浅野太志 songe a Paris

パリでエテイヤ・タロットの取材を終えた、占い師・浅野太志の日々の活動をつづります。

終わりは始まりの為に

 気がつけば、3月31日…
 今日で一つの区切りをつけて、学生さんは明日からは新しい学年です。

 一つの区切りがつくからこそ、新しい始まりがある訳ですが、今までのクラスメートや先生との別れは、やっぱりちょっぴり物悲しかったりします。

 フジテレビの 「笑っていいとも!」 も、今日がフィナーレなんですよね。
 「テレビ見ている暇があったら、溜まっている仕事片付けろ」 というくらい仕事が山積みなので、僕は残念ながら見れませんけど…        どっちにしろ、家にテレビないし

 きっと今頃、見ている人も多いと思います。

 「笑っていいとも!」 は、もう30年以上も続いてきた番組ですが、昔何かの雑誌で、「笑っていいとも!」 の長寿の秘訣を聞かれた時、タモリさんが 「番組について、一切反省をしない事…」 と答えていたのを覚えています。

 タモリさんはああ見えて、昔はあえて自分から嫌われキャラを演じていたりもしてましたし、いろんなご苦労も多かったと思うのですが、そういう苦労を一切顔に出されないで、飄々と振るまっている所が本当に魅力的でした。

 あの番組終わっちゃうのか… って思うと、ふっと寂しい気持ちになります。

 一つの物事が終わって、今まで集っていた人と離れ離れになっていくのは、何とも物悲しいものです。
 もう二度と会えなくなるのか、なんて思うと尚更の事です。

 いつも一緒だった恋人との別れも、長く連れ添っていた伴侶や家族との別れだって、避けて通る事はできません。

 どのみち人はいつかは死ぬし、自分だっていつかは死ぬのですから…
 でも、だからこそ始まるものがあるし、生まれてくる命だってあります。

 終わりは始まりの為に…

 別れの物悲しさに少し浸ったら、また前を向いて歩き出す事にします。
 その時こそ、新たな始まりの瞬間なのですから…

 P.S.
泣いてたまるかと好きすき魔女先生 さっき、電話鑑定をしている間に、大阪のHさんから素敵なプレゼントが届いていました。

 この前、渥美清さんの事をブログに書いたのですが…
 これ、渥美清さんの大人気シリーズ 「泣いてたまるか」 です。

 そして、もう一つのDVDは、惜しくも若くして亡くなってしまった女優・菊容子さん主演のオムニバスDVDですね…
 見るのが楽しみです(^^)

 Hさん、本当にありがとうございました!


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どんな人生のフィニッシュを決めるか

 一昨日、久しぶりに村野大衡先生と電話でお話ししました。

 話したのは、ほんのわずかな時間だったのですが、やっぱり村野先生はすごいな… と改めて思いました。

 これから先にある人生の事を、ちゃんと考えていらっしゃるんですね。

 まあ、それだけであれば、ある程度しっかりしている人には当たり前の話かも知れません。
 でも、村野先生がすごいのは、すでに自分の人生の着地点をどうもっていこうか、という事までが念頭にある所です。

 僕も含めて、普通の人はだいたい目の前の事で精一杯です。
 これから自分の仕事をどうもっていこうか… というのは、僕も考えてはいるのですが、やっぱり今現時点での局地的な見方になってしまいます。

 でも、村野先生は、人生というもの全体を大局的に俯瞰していらっしゃる…

 改めて、村野先生の器のでかさを感じました。

 新体操でも、フィギアスケートでも、ドラマや映画なんかでもそうですけど、やっぱり最終回というか、フィニッシュの形が一番印象に残ります。

 人生というのもこれと同じで、何かを全うした人生というのは、ずっと人に語り継がれますし、例え人の目に触れる事がなかったとしても、その人生は一つの芸術作品のように、永遠に残る気がします。
 
 もしも、人生のフィニッシュの着地点とキメのポーズがきちんとイメージできていれば、そこに行きつく為にどうしたらいいのかというのも計算できるし、最大の効率で充実した人生を全うする事ができる…

 村野先生と電話を終えた後、小走りに駅まで走りながら、ずっとそんな事を考えていました。

 そう言えば、カールスモーキー石井さん(2012/10/6ブログ 「コンサートの余韻の中で」参照)も著書の中で、「死にざまを考えた時に初めて男になる」 って言っていました。

 男って結局、生きざまを考えているうちはまだガキなんだっていうこと。死にざまを考えた時に初めて男になるんだ、と思います。

 人間もね、一枚の絵と同じようなところがあると思いますね。その人の顔や、その人の手や、その人の足が、その人の生きざまを語っている。
 たとえばマラソン選手だったらば、その人がその足で何百キロも走ったんだなって思ってその節くれだった足を見た時に崇高な気持ちになれるっていうのかな。

 だからずっと何かをやりつづけた人が死んだ時っていうのは美しいんだ、と思ったんです。
 無名であろうが貧乏であろうが頑固もんだろうが軟弱もんだろうが、何かひとつをやり遂げた人の死というのは、尊いものなんだなって。
 無言で横たわっているその人自体は何も言わないのに、人に語りかけるものがある。

(カールスモーキー石井 著 「アートの祭り」
         ~おじいちゃんが教えてくれたこと~より抜粋)


 どんな人生のフィニッシュを決めるか…

 それを思い描く事によって、これまで以上に、今を充実して生きる事ができる気がします。

 僕も、自分の人生のフィニッシュのポーズを、ちょっとばかりイメージしてみる事にします!

和ひろP.S.
 お客様でもあり友人でもあるFさんからお誘いを受けて、海浜幕張にある 「海鮮居酒屋 和ひろ」 に、二人でお食事にいきました。

個室が最高に落ち着く、とっても素敵なお店でした。

副店長
 Fさんの顔なじみでもある板前一筋の副店長の田村さんは、すごく美味しそうな海鮮料理を次々に運んでくださいました。

 最高の料理のおもてなしに、Fさんと一緒に舌鼓を打ちました。

 おいしい海の幸、ご馳走様でした!

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柴又帝釈天と寅さん的人生

 うららかな春のひと時…
 皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

 昨日はお世話になっている社長に誘って頂いて、葛飾柴又の街を巡って来ました。

 葛飾柴又と言えば、「男はつらいよ!」 でおなじみのフーテンの寅さん。

 こんな所にいました(笑)

寅さんと浅野太志 寅さんと一緒に並んで、行商人気分になって見ました(笑)

 寅さんと言えば名優の故・渥美清さん、渥美清さんと言えば寅さんなんですけど、本当の渥美清さんは、心のうちに様々な苦悩を秘めていた人でした。

 台本を2~3度読むだけで、完璧にセリフが頭に入ってしまう天才俳優だったのですが、若い頃肺結核で右肺を摘出していた事もあり、その上晩年は病気と闘いながら無理を押して撮影に挑まれていたと言います。

 そういった意味では、渥美清さんは、自分しか演じる事ができない一人歩きした寅さんに、誰よりも苦悩した人だったのかも知れません。

 ちなみに寅さんをリチャード・ギアがやると、また面白いです(笑)
 (2012/4/5ブログ ムッシュはつらいよ~「プチ・フランス語講座」 参照)

   とらや

 ここが、「男はつらいよ!」 の撮影のロケに使われた 「とらや」 …

階段 そして、これが度々映画で出てくる、あの階段です。

 「男はつらいよ!」 が良いのは、あの中に登場している人物が本当に生き生きと、映画の中で息づいているからのような気がします。

 倍賞千恵子さんの妹・さくらを始め、とらやのおじちゃん、おばちゃん、町工場のタコ社長なんかのキツイんだか優しいんだかわからない人情がこの下町の風情と溶け合って、常に旅路の寅さんのホームグラウンドとして存在する…

 お世話になっている社長と二人で、春のうららかな柴又帝釈天の参道を歩いてきました。

   柴又帝釈天

 帝釈天でお参り…

 帰りは、甘味処の 「高木屋」 で、美味しいおだんごを頂きました。

 ここは、「男はつらいよ!」 の毎回の撮影に、役者さんやスタッフが休憩や衣装替えに使われていたお店だそうです。
 そして、このおだんごをみんな食べていたのだとか…

    だんご

 社長とおだんごを食べながら、いろいろな話で盛り上がりました。

 その話題の中で、もしも、毎月安定した高収入を得られるけど、会社の上司に頭を押さえつけられて、自分が自分でいられなくて、それをずっと耐え忍びながら生きている人生と、寅さんみたいに収入は全然安定していなくて、明日をも知れなくても、ずっと自分らしくいられる人生と、どちらか一つを選ぶとしたら、どっちにするかという話になったんです。

 二人とも、絶対に後者だっていう結論になりました(笑)

 まあ、これはきっと異論もあると思いますし、こんな考えを人に押しつけるつもりはありませんけど…

 柴又からの帰り道、浅草の浅草寺に寄ってきました。

さくら

 満開のしだれざくら…

 「さくら、泣くんじゃねえ、
 兄ちゃんはこれでも幸せなんだ…」
    「さくら」 ちがい(笑)

 うららかな春の日、幸せをいっぱい吸い込んできました(^^)


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春らんまん

 寒がり屋の僕にとって、村野大衡先生の誕生日(3月27日)を迎えるあたりから、やっと本当に春の訪れを実感します。

 外の垣根に咲いている花も、きれいにほころんでいます。

春

 春ですね♪   幸せだなあ…

 今日はお世話になっている社長からお誘いを受けて、葛飾柴又に行ってきます。

 考えてみれば、今まで25年近く東京に住んでいるのに、今まで柴又には一回も行った事ありませんでした。
 すでに社長が、どこを回るかとかの計画も立ててくださっているらしくて、とても楽しみです。

 いつも社長は、「次はいついつまでに、これとこれをやっておかれるといいです」 という感じに、僕の大まかな仕事のガイドラインを立ててくださいます。
 僕はだいたいそれにのっとって、仕事を進めています。

 もちろん最終的にどの仕事をやるのかを決めるのは僕なんですけど、社長の指示通りにやっていると、すごくスムーズに進むので、大方はそれに従っています。

 僕は一つの事にのめり込んでしまうと、とことんまで入れ込んで、いつまでも一つの仕事ばっかりをやり続けてしまうという悪い癖があるんです(笑)
 だから自分の思いのままに仕事をすると、いつも仕事が滞(とどこ)ってしまう…

 そういう意味で、社長は僕の弱点をおぎなってくれるパートナーです。

 最近人生というのは、ちゃんと必要な時期に必要な人との出会いが用意されているんだな… って、つねづれ感じます。

 人の縁というものは本当に不思議です。
 自分で決めているようで、やっぱり大まかな所では決められているような気がします。

 結婚相手なんて、特にそんなものだという気がしますね。

 結ばれる相手とは結ばれるし、どんなに望んでもうまくいかないものはうまくいきません。
 だからそれに関しては、悔いのないように精一杯の事をやったら、あまり執着しない方がいい…

 それなりに出会いのある環境にさえいれば、焦らなくたって、来るべき時に来たるべき人がやってきます。

 春らんまん…
 そよ風に導かれながら…

 たまった仕事は一時中断して、少しお出かけしてきます!


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一つの事に夢中になれる人は、何をやっても一流になる

 「暑さ寒さも彼岸まで」 って言いますけど、寒がり屋の僕には、お彼岸もちょっぴり寒いって感じます。
 でも、さすがに3月27日ぐらいになると、やっと冬も終わったかって実感できます。

 僕にとって、この日は毎年の節目なんです。
 今日は3月27日は、僕の尊敬する村野大衡先生の誕生日なのです。

 そしていつもこの日必着で、村野大衡先生に何か甘いものを贈る事が、毎年の習慣になっています。
 そして、翌月の僕の誕生日に、村野先生から何か甘いものが届く…

 それで、必ず 「甘いもの」 である事がポイントなんですね(笑)

 ちゃんと届いていたようです(^^)

   ほのぼの占い師 “村野大衡”
   今天是我的生日☆

 村野先生も僕も、今お互いが忙しくて、最近なかなか話す機会も無いのですが、それでも心はつながっている…

 こういうのっていいなと思います。

 村野先生は、僕が占い師に向いているという事を、真っ先に見抜いてくださった先生でした。(村野先生に初めて会った当時、僕はミュージシャンの夢を捨て切れずに悪あがきしていました)

 また、僕に占い師のあり方というものを教えてくださった先生でもあります。
 (2012/4/27ブログ 「苦しみを一緒になって…」 参照)

 今さらではありますけど、村野先生を見ていると本当にすごいなって思うんですね。

 もう好奇心のかたまりみたいな先生で、何でも興味を持ったら、すぐに首を突っ込んでしまう…
 でも、普通の人と違うのは、それを徹底的に探究してきわめてしまう所です。

 だから、もちろん本業は、押しも押されぬ東洋占術の権威なんですけど、催眠術に関してもプロレベルだし、探偵業の事も詳しいし、武術に関してはもう達人レベルです。
 そうかと思うと、手品もすごくうまいんです。

 僕も手品についてはそれなりに詳しいので、だいたいのタネを見破る自信はあるんですけど、悔しい事に、村野先生のやった手品のなかで、どうしても一つだけトリックがわかりませんでした。
    ゴムのシートの上にある100円玉が、コップの中に落ちるヤツ…

 それはともかくとして、こうやって一つの事をきわめていくのは、よほどの集中力がないとできません。

 村野先生の場合、どれもとっくに趣味の域を超えてますから…

 面白い事に一つの物事を徹底的にきわめる人って、それとは全く関係ない別の事をやっても、同じようにきわめていきます。

 普通、一つの事に没頭していたら、他の事がおろそかになってしまうと思うんですけど、案外そうでもなかったりします。

 それで、面白い事にその経験が他の物事に通じたりする事もある…

 一つの事に夢中になれる人は、何をやっても一流になれるものなのかも知れません。

 特に村野先生の占いに対する情熱はすごいです。

 紫微斗数の本場が台湾である事は、誰もが認める所ですけど、その台湾の国の中でも 「上機派」 と言えば、一番定評がある流派…
 何といっても、日本人で唯一のその正式継承者なんですから…

 それでも村野先生の魅力は、そういう肩書を感じさせない所にあるんでしょうね。

 村野先生は、いつまでも僕の目標の人です。

 初めて村野先生と出会ったのは、まだ村野先生が30代前半で、僕は20代の半ばだったんですけど…

 村野先生も、あと1年で50代に突入か… なんて思いながら、自分の年を振り返ってみたらもう40代…

 なんだか不思議な感覚ですね(笑)

 それでもこうやって、自分の尊敬できる人と親しくさせて頂けているという事を、本当に嬉しく誇りに思います。


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違う角度から見直すと真実が見える

 暖かい春のひと時、今、僕は本当に充実した人生を送っている事を実感しています。

 確かに仕事には追われてはいますが、上手に時間をやりくりしながら、今までずっとできなかった事を学んだり、挑戦したりしています。

 またそれは、次の機会にブログに書こうと思います…

 さて、自分自身は正しい事を精一杯しているつもりでも、間違っている事だってあるし、知らず知らずに相手に負担をかけたり、失礼な事をしてしまっていたりという事って、誰にでもあると思います。

 人には多かれ少なかれ、欠点や偏りがありますし、それによって、自分ではちゃんとやっているつもりが出来ていなかったりとか、それでチャンスを逃してしまっている可能性だってあります。

 昔の僕は本当にそうでしたし、きっと今でも、まだまだ足りない所はあると思います。

 じゃあ、どうしたら、自分の偏りや欠点に気づく事が出来て、より効率的に物事を学べるかといったら、それはひょっとすると、複数の違った角度から一つの物を見るような訓練かも知れません。

 我々は誰しも、2つの目を持っていますけど、この2つの目を使って、目の前の物の正確な距離感を測る事が出来ます。

 試しに片目だけで物を見ると、最初は両目で見る時と変わらないように感じるのですが、目の前の物の正確な距離感がつかめなくて、やけに疲れます。

 物事は全てこんな感じで、最低2つの違った視点から判断しないと、実際の物事の正体って、判らないんじゃないかって思うんです。
 
 例えば、フランス語の発音の練習をするのでも、一つの同じお手本で練習していると、コツがつかみにくいです。

 自分ではこんなもんだと思って発音していても、まるで違っているという事があります。
  だからきっと、オルボワ―ルとかメルシイとか、変な和製フランス語ができた…

 今は便利になって、発音練習用のCDもあるし、ユーチューブなんかでもフランス語が練習出来たりしますけど、講師の先生によっては、同じ Bonjour でも、「ボンジュー」 って流す人もいるし、「ボンジュー」 って最初にアクセントをつける人もいますし、本当いろいろです。

 でも、その複数の Bonjour の共通点を見つける事で、正しい Bonjour が見つかる…

 人生のあらゆるものって、これと同じです。

 思想だって、たった一つのものばかり見ていると、偏りが出るし、おかしな具合になっていきます。
 例え元々の思想が、どんなに素晴らしいものであったとしても…

 たまに、その人がお手本としていたはずの思想とはずい分と違った、偏った過激な考え方をする人がいます。    

 本人はそれを真似ているつもりでも、常にそれしか見てなくて、しかも自分の感情が主観的に入るから、何だかよく分からない事になってしまう…

 だから僕は、たった一つの思想しか信じないというのは、それがどんなに良いものであったとしても、すごく危険な事だと思うんですね。

 違う角度から見直すと真実が見える…

 食わず嫌いにならずに、いろんな物の見方を受け入れて、そこから自分なりのものを再構築していったらいいって思うんです。

 その時に、物事の本質がおぼろげに見えてくるのと同時に、本当の自分らしさというものがつかめるようになるかも知れません。

 P.S.
サラダとワイン 鑑定を受けてくださったHさんから、おいしいサラダと果物、それにワインを頂きました。

 ワインは仕事に差し支えるので、そのまま冷蔵庫へ(笑)
 でも、サラダと果物はすぐに食べました。

 ここの所、野菜不足だったので、本当においしく頂きました。
   体が求めていた…

 少し前までは、スーパーやコンビニで売っている袋詰めのカットされている野菜を買って食べていたのですが、どうも胃にもたれるんですね…

 こういうのって3日ぐらい賞味期限が持つんですけど、切った野菜がこんなに持ってしまう所に、何らかの胃もたれの秘密があるのかも知れません(笑)
 
 今日のサラダは、最高のご馳走でした。
 Hさん、ご馳走さまでした!


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自分の事を省みられる内は、人生のチャンスは無限に広がる

 だんだん春らしくなってきました。
 窓を開けて深呼吸する度に、すごく幸せな気分になります♪
 僕はこの季節が大好きです。

 やっとこの年になって、今までの自分の人生の謎が氷解したと言いますか… 若い頃、どうして自分は運が開かなかったかという事が、今なら手に取るようにわかります、

 結局の所、全ての原因は自分にあったなって、今しきりに自分を省みています。

 でも僕は、自分の事を省みる事ができる内は、人生の可能性は無限に広がっていくと思う…

 だいたい不幸な人ほど、自分の事を省みようとしないで、運が開かないのを環境や人のせいにして腹を立てているものです。

 思うに人生は、少しでも自ら行動しようとすれば、チャンスはやってきます。

 もしもそれなりに行動しているにもかかわらず、いつまでたってもチャンスがやって来ないというのは、ひょっとすると自分の人望が足りないばっかりに、せっかくのチャンスがスルーしてしまっただけなのかも知れません。

 今思えば、僕の場合もまさにそうでした。

 昔、ミュージシャンや俳優に憧れて、それに夢中になっていた時も、たくさんの番組のキャスティングができるようなプロデューサーや監督の方にお会いしたものでした。

 あの頃は貪欲で無我夢中でしたから…

 でも、あの頃の自分を振り返って思い出すと、恥ずかしくなります。
 ガムシャラだったけど、自分の事しか見えていなくて、自慢げですごく嫌なやつだったんです。

 あの頃の自分は気づけなかったけど、今考えれば、ずい分と失礼な対応をしていたと思う…

 もちろん、自分に本当の実力があれば、多少性格に問題があったとしても、成功をつかめるはずです。
 ところが、当時の僕は、今思えば大した実力も持っていないのに、自分はすごいんだって思いこんでいました。

 恋愛に関しても、別にそれをメインに生きてきた訳ではないですけど、昔の僕は必ずと言っていいほど、素敵な女性だって思った人にアタックしていました。
 それで毎回撃沈していたんです(笑)

 当時の僕から言わせれば、ちゃんと行動をしているのに、何一つ運は開かなかったという事になるし、いつもそれを、環境や他人のせいにして、恨んでいました。

 自分を省みる事ができない人というのは、例えば、フランス語を一生懸命覚えて、自分なりに話してみて、それだけでフランスを話せたつもりになっているようなものです。

 自分ではちゃんと話しているつもりでも、聞いているフランス人からしたら、何を言っているのかわからないという状態…

 「それ、少し頭が悪い人の話し方ですね」 とか笑われるのならまだ良い方で、何回その発音で話しても、永遠に相手に伝わりません。   経験あり…

 それにもかかわらず、「何で分かってくれないんだ」 って言っているようなものですね。

 そんな時は、自分の発音を録音して、実際の発音と何度も聞き比べて、自分の間違いに気づかない限り、永遠に前には進めません。

 あの頃、僕がやらなければいけなかったのは、たくさんの権威に会う事でもなく、好みの女性に果敢にアタックする事でもなく、その前にちゃんと自分を省みるという作業でした。

 それを後回しにしたばっかりに、ずい分今まで回り道をしました。

 でも最近は、きっとその回り道にも意味があったんだろうな… って思えたりする自分がいます。

 こうやって、自分を反省する機会を与えられた事に、今は感謝ですね…

 別に、自分は間違った事をしているかも知れない… なんて、いつも怯えながら生きる必要なんてなくて、どこかで自分を客観的見つめる事ができれば、それだけでいい気がします。

 あとは気楽に、環境や他人のせいにしないで、人生を楽しんで生きられれば、多分それでいいと思うんですよね。


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思いに振り回されなければ、心は晴れやかに生きられる

 今日はすごく暖かくて過ごしやすい一日でした。
 ここの所、時間に追いかけ回されて、ずっと忙しく過ごしています。

 四柱推命講座を以前受けてくださった受講生の方全員に、この前の第8講座の収録のDVDを送ろうとしているのですが、現在、やっと4分の1の人に送った所で止まっています。

 でも、決して忘れていませんから、どうかもう少し待っていてください(^^;;

 この前、国会図書館で安岡正篤先生の本を読んでからというもの、本当、僕自身まだまだ人間ができていないなという事を痛感しています。

 特に仕事の取り組み方に関して…

 僕の場合、調子の良い時は、ものすごい勢いで仕事をこなしたりするのですが、そうでない時は中々エンジンがかからなくて、すごく効率が悪いんです。

 決して仕事をほったらかしにして遊んでいる訳では無いんですけど、やたらと仕事をこなす能率が悪いんですね…

 今までの僕は、だからこそ調子の良い時に仕事を一気にこなしてしまうのが良いと思っていたのですが、やっと最近になって、それでは根本的な解決になっていないんじゃないかって気づきました。

 どうやらこの問題は、僕の仕事のやり方が、常に自分の中の思いというものに振り回されている事に原因があるなと…

 安岡正篤先生がテキストにして取り入れている呂新吾(りょしんご)の 「呻吟語(しんぎんご)」 というものの中に、「奮始怠終は修業の賊なり」 という言葉があるんです。

 この言葉の意味を読んで、僕ははっとしました。

 人というのは、気分が乗った時や調子の良い時には盛り上がって、気合いを入れてやっていても、気持ちがダレてくると、だらだらしてしまう…
 まだまだ時間の余裕がある時は、ゆっくりだらだら仕事をしているのに、締め切りが近づくと必死になってやる…
 こういった事は結局、自分の心に甘えているにすぎない。

 まさに、これは僕の事でした(笑)

 このやり方だと、調子の良い時は確かに仕事が楽しくて楽しくてしょうがないのですが、緊張の糸が切れると、疲れが一気にきて仕事が手につかなくなります。

 ここで本当に大切になってくるのは、自分の思いというものに振り回されないで、もっと穏やか心で仕事に取り組んでいく事かも知れません。

 自分の力を過信して、うわっ調子な落ち着きのない心で仕事をこなすんじゃなくて、いつも周囲の人を敬って愛するような穏やかな心で、仕事をこなすようにする…

 そうすれば、自分の思いに振り回されなくなるから、コンディションに左右される事なく、常に一定の効率とクオリティーで仕事をする事ができるようになるはずです。
   きっと、メールの返信だって溜めなくなるに違いない…

 自分の思いというもので仕事をやり続けていると、特に会社勤めなんかをしている人なんかは、どうしても頭打ちになりやすいです。

 常に自分の力で一生懸命仕事をしているという自負があるから、上司などからダメ出しをされた時に受け入れられなくなるし、いつも自分というものが前面に出てしまっているから、仕事上の人間関係もうまくいきにくくなります。

 こういう時って、自分ではちゃんと仕事をこなしているつもりでも、実際の所はちゃんと出来ていなかったりします。
 だいたい、我力だけでやっている仕事というのは、自分でも気づかない所でミスも出やすいし、大した成果も上げられないものです。

 せいぜい、その人の持っているスキルがそのまま仕事に反映される程度で、このやり方だと、よっぽどの実力を持っていない限り、人から評価される事もありません。

 そうではなくて、もっと泰然とした穏やかな心持ちで、常に職場全体の事を意識しながら仕事をすれば、仕事の能率もクオリティーも段違いに上がるはずです。

 そういう時は、仕事上の人間関係もうんとうまくいきますから、人からの協力も得られやすいし、結果的に仕事の評価も得やすいです。

 今までの僕は、いつも勢いだけで仕事を片つけていましたが、やっぱりこれではダメだったんですね…

 と言う訳で、反省します!

 これは、仕事だけの事ではなくて、きっと人生の全てにおいて同じ事がいえる気がします。

 思いに振り回されなければ、心は晴れやかに生きられる…

 心の中の賊を打ち破って、穏やかで落ち着いたすこやかな人生を歩めたなら、とっても素敵に思います。


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天の計らいは、かくも意地悪でかくも優しい

 人生というのは、本当にいろんな事が起こりますが、僕は最近になって、人生に起こるあらゆる事は、全て天が自分を試す為に起こっているんじゃないか… って思うようになりました。

 例えば、何かアクシデントが起きた時に、「ありがたい学びだ」 と取るか、ただ単に 「嫌な事が起きた」 と取るか、そんな事が人生の分岐点になっているような気がしてきたんです。

 目の前に起こったアクシデントを、「ただの嫌な事」 にしてしまう人は、そこから学べないし、常にいろんなものに怯える事になります。

 例えば、誰かから罵倒される事とか、トラブルに遭ってにっちもさっちもいかなる事とか、大殺が来る事とか…(笑)

 まあ、大殺はともかくとしても、誰だって誰かから罵倒されたくないし、好きこのんでトラブルにだって遭いたくありません。
 でも、もしもそうなったとしたら、そこから何か学べる事だってあると思う…

 村野先生なんて、青信号の横断歩道を歩いていて、そこに突っ込んできた車の運転手に罵倒されても、そこから何か学びを探してます。

   ほのぼの占い師 “村野大衡”
   車に轢かれそうになりました。
       一体、村野先生はどんな対応をしたんだろう…

 「呂氏春秋(りょししゅんしゅう)」 の中に、「六験(ろっけん)」 という人物を鑑定する方法というのがあります。

 「呂氏春秋」 というのは、呂不韋(りょふい)という人が編纂した書です。
 この呂不韋という人は、秦の始皇帝の父親である子楚(しそ)の友達に当たる人で、おそらくは始皇帝の実の父に当たる人です。(始皇帝の母は、子楚が呂不韋からもらい受けたが、その時すでに妊娠していた)
 元々は商人の出でしたが、始皇帝の宰相となりました。

 この 「呂氏春秋」 に、人物を観察する為の、ちょっと意地悪な方法が乗っているのです。

 例えばこんな…

一、喜ばせる事によって、その人物が調子に乗って節操を破るようになるかを試す。

二、楽しみを与える事によって、その人物の偏りを観る。

三、わざと怒らせる事で、その人物が理性の節度があるかどうか試す。

四、恐れされるような事をして、その人物が人に依存するか、それとも自主性があるか試す。

五、悲しませる事をして、その人物の人柄を試す。

六、苦しみに直面させて、その人物の志が本物であるかどうか試す。

 呂不韋というのは、非常に頭が良いというか、少しずる賢い人なのですが、その人が編纂しただけあって、やっぱり少し意地悪です(笑)

 実はこれ、安岡正篤先生の本に載っていたのです。
 もっとも、これを人を試す為に使うのではなくて、自分の生き方を見直す為の方策として、安岡先生が提言されていました。

 ひょっとすると天の神様というのは、こんな気持ちで我々にいろんな問題をぶつけて試しているんじゃないかな… なんて思ってみたりして…

 もし本当にそうならば、辛い事が起こった時だけではなく、嬉しい事が起こった時にも気を引き締めていなくてはなりません(笑)

 やっぱり、どっちにしても、人生で起こるあらゆる事が学びである事は間違いありません。
 そういう気持ちでいれば、もう何も恐れなくてすみます。

 誰かから罵倒される事も、トラブルに遭ってにっちもさっちもいかなる事も、大殺に入る事も…
    大殺なんてものは、元々存在しないから、大丈夫ですよ(^^)
 
 天の計らいというのは、かくも意地悪で、かくも優しい…

 目の前に何が起こっても、全ては天の計らいだから、良い事も悪い事もありがたく受け止めたらいい…

 自分を練磨したその先に、必ずや本当の喜びが待ち受けているはずです。


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腕の良い占い師は人を幸せにする

 いよいよ、待ちかねた春…
 とはいえ、お彼岸だというのに、まだまだ少し寒いです。
 僕としては、もう少し暖かくなってくれると嬉しいのですが…

 まあ、少し前の凍えるような真冬の日々を思えば、贅沢は言えません。

 ここの所、マイブームで故・安岡正篤先生の事をブログに書き続けています。
 安岡先生というのは、日本のリーダーの人達に非常に大きな影響を与えたナビゲーターであり、指導者でした。

 僕が思うに、占い師というのは、お客様のナビゲーターの役割をしなければなりません。

 進むべき時は背中を押すし、止めるべき時は止める…

 昨日のブログで、「貴方はこれから悪い事が起こる時期だから、じっとして嵐を通り過ぎるのを待ちなさい」 というアドバイスはおかしいと書きました。

 でもこれは、危険を察知しようともしないで、何でもかんでも背中を押せばいいんだ… という意味ではありません。

 いつも、背中を押す事しかしない占いなら、鑑定料をわざわざ払って受ける意味はありません。

 そうですね…
 これは、虫歯になって歯医者さんに行った時に、どういう対応をされるかに例えるとわかりやすいかも知れません。

 「なるべくじっとして嵐が通り過ぎるのを待ちなさい」 というアドバイスは、「虫歯がひどくなるといけないから、このまま何も食べないようにして、放っておきなさい」 って言っているようなものです。
 しかも、歯医者なのに虫歯を見ようともしないで…

 こんな歯医者さんにかかったら、何も食べ物を口に入れられないので、栄養失調になってしまいます。

 逆に、何でもかんでも背中を押す占い師を歯医者さんに例えるなら、「人生一度きりなんだから、虫歯なんて気にしないで、チョコレートでもキャラメルでも好きなだけ食べたらいいです」 って言っているようなものですね(笑)

 これだと、虫歯がどんどん進行して、とんでもない事になります。
 まあ、それでも栄養失調になるよりはマシですが…

 本当にちゃんとした歯医者さんなら、その虫歯の状況を見て、冷静に的確な判断をします。
 そしてその場で、応急処置をするし、治療できる虫歯はちゃんと必要な処置をします。

 詰め物をしたり、場合によっては削ったり抜いたりする事もありますが、ちゃんと上手に麻酔を打って痛くないようにやってくれます。

 占い師の役割も、これと同じだと思うんです。

 虫歯の時と同じように、例え衰運期(僕はこの言葉が好きではないのですが…)というものであっても、それはそこで必要な学びを得る為の時期であって、来たるべき開運期の準備期間に過ぎません。

 ところがそこで、じっと家にひきこもってたら、何一つ学ぶ事ができません。
 そんな風に準備期間を過ごしたら、開運期が来ても、必要な準備ができていない訳ですから、当然運は開きません。

 中には、結婚適齢期の女性に、「貴方は10年間衰運期だから、その間は結婚をしないで家でじっとしていた方がいい…」 なんて平気で言う占い師がいます。
 こんな占い師の言う事を真に受けたら、一生が台無しです。
 (2012/9/5ブログ 大真面目な「占い幸福論」 参照)

 じゃあ、何でもかんでも背中を押せばいいかと言ったら、そういうものでもないです。

 確かに人生体当たりで学べる事もあるかも知れませんが、その結果、その人を満身創痍の不幸のどん底に陥れてしまう危険性があります。

 さっきの歯医者さんの例じゃないですけど、やっぱり虫歯の時ぐらいは、チョコレートやキャラメルは控えた方がいいです。
 でも、普通の食べ物はちゃんと食べたらいいです。

 その代わりその前に、ちゃんと歯の治療をしなければいけません。
 歯の治療さえすれば、普通の食べ物なら、虫歯があってもちゃんと食べられるんですから…

 「衰運期だから家でじっとしていろ」 って言う占い師も、何でもかんでも背中を押せばいいと思っている占い師も、歯の治療をしようとしない歯医者さんと同じです。

 もちろん、健康体で虫歯がない場合なら、それで構わないのですが、それすら確かめようともしないのが大問題です。

 昨日のブログで、安岡正篤先生は、「何よりも人格を磨き、心身を鍛える事が大事である」 と説かれていたと書きましたが、きっと安岡先生は、それによって、人の運命というのはどれだけでも変えられるという事を、知りつくしていたのだと思います。

 僕は、占い師は特別に偉い職業でもないし、上から目線で人に説教をするような事は、決してあってはいけないと思っていますが、もしも明らかにこのまま先に進んだら、頭打ちになって満身創痍になる可能性が見えた場合には、そうならないように精一杯のアドバイスをする義務はあると思うんです。

 「家でじっとしていろ」 とかじゃなくて、どこがまずいとか、どうやったらうまく行くかとか、そういう具体的なアドバイスができなかったら意味がないと思うんですね。

 でも、それが的を射たアドバイスであれば、そのお客様の運命を変えられるし、幸せに導く事ができます。

 腕の良い占い師は人を幸せにする…

 まだまだ僕も、こんな偉そうな事を言える立場ではないかも知れません。
 でも少なくとも、お客様にとって、常にそういう存在でありたいと、願い続けています。


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人格の完成こそが、無敵の運を創る

 今日はお彼岸…
 近くのコンビニに入ったら、入口の所にお線香とろうそくが売っていました。

 僕が住んでいる八柱の街には、「八柱霊園」 という大きな霊園があるので、お彼岸になるとお墓参りの人でやたら賑わいます。

 さてさて、昨日のブログの続きですが、戦後の歴代の首相に、「日本の黒幕は誰か?」 と尋ねると、ほとんどが 「安岡正篤(まさひろ)」 の名前を挙げたと言います。

 まあ、安岡正篤先生自身は、「黒幕」 と呼ばれるのをすごく嫌がっていたそうですが…

 この安岡正篤先生の思想の最も根幹をなすものが、「陽明学」 と呼ばれる思想です。

 この陽明学と言うのは、明の時代の王陽命が説いた教え…

 とても一言で言い表せるものではありませんが、その最も大きな特徴は、「知行合一(ちぎょうごういつ)」 という考え方です。

 「どんなに立派な事を頭で理解していても、それが行動に移せないようであれば本物ではない」 っていう熱い考え方です。

 そして、これを信条にしていたのが、かの吉田松陰…
 やがてそのイデオロギーは、高杉晋作や桂小五郎といった長州藩の志士たちにも伝わっていき、それが明治維新の原動力となりました。

 ちなみに、江戸時代の日本というのは、朱子学が尊重されていました。
 徳川家康自身が、朱子学を奨励していましたから…

 少し小難しい話になってしまいますが、朱子学も陽明学も、同じ儒教(孔子の教え)の流れをくむ学問である事に変わりはありません。

 朱子学は、「目の前で起こる現実の事象には真理があるから、心を磨くとともに、そこから何かを学ぶべきだ」 と説きます。

 僕も、これは正しいと思います。
 でも、陽明学は、これを否定するんですね。

 その上で、「現実の事象に真理を探すのではなくて、まずは自分の心を徹底的に磨いて、その上で現実の事象を見るべきだ」 と説いています。

 なるぼど…

 もしも、目の前で起こっている現実が、理想とはかけ離れた矛盾に満ちたものであった時、朱子学流だと、「これはこれで何か意味があるんだろうから、まあこれでよしとしよう」 みたく、事無かれ主義につながりかねません。

 ところが、陽明学流だと、「こんな事でいい訳がない」 という改革の精神につながっていく…

 さらにその上で、さっきの 「知行一致」 を説かれてしまったら、もう逃げ場がありません(笑)

 安岡正篤先生の思想の根幹にある陽明学は、おおよそこんな感じの学問です。

 でも、安岡先生は、それまでの先行する陽明学の研究を、「夢中に夢を説く在来の痴態」 と言って、バッサリと切り捨てられているんです!

 これだと確かに、自分の心を磨く事もしないで、自分が思った理想論をそのまま現実にぶつけるような人間を出しかねません。

 そして安岡正篤先生は、「何よりも人格を磨き、心身を鍛える事が大事である」 と説きました。

 まあ、安岡先生の陽明学の研究には賛否両論ありますが、少なくとも、安岡正篤先生が 「知行一致の人」 である事だけは確かです。
 だからこそ、日本の国政を陰で支え、数多くの人材を育成されてきた訳ですから…

 安岡正篤先生の教えの中に、「困難にあっても逃げ出してしまってはいけない」 というのがあります。

 誤解する人はいないと思いますが、これは 「自分の会社が経営不振でどうにもこうにもならない状態になっても、最後まで悪あがきしましょう」 という意味ではありません(笑)

 そうではなくて、「目の前に困難がやってきても、その場から上手に逃げたり、人任せにするのではなく、悠然とその壁に立ち向かっていきましょう」 とおっしゃるんですね。

 これは、例えば安岡正篤先生の薫陶を受けた、元経団連会長の平岩外四さんの言葉にも表れていたりします。
 (2013/10/29ブログ 「幸せになる量は器の大きさで決まる」 参照)

 こういう所が、安岡正篤先生と、「貴方はこれから悪い事が起こる時期だから、なるべくじっとして嵐を通り過ぎるのを待ちなさい」 って言っている巷の占い師の人達との器の違いだと思うんですね。

 「四柱推命完全マニュアル」 にも書きましたし、このブログでも度々言っていますけど、だいたい人生の中に、絶対的に悪い事が起きる時期なんて存在しません。
   なんで安岡先生が、あの人と入籍する気になったのかが摩訶不思議…

 人格の完成こそが、無敵の運を創る…

 そして、それを知った貴方は、すでにもう無敵の運を手中におさめています。


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占い師は一国の存亡をになう

 僕にとって、占い師というのは、本来ならば人のお手本になれるような生き方をしているような立派な人しか、なってはいけない職業のような気がします。

 だから、僕なんかは、本当ならまだ占い師になるには100年早いですね。

 昔は、どこの国にも占い師がいて、国の存亡を決めるような重大な決定には、必ず立ちあっていました。

 いや、これは別に昔に限った事ではなく、あんまり表だって出て来ないだけで、多くの国家や大企業なんかには、占いに精通した軍師がいるものです。

 まあ、そういう大きな役割を持つ人は、占いに精通しているだけではなく、人間的にも、人々からの尊敬を集めるような立派な人です。

 僕は、この日本の国において、見えない所で非常に大きな役割を果たされた軍師が、故・安岡正篤(まさひろ)先生だと思うんです。

 そこそこ大きな書店の占いコーナーに行くと、安岡正篤先生の易や干支の本は、必ずと言っていいほど置いてあります。

 まあ、安岡正篤先生は 「易者」 というくくりに入れられるような人物ではなく、非常に学問を積まれた思想家であり、研究者であると表現した方が自然かも知れません。

 最晩年は、あの細木さんと一時期入籍してしまったりして(その当時、安岡先生は認知症にかかっていて、きちんとした判断ができなかったとも言われています)それで変な形で有名になったりもしましたが、あれほどまでに釣り合いのとれていないカップルも珍しいです。

 過去においても、吉田茂元首相や中曽根康弘元首相など歴代の総理大臣の多くは、安岡正篤先生に様々な事を相談し、多くの影響を受けてきました。

 財界人でも、平岩外四さん、船井幸雄さんなどといったそうそうたるメンバーが安岡正篤先生から学んでいらっしゃいます。
 安岡正篤先生というのは、昭和天皇に直接ねぎらいの言葉をかけられたほどの人物ですから…

 安岡正篤先生のアドバイスは、時の総理大臣である佐藤栄作元首相とアメリカのニクソン大統領の会談を成功に導き、これにより日本の沖縄返還の交渉が順調に行ったとも言われています。

 また、昭和天皇の終戦の詔書のラジオ放送の原稿の推敲加筆をしたりもしました。
 ちなみに 「平成」 という元号は、昭和天皇が崩御される前から、安岡正篤先生によって考案されていたとも言います。

 安岡正篤先生の偉大な所は、その実践的で非常にレベルの高い思想にあります。
 中でも 「陽明学」 と呼ばれる学問に精通していらっしゃいました。
 長くなってしまうので、これについては明日のブログにでも日を改めて書こうと思いますが…

 学問を身につけ、常に心を研磨していらっしゃるから、常に安岡正篤先生は自分がぶれなかったのだと思います。

 でなければ、昭和天皇とか歴代の首相と堂々と渡り合って話したり、その人達に、国も存亡を揺るがしかねないような重要なアドバイスなんてできません。

 安岡正篤先生は、易や干支に精通した易者でもありながら、迷信のようなたぐいのものには一切振り回されない人でした。

 「丙午を恐れるような事で起こる社会への弊害(へいがい)は計り知れない」 とハッキリ断言しています。
 最期に 「大界による社会への弊害は計り知れない」 って言ってほしかった…

 我々占い師にとって、故・安岡正篤先生は、きっと時代を超えて、たくさんの指針を与え続けてくれる存在のような気がします。


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平穏無事な日々ほど有難い事はない

 いつしか気がつけば3月後半…
 皆さま、いかがおすごしでしょうか。

 僕は相変わらず、時間に追われ続けています。

 昨年の原稿の仕事を3つ抱えていた時に比べれば、はるかに今の方が余裕なのですが、結局いまだに去年から部屋は散らかったままです(笑)

 何とかしなければと、いつも思ってはいるのですが…

 忙しく動き回っているうちに、時間だけが飛ぶように過ぎていきます。

 すみません… またメールの返信を溜めちゃってます。
 明後日になったら一気に返信を始めますので、もう少しだけ待っていてください…

 慌ただしい生活をしていても、心はいつもすごく満たされています。

 今でこそ僕は、こんな風に忙しくしていますけど、昔はいつも、人生暇をもてあましていました(笑)

 今から思えば、やるべき事をやっていなかっただけなんですけどね…

 「毎日、なんにも良い事が起こらない…」 なんて、ぼやいていた時期もありました。

 でも、考えてみれば、こういう時って確かに良い事も起こっていないんですけど、かと言って、とりたてて悪い事も起こっていないんです。

 だからこそ当時の僕は、気持ちに余裕がある分だけ贅沢になっていたんだと思います。

 平穏無事ほど、有難い事もないです。

 たまに無くし物をするようなアクシデントでも起こって、結果的に助かるような事があったりすると、それを実感できるんですけど…
 (2/11ブログ 「無意識の自分が運命を決める」 参照)

 例えば、銀行で50万円引き出して、帰る途中でうっかりお金を道で落としてしまうような事だって、あるかも知れません。
 でも、現実には、そういう不幸な出来事は起こらなかったのですから、それだけでもすごくラッキーな事です。

 例えば、道を歩いていたら、上空から鉄骨が落ちてきて、病院送りになってしまう事だってあるかも知れません(笑)

 そんな事ある訳ないと思うかも知れませんけど、絶対なんて事はないです。

 もちろん、だからと言って災難が来るのを恐れていつもビクビクしているのは、決して健康的ではないですけど、それでも、今 平穏無事に過ごせている事を、時々感謝する必要はあると思うんです。

 その上で、周囲の人を幸せにするような事で、自分のやるべき事を精一杯やってみる…

 そうすればきっと、その幸せはずっとずっと永遠に続くはずです。


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挑戦し続ける事で未来は生まれる

 今日は本当に気持ちの良い春の天気でした。
 東京ではさわやかな春一番が、吹きつけていました。

 でもこの季節、きっと花粉症の人にとっては、辛い時期だと思います。
 僕は花粉症ではないのですが、この前風邪をひいて苦しかった時の事を思い出すと、何となく花粉症の人の苦しみは想像できます。

 僕は昨日、確定申告も終わらせて、気分も新たに新しいプロジェクトに向けて動いています。

 やる事は山ほどあって、結局の所、今もやっぱり時間に追われています。

 でもただ、僕はこうやって、次から次へと何かに挑戦していく事が大事なんじゃないかなって気がします。

 「こんなもんでいいや」 って思って、止まってしまったら終わりだと思う…

 「止まる事もできないような人生なんて、苦しいだけじゃないか…」 って思われる人もいるかも知れませんけど、案外苦しくなくて楽しいです。
 まあ、時間には常に追われますけど…

 本当に人生で苦しいのは、やりたくもないし、やる価値さえ感じられないような仕事を、人から強制されてやらされているような状態です。

 自分から進んでやろうとする限り、案外仕事って楽しいものです。

 こうやって、仕事に時間を追われていると、いつも四六時中 「次、どうやってあれをやろうか…」 みたいな事を考えていますね。

 電車の中にいても、トイレの中にいても、パソコンを起動させて立ち上がるのを待って過ごしている時でも、一生懸命そんな事を考えている…

 だから、前に進んでいけると思うんです。

 もちろんたまには休むのもいいです。
 働き過ぎている人には、息抜きも必要でしょう。

 でも、あんまり長くダラダラ過ごしていると、いつもくだらない事ばっかり考えてしまうようになりますね(笑)
 そういう状態になってしまうと、やっぱりその延長線上の未来も、くだらないものになってしまいます。

 挑戦し続ける事で未来は生まれる…

 失敗したって構いません。
 その失敗の経験が新たな未来を生み出していくんですから…

 無謀な計画を立てずに、万一に備え、それが例えうまく行かなくても、再起可能な状態にしておいたらいいんです。

 その挑戦し続けた先に、きっと輝かしい素敵な未来があるはずですから…


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つながっている分だけ幸せになれる

 確定申告、終わりました。
      お疲れさまでした 自分…

 昨年(つまり一昨年)は、ろくにレシートも領収書も取ってなかったので、残っている預金をほとんど持っていかれてしまったのですが、今年は大丈夫でした。

 お世話になっている社長から、e-taxのやり方を教わったので、今回は楽勝にできました。
 昨年はあんなにあたふたしてたのに…
 やっぱり、何事も経験ですね。

 3月になって、少しは時間に余裕ができるかと思いきや、相変わらず時間に追われています。
      やる事、てんこ盛りです…

 でも、確実にやりたい事が一つずつ完成していっています。
 一体、今僕が何に忙しくしていたかは、今年中に発表できると思います。

 昨年と同じように、またしても確定申告の最終日ギリギリになってしまいましたが、税金を納めてきました。
 でも、今年は一年前と違って、心地よく納税してきました。

 昨年はなんとなく、「お金を取られた」 みたいな気持ちがどこかにあって、どうも気分が滅入っていたのですが、本当はそうじゃないです。

 格好よくいうと、「国に貢献させて頂いた」 ですかね。
 まあ、偉そうに言えるような納税額じゃないですけど(笑)

 この前実家に帰った時、夜、うちの父と散歩をしていたんですけど、今の父が住んでいる地方の町は、どんどんと開発されて便利になっていっているんです。

 父は、その住んでいる町を自分の町なんだと意識している…
 だから散歩していて、新しい建物が出来たり、道路が整備されていったりするのが、楽しみで仕方がない…

 信号機だって道路だって国の施設や病院だって、考えてみれば、自分が払った税金でできている訳で、その税金を使って、自分の代わりに誰かが作ってくれたようなものです。

 そしてその施設を、税金を払う事で堂々と利用できる…
 考えてみれば、これはすごくありがたい話です。

 税金を払う時に、「取られる」 という個人主義の発想だと気づけないけど…

 こうやって社会というものに意識がつながれると、とても幸せな気持ちになれます。

 自分が利益を奪い取ろうとするんじゃなくて、周りに何かを与えようという気持ちが、結果的には全てに置いて自分に跳ね返ってきます。
 この世のものは全部つながっているから…

 今、僕はそれをひしひしと感じますね。

 つながっている分だけ幸せになれる…

 僕も一年前に比べてだいぶ大人になりました。

 まだまだ、もっともっと成長していかなければいけませんけど、確定申告を終えて、今少しだけホッとして晴れやかな気持ちです。


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ただもう感謝するだけ…

 たまっている仕事やメールの返信を少しずつ片つけながら、ふと一息ついてみる…
 こんな時、すごく幸せを感じます。

 沖縄旅行に行っていらっしゃっているMさんから、「四柱推命完全マニュアル」 が那覇のジュンク堂書店に何冊も並んでいました、というメールが入っていました。

 僕はまだ、沖縄に入った事がないんですけど、僕の本だけはすでに沖縄の地にある…
 本当に不思議な気分です。
 ただただ、感謝の気持ちでいっぱいです。

 この分だと、きっとあの本は、札幌にも並んでいると思います(笑)
 まだ僕は、北海道にも行った事がないんですけど…
   もし並んでなかったら、注文してください(^^)

 これはちゃんと、沖縄や北海道に行って、書店の担当の方にご挨拶ぐらいはしないといけないですね。

 昨年、内田和男先生と上野でお食事する機会があったのですが、その時に内田先生が、「浅野先生のブログがどこで読まれているか調べてみましょう」 って言い出して、モバイルパソコンをいじってくださったんです。

 そしたら何と、内田先生のモバイルに世界地図とか棒グラフみたいな画面が出てきて、このブログがどこで読まれているかが、図になって表示されるんですね。

 このブログ、なんとヨーロッパやアメリカでもアクセスがあるみたいです!
  皆さまこんなもの読んで頂いて、本当ありがとうございますm(_)m

 これ、パリで何件アクセスがあったとか、東京都内では何件だったとか、全部出てくる…
 内田先生からそれを調べる方法というのも教わったんですけど、何だか難しくって、残念ながら僕はやり方を忘れてしまいました(笑)

 でも、こうやって思うと、ただもう感謝するしかないです。

 自分一人で成しとげられた事なんて、何一つ無いんですね。
、僕なんてまな板の鯉です。完全に脱帽です。

 だからこれに甘んじて、ぐうたらやっててはダメですね。
 少しでも、僕ができる恩返しをしなくては…

 まだまだこれから… 頑張ります!


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永遠の命

 外の気候も少しずつですが、だんだん暖かくなってきました。
 本当に時間がたつのは、はやいです。

 やっぱりこの年になってくると、それを痛感しますね。
 若い若いと思っている内に、いつの間にか若くなくなっているものですね。   いいや、まだ僕は若いぞ~(笑)

 なんかこの分だと、一生なんてものは、あっという間の気がします。

 昨日、日本の名俳優である宇津井健さんがお亡くなりになりました。

 宇津井さんと言えば、いろんな映画やドラマに出演されていて、その役どころにも誠実さがみなぎっているような人です。

 ドラマでは愛情あふれる父親役から、刑事役から、大河ドラマの時代劇まで、幅広く活躍されていました。
 個人的には、ちょっと古い番組ですが、「ひまわりの歌」 が好きでしたね。
 主人公の正義感あふれる弁護士の役を、好演していらっしゃいました。

 でも宇津井さんというのは、元々は 「俳優座」 という舞台の舞台俳優から入った人だったんです。

 これば昔、僕が俳優の勉強をしていた時に聞いた宇津井さんのエピソードなのですが…

 ある公演の舞台で、舞台装置のドアを開けて、そこからスリッパを履いて廊下を歩くという台本があったそうです。
 ところが、公演の本番の時に、裏方の人がうっかりして、そこにスリッパを置くのを忘れてしまったんですね。

 舞台装置のドアを開けた宇津井さんは、そこにあるはずのスリッパが無いので、一瞬ハッとして止まりました。

 でも、数秒後にはアドリブで、あたかもそこにスリッパがあるかのごとく、片足ずつ履く演技をして、いつも通りに舞台を終わらせたという事です。

 本番の公演というのは、俳優さんは緊張の極限状態になっていますから、こういう時 普通の役者さんだとパニックになってしまう事も多かったりします。

 でも、さすがは名優と呼ばれる宇津井健さんです。

 宇津井さんは、どんな時にも落ちついていて、自分を見失う事がない人でした。

 きっと、これが宇津井さんの存在感というものになっていたように思います。

 俳優に限らず、本当に立派なできた人というのは、いつも自分を見失う事なく、全体の事を考えられるものです。


 話は変わるのですが、今日 千代田線の電車に乗っていたら、ずっと僕が電車に乗っている間、座席で化粧をしている女の人がいるんですね。

 考えてみれば、確かに電車の中で化粧していたって、誰にも迷惑をかけている訳でもありません。
 よっぽど、パウダーが空中に舞っていたら別ですけど(笑)

 まあ、見ていてあんまり気持ちいいものじゃないんで、つい目をそらしたくなりますが…

 でもこんな風に電車の中で化粧している人って多分、あまり人から大切にされないでしょうし、職場でもきっと軽くぞんざいに扱われているような気がします。

 少し厳しい言い方ですけど、やっぱり誰でも、自分の事だけに一生懸命の人に対しては無関心になるし、すすんでその人に何かしてあげようとは思わないものです。

 もちろん、大怪我をしていたり、本当に大変な目に遭っているような場合は別ですけど…

 だからきっと、その人の存在そのものも、周りの人の記憶からすぐに忘れ去られてしまう…
 つまり、その場所にいないのと変わらない。

 結局の所、こういう生き方をしている人ってものすごく損をしていると思うんです。


 宇津井健さんは、常に周囲に気配りができた方でした。

 膵臓(すいぞう)癌を患った最愛の奥様がお亡くなりになった当日も、ドラマの撮影を休む事無く、周囲に気を遣わせないように、一切それを口外しないようにして、普段と変わる事なく役を演じきったそうです。

 宇津井健さんという存在は、きっとこの先も人々の心に永遠に生き続けるに違いありません。

 永遠の命…

 人は、例えを死を迎えても、人の心に永遠に生き続けられるから…

 いつかそんな存在になって、悔いなくあの世に旅立つ事ができたなら、とっても素敵な事だと思います。

 
白いコーヒーP.S.
 今日コンビニで買い物をしていたら、いつも見る雪印のコーヒー牛乳が、なんだか白いパッケージになっているので、思わず買ってしまいました♪

 これ、牛乳たっぷりってやつですね。
 まさにこれぞ、僕の好みのコーヒーです(笑)


     コップのコーヒー
 注いでみたら、確かに白いです…

 まあ、味は予想通りでした。
 もはや、コーヒーというよりはただの乳飲料ですね。

 「白いコーヒー」 ごちそうさまでした!


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ふわふわマシュマロ ホワイトデー

 今日はホワイトデー…
 男性が女性にバレンタインデーのお返しをする日です。

 まあ、こんな事を考えつくのは日本人ぐらいなものです。
 (2013/3/14ブログ 「ホワイトデーは純和風文化」 参照)

 2年前の今日は、僕はまだパリにいましたが、当然パリにはホワイトデーなんてものはありません。

 ところで、バレンタインにあげる物は、だいたいチョコレートと相場は決まっていますけど、このホワイトデーにあげる物って、これというものが決まっていません。

 どうやら最初はマシュマロだったらしいのですが、とはいえ、マシュマロが大の好物だという女性も少ないと思います。

 あとは、マカロンとか、クッキーとか、キャンディーとか、やっぱりチョコレートなんかが売っていますね。

 ちなみに僕は、マシュマロが好きです。
 なんか、ふわふわしてていいです(笑)

 最近、コンビニでおでんを買ってきて、夕食にしていたりするのですが、その時に置いてあれば必ず一品加えるのが、おわん型した白くてふわふわなやつ…

 最初、あの名前がわからなかったんですけど、かまくらはんぺんって言うらしいです。

 まあ、そんな事はどうでもいいんですが…

 面白いもので、食べ物の好みなんかでも、その人のあらゆる趣向がわかったりするものです。

 ずい分前に、「さんまのまんま」 という番組で、アグネス・チャンがゲストに出ていて、明石屋さんまさんに心理テストをしたんです。

 その質問が、「コーヒーの好みはなんですか?」 というもの…

 ブラックで飲むか… ミルクやお砂糖をどれくらい入れるか… 人によって好みがあると思います。

 実はこれ、その人のセックスの嗜好を表しているのだそうです。
 あっさりしたのが好きとか、甘いのが好きとか…

 この時のさんまさんの答えが、すごくおかしかったのを覚えています。

 「好きなコーヒーは缶コーヒー、手軽に飲めて、すぐに捨てられるのがいい」 というもの(笑)

 ちなみに僕のコーヒーの好みは、お砂糖とミルクをたっぷりと入れたものです。
 最近は体に悪いので、なるべくお砂糖は控えめにはしていますが…

 でも、どこかのお家でコーヒーをスティックシュガーやポーションミルクと一緒に出された場合には、なるべくブラックで飲みます。
 なんか、ゴミを出して、テーブルを汚すのが申し訳ない気がして…(ミルクがピッチャーに注がれて出てきた場合は、当然全部入れます)

 でも、こういう所にも、やっぱり性格の一面性が表れたりするんでしょうね…    多分、甘えんぼで、しかも相手に順応しやすい性格(笑)

 話をお菓子に戻すと、やっぱりお菓子の好みも同じで、その人の一面性だったりします。

 ふわふわしたマシュマロが好みの人、パリパリしたおせんべいが好みの人、小豆たっぷりのアイスバーが大好きな人、小池屋スコーン・バーベキュー味がどうしてもやめられない人(笑)   最近、ちゃんと断ってます…

 やっぱりそこに、その人の傾向の一部分が出ています。

 セックスの嗜好だけではなくて、モノの考え方や、仕事の仕方や、心の成熟度までもが、何となくやっぱりそこに表れているんですね。

 これは、自分のパートナーや、意中の人の心理傾向を知るにも、非常に役に立つでしょう。

 そして人というのは、心が成熟してくると、食べ物の好みもだんだん変ってくるから、また面白い…

 さあ、貴方の大切な人は心のうちで何を望んでいるか、そっと見極めてみましょう!


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人生、塞翁が馬

 今日の千葉が、風邪がとても強くて、雨模様のお天気でした。
 それでも外はだいぶ暖かくなってきていて、強い風にさらされて、横から降ってくる小雨が、とても気持ち良い一日でした。

 もう、春なんですね…

 人生というのは運だと言いますけど、まさに本当その通りだと思います。

 宝くじを買って、運よく6億円当たったら、とりあえずそれで一生何不自由なく過ごせてしまいます。
 コツコツ汗水たらして働いて、頑張っていても、一生に6億円なんてそう簡単には稼げません。

 そんな風に考えると、一獲千金の宝くじとか、株式投資とか、競馬なんかのギャンブルに、のめり込んでしまう人の気持ちも分からなくもありません。

 でも… 自分を磨くのを忘れて、ギャンブルにのめり込んで、それで運よく大金を手に入れたとしても、僕にはどうしても、それが本当に幸せにつながるとは思えません…

 現実の話、宝くじで大金が当たった人で、本当に幸せになっている人って、少ないです。

 人生というのは、本当いろいろな事があります。
       人生いろいろ 仕事もいろいろ…   By 小泉純一郎

 それで、やっぱり目の前に起こる事というのは、何かしらの意味があるし、起こるべくして起こっているような気がします。

 宝くじを当てる人もいれば、いつも貧乏くじを引いて、損な役回りばっかりしている人もいます。

 でも、最近僕が思うのは、一見すると幸せな出来事も、一見すると不幸な出来事も、長いスパンでみれば、それは本当に幸せとも不幸とも限らないという事です。

 僕の好きな故事に、「塞翁が馬(さいおうがうま)」 というのがあります。

 塞翁が馬

 塞(とりで)の近くに、占いにたけた翁(おきな)が住んでいました。
 ある時、翁の飼っていた大切な馬が、逃げ出してしまいました。
 周りの人たちは翁をなぐさめましたが、ふと翁は、「これが幸せ(福)の種になるかも知れない」 と言いました。

 はたして数ヶ月の後の事、その馬は、別の駿馬を連れて翁の元へ帰ってきました。
 翁の家は、逃げた馬が連れてきた駿馬によって、どんどん栄えていきました。
 周りの人たちは、翁にお祝いの言葉をかけてくれました。
 でも、翁は今度は、「これが災い(禍)の種にならないとは限らない」 と言いました。

 その後、翁の息子は乗馬をたしなむようになったのですが、駿馬に乗っている時に落馬して、太ももの骨を折って、歩けなくなってしまいました。
 周りの人たちは、お見舞いにきて翁をなぐさめましたが、翁は、「これが幸せの種になるかも知れない」 と言いました。

 それから一年が経ち、隣国が塞に攻めてきました。
 若者はみな国に戦争に駆り出されて、十人中九人が亡くなってしまいました。
 しかし、翁の息子は足が不自由だったので、徴兵される事なく、親子ともにその後も幸せに暮らしました。

 幸せ(福)は災い(禍)の種となり、災いは幸せの種となる… その見極めは難しいものです。
(故事 「塞翁が馬」より意訳)


 考えてみれば、僕も18才の時に東京に出てきて、ミュージシャンになる夢が破れて、その後しばらく何年間は失意のどん底でした。
 でもその結果として、今の占い師としての幸せな人生があります。

 人生万事、塞翁が馬…

 急にどしゃ降りの雨に振られて、全身がずぶ濡れになって、「今日は最悪だ」 と思いながら、近くのお店に雨宿りしたら、そこに素敵な店員さんがいて、そのまま恋に落ちて結婚してしまう事だってあるかも知れません。   完全に妄想(笑)

 運は天に任せて、今を一生懸命全力で生きた時、きっと貴方に運命の女神が微笑みかけるはずです。


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人の好みは体験で変わる

 だんだんと少しずつですが、過ごしやすくなってきました。

 きつかった冬が過ぎゆき、外の気温はこれからどんどんと上がっていきます。
 僕は、この季節が大好きです。

 朝早く外に出かけると、カラスがカーカー鳴いていました。

カラス
 別に珍しくもありませんけど…
 カラスの写真撮るの難しい

 僕、昔はカラスが大嫌いだったんです。

 真っ黒で気味悪いし、ゴミをあさって汚いし…

 だから、カラスがそばに寄ってくる度に、ゾッとしました。

 小学生の時に誰かが、「カラスが鳴いている時に、親指を出していると親が死ぬ」 とか馬鹿な迷信を言っていたんですね。

 でも、いつの間にかそれに惑わされていて、子供の頃、カラスが鳴く度に親指を隠すようになってしまっていました。
 もちろん、今は やっていませんけど(笑)

 いつしか僕の中で、「カラス = 不吉」 という方程式ができ上がっていたんですね。

 まあ誰でも、意味も無く恐れているようなものが、一つや二つ位はあると思います。

 13とか42とかいう不吉と呼ばれる数が怖いとか、赤い月が怖いとか、「大界」 が怖いとか(笑)、実体のないものでも、やっぱり不吉だとか怖いとか思うと、くだらないと思いつつもだんだん本当になってきます。

 結局、その思いというものが恐怖を呼んでいるんですね。

 でも、ふとしたきっかけで、そういうものから解放される事もあります。

 実は僕、今はカラスが大好きなんです。
 最近カラスを見ていると、何だか可愛いと思えてきて(笑)

 くだらない理由ですけど、これは昔、NARUTOというアニメを見ていて、カラスを自由自在に操る 「うちはイタチ」 というキャラがすごく好きだったからです。
 まあ、誰もこの話題について来れませんね(笑)

 それはともかくとして、僕が思うに人の好みなんかは、過去のちょっとした思い込みとかから来ている事がほとんどです。

 もちろん心の深い部分で、その人のトラウマが介在する可能性はありますけど…

 でも、それに囚わない限りは、すでに物事は解決しています。

 人の好みは体験で変わる…

 怖いものが無くなって、世界中の全てのものが、愛おしく思える瞬間、貴方は最高の人生の喜びと開放感を手にしている事でしょう!

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早春の日差しの下で

 今日はお世話になった社長からお誘いを受けて、これから銀座でお食事をします。

 早朝の街を歩いてみると、まだまだ冷え込んでいるものの、少しずつですが、日差しが暖かくなっているのを感じます。

 仕事はまだまだ溜まっているし、ありがたい事に毎日必ず何かしらの予定が入ってきていて、原稿に追われている時ほどではないにしろ、それなりに忙しく過ごしています。
   
 時間に追われながら過ごしている内に、いつの間にか1日が終わってしまいます。

 それでも毎日、素敵なお客様との出会いがあったり、新しい世界の出来事を体験したりして、自分自身が癒されているのを感じますね。

 朝になる度に、新しい太陽が昇ってくるから、その度に新しい自分に生まれ変わっていく…

 人生って、いろいろな事があります。

 僕は今でこそ、それなりの成功を手に入れて、毎日が満たされていますど、やっぱり昔は毎日、苦しかったり辛かったりするような事の方が多かったです。

 どちらかというと、それが普通なのかも知れません。

 でも、その毎日の厄介事に心を囚われる事なく、いつも自分がナチュラルな状態でいられれば、自然と運は開くと思うんです。

 心がつまらない事に囚われていなければ、直感もさえてくるし、未来の見通しも立ってきます。
 自分にとって、何が最善な選択かが自然にわかるようになるし、心がナチュラルな時って人から好かれやすくなります。

 早春の日差しの下で…
 人生はいろいろあるけど、朝日がのぼる度に昨日までの囚われを全部流して、生まれ変わればいいです。

 たかが100年あまりしかない人生の、その1日1日を命を燃やし続けている…

 命が尽きるその日に悔いが残らないように、本当に大切な事だけを意識して、思いっきりベストを尽くしていこうではありませんか。

 P.S.
 あの東日本大震災から、丁度今日が3年目になります。
 あの災害による、被災地で被災された方々の心の傷は本当に大きなものだったと思います。
 一日も早い復興と、被災された皆様の傷が癒える事を、心よりお祈り申し上げます。


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病は癒し

 気のせいか、少しずつ暖かくなっているのを感じます。
 もう、春が訪れているんですね。

 つい昨日まで僕は、2年ぶりに風邪を体験しました。
 格好悪いので、ブログではふせておこうと思っていたのですが…

 熱がどれだけあったかは、僕も分かりません。
 僕、よっぽどの重症ではない限り、体温計で体温を測らないんです。
 測って熱があったその時点で、何だか病気が確定になってしまうような気がして(笑)

 今回の風邪は、寝ている時にセキが止まらなくなったのは辛かったですけど、今から2年前にひいていた風邪に比べたら、大した事なかったです。

 2年前に風邪をひいていたのは、パリに旅立つ1ヵ月前くらいの出来事でした。
 あの時はすっかり風邪をこじらせてしまって、声も出なくなってしまい、耐えきれずに医者に行きました。

 今思えば、あれは僕にとって、人生の大きな飛躍の前の最後のアク出しだったような気がします。

 病気って苦しいけど、やっぱり何かしらの意味があるのかも知れません。

 よく、「病気になるという事は、心の持ち方が悪いからだ」 と身もフタもない事を言う人がいますけど、僕はそうは思いません。

 そういう否定的な意味ではなくて、もっとポジティブな意味で、病気ってやっぱり意味があると思うんです。

 前に作家でフランス現代思想の専門家でもある内田樹(うちだ たつる)さんの本を読んだんですけど、内田さんは 「病は癒しである」 っておっしゃっているんですね。

 僕もきっとそうだと思います。

 これはユングの精神心理学とも通じる所があると思うんですけど、病というのは決して否定的なものではなくて、体がもっと大変な事にならないように調整してくれているんじゃないかなって気がする…

 まあ、病気で苦しんでいる時には、そんな能天気な事、言っていられないんですけど(笑)

 でも、こうして体が元の状態に戻ると、それをすごく感じます。

 今まですっかり忘れかけていた、健康のありがたみを思い出した、というのもそうなんですけど、なんかそれ以上に自分が強くなったような気がするんです。

 この一週間の間に、体中の毒素が抜けて、自分の運気もものすごくアップしたような気がしますね。

 大病を乗り越えた後に、大きく成功した人って何人もいます。

 病は癒し…

 体が病気になっても、心はなるべく苦しめないで、その苦しみと痛みを楽しんだらいいです。

 その病気は、次に貴方が大きく飛躍する為の準備なのですから…


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やっぱり大器晩成の人生がいい

 今日は、東京亀戸の地で 「四柱推命講座・初級編 第3期」 の代講講座をやりました。

 第3期の四柱推命講座の2日目が、豪雪の為に休講
になってしまった影響で、順繰りに講座の日程が繰り越しになって、急遽その週の土曜日に最終講座の予定を設けたのですが、当然ながら、すでに予定が入ってしまっている受講生の方のいらっしゃいました。

 今日の講座はその受講生の方を対象に行ったものです。

 実は僕、一昨日までかなり体調がすぐれなくて、夜 横になるとゴホゴホと咳が出て眠る事さえもできなかったんです。
 (どうせ眠れないと思って、夜通し仕事をしていたらますます具合が悪くなった(笑)

 体の具合がどんどん悪くなるので、今日の講座、本当どうしようかと思ったくらいなのですが…

 今日、講座会場に使わせて頂いたのは、お世話になっている社長が交渉してくださった、亀戸(東京都江東区)にある 「梅屋敷」 という、とってもオシャレな会場です。

 会場は全て社長にまかせっきりなので、僕も今日初めてきちんと中を見たのですが、あまりにも素敵な会場で驚いてしまいました。

 講座会場の壁の純和風な感じの日本画が、すごく僕が好きな良い味を出しているんですね。
     これからは、ずっとここで講座やろう(^^)

 一週間前に購入した自前のプロジェクターを設置して、集まってくださった先週参加できなかった3人の受講生の方に講座をしたのですが、今日の講座はなんだか本当に不思議な感覚でした。

 なんていうか… 天からどんどん体にパワーが注入されて、元気になっていくような…

 最初体調はいまいちだったのに、講座をやっている間にすっかり復活してしまいました(笑)

 今まで過去に四柱推命講座は、最初に 「実践編」 次に「初級編」 が3回と、計4回行なってきたのですが、必ず最後の日は実践鑑定という形で、実際に存在している野球選手とか芸能人の人生の四柱推命上の検証をやってきました。

 でもハッキリ言って、いつも中途半端で、自分の中で講座に満足がいったためしが無かったんです。
 毎回やけに時間だけがかかって、尻切れトンボになってしまったり…

 でも、今日初めて、それなりのものが少しはできた気がしました。

 もちろん完璧という訳ではないですし、これからももっともっと内容をつきつめていかなければならないんですけど、今までのいつもウダウダだった最終日の講義に比べたら、はるかに良い内容だったと思います。

 という事で、決めました!

 今まで僕の四柱推命講座を申し込んで受けてくださった、約30名の受講生の方全員に、今日の講座をDVDに焼いて発送する事にします。
     わたしが決めた いま決めた~♪ (ほっぴっぽ

 とはいえ自宅のパソコンで、ビデオカメラで撮影したDVDを焼くのは、意外に時間がかかってしまうので、30名の方にDVDを全員にお届けできるまでにはかなり時間がかかってしまうと思いますが、順に発送していきます!

 ちょっとテキストでミスっている所もあるし(笑)
 それに何よりも、僕自身あの内容で終わらせたくないというのがあるんです。
     という事で、ご自宅に勝手にレターパック350で郵送します(^^)

 今の僕は、こんな僕の事を信用して応援してくださっているお客様や受講生の方のお陰で存在しています。

 でも僕はまだまだ、今の自分に満足していません。

 でも人間の価値というのはきっと、常に現状の自分に満足しないで、上を目指し続けて悪あがきしていく事のような気もします。

 その為にも、今の仕事に関してだけは、自分にある程度は厳しくきっちりとやっていかなければと思いました。
 この占い師というお仕事は、やっと自分がたどり着いた本当に誇りを持てる仕事だから…

 今思えば僕は、若い頃いつも結果を出す事にばかり焦っていました。

 でも本当に大切なのは、結果を出す事以上に、今の自分で妥協しない気持ちを常に持ち続ける事かも知れません。
 それが最終的には、本当に大きな結果を残す事になると思うし…

 やっぱり大器晩成がいい…

 もっともっとデカくなれるように、頑張ります!


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無敵モードのパワー

 皆さま、お元気でお過ごしでしょうか。

 僕は、実はあまり元気ではありません(笑)

 パリから帰ってきてからというもの、2年間 一切病気知らずだったのですが、一週間ぐらい前から少し体調を崩しています。

 それでも無理を押しとおして、夜まで何も食べなかったりして仕事をしていたら、だんだん本当に調子が悪くなってきました。

 占い師が風邪をひいているって、格好悪いし、心配をかけるからブログでは触れないままで通しきろうと思っていたのですが…

 せきが出て喉は痛いし、鼻水は出るし…
 体の調子が悪いと、座ってパソコンの画面を少し見ているだけでも、目がシカシカして辛いです。
    ティッシュペーパーも、あっという間になくなるし…

 それでも、昨日の夜は暖かくしてぐっすり寝たら、大分良くなりました。   という事で、明日の講座の代講は予定通り実施します(^^)

 でも、僕はこの1週間の間に、体がこんな最悪な状態であっても、とんでもなく元気になる方法を発見しました。

 まさに、人生ロールプレイイングゲームの裏技… 向かうところ敵なしの 「無敵モード」 です!

 ただし、あまりにも長期間このモードを使い続けると、心に反動が来るのでご注意ください(笑)

 この 「無敵モード」 の発動の仕方は簡単…
 それはただ、自分の事を本当に必要としてくれている人がいるという事を、しっかりと意識すればいいです。

 そうすると、不思議と体の調子が悪いのに、気持ちだけはとんでもなく元気になってしまいます。

 いや、この 「無敵モード」 は、体の調子が悪ければ悪いほど、自分の置かれた状態が苦しければ苦しいほどに、発動しやすい気がしますね。

 最近の僕は、自分の置かれた状態が苦しいという事があまりなかったので、この気持ちを忘れかけていました。

 今から70年前の戦時中の日本はには、特攻隊員と言って、行きの燃料しか積まない航空機に、最初から死ぬつもりで乗り込んで、敵の戦艦に体当たりして、自爆して命を散らしていった兵隊さんがいたそうです

 戦争というものは悲惨だし、事情はどうあれ、人間同士が殺しあうなんて事は最悪の事です。
 だから僕は、戦争というもの自体を肯定する気は、さらさらありません。

 ただ、戦争そのものの賛否は抜きにして、あの特攻隊というのは、みんなが志願して行ったんですね。

 昔の僕には、その心境がまるでわからなかったし、あれは本当に悲壮感が漂うものだと思っていたのですが、今なら少しはその兵隊さん達の気持ちがわかるような気がします。

 自分を必要としてくれる人の為に、例え自分の命が尽きたって、ただ尽くしたいという気持ち…
 きっと、そんな心境だったんじゃないかと思う。

 そんな気持ちだから、怖いものがないんです。
 たとえ、それが 「自分の死」 というものであっても…

 この状態は、まさに人生の 「無敵モード」 です。
 このモードに入ってしまえば、体の調子が悪くても、どんなに追い詰められていても幸せでいられる…

 人は誰でも、自分を必要としてくれる人がいるものです。

 それは家族かも知れないし、友人かも知れない…
 僕の場合には、縁ができた僕を必要としてくれるお客様だったりします。

 そして、その自分を必要としてくれる人の事を強く意識した時、人というのは本当に強くたくましくなれるものです。

中島みゆきのお時間拝借P.S.
 以前鑑定を受けてくださったSさんから、僕が昔よく聞いていた、中島みゆきさんの 「お時間拝借」 というラジオ番組のDVDの販売予約が開始されたという情報を頂きました。


 中島みゆき 「お時間拝借」よりぬきラジオCD BOX
 http://shop.tfm.co.jp/shop/c/c1084/

 これ本当に面白いんです。
 今は時間に追われて、とても聞いている時間はないけど、そのうち買ってゆっくり懐かしもうと思います。

 Sさん、貴重な情報ありがとうございました(^^)


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まずは形から入る

 今日は、東京オフィスで、お世話になっている社長に確定申告のやり方を教わりながら、レシートを電卓で計算したりして、税務申告書を作りました。
 思い起こせば、去年の今頃は、この確定申告の事で四苦八苦していました。 (2013/3/15ブログ 「ピンチはチャンスであって、ドキドキして楽しい」 参照)

 気がつけば、もう3月…
 でも、まだまだ寒いです。

 今日の東京は、雪がちらほら降っていました。

 今、風邪が流行っていますから、皆さまくれぐれも体調を崩さないように気をつけてくださいね。

 今のこの状況、千葉に住んでいるといろんな意味で仕事がうまく回らないし、計算すると年間で交通費もとんでもなく掛かっているし、体ももたないので、今年のうちにでも都心に引っ越したいなと思い始めました。

 帰りの電車の中で社長にその事を話すと、とっても良いお話を伺えました。

 あるまだ売れていない吉本芸人さんが、安い家賃のアパートに住んでいたそうなのですが、その時に先輩芸人から、「もっとビックになるつもりなら、そんなと事に住んでいたらダメだ」 って言われたそうです。

 そして、「自分がなりたい姿に見合ったリッチな所に住め」 ってアドバイスされました。

 その売れていない芸人さんは、その言葉を信じて、リッチなマンションに住んだら、その後本当に売れてしまったそうです。

 まずは形から入る…

 これはとても教訓になる話だと思いました。

 高いマンションに住んだら、自動的に成功者になる… という意味ではなくて、高い家賃を捻出する為に、いろいろ考えて創意工夫して、自分の人生を見直す所に意味があるのかも知れません。

 やっぱり、お世話になっている社長は成功者だけに、いろいろな良い話を知っていらっしゃいます。

 僕も都心に引っ越す時には、ちょっぴりリッチな住まいにしようかな… なんて思いました。

 本当、今風邪が流行っていますから、皆さまもうがいや手洗いを忘れず、風邪をちゃんと予防して、素敵な週末をお迎えくださいね。


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人生はロールプレイングゲーム

 今日は直接鑑定で、新宿に行きました。
 僕は過去に、もうトータルすると15年以上は、この新宿から歩けるような距離に住んでいました。

 考えてみれば、一生のうち3分の1は、新宿育ちっていう事になるんですね…

 そんな懐かしい気持ちで、新宿の街を歩きました。

 昨日は朝から何も食べずにひたすら原稿作り、そして今日は鑑定… 仕事と言えば仕事ですが、僕にとってはすごくやりがいのある楽しい事ばかりです。

 僕の場合は、「自分のやりたい事 イコール 仕事」 だから、というのもあるとは思いますが、例えどんな仕事でも、夢中になってやっていると、ふと楽しいと思える瞬間があります。

 もしも、全く微塵もそう思えないようなら、場合によってはトラバーユを考えた方がいいのかも知れません。

 ただし、もしも仕事以上に夢中になってしまう楽しいものがあったら、やっぱり仕事が楽しいなんて思えなくなるのも、無理からぬ所でしょう。

 例えば恋愛とか…

 まあ、仕事だけが人生じゃないですから、時には恋愛に夢中になるのは良いと思います。

 でもそれ以外にも、人生にはさまざまな誘惑があります。

 お酒が楽しくて楽しくて仕方ないとか…
 競馬やパチンコが楽しくて楽しくて仕方ないとか…

 息抜き程度ならいいですけど、それにのめり込んでしまったら、やっぱり仕事での成功はないでしょうね。

 あと、テレビゲームが楽しくて楽しくて仕方ないとか…

 実は僕、まだ新宿に住んでいた7年ぐらい前、このテレビゲームにハマってしまったんです(笑)

 とはいえ、僕の家にテレビゲームがあった訳ではありません。

 親友のS君が、お正月を楽しく過ごす為にと、「戦国無双2」 というテレビゲームを買ってくれたんです。
 それでお正月にS君の家に行って、二人でプレーしました。

 そしたら見事にハマりました…
 徳川家康に(笑)

 あのゲームには、徳川家康というキャラが出てくるんですけど、本当にかなり史実に忠実に作られていて、実際に家康が口癖にしていた言葉なんかを話すんです。

 そして史実通り、三方ヶ原の戦い、姉川の合戦、長篠の合戦、小牧・長久手の戦い、小田原の陣、関ヶ原の合戦… と続いて行く…

 なぜか家康は、馬鹿でっかい大砲がついた槍を持って、のろのろ歩いているんですけど…

 すっかりハマって、しばらくの間、S君の家に夜な夜な入り浸っていました。    ちなみに家康はこんなキャラです

 あの頃は、都内にあった占いのお店で、雇われ占い師をやっていたんですけど、夜S君の家で、徳川家康をプレーするのが楽しみで楽しみで…
 やっぱりゲームにハマっていた間は、仕事に対する意気込みは今一つでしたね。

 人間って、刺激の強いものに影響されやすいですから…

 テレビゲームって楽しいです。
 料理の味付けで例えると、仕事の楽しさが薄味のカブの浅漬けだとしたら、テレビゲームの楽しさはバーベキューソースを掛けた脂身たっぷりの焼肉ですね。
   どういう例えやねん…

 体には、浅漬けの方がいいに決まっているんですけど、バーベキューソースたっぷりの焼肉と比較したら、まるで味がわかりません。

 もちろんたまにテレビゲームを楽しむのは良いと思うんですけど、もしも本当に仕事で大成しようと思ったら、やっぱりやらないほうがいいです。
 だって、仕事の面白みがわからなくなってしまいますから…

 テレビゲームも楽しいけど、人生だって、言うならば終わりのないロールプレーイングゲームです。
   て、村野先生も言ってたぞ…

 どうせ楽しむなら、こっちの方がリアルだし面白いと思うんですよね。

 P.S.
おおまぴょん 今日、新宿で僕の鑑定を申し込んでくれたのは、前に僕のタロット講座の大アルカナ編と小アルカナ編を受講してくださった、みずぽんさん…

 みずぽんさんは、長野県の大町市に住んでいるんですけど、大町市にもゆるキャラがあったんですね。
 ぬいぐるみのマスコット、プレゼントして頂きました!

 その名は、おおまぴょん

 これ、カモシカがモチーフなんですけど、頭にかぶっているのは北アルプスの山脈です。

 超可愛いです。コレ…

 みずぽんさんのブログも、大人気です!

 個人部屋のStoryteller

 皆さま、よかったら見てみてください(^^)


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やっぱり、この気合いが大事!

 今日はまだ、朝ごはんも食べていません。
 ずっと朝の8時ぐらいから、かれこれ11時間近くぶっ通しで、原稿の仕事をやっていました。

 去年の年末からずっと今年の1月末ぐらいまでやっていた原稿の仕事に、追加で書き足さなければならない部分があって、今日はそれをこなしていたのです。

 その依頼はもう1ヵ月ぐらい前から頂いていたのに、ずっと 「四柱推命・初級編」 の講座の準備の関係で延ばし延ばしになっていました。

 その上、ここの最近あんまり体調もよくなかったりして…
      生活が不規則だから…

 「こんな事ではイカン」 という事で、今日は早起きしてシャワーを浴びて、A先生から頂いた赤いパンツ1/19ブログ P.S. 参照)をはいて、すぐに原稿の仕事に取り掛かりました。

 そしたら何だかものすごいパワーが出て、朝食も食べないまま10時間以上もぶっ続けて、追加で頂いていた原稿の仕事を、今日1日で仕上げてしまいました。
      やっぱり赤いパンツのパワーはあなどれない…

 やっぱり僕が思うに、仕事をやる時には一気にたたみかけるのが一番です。
 一番良くないのは、まとまった時間の余裕ができてからやろう… とか言って、先送りする事です。

 こうなってしまうと、物事が永遠に先延ばしになりますね。

 そういうつもりでいると、仕事に取りかかろうとする度に、体の調子が悪くなります(笑)
      そして体の調子がよくなったらやろう… と先延ばしにする

 僕が思うに、どんな仕事でも、それに集中するとすごく楽しいです。
 そういう時は、すごい勢いで仕事がはかどって行きます。

 でも、最初に重い腰をあげるまでには、すごく時間がかかる…

 だから重い腰が上がってエンジンがかかった時には、間髪いれず一気にたたみかけてしまった方がいいです。

 僕がお腹が空いているのに、まだ今も朝食を食べていないのは、せっかくエンジンがかかったのに、食事をして小休止してしまうと、その勢いが止まってまたエンジンがかかるまで時間がもったいないからです。

 まあ、ちょっと体育会系なノリだとはと思いますけど…

 でも千日回峰行をやっている人なんて、9日間何も飲まず食わずで、しかも横にもなれないのだから、それに比べたら全然甘いです(笑)
 (1/24ブログ 「千日回峰行に比べれば…」 参照)

 やっぱり、この気合いが大事ですね。

 という訳で本当にお腹が減ってフラフラなので、吉野家にでも行って、何か食べてくる事にします(^^)


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性善説と性悪説

 世の中の思想体系の一つに、性善説というものと、性悪説というものがあります。
 「人間の本性は、善なのか悪なのか」 という事は、もう太古の昔から議論されていた事でした。

 性善説というのは、紀元前3世紀ごろ、孟子(もうし)という人が提唱した説で、人間の本性は本来 善に根ざしているという考え方です。
 のちの時代の朱子(しゅし)という人が、これを拡張して発展させました。

 例えば、人間は誰だって、目の前で子供が井戸に落ちそうになっていたら、損得勘定なしでこれを助けようとするもので、それこそが人の本質であると言っています。

 「いや、オレは助けないよ」 という人がいたとしたら、性善説的に言うと、その人の本質がいろいろな間違ったものに覆いつくされて、曇らされて発揮できなくなってしまっている状態です。

 だからこそ、そうならない為にも、学問を修めて、本来のこの人間の本質を充実させる事が重要であると、孟子は説いています。

 そして、もう一つの性悪説というのは、同じく紀元前3世紀ごろ、この孟子の性善説に対抗して、荀子(じゅんし)という人が提唱した説です。

 一言で言ってしまうと、「人間の本質とは欲望である」 という考え方です。      なんか、フロイトに似てると思う…

 「人の性は悪なり。その善なるものは偽りなり」 という風に、荀子は断言しています。
 
 だからこそ、学問を修めて礼儀を学んでいかなくてはならないし、それにより、人は後天的に善というものに至って、お互いが譲り合う事もできる… と説いています。

 結局どっちも結論は同じで、「学問を収めて努力をして、善の道に行こう」 という所に行きつきます。

 よく一般的に、性善説は 「人間は何もしなくたって、本来は善なんだ」 という楽観的な考え方で、性悪説は 「人間は悪だから、この本質は変えようがないんだ」 みたいな考え方に捉えられがちですけど、それはあくまでも断片的であって、どちらも行きつく所は、己の修養をして善に至る道筋です。

 例えばよく、日本の思想は性善説で、フランスは性悪説だなんて言われます。
 フランス人は、子供の教育 …特に男の子の教育には厳しいです。
 それは根底に性悪説があるから、厳しく躾をしないと放っておいたら駄目になるという考え方があるからだそうです。
 その点、日本はどちらかというと、性善説の方が受け入れられやすい大らかな風土があります。

 さて、この性善説と性悪説は、一体どちらが正しいのか…

 残念ながら僕にもわかりません(笑)

 そうですね… どちらが正しいかは僕にはわからないけれど、少なくとも人が幸せになる考え方は性善説だと思う…

 確かに性悪説の方が非常に現実的ですし、性善説はきれい事っぽくて、つかみどころがないような所があります。

 でも、所詮人間の本質なんて欲望なんだと断言して、斜(はす)に構えて人を見てしまうと、人間不信に陥るかどうかは別としても、人に対する謙虚さが無くなってしまう気がするんです。

 元々、人間というものの本質が悪だったら、たかが人間一人がどんなに努力して礼を学んでも、やっぱり善には至れないんじゃないかなとも思うし…

 まあ、荀子に対抗して、それを主張するだけの勇気はまだありませんが(笑)

 孟子や荀子が生きたあの時代の中国は、春秋戦国時代でしたから、国と国とが争い合い、そこらあたりで殺戮や略奪がはびこっていた時代です。
 性悪説はともかくとして、よくこんな時代に、孟子という人は性善説を唱えられたな… って、そんな思いを馳せたくなります。

 この人はよっぽど、人間は本来は善なのだという自信があったのかも知れません。

 僕には、人間が善なのか悪なのかを断言できるだけの自信は、まだありません。
 でも少なくとも、人間の本質は絶対に善であって欲しいと思うんですよね。


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人形にだって魂は宿る

 月日が経つのは早いもので、今日はひな祭り…
 もう冬も終わりなんですね。

 ひな祭りと言えば、雛人形…
 女の子のいらっしゃるご家庭には、立派な雛段が飾ってあるおうちもあるでしょう。
 うちには… 当然ありません(笑)

 可愛がっている人形やぬいぐるみには、魂が宿ると言います。
 そんなバカな… って思われる人もいると思いますが、僕はあながち、そういう事があっても不思議じゃない気がするんです。

 最近は、不思議な奇跡ばっかり体験しているので、ちょっとだけそういう事が信じられるようになりました。

 家だって、人が住まなくなると急に古びていきます。
 普通に考えたら、人が住むほどに傷みそうなものですけど、その逆なんですね。

 これは、理学博士の川田薫先生(2013/12/7ブログ 「受け継がれていくもの」参照)の実験なんですけど、例えば目覚まし時計のような機械製品を、バラバラに分解して、精密な計測器で測ると、若干重量が減ってしまうそうです。

 川田先生は、モノが形になっている時には、そこに人間の思いが宿って、それが重量の差になるからではないかとおっしゃいます。

 これが特に人形ともなると、やっぱり人間が感情移入しやすい分だけ、そういう事が起こる可能性も強いでしょう。

 うちには、トトロやくまモンのぬいぐるみがありますが、ひょっとしたら、もう魂が宿っているかも知れません(笑)
    おいおい、大丈夫か…

 これは、ある女性の体験談です。

 子供の頃に、等身大の人形を買ってもらって、それをとても可愛がっていました。
 寝る時も人形に布団を欠けて、自分には掛けないものだから、ある時お母さんがその人形を押し入れにしまってしまいました。

 そうしたら、その夜にその人形が夢の中に出てきて、こう言ったそうです。

 「今まで可愛がってくれてありがとう。でも、もう会えないね」

 次の日、お母さんに、その人形を出してもらうように頼んだのですが、お母さんが押し入れを開けると、人形はどこかに消えてしまっていたそうです。

 それから何年もが過ぎて、その人形の事も忘れた頃、その家を引っ越す事になったそうです。

 すると、夢の中にまたその人形が出てきて、
 「また会えるね。でも足が痛いの」 って言われた…

 しばらくして、引越しの荷物を運び出している時、その人形は本当に見つかったのですが、足の上には重たい荷物が乗っかっていたそうです。

 これは実話であるとの事ですが、あながちこういう話は、あると思います。
 もちろん、人形だってそこに人間が思いをかけたりしなければ、ただのモノです。

 目ざまし時計でも、人形でも、そこに人(生命体)の思いがかけられて、役割が与えられる事で、魂が注がれると思うんですね。

 逆に我々生きている人間だって、生き生きと魂がみなぎっているような人もいれば、確かに生きて歩いてはいるけれど、まるで覇気が感じられないような状態の人もいます。

 それはひょっとすると、自分の役割というものを、どれだけ自覚しているかの差かも知れません。

 自分がいないと困る人がいるという事を自覚したら、人って元気になれるものです。

 ご家族でご病気などで弱っている方がいたら、その方に愛情を与えながら、その役割を思い出してもらう事が大切です。
 そしたらきっと、元気になるはずです。

 人形にだって、役割が与えられれば魂が宿るくらいなんですから…

 そして、その役割を思い出して、誰かの為に背筋を伸ばして立ちあがった時、貴方にはあふれるばかりの魂のパワーがみなぎってくるはずです。


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開運期は誰でもやってくる

 今まで長く生きてきて、人生は本当に幸せに満ちあふれていると、心から感じられるようになったのは、ほんのつい2年前ぐらいからです。

 それまで… 特に30代前半までは、僕は人生というのは、なんて苦渋に満ちた辛いものなんだろうと、ずっと思っていました。

 自分の人生に、可能性のかけらも感じられなくなっていたんです。
 何一つとして自分に自慢できるものはないし、恋愛もうまくいかないし、人間関係は辛いし、無駄に年を取ってしまったし…

 正直この先の人生に、こんなに幸せな未来があるなんて、想像さえできませんでした。

 ここまで僕がこれたのは、これまでに出会った師や周りの人のお陰です。
 本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。

 そして、僕が断言できるのは、どんなに今行き詰っている人でも例外なく、必ず開運期はやってくるという事…
 これだけは間違いありません。

 僕が思うに、人生の開運期というものも、いわゆる低迷期というものも、基本的に日常で起こっている細かい事に関しては、ほとんど変わりません。

 一見、開運期にはいい事ばかりが起きて、低迷期にはろくでもない事ばっかり起こるように感じますけど、それは気のせいです(笑)
 日常起こっている事柄に関しては、取り立てて何も変わりません。

 開運期というのを一言で表現すると、「人生の中の大きな流れが来ている」 という感じです。
 ここぞという時には、強烈にヒキが強くなっています。
 自分でも恐ろしくなるくらいに…
 でも、それ以外は変わりません。

 日常の起こっている事柄は変わらないのに、なんでこんなに違って感じてしまうかというと、結局これって、心の免疫の問題のような気がします。

 低迷期というのは、例えると心がアトピーにかかったような状態になっているんですね。
 だから、ちょっとした事が起こっても、すごく敏感に感じて動揺してしまう…

 その上、集中力が無くなっているから、ミスが続出しやすいです。
 言ってみれば、日常で起こっている事柄は変わらないけど、自分でトラブルの種を作り出してしまうんです。

 開運期の時は、心の免疫があるから、ちょっとした嫌な事が起きてもさらっと流せますし、冷静に対応できます。

 これが低迷期だと、それと同じ事が起こっているのに、中々さらっと流せなくて、ずっと心に引っかかってしまう…

 ひどい時には、自ら墓穴を掘るような事をしでかして、どんどん運を傾けるんです。

 皮膚炎にかかってかゆい時に、そのままじっとかゆみを我慢していればいいのに、爪でひっかいて血が出てくるようなものです。

 僕が思うに、これが人生の低迷期というものの正体ですね。
 つまり、それに気づいたら、今すぐに低迷期は終わります。

 開運期は誰でもやってくる…

 外の厳しい寒さも、少しずつ和らいできました。
 春はもうすぐそこまで来ています。

 そして、それに気づいた瞬間、人生の春は今すぐに始まります。


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