伝記やドキュメンタリーで語られる偉人や成功者のパターンは、若い頃は並々ならぬ苦労をし、努力を重ね、試練を乗り越えて、ついに偉業を成し遂げる… というものが多いです。
その並々ならぬ苦労や努力をしている所を、感動秘話や美談として語られます。
逆境に遭っても、それにもめげず、ひたむきに頑張っている立派な人格者として…
だから、そのドキュメンタリーを見ていると、
「オレは、こんな風な立派な人間じゃないから、やっぱり大成功者には、なれないんだ」
と、肩を落とす人もいるかも知れません(笑)
それはもう、相手は、根性のすわっている立派な人格者ですから… 普通の人では太刀打ちできません。
でも、本当にそうなのでしょうか…
僕は運良く、何気に今まで、成功者の方とお話をするような機会に、恵まれていました。
あと、過去の偉人とか、時流に乗った大成功者の生い立ちを、調べてみたりもしました。
その結果、わかったのは、
「偉人や成功者が、必ずしも生まれながらに立派な人格者じゃない」 という事です。
そして、伝記などでよく語り継がれる、忍耐と努力の並々ならぬ苦労というような、綺麗事で済まされるような試練ではなく、もっともっと人間のドロドロした感情と闘いながら、それを乗り越えてきている、という事です。
幼少の頃、虐待や人の裏切りにあっていたり、嫉妬心や恨みつらみに取りつかれていたり、とんでもない劣等感を持っていたり…
だいたい、このあたりの事は、公に語られる事もないし、本人もそれを語るのを快しとはしないです。
人間は誰だって、理不尽な目に遭ったり、人から罵倒されたり、蔑視されたりしたら、性格はいびつになります。
そして、当然ながら、人間関係だってまずくなる…
周りが四面楚歌で背水の陣になって、もう、何が何でも、このまま負ける訳にはいかないんだ… というような窮地に追い込まれる。
意外な事に、とんでもない成功する人って、こういうパターンが多いです。
あまり、語られてませんけど…
中途半端に心が満たされていたりすると、ある程度成功した所で、「まっいいか」 って事になってしまいますから。
確かにある意味、人間は、その方が健康的なんでしょうけど。
痛みに打ちひしがれて、それを乗り越えた人は、負けず嫌いで、根性があります。
これで、本当にやりたい事や、打ち込める事が見つかったら、向かう所敵なしです。
例えば、野口英世という人物は、何冊もの伝記で偉人として語られる代表的な人です。
野口英世がニューヨークに住んでいる頃、日本から、「発見王野口英世」 という、彼の伝記が送られてきました。
それを読んだ野口英世は、こう語っています。
「あれは悪い本だ。人間は誰だって、あの本のように完全ではない。また、あの本のように完全でありたいとも思わない。あれは、人間ではない。人生は、あんなに真っ直ぐにはいかない。人生と言うものには浮き沈みがある。浮き沈みがないのは、作り話だけだ」
野口英世が赤ん坊の時、囲炉裏(いろり)に落ち、左手を大やけどした話は有名な話です。
ただ、そのハンディを乗り越えて、並々ならぬ努力をした、というのは、表面的な話に過ぎません。
現実には、その左手の事や、貧乏だった生まれ家に対する劣等感… そういったものが、彼の精神を極限まで、蝕(むしば)んでいました。
現に、医学を志すようになった後も、野口英世は、左手を極力、人に見せないようにしていました。
野口英世の、特にお金や女性に関する裏の一面をリサーチしたら、彼のイメージが変わって、嫌いになる人もいるかも知れません。
それは、劣等感で屈折した精神状態が作り上げたものでもあるのです。
野口英世が残した 「偉くなるのが敵討(かたきうち)だ」 とか 「名誉のためなら危ない橋でも渡る」 という言葉は、それを端的に表しています。
アメリカの実験室で、膨大な数の実験をしてデータ収集し、全てのありうるパターンの実験を正確に完璧にし尽くした、恐ろしいまでのバイタリティー… 野口英世の功績は、その結果生み出されたものです。
アメリカ人からは、「実験マシーン」 とか 「日本人というのは睡眠を取らない」 とか言われていました。
それは、野口英世の医学に対する情熱であると同時に、心を蝕む劣等感に対抗する為に、身につけた強さとも言えます。
誰もが知っている、松下幸之助(敬称略)は、幼い頃から丁稚奉公という苦労を乗り越えて、電球ソケットを考案、やがて松下電器を設立し、会社は大きく発展、経営の神様と呼ばれた… というのは周知の伝記にある内容です。
松下幸之助といえば、笑顔がさわやかな、神々しいおじいちゃん、みたいなイメージが浮かんできます。
確かに晩年はそうだったと思いますが、松下幸之助の身近にいた人が一致して指摘しているのは、性格は非常に複雑でいくつもの顔を併せ有していた、との事です。
そして、いつも純粋な子供のようだったとも…
ある研究家が、松下幸之助の子供の頃のトラウマとして指摘するのは、松下幸之助と母親との関係です。
松下幸之助は、9歳まで母親に抱かれて、同じ布団で寝ていたほどの母親っ子だったのです。母親も幸之助の事を、本当に可愛がっていました。
丁稚奉公に入れる時は、周りの人に何度も何度も、子供をよろしくと、頭を下げていたそうです。
そして悲劇は、母親が再婚したという話がもたらされた時だったと、指摘します。母は、娘(幸之助の姉)の養育費の為に、再婚という苦渋の決断をしたのです。
松下幸之助の自伝の回想録には、ほとんどこの母の事が出てきません。
この事から逆に、幸之助にとって、相当の悲しみや煮えたぎるような嫉妬の念、裏切られたという思いが、そこにあったかも知れないという推測が可能ともいえます。
決して綺麗事では済まされない嫉妬の念や、憎しみの念を、幼少期の時に経験し、乗り越えてきた。
あの松下幸之助の神々しいほどの笑顔の裏には、そんな一面があるのかも知れません。
偉人や成功者という人達の見えない部分には、人前には出さないようなもの凄い葛藤があって、それがとてつもないバイタリティーに繋がっている…
まるで神様が、その人がそれに耐えられるだけの器がある事を知って、目的を果たさせる為に、苦難を与えたようにさえ思えます。
不条理に打ちひしがれたり、罵声を浴びせられたりすると、人の心はいつしかいびつになっていく…
でも、誰かに助けられたり、励まされたりして、人はまた笑顔を取り戻す。
これが何度も繰り返されながら、強さを身につけていく…
人生はいろいろな事があって、先の見えない未来に、不安になる事もあるかも知れません。
でも、放棄して逃げ出さない限り、いつか必ず、自分が納得するべき場所にたどり着ける、僕はそんな気がするんです。
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