見本市会場だけでした。
その巨大ビルに一体、何の意味があるの?
と、首を傾げていらっしゃる方もいるでしょう。
実はそのビルの完成予定図の写真が、僕にとって、あまりにも衝撃的だったのです。
このまるで古代エジプトを思わせるような巨大ピラミッド。
一体、今どれだけ着工されているのか、自分の目で確かめたかったのです。
いろいろと調べてみると、どうやら建設予定の場所は、見本市会場の「パリエクスポ」の地のようです。
そして、当初2012年完成予定だったのが、2014年に変更になり、さらに最新の情報では2017年完成となっているのでした。
2017年完成予定ならば、まだ工事すら始まっていなくても当然ですね……
パリとエジプト……
一見、無縁のものと思われるこの2つは、実は深いつながりがあります。
エテイヤが活躍していた、18世紀のパリというのは、空前のエジプトブームだったのです。
18世紀のフランスで大発展を遂げる事となった、かのフリーメーソンも、自分たちの知識は古代エジプトの叡智を受け継いだものと、うたっています。
また、18世紀のパリが、いかにエジプトブームだったかは、当時のパリ市の紋章の中にエジプトの女神イシス像が描かれていた事からも伺えます。
そんな時代背景の中、考古学者クール・ド・ジェブランが、さしたる証拠もないまま、タロット・カードには古代エジプトの叡智が込められていると叫び、エテイヤは、エジプト式のタロットを製作しました。
そして、エリファス・レヴィも、決してタロットエジプト起源説を否定しなかった……
パリのエジプトブームは、今も変わりません。
19世紀初頭のナポレオン・ボナパルドのエジプト遠征によって、エジプトの現実と空想とのギャップが明らかになったのちも、やはりエジプトはパリの人々にとって、古代の叡智が宿る魅惑的な都市であり続けました。
コンコルド広場のオベリスクしかり、故ミッテラン仏大統領のルーブル・ピラミッドしかり……
現代、タロットのルーツにおける、さまざまなリサーチがなされ、実際にはタロットのルーツは、決してエジプトにさかのぼらせる事が出来ない事がわかってきました。
しかし、クール・ド・ジェブランやエテイヤが思いを馳せたエジプトというのは、フランス人の憧れの中のエジプトであって、決して、北緯31度 東経30度にあるアラブ共和国のエジプトと、同一視するという必要はないでしょう。
エテイヤの「エジプシャン・タロット」が、決してレヴィやパピュス達に、否定されなければいけない理由がないように……
2017年、パリにある、このポルト ドゥ ベルサイユの地に、巨大なピラミッドが建つ頃には、エテイヤのエジプシャン・タロットも、復活しているのではないだろうか……
ポルト ドゥ ベルサイユの街を歩きながら、そんな予感に胸をはずませました。
(参考文献:伊泉龍一先生著「タロット大全」)
それは、「Le Project Triangle」という名の高さ200mの巨大ビルが、今年2012年完成予定という、ネット上の記事を見たからです。
200mもある建築物が、今年完成予定というのが本当なら、駅を降りて見渡せば、すぐに発見できるだろうと思ったのですが……

…… ないよ~。
ポルト ドゥ ベルサイユにあったのは、交通量の多い住宅街に、小高い丘に建った教会、それに「パリ・エクスポ」と呼ばれる見本市会場だけでした。
その巨大ビルに一体、何の意味があるの?
と、首を傾げていらっしゃる方もいるでしょう。
実はそのビルの完成予定図の写真が、僕にとって、あまりにも衝撃的だったのです。

一体、今どれだけ着工されているのか、自分の目で確かめたかったのです。
いろいろと調べてみると、どうやら建設予定の場所は、見本市会場の「パリエクスポ」の地のようです。
そして、当初2012年完成予定だったのが、2014年に変更になり、さらに最新の情報では2017年完成となっているのでした。
2017年完成予定ならば、まだ工事すら始まっていなくても当然ですね……
パリとエジプト……
一見、無縁のものと思われるこの2つは、実は深いつながりがあります。
エテイヤが活躍していた、18世紀のパリというのは、空前のエジプトブームだったのです。
18世紀のフランスで大発展を遂げる事となった、かのフリーメーソンも、自分たちの知識は古代エジプトの叡智を受け継いだものと、うたっています。
また、18世紀のパリが、いかにエジプトブームだったかは、当時のパリ市の紋章の中にエジプトの女神イシス像が描かれていた事からも伺えます。
そんな時代背景の中、考古学者クール・ド・ジェブランが、さしたる証拠もないまま、タロット・カードには古代エジプトの叡智が込められていると叫び、エテイヤは、エジプト式のタロットを製作しました。
そして、エリファス・レヴィも、決してタロットエジプト起源説を否定しなかった……
パリのエジプトブームは、今も変わりません。
19世紀初頭のナポレオン・ボナパルドのエジプト遠征によって、エジプトの現実と空想とのギャップが明らかになったのちも、やはりエジプトはパリの人々にとって、古代の叡智が宿る魅惑的な都市であり続けました。
コンコルド広場のオベリスクしかり、故ミッテラン仏大統領のルーブル・ピラミッドしかり……
現代、タロットのルーツにおける、さまざまなリサーチがなされ、実際にはタロットのルーツは、決してエジプトにさかのぼらせる事が出来ない事がわかってきました。
しかし、クール・ド・ジェブランやエテイヤが思いを馳せたエジプトというのは、フランス人の憧れの中のエジプトであって、決して、北緯31度 東経30度にあるアラブ共和国のエジプトと、同一視するという必要はないでしょう。
エテイヤの「エジプシャン・タロット」が、決してレヴィやパピュス達に、否定されなければいけない理由がないように……
2017年、パリにある、このポルト ドゥ ベルサイユの地に、巨大なピラミッドが建つ頃には、エテイヤのエジプシャン・タロットも、復活しているのではないだろうか……
ポルト ドゥ ベルサイユの街を歩きながら、そんな予感に胸をはずませました。
(参考文献:伊泉龍一先生著「タロット大全」)
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