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浅野太志 songe a Paris

パリでエテイヤ・タロットの取材を終えた、占い師・浅野太志の日々の活動をつづります。

旧正月はシャキッと…

 今日は、去年からの持ち越しの原稿の最終提出日…

 時間に追われながらも、何とか仕上げました。
 そして、ついさっき、先方にデータを添付して、メールで送りました。

 終わったあ~
  気が抜けました…  でも、まだ講座の準備があったのです(笑)

 そういえば今日1月31日は、折りしも太陰暦のお正月です。

 あれ、旧正月って2月4日じゃなかったの? って思う人もいらっしゃるかも知れませんが、それは立春であって、太陰暦のお正月ではありません。

 この辺がややこしくって、混乱している人もいると思うので、少しまとめておきましょう。
 たまにはこのブログも、訳わかんない事ばっかり書いていないで、占いブログらしくしないと(笑)

 今我々が使っている暦は、太陽暦(グレゴリオ暦)というもので、これは地球が太陽の周りを一周して、また元の場所に戻った時、それを一年と定めたものです。
 こうすると、ちゃんと一年は365日(+4分の1)となって、季節に狂いが出ません。

 ちなみに、なんで今の1月1日が決まったかというと、複雑な事情があります。
 (2012/12/31ブログ 「一年ひと区切り」 参照)

 でも、それとは別に、月の満ち欠けによる暦、つまり太陰暦を使っていた時代もあったんですね。
 月が新月になる時を、月の区切りにして、それを12ヶ月で一年としていました。(だから、今日も新月…)

 でもこうすると、一年がたった354日になっちゃうんです。
 それで時々、「閏月(うるうづき)」 を入れて、一年を13ヵ月にして調節していました。

 とはいえ、太陰暦を使っているとどんどん季節がズレていきます。特にお百姓さんにとっては、この暦はすごく不便で、農作物を作るのに支障をきたすんですね。
 そこで同時に、太陽暦である二十四節気というものが取り入れられたという訳です。
 (2013/2/4ブログ 「二十四節気」 参照)

 さて、今日はお正月なんだから、気持ちを入れ替えて、シャキッとしなくちゃですね。

 ついこないだまで、僕の家にはカレンダーが一つも無かったのです。
 もう、去年の暮れあたりから半端なく忙しかったので、カレンダーの事など、すっかりと忘れていました。

 そしたら先日、銀座の東京オフィスに、Hさんから素敵な手作りのカレンダーが届いていました。

 全部で6種類のバージョンが送られていたのですが、僕が一番気に行ったのがこれ…

平成26年カレンダー
        (クリックすると、大きくなります)

 白い馬が幻想的で、とってもメルヘンチックです。
 Hさん、本当にありがとうございました!

 今、これを部屋に飾って、今年の計画を練っています。
 皆さまにとって、今年が素晴らしい一年でありますように…


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今まで積み重ねたものが壊れた時にこそ、その人の真価が表れる

 今日も朝から、去年から持ち越しの原稿の仕事をやっています。
 いよいよ締め切りまで残す所、今日と明日の2日間あまり(=合計あと26時間)となってしまいました。

 しかも 「四柱推命講座 初級編」 の準備もあるので、出来れば明日のなるべく早い時間には、この原稿の仕事を仕上げて、講座のテキストとプロジェクター用の資料作りに取り掛からなくてはいけません。

 やる事いっぱい… でも、すごく充実してます。

 実は今さっき、ヘマをやらかしちゃいました(笑)

 原稿をパソコンで打ち続けていたのですが、前に書いた原稿の文章と、フォーマットで使おうとコピペして貼り付けた文章を取り違えて、前に書いた文章にずっと上書きして、消してしまっていました。

 うう… 無念です。
 せっかく苦労して作り上げた文章が消えてしまいました。

 少しの間 放心してしまいましたが、時間が無いから、そんな事で止まっている訳にはいきません。

 それで、消えた文章を思い出しながら、一生懸命文章を書き直そうとするのですが、にっちもさっちも行かないんですね。
 作業がそこで滞ったまま、どんどん時間が過ぎていきます。

 仕方がないんで、傷心を抱いたまま、少しだけ休憩をする事にしました(笑)

 さっき天井を見上げて、なんで急に文章が進まなくなっちゃったか、理由を考えてみたんです。

 まずは心が、「失敗した」 とか 「悔しい」 とかいう気持ちに支配されて、意識が散漫になってしまっているという理由があげられます。
 まあ、これは仕方ない事かも知れません。
        だって、本当に悔しいし(笑)

 そしてもう一つの理由…

 それは、前に書いた文章を一生懸命思い出して、全く同じものを復元しようとしていたからです!

 つまり、新しく文章を作ろうという手間を省いて、何とか前の文章を思い出す事で、負けを取り返そうとしていたんですね。
 このやり方だと、確かによく似た文章は思い出せるんですが、どうも文章にキレが出なくて、ずっと同じ文章をこねくり回しているから、時間だけがどんどん過ぎていく…

 今ふと思ったのは、これって人生のあらゆる場面で言える、人が不幸になっていく典型的なパターンの一つではないかという事です。

 例えば、ひどい失恋をした人は、無意識のうちに、前の恋愛の相手よりも自分が素敵だと思える人を探そうとしてしまうと言います。
 心のどこかで前の恋愛の負けを取り返そうとするんですね。

 あと、これは僕も経験があるんですけど、人生で何かの夢が破れた時、それを補う為に、もっとそれ以上に大きな目標を立てて目指そうとします。
 つまり、これも前の失敗の負けを取り返そうとしている…

 それは向上心と言えばそうなのですが、その原因が過去の心のトラウマにある場合、その目標がとんでもなく高く設定されてしまう事があるんです。

 考えてみれば、僕がひたすらミュージシャンを目指していたのも、このパターンでした。

 そんな時には、その傷ついた心を一旦自分から切り離してしまう事が大切だったりします。
 その経験によって得られた事だって、本当はたくさんあるのですから…

 もちろん、それがそう簡単に行くものではない事は僕も良く分かっていますが、少しずつで構いません。

 人生の中で一番辛い事って何かと言ったら、確かに他にもいろいろとあるとは思いますが、今まで一生懸命に積み重ねたものが跡形もなく壊れる事ほど辛い事もないんじゃないかな… いう気がします。

 逆に、今まで積み重ねたものが壊れた時にこそ、その人の真価が表れるとも言えます。

 その痛みの経験は、思わぬ所で後から役に立ったりします。

 それを乗り越えた時、一回り大きくなった貴方は、本当の勝利をつかむはずです。
  ブログのネタにもなったし、僕も気を取り直して、原稿の続き頑張ります(^^)


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高円寺散策

 今日はお世話になっている社長と高円寺を散策してきました。
 いよいよ4日後の 「四柱推命講座 初級編 第3期」 の講座会場を見に行く為です。

 実は僕、まだ一度も会場を見ていなかったのです。
 これについては、お世話になっている社長に全て任せっきりにして、場所を決定したのでした。
 社長は信頼できる方なので、それで大丈夫だと思って…

 そして今日は、初めて講座会場である 「Pandit’(パンディッド)」 に入りました。 中通商店街

 高円寺の北口を出て、この中通り商店街に入って、そのまままっすぐ歩いて行きます。

 僕、高円寺はずい分と久しぶりに行くのですが、なんかこのとても気さくな雰囲気が好きです。

 ここは、ミュージシャンとか俳優とかを目指して上京して言う若者が結構住んでいる街なんですよ。

       通りの中

 この独特の雰囲気というか…
 なんか懐かしいです。

Pandit.jpg 講座会場の 「Pandit’」 が左に見えてきました。

 このアヤマ鍼灸院の2Fになります。

 店主の奥野さんと初めてお会いして、ご挨拶させて頂きました。

 奥野さんは今までライブハウスの店長さんをずっと務めて、この度独立されたんです。
 とても素敵な方でした。

 ここが演台と机…

    講義する所
 この机に、濃い緑色の布とかを掛けてみたら素敵かも…
 なんかどんどん講座のイメージがふくらんでいきます♪

 そして、この会場のいい所は、プロジェクターが使える所…

 今までみたいに、ホワイトボードに貼りつけるマグネットの十干と十二支を探して、「あれ 『壬』 がない…」 とか 「さっきあった 『亥』 はどこにいった…」 とか、やらなくてすみます(笑)

 高円寺の街を見たら、二十代の頃の思い出が心に駆け巡りました。
 当時は、中野とか荻窪とか、このあたりの中央線周辺のあちこちにアパートを借りて住んでいたものでした。
 ミュージシャンを目指していたあの頃は、友達もそんなにいなかったし、いつも孤独で不安ばかりでした。

 とはいえそれでも、いつもたった一人ぐらいは、僕の事を理解してくれる親友がそばにいました。

 あの頃とは違って、今の僕は、たくさんの人から愛をもらって、こんなに幸せに生きています。
 本当にどれだけ感謝してもしきれないほどです。

 でも僕が思うに、例え数が少なくても、例えたった一人でも自分の事を信じて理解してくれる人がいたら、それだけでも強く生きていけると思うんです。

 それは恋人かも知れないし、親かも知れないし、親友かも知れない …

 過去の事を回想していたら、ちょっぴりセンチな気分になってきました(笑)

 さあ、講座の初日まであと4日…

 頑張ります!   その前にまずは繰越の原稿終わらせなっくちゃ…

 P.S.
ペペルモコ 講座会場の下見に行った帰りに、お世話になっている社長と一緒に喫茶店にはいりました。

 お店の名前は、
 「ペペル モコ」 …

 こじんまりとした素敵なお店でした。

 ここのフレンチローストがとても美味しかったです。

 フレンチローストって、別にフランス産のコーヒー豆を使っているとか、フランス風の独特の焙煎をしているとか、という事ではなく、ただ焙煎の深浅の度合いを表す言葉だったのですね。

フレンチロースト フレンチローストは8段階ある内、7段階目の深い方から2番目の焙煎で、最も深い焙煎がイタリアンローストだとか…
  詳しくはこちら

 さあ、おいしいコーヒーも飲んだし、原稿の仕事頑張ります!


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不可能だと決めつけない限り、不可能ではない

 今日も朝から、溜まった洗濯物を選択しながら、去年からの繰り越しの原稿の仕事に取り掛かっています。

 本当にありがたい事に、次々と鑑定依頼やお仕事が入って来て、ずっと時間に追われる毎日です。

 今の僕ができる最大限の力で、お客様や受講生の方や取引先の方に、「よかったな…」 と思って頂けるような仕事を、常に心掛けていかなければならないと、ひしひしと感じています。

 その為にも、仕事が期限までに間に合わなかった… というのは絶対にまずいです。
 だから今だって必死です(笑)

 今の状況だと、少しでも要領の悪い仕事のやり方をしたら、どんなに一生懸命寝ないでやっても、間違いなく仕事が間に合わなくなります。

 う~ん、そうですね…
 例えばこれ以上今月中に鑑定の予約をスケジュールに入れちゃうと、かなりヤバいです。

 一年前のまだ原稿を書くような仕事が一つも無かった頃の僕は、鑑定の申し込み依頼が入った時には、お客様のご都合を最優先にしていました。
 本当は今でも、気持ち的にはそうしたいんですね…

 せっかくご縁を頂いて、僕なんかの鑑定を申し込んでくださったのだから、お客様の都合に合わせられるだけ合わせたいです。
 それは僕のポリシーだったし、それが誠意というものだと思うし…

 でも、この状況で今までの僕のポリシーにしたがって予約をつめ込んだら、100%この原稿の仕事を月末までに仕上げる事は不可能です。

 若い頃の僕は、自分が一旦決めた事を絶対に撤回できないような性分でした。
 そしていつも、それによって停滞しているだけの事を、不可能という言葉で決めつけて愚痴をこぼしていました。

 クソ真面目で融通がきかない人は、人生のあらゆる所で不可能な事だらけになります。
 でも、ちゃんと臨機応変に物事に対応すれば、それは不可能ではなくて、十分に可能だったりします。

 今 僕はお客様にお願いして、できうる限り鑑定は、2月以降に予約を回させて頂いています。

 だから、この原稿の仕事だって、講座の準備だって必ず間に合わせるつもりです。

 人生の可能性を切り開く鍵って、こういう時にスパッと自分のこだわりを切り捨てられるかどうかに掛かっている気がします。
 こういうのは、ちゃんと自分が何を優先させるべきかを、わかっているかどうかで決まると思うんですね。

 自分の中のこだわりを捨てるとは言っても、もちろん捨てるべきでないものは捨てません。

 例えば、僕は人と交わした契約なんかを、自分の都合のいいように後から変える事はまずありません。
 それをすれば、その人との信頼関係を損なうからです。

 だから、このブログを1,000回続けると公約した限りは、交通事故とかで意識不明にでもならない限り、必ずやりとげます(笑)

 あとは、そうですね…
 いくら人生の可能性を切り開けるといっても、それをやったら自分の価値をおとしめるような事もしないです。

 例えば、目の前に誰かのお金が100万円置いてあって、他には誰も見ていなくても、僕は絶対にそのお金に手をつける事はしないですね。
 これはどんなにお金に困っていても、それによって自分の中の不可能を可能にする事ができたとしても…

 そんな事をすれば、もっと自分にとって大切なものを失う事になるから…

 でも、人から借金はしないとか、クレジットカードでは買い物はしないとかいう変なこだわりは、それを捨てる事で不可能が可能になるのなら、喜んで捨てます。
(2012/5/14ブログ 「固定観念を打ち破れば、運が開く」 参照)

 それから、たまたま人と待ち合わせの約束をしているけど、あと30分あればギリギリ仕事がうまくいって、大きなチャンスがつかめるというシチュエーションの時には、電話を一本して、その人に待ち合わせ時間や待ち合わせ場所を変更してもらうのもアリだと思います。

 物事は不可能だと決めつけない限り、不可能では無かったりする…

 臨機応変にこだわりを捨てて、人生のどんどん可能な事だらけにしていこうではありませんか。


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痛みや悲しみも、心が囚われなければいい

 昨日の夜、夜行便の飛行機に搭乗して、熊本から羽田空港に到着しました。
 深夜に千葉の家にたどり着くと、すぐに熟睡してしまいました。

 朝起きてみると、目の前には、いつもの散らかった部屋と、山のように溜まっている仕事が(笑)

 ありがたい事です。
 という事で早速、去年からの持ち越しの原稿と 「四柱推命講座・初級編」 の準備に取り掛かっています。

 僕が、人生の本当の喜びとでもいうものを知る事が出来たのは、恥ずかしながらつい最近の話で、2年前にパリの地に行った後の事です。

 パリが僕の人生を変えてくれたというか…
 そう考えると、パリは今の僕の鑑定のパワーの源でもあります。

 一体どう変わったかというと、まあ、余計な事を考えなくなりましたね(笑)

 そのお陰で、前よりもうんと、お客様の人生の話を聞いた時、その喜びや痛みや悲しみなんかを、自分の事のように感じられるようになりました。

 そんな風になったら身が持たないんじゃないかと思われそうですけど、実はそうでもありません。
 痛みや苦しみを感じると言っても、それに心が囚われてしまって、ずっと苦しいままでいるという事ではありませんから…

 そうですね… これはむしろ、名作の映画を観た時に、心を打たれて涙してしまうような感覚に似ています。

 だから、少し誤解されそうな表現ですけど、その痛みや悲しみが心地よい感じだったりする…

 こんな風に書くと、人によっては、人の痛みや悲しみを利用して、悦に入っているだけの偽善者だと思われるかも知れません。
 中には、本当に優しさがあるのなら、その痛みや悲しみを相手の為に何とかしようって考えるはずだ… と思う人もいるでしょう。

 今、世界の中には、災害や貧困であえいで苦しんでいる人が山ほどいるのだから、人の痛みがちゃんとわかるのなら、綺麗事を言う前に、もっと真面目に相手の為に苦しんで、自分の持っているお金をその人達の為に寄付するべきだ… と考える人もいるでしょう。

 確かにこれは正論です。
 でも、こんな風にしか考えられないのであれば、それは独りよがりというものです。

 人間の因果なんて、表面的なものだけで断ち切れるほど甘くはないですし、だいたいお金持ちだからと言って、必ずしも幸せとも限りませんし…

 こんな風に杓子定規に考えてしまう人って、心の深い部分で、過去の痛みや悲しみにずっと囚われてしまっていたりします。
 だからいつでも心が怒りに満ちていて、かかわった人を次々に傷つけて不幸にしてしまいます。

 もしも人生の中で、痛みや悲しみを感じた時には、それに心を囚われないようにして、さらっと流すのがいいです。

 まあ、誰かの人生の中で起こった話や、名画の中の一シーンの出来事ならば、心を囚われないようにする事はたやすいかも知れませんが、実際に自分の人生の中の痛みや悲しみともなると、そう簡単に行かないかも知れません。

 とはいえ、これから先も未来永劫、人の痛みや悲しみを起こさせる人生の出来事や、この世の社会問題が無くなってしまう事なんて、絶対にありません。
 人はみな寿命が来たら死ぬんだし、少なくとも、身内や友達が死んだ時の悲しみは、永久に存在し続ける訳ですから…

 でも、それに心が囚われさえしなければ、その痛みや悲しみを、名画を見た時の感動のように、心地よく感じる事もできるはずです。

 だから、痛みや悲しみは絶対的な悪ではないし、それを感じる事を不必要に怖れるべきではないと、僕は思うんです。

 この世に存在する物や起こっている出来事って、一見矛盾に満ちているようでも、その全てに意味があるような気がする…

 痛みや悲しみも、心が囚われなければいい。
 そうすれば、それは人生の深い学びや感動にできるはずだから…

 やがてそれは、深い本物の幸せにたどり着く為の道しるべとなるはずです。

 P.S.
 さっき、Googleのトップページを見たら、ロゴがウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク仕様に変わっていました。
 今日はヴィオレ・ル・デュクの生誕200年記念日だったのですね。

 ヴィオレ・ル・デュクは、パリの建築家で、ラ・マドレーヌ教会やノートルダム大聖堂などの修復を手掛けた人です。現在、パリの美しい中世の建築物がきちんと保たれているのも、ヴィオレ・ル・デュクの功績である所が大きいです。
 それにしても、ノートルダム大聖堂の十二使徒の彫像は、後からヴィオレ・ル・デュクによって作られたものだったなんて、初めて知りました。

 この大幅な現状変更は今でも賛否両論で、かなり批判を浴びているそうです。
 ノートルダム大聖堂と浅野太志
 右の写真は、ヴィオレ・ル・デュクが修復したノートルダム大聖堂をバックに、エテイヤのタロット本を持って、その現状変更をひそかにたくらんでいる浅野太志です(笑)
  冗談です…

 でも、本当に歴史あるものが、多少形を変えたとしても、良い形で未来に残されていく事って、いい事だと思う…

 今、2年前の夢をリアルに思い出せた気がします。


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占いを信じる?信じない?

 昨日一日、熊本の地で過ごしましたが、まるで春みたいに暖かかったです。
 熊本城に傘も持たずに出かけたら、いきなり夕立ちに振られました。

 やっぱり南国九州は違うなあ… と思いきや、実はたまたま昨日が暖かかっただけのようでした(笑)
 今日は昨日にうって変わって寒いです。

 僕は九州に来たのは今回初めてなんですけど、ここは本当に人の心が温かい場所だと思いました。

 この前、鹿児島で活動していて、僕の四柱推命講座の受講生でもある麗貴さんから、南九州の有名なフリーペーパーである 「Felia南九州新聞」 が届きました。

 Felia南日本新聞Vol355
   (クリックすると、大きくなります)

 この新聞の中に占いの特集があって、そこにすごく興味深い読者アンケートがあったんです。
 詳しくはここに載っていますが、占いを信じるか、信じないかという問いに対して、「信じる」 と答えた人が約50%、「信じない」 が35%、「どちらでもない」 が15%ぐらいなんですね…

 これは南九州地区でのアンケートの結果であって、関東の首都圏とかなどで実施したらまた少し違った結果になるかも知れません。
 この中で興味深いのは、そのアンケートの結果よりも、むしろ答えを出した理由です。

 「信じる」 と答えた人は、過去に当たったからという人もいますし、シャレで 「信じる」 という回答にしている人もいますが、何となく占いに振り回されちゃっているような感じの回答も多いです。

 これに対して 「信じない」 は、割と論理的な回答が多いのが特徴です。
 ちょっと占いに対する偏見のような答えもありますが…

 そして、いつでも必ずと言っていいほど登場する、信じない派の代表のような答えが、この回答の中にある 「同じ運命の人がたくさんいる事になる」 というもの…

 これはものすごい論理的ですね(笑)

 でも、これこそが占いがどんな風に誤解されているかを示唆した典型的な回答のような気がします。

 おそらくは、これは生年月日を元にした、しかもどちらかと言えば、12星座とか、六占術とか、ものすごく少ないパターンで出すような占いの事を言っているのだろうと思います。
 かといって、例えば四柱推命のように細かく生年月日時を細分化する占いであったとしても、同じ日にちの同じ時間に生まれれば、それで運命は同じなのか… という事になってきます。
 つまり、双子の運命は全く同じ運命になるのか… みたいな…

 これは僕の 「四柱推命完全マニュアル」 にも具体的に書き記しておきましたが、そんな訳ありません。
    さりげなく営業(笑)

 次の機会にでも、また書こうと思いますが、この前ニュースで話題になった、じゃあ60年前に取り違えられた二人の赤ちゃんのまるで真反対の人生はどう説明するんだ… という事にもなります。

 ちゃんと運命学を理解している占い師は、こういう所もきちんと説明できます。
 どちらにしても言えるのは、生年月日時で出る答えは、一つの運命を知る要素であって、それが全てではないという事です。

 さて、この記事の隣に大きく載っている、鹿児島市で鑑定している麗貴さんは、僕の四柱推命を毎回本当に真剣に受講してくださっている手相家の占い師さんですが、一人一人の人生をできる限り良くしようと真剣に鑑定してくださる素敵な占い師のお一人です。

 開運・手相占い☆After night comes the day.☆麗貴

 お近くにお住まいの方は、よろしかったら一度行かれてみて下さい☆

 さてさて、熊本に滞在するのも今日が最後、夜行便の飛行機で羽田空港に帰って、明日からはまた月末まで原稿に追われる生活が…
 そしてそれが終わったら、来月からの四柱推命講座の準備があります。

 もうあとわずかな時間しか残されてませんが、ここ南国の九州の空気を満喫したいと思います。

 P.S.
 この熊本市の熊本駅からバスで30分ぐらいの所に、とってもオシャレな白いお店があります。
 
PalmCafe.jpg
 名前は、「Palm Café」…    
 熊本市東区長嶺南3丁目1-102

 これは熊本で有名な手相家・富田公大先生が作った、占いができるカフェで、来月の2月の内には新装開店する予定です。

 本当はお店の中とかも見たかったのですが、今回は残念ながら時間が無くて、それも叶いそうにありません。

 富田先生の昨日は、お店用に購入する冷蔵庫の事を調べていたとか…

 どんな素敵なお店になるか、とっても楽しみです!


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熊本旅紀行

 今日は朝から熊本に来ています。
 やっと、いとしのくまモンに会えました(笑)

 くまモン

 モンモンモン… くまモンモン♪
       やっと会えたね…

 ここに来たのは、著者の伊藤緻誉乎さんのご招待を受けての事… (1/23ブログ 「艱難辛苦は人を助ける為にある」 参照)

 イベントのお手伝いも少ししながら、熊本で直接鑑定もやらせて頂きました。

 そして、熊本の市街地を楽しんできました。
 熊本城も見てきましたよ。

  熊本城
    急にすごい雨が降り出したので、写真がボケてしまった…

加藤清正 熊本の名将と言えば、何といっても加藤清正です。
 豊臣秀吉から、当時非常に統治が難しいとされた肥後の国の北半分を任され、熊本城を拠点に、見事な善政をして肥後を統治した人です。

 右の写真は、熊本城のそばに建っていた加藤清正の像…

 もともと熊本は、「隈本(くまもと)」 っていう地名だったのですけど、加藤清正が 「熊の方が勇ましかろう…」 と言って熊本という字に替えてしまったのです。

 つまり、加藤清正がいなかったら、くまモンの存在はなかったという事です(笑)

 加藤清正というのは、豊臣秀吉の子飼いの武将で、二人の母親は従姉妹だったと言われています。

 「虎退治の清正」 という異名を持つほどに勇猛な武将で、猪突猛進で実直な人でもありました。
 そのせいで、小西行長や石田三成といった文治派の武将との仲は常に険悪で、いつだって彼らの仕打ちに腹を立てていました。

 そんな理由もあって、関ヶ原の戦いでは豊臣家の事を思いながらも、徳川家康の東軍についたんです。
 そして家康から、肥後北半分の十二万五千石から、肥後一国の五十二万石に加増されました。

 元々加藤清正は、主人である豊臣秀吉に対して心から忠誠を誓っていた人です。
 そして秀吉亡き後は、秀吉の一人息子で後継者ある豊臣秀頼の身を、誰よりも案じていました。

 関ヶ原の戦いも終わって、徳川家と豊臣家の溝がだんだんと深まって、険悪な事態に発展していきます。
    全部 淀君のせいだ… JR SKISKI

 そんな深刻な状況の中、加藤清正は、徳川家康と豊臣秀頼の二条城での会見を成功させるという功績を残したんですね。

 この時、加藤清正は、饗応の席につかずに、ずっと秀頼の隣に控えていました。
 もしもの時の為に、帯刀を隠し持っていたとも言われます。

 この時点で、実質上天下を動かしているのは、徳川家康です。
 でもまた、豊臣秀頼が家康の主君筋である事も間違いないです。

 二条城の会見の時、二条城の中にいた家康は、わざわざ秀頼を庭先まで出迎えに行って、対等の席で座ろうと提案します。

 この家康の行動の理解に苦しむ方もいらっしゃるようですが、この人は根が小心でお人好しだから、「豊臣が徳川より上というんじゃなくて、徳川と豊臣が対等な関係という事なら、まあそれでいいか…」 ぐらいに思っていただけだと思います。

 別に大して腹黒い下心なんかは無かったと思うんですね。
 誰の目にもこの時点では、豊臣より徳川が天下の実権を握っている事は一目瞭然ですから…

 すると、加藤清正は豊臣秀頼の傍らにつき従いながら、秀頼に対して、家康を上座に座らせて自分は下座に座るようにさせました。
 これにより家康は機嫌を良くして、会見は終了したと言います。    淀君がこの場にいたら、きっとその逆の事をやろうとする…

 加藤清正としては、あくまでも豊臣秀頼に忠節を尽くしていました。
 だからこそ、この場で気を察知して最善の対応ができたのだと思う…

 加藤清正は、この二条城会見を無事に成しとげた後、熊本城に帰る途中の船の中で、惜しくも亡くなってしまいます。
 そしてその後、豊臣家はまっしぐらに滅亡の道を歩み続けていく事になります。

 もしも加藤清正がもっと長く生きていて、ちゃんと淀君や豊臣秀頼をコントロールできていたら、豊臣家も滅亡しないですんだんじゃないかという気がします。

 熊本旅紀行…

 雨の中の熊本城をじっと見ていたら、そんな加藤清正のまっすぐな思いが胸に伝わってくるようでした。

 P.S.
鑑定風景 熊本県民会館8Fのイベント会場で開かれている、伊藤緻誉乎さんのイベントを、お手伝いしてきました。

 イベント会場には、「チヨちゃんへ」 と書かれた花束がいっぱい、届けられていました。

 これみんな、熊本の伊藤緻誉乎さんのファンの方からのものなんですね。

 会場はすごく賑わっていて、鑑定師の人たちはとても真剣に鑑定されていて、その熱気が僕にもひしひしと伝わってくるようでした。


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千日回峰行に比べれば…

 いよいよこのブログ、今日で連続通算700回目を迎えました。    おめでとう!  パチパチ…(自画自賛)

 前にも書いたように、さすがに身がもたないので、1,000回でやめようと思います(笑)

 そうすると、あと300日… 約10ヶ月だから、Xデーは今年の11月の末あたりですね。

 パリに出発する前日から書き始めて、一日も欠かす事なく書き続けてきたこのブログですが、1,000回まであと300日…

 正直な感想を言うと、まだ300日もあるのかって気もしなくもないのですが(笑)

 今も山手線の電車の中で、しかも立ちながら片手で文章打っているのですが、時間に追われている中で、質と内容をキープしつつ毎日更新するのって、思いの他しんどいです。
 ネタだって尽きますし…

 たまに、今日のブログの内容は、まるでダメだな… って書いてから反省している日もあります。

 それでも、このブログをやっていて、やっぱり良い事の方が多かったりします。

 このブログ、ある意味、自分にいろんな事を言い聞かせる為に書いているようなところがありますから…

 時々ブログの内容で、「そういうお前はどうなんだ…」 って、ツッコミを入れられそうな内容になってしまう事があるんですけど、そういう時も迷わずアップする事にしています(笑)

 アップしちゃったら、自分もブログに書いたように立派な人にならなければいけないんで、丁度良かったりします。

 確かに正直言うと、これを毎日続けるのは辛いなって思う事は何度もあります。
 そんな時、僕は 「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」 をやっている人を思い浮かべるんです。

 千日回峰行… 天台宗比叡山延暦寺の荒行で、千日間、山の中の獣道をひたすら歩くというもの…
 千日間と言っても、別に千日連続という意味じゃなくて、7年間かけて通算1,000日になるという修行です。

 最初の3年間は、一年に100日、山の中の獣道を1日30km歩いて巡拝します。
 続く2年間は、一年に200日です。

 それが終わると、9日間の断食、断水、不眠不臥の行です。
 つまり、食べない、水も飲まない、しかも寝る事も伏せる事も許されない…

 そして6年目は、100日間、なんと1日60kmも歩きます。
 最後の7年目は、200日間、前半100日間は驚異の1日84kmを歩き、後半100日間は、また1日30kmに戻ります。
 こうすると、トータルで歩いた距離は、約地球1周分の4万kmに及びます。

 これ、死にます(笑)

 だから、今まで1300年間の間で、達成できたのは、たった2人しかいません。
 これをなしえた人は、大阿闍梨(だいあじゃり)の称号を与えられます。

 その存命されているお一人が、塩沼亮潤大阿闍梨です。

 これ、人間わざではないです。
 すみません、僕には無理です…

 こういう人がいるのを知ると、別にブログ1,000回続けるのなんて、全然大した事ないですね。
 
 自慢する事でもなんでもないです。

 塩沼亮潤大阿闍梨も言ってますけど、大切なのはそれをこなす事じゃなくて、その中身です。
 そこから何を学ぶかだったりする…

 僕ももっともっと中身を深めて、このブログ、あと300回頑張ります!


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艱難辛苦は人を助ける為にある

 昨夜はずっと、徹夜のつもりで原稿の仕事をやっていました。
 あまりにも寒いので、エアコンで部屋のガンガンに暖かくして、何とか今月中に終わらせられる所までは、仕事を進めておこうと頑張ったのですが…

 無念です!
 徹夜のつもりが、途中で意識がもうろうとして、ソファーにもたれかかった瞬間、そのまま5時間ぐらい寝てしまいました。
 パソコンメガネを、かけたまま寝ていました(笑)

 結局目標にしていた分の3分の2ぐらいの仕事しか はかどらなかったです。
 また、このブログ書き終えたら、めげずに頑張ります。
   メールの返信、ちょっとだけ待っててください(^^;;

 うっかり居眠りした後、目を覚ましてシャキッとする為に、近所の自販機で 「抹茶ラテ OTEMAE」 を買いに行こうと外に出たら、めちゃくちゃ寒かったです!

 朝の冷え込みって、本当に半端ないです。
 皆さま、風邪などひかないように暖かくしてお過ごしください。

 でも、こういう寒い冬があるからこそ、春がやってきた時の喜びはひとしおなんですよね。

 思い起こせば、僕は34歳まで、本当冬枯れの人生でした。
 それから師匠から目をかけて頂いたり、たくさんの素晴らしい人達との出会いがあったりして、今があります。

 特に2年前パリに旅立ってからは、それまでとはまるでうって変わって、順風満帆な日々を送っています。

 今思えば、それもあの34歳までの冬枯れの人生があったからのような気もしたりします。

 しかし、そんな僕の苦労なんて、まだまだ甘っちょろいな… なんて思わせてしまう一冊の本があります。

チヨちゃんの明日はきっと、花一輪 それがこの本です。

 「奇跡の手相家チヨちゃんの明日はきっと、花一輪
 (伊藤緻誉乎著・総和社刊/1400円 + 税)

 この本は、心を揺さぶられるような一人の女性の波乱の人生の物語です。

 実はチヨちゃんこと伊藤緻誉乎さんは、僕の四柱推命講座の受講生の一人…

 僕が懇意にしている占い師さんなのですが、この伊藤さんの人生の苦労は、並半端なものではないです。

 本を読んだらわかりますが、本当にここまでひどい現実の人生というものがあるのか… といった修羅の人生を歩んで来られたのですね。

 伊藤さんは熊本出身で、今は横浜に住んでいらっしゃるのですが、母親に身売りされたり、旦那様に暴力をふるわれたり、借金取りが家に入ってきて暴れたりと、この世のありとあらゆる辛苦を全て体験されたんじゃないかって思えるほどです。

 これを読んでしまうと、僕の人生の冬枯れなんて、まるで色あせてしまいます…

 伊藤さんは本の中で、自分は観音様に導かれたんじゃないかとおっしゃっていますが、まさにそんな感じです。
 観音様というのは、変幻自在にいろんなものに変化して、時にはその人に様々な試練を与えてでも、正しい方向に導こうとする厳しい仏様だっていいます。

 なんで観音様が厳しいかというと、役目がある人にいろんな試練を与えて人を救済できるようにする為…
(1/2ブログ 「初夢と観音様」 参照)

 この本を読んでいると、ふっと、ひょっとしたら伊藤さんはそうやって選ばれた人なんじゃないかなって思えてきたりします。

 だからかどうかはわかりませんが、ちょっと普通の人にはないような不思議な能力を授かっていたりするんですね。

 どうやら、自殺してお亡くなりになった人とか、大量の動物を殺した場所とかが見えてしまうらしい…

 本当にそんな事があったのかと、近所の人や役所に聞いたりして調べてみると、やっぱりその通りのお亡くなり方をした人や、大量の動物が殺されていたりしているとか…

 まあ、それはともかくとして、この本の本当に感動的な所は、物語の最初はとんでもない悪人として登場する、伊藤さんを身売りした母親とか、暴力をふるう旦那様とかが、最後にはみんな、ちゃんと心を入れ替えて良い人になってしまう所です。

 実はこの本に登場する伊藤さんの旦那様も、僕の四柱推命講座の受講生さんなのですが、とてもとても、この本に出てくる登場人物のようには思えません(笑)

 この本が発行されるいきさつには、僕もほんのちょっとだけ絡んでいるのです。
 前に伊藤さんが僕の四柱推命講座を習いに来てくださっている時、その波乱万丈なお話を伊藤さんから伺って、ふと、「それ、本にしたらいいですよ」 って僕が言ったんです。
 そして、僕がいつもお世話になっている社長を紹介したという訳です。

 とはいえ、ちゃんとした正規のルート(自費出版ではない)の本を出版するのって、並大抵の事ではありません。

 僕も経験したからわかるのですが、ある程度の運と実力がなかったら、実際に出版できるまでは結びつかないです。

 いろんな事情で話がボツになる事なんて、ざらにあります。
 やっぱり、最終的にはその人の持っている運のような気がする…

 だから僕自身、伊藤さんに社長を紹介したものの、その後、本の事がどうなっているかは全くノータッチで、去年この本が書店に並んでいた事さえ知らなかったんです。

 僕のタロット講座の受講生のSさんから、「著者の方が、浅野先生の事を書いていました」 ってメールを頂いて、初めてその事を知ったという訳です。

 実はこの本の中に、僕も結構良い役所で登場しているんです(笑)    なんだか、照れますねえ~

 この本はアマゾン・ドットコムもしくはお近くの書店で、購入可能です。(書店に置いていない時は注文してください)

 また、伊藤緻誉乎さんは、生まれ故郷の熊本と横浜(東戸塚)の書店で、本を買った人に占いをするというイベントも実施するとの事です。

  チヨちゃんのブログ    ←詳しくはこちらへ

 艱難辛苦は人を助ける為にある…

 そしてそれを乗り越えた時、貴方の元に、きっと美しい花が咲く春がやって来るに違いありません。

 P.S.
 この度、伊藤緻誉乎さんからご招待を受けて、熊本に小旅行する事になりました。
 とはいえ、ただそれに甘える訳にもいかないので、代わりに、伊藤さんの書店イベントのお手伝いをさせて頂く事にしました(^^)

 僕、まだ九州って生まれてから行った事なかったんですね。
 熊本と言えば、やっぱりくまモン(笑)    それかよ…

 初の熊本旅行にドキドキしています!
           それまでに、原稿の目途つけなきゃ…


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意識を変えれば、因縁は断ち切れる

 今日も、去年からの持ち越しの原稿の仕事を頑張っています(笑)
 やる事がこれだけなら何とかなるんですけど、他にもやらなければならない事がたくさんあって、今、ちょっとだけ押されぎみです。
 まさに時間との戦いというやつですね。

 この状況、去年の年末みたいに 「すみません。やっぱり間に合いませんでした…」 のパターンになりかねません。
 よ~し、今日は徹夜で原稿頑張ります!
     この場で、宣誓…

 でも、忙しいのは本当にありがたい事です。
 こうやって好きな仕事が続けられる事に、僕は心から感謝しています。

 よく、「先祖からの因縁」 という言葉を耳にします。
 「うちは先祖の因縁のせいで、子供がみんな結婚運が悪い」 と言った言葉を良く聞きます。
 あと、因縁のせいで子供が病気がちだとか、借金苦にあっているとか。

 そういうのって…

 あると思います(笑)   By 天津木村さん…

 なんでそうなるかというと、やっぱりDNAのせいで、性格や考え方が似てしまった結果とも言えるし、それにやっぱり人の縁というのは生まれた時から不思議な形でつながっていたりしますから…

 じゃあ、そういうのって断ち切れないのか… っていったら、そんな事はありません。
 断ち切れないのだったら、生まれてくる意味さえないって事になります。

 ただしこれ、意外と口で言うほど容易じゃない問題かも知れません。

 もしも貴方が重ぉ~ぅい因縁の家に生まれてきていたとして、どうしてもそれを断ち切りたいって思ったなら、まずはその家を出る事ですね。

 因縁って、その家の家系を継ぐ人に多目に行きますから…
     なんか今日のブログ、暗くておもっくるしいぞ(笑)

 でも、家さえ出れば、その因縁をかなり回避できます。

 そして、そういうものを受けたくないと思ったら、なるべく家の事を意識しないのが一番です。
 それと同時に、自分のマインドを、常に新しく良い方向に変えていこうとする努力ですね…

 「家の因縁を受け継ぐ」 って良く言いますけど、そういうものを受け継いでいない人だっているのですから、そこに着目すべきです。

 また、僕の好きな徳川家康の話になってしまうんですけど…

 徳川家康の家系って、若くして家臣に暗殺されるっていう、ろくでもない因縁があったんです。

 元々、徳川家康は、松平家康(その前は元康)って言ったんですけど、三河一帯に散らばっている他の松平一族と、本家の松平の差を明確にする為に、本家の家名を徳川って改名したのです。

 家康の祖父の松平清康は、類いまれな勇猛な武将だったのですが、いきなり陣中で、家来に背中から切りつけられて亡くなっています。
 清康はまだ25才の若さの時です。

 そして清康の長男で、家康の父である松平広忠も、また家臣の凶刃にあって、この世を去っています。
 広忠、若干23才の時です。

 この流れで行くと、家康も家臣から切りつけられて短命で終わっちゃいそうなものです。
 事実、「実は家康はある時暗殺されていて、その後の家康は影武者である」 というようなフィクションも多く出回っていたりするんですが、まあ、徳川家康は実際にはそうならなかったんですね。

 一体何が違うんだろうって事になるんですけど、僕は家康の志にその理由があるような気がするんです。

 きっと、家康の中には、血みどろの戦乱の時代を終わらせて、平和な世の中を作りたいっていう大きな志があったからじゃないかって思うんですね。

 世の中の為にっていう意識が、天の心にかなって、因縁を乗り越えたんじゃないかなって、そんな気がするんです。

 意識を変えれば、因縁は断ち切れる…

 大きな志を持って、因縁なんてスイスイと乗り越えていこうではありませんか。
     大きな志を持って、この原稿の仕事を終わらせてやる(笑)


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人間関係を悩みにする前に

 人間関係というのは本当に難しいし、僕も子供の頃はずい分とそれに悩んで、学校に行くのさえ怖いと思っていた時代もありました。
 20代の頃も、やっぱりそれが苦痛で、バイトに行くのが苦痛でしょうがなかった事もありました。

 やっぱり多くの人が、こういう悩みを抱えている事と思います。

 今の僕は、人間関係を悩もうと思えばどこまでも深く苦悩出来ますけど、今は原稿に追われてそれどころではないので、悩みません(笑)

 人間関係に悩む人は、「人から良く思われたい」 って、ほとんどの人が思っています。
 つまり、良い人ばっかりです。

 そういうのが人間関係の悩みを作り出してしまっているゆえんとも言えます。

 今の僕は、もうそういう事には囚われなくなりました。
 そういう事に囚われてしまうと、物事の本質が見えなくなってしまうからです。
 そりゃ、どちらかと言えば、人から嫌な人だと思われるより、良い人だと思われたいですけど…

 でも、身もフタもない言い方をすれば、自分が良い人だと思われなくても、自分が幸せになれればいいんですね。
 だいたい、「自分が良い人だと思われたい」 も 「自分が幸せになりたい」 も、どちらも自分の欲望に変わりありません。
 しかも、どちらかといえば、後者の方がストレートでわかりやすいです(笑)

 でも、実はそれだけじゃ足りなかったりする…

 ここでもう一つ 「自分が関わった相手も幸せにしたい」 という思いがあるかどうかで、結局の所、全てが違ってくると思うんです。

 これがある人は、人間関係に悩みを抱え込む事もありません。
 逆にこれがなくて、「自分だけが幸せになれれば、他はどうだっていい」 という人は、人間関係に悩もうが悩むまいが、常に人生 人間関係のトラブルの連続です。

 相手にどう思われるか気にする事と、相手の事を気遣う事は、一見よく似ていますが、実は少し違います。

 「こんな事を言ったら、相手は自分の事をどう思うかな」 みたいに悩むのは、すごく苦しいしストレスがたまります。

 良く似ているけど、「こんな事を言ったら、相手は気分を害さないかな」 って気遣うのは、自分の悩みではなく、相手に対する優しさです。
 だから、ストレスにもならないし、体にも良いです。

 こういう所まで考えるようになると、自分の行動が本当に制限されてきます。
 自分だけが得をして、相手には損をさせているなんて事は、もう絶対にできなくなりますね。

 それならむしろ、自分が損をして犠牲になった方がマシだって思えるようになります。   本当にそうだし…

 人間関係の悩みを解消しようと思ったら、自分の中の 「相手から自分はどう思われているかな」 を 「相手の気持ちは満たされているかな」 に、上手にスイッチしていけたらいいと思うんです。

 完全にスイッチができたなら、人間関係の悩みが解消するだけじゃなく、貴方の周りにはたくさんの人が集まってくるようになるはずです。

 P.S.
 「四柱推命講座・実践編」を受講してくださった富吉美幸先生から、「去年の11月に開催したトークショーがYoutubeにアップされたので、お時間のある時に見てください」 というメールが来ていて、早速、原稿の息抜きに視聴させて頂きました。

 いや、これ中々盛り上がっていてすごく良かったです。
 それで、ちょっと富吉先生のブログをのぞいてみたら、なんと池袋とか渋谷とか精力的にトークショーをされているんですね。
 しかも、池袋はもう満席になっているし…

 そしてなんと、今日のブログは、四柱推命の通変五種がきちんと図入りで書かれているではありませんか。

 富吉美幸 の 未来が楽しみになる占い ブログ
 http://ameblo.jp/palmist-miyuki/

 これは素晴らしいです!
 富吉先生、この調子でどんどん頑張ってください。


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変なこだわりを捨てれば人生は楽しい

 今日は朝から、去年からの持ち越しの原稿に取り掛かっていました。    このブログ書いたら、また続き頑張ります…

 それにしても、不思議なのは、去年は 「結構辛いな」 って思っていたはずのこの仕事が、今年は楽しくてとてもやりがいを感じる事です。

 なんでこんなに気持ちが違っているんだろ… って考えてみたら、思い当たる理由は一つだけです。
 それは、去年はずっと締め切りの時間に追われ過ぎていたからですね…

 その分、今回は締め切りの1月31日までですから、あと10日余りあります。

 もちろん、去年の内から約束していたイベントのお誘いとか、本業である鑑定、それに高円寺でやる 「四柱推命講座・初級編」 の準備なんかもあるから、原稿に取り掛かれるのは、このうちのせいぜい半分以下の時間になってしまうと思うのですが、それでも何とかギリギリ間に合う目算です。

 いやいや、油断は禁物ですね(笑)

 去年は何が辛かったかというと、「締め切りに間に合わなかったらどうしよう…」 という恐怖にずっと支配されていたからです。

 今から冷静に考えれば、取り掛かりが遅すぎたから、「どう考えても間に合わないでしょう…」 という感じだったのですが、それでも悪あがきしていました。
 それが精神的に重みになって、ずっとのしかかっていたんです。

 もちろんこういうプレッシャーがあるから、人間は責任を果たそうとする訳で、悪い事ばかりではありませんが、やっぱりこういうのはマイナス要因も多いです。

 何といっても、ストレスを溜めこんで病気になりやすいのはこういう人ですから…
 それに不必要なこだわりに思考が囚われていない方が、仕事の効率だって断然いいに決まっています。

 今回の僕の場合だったら、去年これはちょっと間に合わないな… って気がついた時点で、自分でそれ以上抱え込まずに先方に相談して、さっさと締め切りを遅らせて頂いた方が、あらゆる意味でベターでした。

 完璧主義の人って、常にどうでもいいような雑念が頭の中に駆け巡っていたりします。
 そして、どうでもいい小さな事が引っ掛かって、仕事も人生も、なかなかに前に進んでいけなかったりするんです。
     特に水の五行の多い人は気をつけて(笑)

 ちょっとした自分のした間違いがずっと気になってたり、人が言った些細な言葉がずっと引っ掛かっていたり、今回の僕のように、期限に遅れてしまう事にやたら過敏に反応したりとか…

 それで、そういう人が気がつかなければいけないのは、そんな時の自分は 「とんでもなく我がままな存在なんだ」 という事(笑)

 だって、人間誰だって間違いはあるし、言葉が滑る事だってあるし、期限に遅れる事だってあるんです。

 もちろん、それを何度も繰り返しては当然いけないのだけど、一回限りの失敗が気になって心が囚われているというのは、やっぱりとんでもなく我がままなんですよ。
 絶対に…

 それが本当にわかると、こういう細かい事が気にならなくなります。

 そして、人生が楽しくて、うんと実り豊かなものになるはずです。

 P.S.
 原稿の仕事に疲れて、途中気分転換に外の自動販売機にジュースを買いに行きました。
 そして、素敵なものを発見!

抹茶ラテ これ、パリのトップブランド・FAUCHON(フォション)の作った抹茶ラテです。

 その名も 「OTEMAE(オテマエ)」(笑)

 他のジュースが120円の中で、これだけが150円でした。
 まさにブランドですね。

 思わず買ってしまいました。

 うん。確かに美味しいです。
 甘くてすごく優しい味がしますね。
 これはもう、日本の抹茶と言うよりも、パリの飲み物の一つになっちゃっている感じです。

 あのパリという街には、日本文化を上手に受け入れて、より優雅におしゃれに演出する何かがあります。
(2012/3/17ブログ 「パリに愛される日本文化」 参照)

 また、パリに行きたくなりました!


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たくさんの色の思いが合わされば光になる

 いよいよ、色のお話も今日のブログで終わりにします。
     3日も同じネタで ねばってしまった…

 色は電磁波の中の可視光線が見せる幻…
 でも、何となく色って、人の心が見せる情景にも似ているように感じます。

 きれいな色から、擦り切れた色まで、この世にはいろんな色が存在しています。

 光の三原色と呼ばれるものがあります。
 それが、赤(R)と緑(G)と青紫(B)です。

 テレビやパソコンの液晶画面なんかは、この3つの細かい粒で構成されています。
 最新の画期的なやつは、これに白(W)を加えた省エネタイプの液晶もありますが…

 光のスペクトルは、全ての色合いが切れ目なく連続しているというのに、何でこの3つの色だけがいつも特別扱いされて取り上げられるかと言ったら、人間の視覚の機能というのは、それぞれある程度の光の元で、長波長の赤、中波長の緑、短波長の青紫に反応する、R錐体(すいたい)、G錐体、B錐体という3種類の細胞で構成されているから… という理由に過ぎません。

 これらの光が網膜上で合わさると、白という色になります。
 ちなみに光がない状態が黒という訳です。

 まあ、こんな感じです。

加法混色

 これを加法混色と言います。

 ちなみに顔料とかプリンターのカードリッジとかの三原色は、シアン(C)と赤紫(M)と黄(Y)です。

 なんで、光の三原色とまるで違うかというと、顔料の色は光を発するわけではなく、逆に光を吸い込む事によって色を作り出しているからです。

 つまり、シアンは赤の光を吸い込む顔料、赤紫(マゼンタ)は、緑の光を吸い込む顔料、黄は青紫の光を吸い込む顔料という訳です。

 これを白い紙の上で混ぜ合わせると、全ての色が構成できます。
 まあ、こんな感じです。

減法混色

 これを減法混色と言います。

 さっき、心の情景と色というものは似ているって言ったんですけど、僕は心の情景は加法混色であるべきだと思うんですね。

 どういう意味かというと、いろんな思惑や思想が頭をよぎったとしても、全部受け入れてさらっと受け流せば、それは全部合わさって、やがてきれいな光になると思うんです。

 だから、「こんな事 考えちゃいけない」 というものは存在しないと思う…

 「こんな事 思っちゃいけない」 とか 「あんな事 考えちゃいけない」 ってやると、本当に窮屈だし、人の心というものも受け入れられなくなる…

 世の中にいろんな色がある様に、いろんな考え方があるし、何を思ってもいいんですよ。
 それに囚われないで、それを良い方向へ発展させていく事ができればいい…

 一つの思いに囚われてしまうような生き方をすると、「減法混色」 になります(笑)
 その思いがどんなにきれいな色であったとしても、いろんな色が重なっていく内に、光をさえぎられて、うす汚れていくんですね。

 たくさんの色の思いが合わされば光になる…

 やがてその光は、全ての人々を包み込んで幸せにしてくれるはずです。

 P.S.
 四柱推命講座の初級編と中級編に参加してくださった風水の先生でもあるA先生から、東京オフィスに素敵な贈り物が届きました。
 出雲大社のきれいな音のなる鈴ともう一つ…

赤いパンツ これ、赤のパンツなんです。

 「赤いパンツをはくとパワーがわいてくるんですよ」 って、A先生から聞いて、「買いに行くのが恥ずかしいのでプレゼントしてください…」 って、冗談でねだったら、本当に頂いてしまいました。

 本当にありがとうございます(^^)

 赤という色は、人体を発奮させて運動能力を高める働きがあります。昨日のブログ参照)

 これをはいて、去年からの持ち越しの原稿を頑張ります!


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視覚が無くても色は識別できる

 人間は、五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)ろいうものを持っているからこそ、この世界のあらゆる情報を取り入れる事ができます。

 でも逆のいい方をすれば、我々は五感というものの情報に、常に縛られてしまっていると言えなくもありません。

 この中で、何か知識を習得するという事に関して言えば、特に視覚の情報に頼る所がかなり大きいでしょう。
 だいたい視覚がなかったら本を読む事さえできません。

 そして、その視覚の情報とは、電磁波の波長による色という信号を通してやってきます。

 昨日のブログでも書いたように、電磁波の中でも380nm~780nmの波長を持つ可視光線の部分が色として識別される事になります。

 そして、波長の長さによって感じる色が決まってきます。
 波長短い順に、おおよそ次の通りです。

  380~450nm … 紫 
  450~495nm … 青 
  495~570nm … 緑 
  570~590nm … 黄 
  590~629nm … オレンジ 
  620~780nm … 赤 

 これってつまり、虹のスペクトルですね。
 もちろんこれらの色は連続していて、明確な区切りはありません。

 この範囲からはみ出た電磁波は、人間の視覚では光として認識する事もできません。
 赤外線や紫外線、電波やガンマ線なんかがいくら飛びかかっていても、可視光線が飛び交っていなければ、ただの暗闇です。
    ガンマ線がそこらに飛び交っていたら、ちょっとヤバいです(笑)

 僕が思うに、色というのはそれだけでメッセージのような気がするんです。

 例えば赤だったら、発奮しているイメージとか、力がみなぎっているとか、怒っているとか、活動的だとか…
 逆に青なら、クールで冷静なイメージだけど、ちょっと気持ちがトーンダウンしているとか…
 自然とその色のイメージがわいてきます。
 緑なんかはもう最高ですね(笑)      なんでやねん…

 驚くべき事に、例え視覚がふさがれていても、人間の肉体は無意識に色に反応したりするのです。
 ちょっとトンデモ話みたいですけど、色のついた光を体にあてる事により、その人の肉体や精神に影響を与える事ができるんです。

 シュタインという学者の実験によれば、筋肉に色のついた光をあてると、必ず一定の値の測定値が得られるという事…
 これを、「トーナス変化」 と呼びます。

 何も光を当てていないノーマルな筋肉の状態の値を23とした時、それぞれの色の光をあてると、筋肉の緊張度は毎回必ず次のような測定値になります。

 (ノーマル  … 23
  青     … 24 
  緑     … 28 
  黄     … 30 
  オレンジ … 35 
  赤     … 42 

 赤は驚異の42です!
 めちゃくちゃ発奮しています(笑)

 つまり色というのは、視覚にだけに訴える訳ではなかったんですね。

 赤って、運動能力を高める働きがあると言われています。
 イギリスの調査結果で、スポーツの試合で、実力がほぼ同じ場合、青や白のユニフォームを着ている選手よりも、赤のユニフォームを着ている選手の方が勝率が高くなるというデータが出ています。

 また、ある実験では、赤やオレンジなどの暖色系の部屋で過ごすと、実際にそこにいた時間よりも二倍も長く感じられ、青っぽい寒色系の部屋で過ごすと、実際にそこにいた時間の半分ぐらいの長さに感じられるという実験結果も出ています。

 また、赤っぽい部屋と青っぽい部屋で、どちらが熟睡できるかという事を実験した所、その色が視界に入らないような状態にしたのにもかかわらず、被験者は一様に赤っぽい部屋では中々熟睡できず、青っぽい部屋ではしっかりと熟睡ができたという事です。

 赤という色は、人間の細胞を刺激して、体感する時間を引き延ばすような作用があるのかも知れません。

 視覚が無くても色は識別できる…

 この色の分野の研究を進めていくと、何かもっともっと面白い事が発見できるかも知れません。


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色々な色の色んなお話

 今日は朝からずっと、ひたすら去年からの持ち越しの原稿の仕事をやっていました。
 せっかく去年、先方に期限を一ヵ月遅らせて頂いたのにもかかわらず、気がついたら半月もの月日が過ぎてしまいました。
 でも今日から真面目に取り掛かれば大丈夫… 間に合うはずです♪
   というか、今度こそ間に合わなきゃヤバいでしょ…

 という事で、この文章の流れだと、またつまらない話のブログになってしまうので、少し気持ちを切り替えてと(笑)


 今日は、我々が目にする色彩というもののお話でもしましょう。       色も変えてと(笑)

 現代の生活は、本当にたくさんの色彩に取り囲まれていますが、この当たり前に感じている色というものは、一体なんなんだ… って聞かれて、ちゃんと説明できる人は、意外と少ないような気がします。


 去年、僕は本の原稿を書くにあたって、色々と調べたんですけど、色って一言で言うと電磁波(放射光)です。

 光を発しないような物質には、元々色というものは無くて、光源(太陽とか電球とか)からの光が物体に当たった時に反射した光(電磁波)というものが、色になります。
     というか、文字の色が変わるの やっぱりうっとうしいぞ…


 例えば僕の部屋には大部分が緑色の物で埋め尽くされているのですが(緑フェチなので…)、もしも光があたらなかったら、これらの物は緑色にならないという事ですね。
     わかったような、わからないような…

 「色は電磁波だ…」 って、いきなり言われてもって感じですが、当然全ての電磁波に色がある訳ではありません。
 だいたい、色というものは人間(動物)の視覚が感じとる感覚に過ぎませんし…


 人間の目は、約380nm(ナノメーター)から780nmの間の波長の電磁波に色彩を感じるんですね。
 よく聞く言葉ですが、この波長の長さの電磁波を、「可視光線」 と言います。

 もちろん、780nm以上の波長を持つ電磁波や、380nm以下の波長を持つ電磁波だって存在します。

 780nmよりも長い波長を持った電磁波を波長の短いものから順に、赤外線、レーダー波、テレビ波となります。
 いわゆる電波です。


 380nmよりも短い波長を持った電磁波を波長の長いものから順に、紫外線、X線もしくはガンマ線となります。
 つまり放射線というやつです。

 当然、こういう光(電磁波)は、人間の目には見えません。
 でも、例えばモンシロチョウやミツバチなどの昆虫なんかは、300nmの紫外線にも色を感じる事が出来たりします。

 モンシロチョウのメスの羽根の色は紫外線を反射します。ところが、オスの羽根の色は紫外線を反射しません。


 人間の目にはどちらも同じ黄色にしか見えませんが、モンシロチョウの目にはメスの羽の色とオスの羽の色は全く別の色に映っているという訳です

 こうやって考えると、我々人間が、目に見えるものだけしか信じないというのは、ひょっとしたらとても愚かな事かも知れないって思えてきたりします。

 聴覚だってこれと同じで、聞き取る事ができない周波数の音や声というものだって存在しています。
 まあ、そんな音や声をあえて聞きたいとまでは思いませんけど(笑)


 たまたま人間というのは五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)というものを授かっていますが、これと同様に、感じ取る事ができない匂いや味、皮膚感覚というものだってあるかも知れません。

 もちろん感じられないから助かっているという部分も、あるんじゃないかと思いますが…

 実際の所、目に見えないものの存在を、誰かの話だけで鵜呑みにしてしまうような事は極めて危険です。

 かといって、「自分が五感で感じられているものだけが全てなんだ」 と思い込むのも、やはりまた早計なのかも知れません


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変な欲を出すから自滅する

 新年に入ってもう半月が過ぎます。
 そして、もうあと半月あまりで旧正月と立春、暦の上でも新年です。(旧正月は1月31日、立春は2月5日)

 月日が飛ぶように過ぎていくのを感じます。
 鑑定やいろんな雑用に追われ、去年からの持ち越しの原稿の仕事がなかなかはかどりません…
   よ~し、明日こそは頑張って進めるぞ!

 でも、忙しいという事は本当に幸せな事だと思う…
 だから今、自分の身の回りの全てに感謝しています。

 夕方、家に帰ってメールボックスを見ると、いつものようにたくさんのメールを頂いていました。
 お客様からの本当に温かいメールにまざって、中にはスパムメールもあります。
  また少し返信ためちゃってます。ちょっとだけ待っててください…

 で、何だかヘンテコなメールが来ていましたので、ご紹介します(笑)

 こんにちは

 マイクロソフトから、百万ユーロも受賞しちゃいました(笑)
                       パリで豪遊できる…
 これ、あやしいですね…
 こんなメールをもらって、真に受ける人はいないと思うんですけど、やっぱり中には、「ひょっとしたら…」 って、こんな都合の良い話を信じちゃう人もいるものです。

 怖いのは、この手のメールに添付されているメールアドレスやホームページアドレスにアクセスしたり、または添付ファイルを開いたりすると、まずロクな目にあわないという事…

 ウィルスに感染したり、場合によってはパソコンに入っている個人情報とか抜き取られます。

 世の中には、どう考えても都合の良い話がいっぱいあります。

 先物取引で必ず儲かりますとか、金を買うと儲かりますとか、たまに家に変な電話が掛かってきます。

 冷静に考えればわかるのですが、本当にそんなもので儲かるんだったら、その電話をかけてくる人は、とっくに大金持ちになっているはずだから、わざわざ電話営業なんかする事もないんですよね(笑)

 まあ、中には自分の腕を信じて、競馬やパチンコなんかで大金持ちになろうと頑張っている方もいらっしゃいます。
 
 もちろん、そういうもので実際に大金持ちになった人もいるにはいるでしょう。
 でも、大体そういう事にハマった人は十中八九、地獄を見ています。

 結局人というのは、変な欲を出すから自滅するのだと思う…

 僕がもったいないな… って思うのは、その人が損失してしまったお金ではなく、むしろ欲に振り回されてまわりが見えなくなっている人生の時間です。

 結局そんな事をやっている間は、自分の能力も磨かれないし、将来設計も何一つ前に進みません。

 面白いもので、宝くじでもギャンブルでも投資でも、欲がない人の方がお金が手に入りやすかったりします。

 宝くじの当選金の内、毎年200億円相当分が、当選金を受け取りに来ないそうです。
 結局、欲がないものだから、宝くじを買ったものの当選しているかどうかさえチェックしていないんですね…

 宝くじも競馬もパチンコも先物取引も、たまにはいいけど、それは自分の楽しめる範囲でやったらいいです。

 僕はどうせ投資するのなら、自分の人生に投資したいと思う…

 このほうがよっぽど面白いし、成功しても失敗しても、少なくとも自分が成長する事だけは保証されていますから…


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優しさはさりげなく、どこまでも広がって

 冬の寒さが極まってきました。
 僕はやせていて、寒さが骨身にしみるので、冬が大嫌いです(笑)

 でも、こういう寒い冬の朝というのは、心がキリッと引き締りますね。
 空気が澄んでいるというか… 天の気を感じるというか…
 そういう意味では心地良いです。

 昨日は久しぶりに東海林店長にお会いしたのですが、やっぱり本当の優しさって、何も言葉に出さなくても、その人の仕草や態度でパッと感じ取って、さりげなくするものを言うのだと思います。

 人間だから、言いづらい事や頼みづらい事っていっぱいあります。

 相手の事を考えると、「忙しいのに、こんな事を頼んじゃ悪いかな…」 とか、「こんな事言って、気を悪くしないかな…」 って思って引っ込めておくような事だってあります。

 「そんな事を言ってたら、自分が損するだけだから、頼める時に頼んじゃった方がいいんだ」 って言う人もいるかも知れないけど、少なくとも本当に優しい人はそういう考え方にはならないです。

 例えば、紳士服店にベルトを買いに行った時に、「このベルトちょっと長すぎるんで、僕の体型に合わせて切ってください」 って言えば、忙しくても店員さんは渋々ながらもやってはくれると思います。

 でも、こういう事をさらっと頼む客って、やっぱり我がままです。
 だって、それは家に帰って自分すればいいだけの話ですし…

 だから、例えそうして欲しいって望んでいても、ある程度人に気を遣えるような人は、なかなか言葉にしては言い出せないですね…

 気配りができる人というのは、みんな小心です。
 そして本当に優しい人は、この辺の心の機微がとても良く分かったりします。

 人によって分け隔てをするのはよくありませんが、どうせ親切にするのなら、何でも自分のして欲しい事をすぐに要求してくる人よりも、自分のして欲しい事をなかなか言い出せないような人に何かしてあげる方が、親切のしがいがあるというものです(笑)

 前者はそれをしてあげても当たり前にしか受け取らない事も多いでしょうし(ただし、きちんと聞いてあげないとクレームになる)、それに比べ、後者の人はその親切を心から喜んでくれるはずですから…

 でも、そういう人はなかなか言葉に出してくれないので、こちらから仕草なんかを見て、気遣ってあげるしかないんですね。

 また、僕の好きな徳川家康の話になってしまうのですが…
        川越の天海大僧正に会いたい

 天下を取った家康が、御三家と呼ばれる尾張家(家康の九男・義直が当主)と、紀州家(家康の十男・頼宣が当主)の附家老(つきがろう)を任命しようと、安藤直次と成瀬正成(隼人正)を食事に招きました。

 でも、その事をなかなか言いだせないんですね…

 自分の息子達の附家老だから、実力があって頼りになる人物にしなければいけないと思って、この二人に決めたのですが、そんな人物だから、本来ならば一国の大名や、幕府の老中にもなれるくらいの功績と才覚を持っています。

 例え御三家の家老とはいえ、附家老といえば陪臣(ばいしん)… つまりは家来の家来ですから、それに任命するのがあまりにも申し訳なく思ったのです。

 それで結局、食事に招いたのに、家康の方からは何も話が切り出せないまま終わってしまいました。
 そんな食事会が三度も続いたのです。

 安藤直次と成瀬正成は、「これはよっぽど言い出しにくい事があるに違いない」 と察して、二人して家康に詰め寄りました。
 そしてようやく、家康は二人に附家老の件を切り出したのです。

 人にしてあげる気遣いや優しさって、さりげないのがいいです。
 相手にプレッシャーを感じさせたり、下心を感じさせるような優しさは、単なる自己満足に過ぎないと思う。
 (2012/9/22ブログ 「さりげない心遣いが人を動かす」 参照)

 その行為は本来、相手からの感謝を期待する為のものでも、自分が優位に立てるようにする為のものでもなく、ただただ相手の為にしてあげるものですから…

 場合によっては、何もしないのが親切だという事だってあったりします。

 優しさはさりげなく、どこまでも広がって…

 やがてそれは、全ての人の心を一つにつなげてくれるはずです。


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その輝きが新たな運を呼びよせる

 今朝、近所のクリーニング屋さんに出した服を取りに行ってから、紳士服のAOKI松戸八柱店に行ってきました。

 僕の持っているセーターのほとんどが、着回しているうちに穴があいてしまったので、この際何着か新調する事にしたのです。
 まあ、これらのセーターを買ったのは5年以上も前だから無理もないです。
 あと、時々セーターを着たまま寝てしまったりしたのも、痛みを速めた原因かもしれません(笑)
     ちゃんとパジャマに着替えよう…

 僕は基本的に、着ているものにあまりこだわらないので、滅多に洋服屋さんに行く事もありません。
 持っている服だけで、ずっと着回していますから…

 今日、洋服屋さんに入ったのも、1年半ぶりぐらいですね。

 でも何気に、洋服を買うとしたら、必ずここだって決めている店があったりします。
 そしてそのお店が、たまたま近所にあった紳士服のAOKI松戸八柱店…

 理由の一つは、ここの店長の洋服のセンスの良さと人柄です。
 自分がファッションのセンスが無いのなら、それを補ってくれるセンスのある人に決めてもらうのが一番ですから…

 前にここに来た時に、僕はすっかり東海林富明店長に惚れこんでしまったのです。
 (2012/7/14ブログ 「パリの着こなし」 参照)

 今日もお店に行く時、店長がいらっしゃったらいいな… って念じながら行ったら、ちゃんといらっしゃいました。

 東海林店長は、もう15年間もずっとこの松戸八柱店を任されているそうです。
 普通、大型チェーンの店長は、あっちこっち異動させられたりするものですから、こういうのって珍しいです。

 もちろん、僕が東海林店長に惚れこんだのは、ただ洋服のセンスの良さだけではありません。
 そうですね… あえて言えば自分の損得を考えないで良くしてくれる所ですかね…

 東海林店長は、パッとこちらの気を察知して、それを先回りしてやってくれるんです。
 これが僕が、洋服を買うのならこのお店だと決めている最大の理由です。
 (2012/11/1ブログ 「ほんのわずかな差で勝敗が決まる」 参照)

 僕はあんまり洋服にお金を掛ける事もありません。
 今日お店で買ったのも、特売のセーター2着に靴下に、靴を手入れする時に使うクリームだけです。
 まあ、せいぜい5千円ぐらいの買い物なんですね。

 こういう高級紳士服店って、10万円近くするようなスーツを買いにくるお客様がほとんどの中、儲けにならない特売セールのセーターを買って帰っていく客なんて、お店の売り上げから言ったら、大した儲けにならないような駄客です。

 にもかかわらず、東海林店長のいい所は、そういう事に分け隔てしないで、お客様に接してくれる所…

 人によっては、「力を入れる所と抜く所を加減しなくては大変だし、常に上客を優先して対応しなければ商売がうまく行かないだろ…」 って言う人もいるかも知れないけど、僕の意見は違います。

 自分の目の前の人に精一杯の事を尽くすと、不思議な事にちゃんといつかは、必ず自分の元に帰ってくるものだからです。
 例えその相手からは見返りはなかったとしても…

 だってそういう生き方をしている人を見たら、誰だって応援したくなりますし…

 常に目の前の事に一生懸命頑張っている人って、もう例外なく輝いています。

 そして、その輝きが新たな運を呼びよせる…

 東海林店長を見ていたら、改めてそれを実感させられました。


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感情はあるがままに、囚われなければいい…

 外の天気は晴れ…
 でも、とっても寒いです。

 今、去年からの持ち越している原稿の仕事に追われています。
 今日は成人式だったようですが、何だかまるで実感がわきません。   成人の皆さま、おめでとうございます!

 このブログここの所ずっと人の意識の話ばっかりですが、人の心というのは、幾重にも階層があって、同時にいろんな事を感じていたりします。
 もっとも、それを認識できるかどうかは別の話ですけど…

 例えば、自分の友達が、自分より先に幸せな結婚をした時なんかには、「幸せになって良かったね」 という気持ちもわいてこれば、「くそ~、先を越された」 という気持ち(結婚に全く興味を持っていない人は別ですが…)もわいてくる事だってあります。
 それ以外にも、「コイツの相手ってどんな人なんだろ」 とか 「ご祝儀の出費が痛いぞ(笑)」 とか… 同時にいろんな感情が幾重にも重なって存在しています。

 ただ、心のアンテナというのは、基本的にその中の1つしかキャッチできないので、メインの感情以外のものは、あたかも存在していないような気がするだけです。

 理想主義で物事を表面的にしか見れない人や、戒律が厳しい宗教なんかは、「人の幸せを嫉妬するのは、非常にみにくい事だ」 とか言います。

 でも、人間である以上、そういう心をゼロにする事なんて出来る訳がないです。
 中には、「私はそんなみにくい心は持っていません」 とか胸を張って言う人もいるかも知れませんけど、それはただ、自分の中に存在するその感情に気づいていないだけです。

 そういう真面目なタイプが危ういのは、ふと自分の中にみにくい感情を見つけてしまった時に、それを受け入れられずにパニックになってしまう事です。

 別に人の幸せを嫉妬する心があったっていいんですよ。
 (…というか、絶対に誰にでもある)

 その心に囚われたり、その心に支配された行動に出てしまうのが、まずいというだけの話です。

 確かに、人生を有意義に生きる為には、自分の理性的な思考に関しては、なるべくうまくコントロールする必要があります。(2012/3/7ブログ 「心の持ち方で、人生はどうにでも変えられる」 参照)

 でも、自分の心の感情の部分に関しては、コントロールしようとしてはいけません。
 感情はあるがままに任せる事です。

 人間ですから、悔しいとか、悲しいとか、今日はなんとなく気分が塞ぐとか、いろいろとあります。

 誰でもなにか目の前の現実に変化が起きた時、それに付随する様々な感情が、同時にそこに現れます。
 ただ、その人がせいぜいその中の1つか2つ位の感情しか意識していない… と言うだけの話です。
 特に感情的な人は、その内のたった一つをうんと増幅させるので、それ以外の心の階層の感情には、まるで気づけなくなります。

 たまにネガティブな感情に支配されている人に、無理やり作り笑いをする事を強いる人がいるけど、僕はそれってあんまり良い事じゃないような気がするんです。

 ずいぶん昔、新宿の街を少し落ち込みながら歩いていた事があったんですけど、向こうから作り笑いをした若い女性がつかつかと僕の元に近づいてきて、いきなり大声で

 「最高デスカァ~」

 とか叫んで去って行きました。   最初、逆ナンパかと思った…

 「うるせえよ~」 って、思わずつぶやきそうになりました(笑)

 大事な事は、無理やりに笑顔を作る事でも、訳の分からない宗教の言いなりになる事でもありません。

 大切な事はただ一つ…、自分の中には元からたくさんの感情が存在している事を知って、その中のネガティブな感情に心を囚われなくする事です。

 人間の心には、空に浮かぶ雲のように、いろんな感情がわいてきます。 

 例えどんなに分厚い雨雲に覆われたとしても、その雲の彼方には眩しい太陽がさんさんと輝いているはず…

 感情をコントロールしないで、全ての思いをさらっと受け流す事ができた時、貴方の心の雲間から、太陽の光がまぶしく照らし出すはずです。


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夢の残像は現実になる…

 今朝はどうも目覚めが悪くて…
 なんだか変な夢を見ていました(笑)

 夢の舞台は、小学校高学年の頃の映像なんです。
 あの頃の僕は、いつも学校の先生の前で、優等生ぶりながら、それでいてオドオドしているような嫌な子供でした。

 夢の中では、国語の授業かなんかの風景で、挙手をして模範的な答えを、間違っていないかビクビクしながら答えているというもの…
 そしたら、なぜか急に場面が飛んで、服装チェックをされる事になっちゃうんです。

 僕の行っていた学校は、服装とか結構厳しかったんですよ。下着は必ず白色で無地なものでなくてはいけなかったんです。
 今思えば 「何で」 って感じなんですけど、あの頃の僕は堅物の優等生だったので、そういう校則をきちんと守ってました。

 ところが、夢の中で僕は、なぜか緑のブリーフをはいているんです(笑)
 なぜだかよく分からないけど…

 それで担任の女の先生に、はいているパンツが白色じゃない事を発見されて、
 「あんたみたいに良い子ぶっているくせに、生意気で可愛げがない嫌な子供は初めて見た」 とか罵倒されるという夢…

 その瞬間、ものすごく悲しくなって泣き出してしまうんですけど、ふと 「なんで緑のパンツをはいていたら、いけないんだ」 という思いがよぎって、無性に腹が立って言い返そうとしたら、目が覚めました。
    一体なんなんだ、この夢は(笑)

 しばらくの間、夢と現実とが混濁していました。

 10年ぐらい前、よく村野大衡先生といろいろな事を語りあったりしていたんですけど、村野先生がある時、
 「時々、今の現実が夢じゃないかって思う事があるよ」 って語ってくれたのを、ものすごく印象的に覚えています。
 もう村野先生は、忘れちゃっているかも知れないけど…

 ちょっと意味不明な言葉ですが、実は僕も全く同感だったので、
 「僕も本当にそう思います」 って答えたんですね。

 多分この会話は、普通の人にはまるで理解不能だと思いますが、中には妙に納得する人もいらっしゃるんじゃないかと思います。

 「夢」 っている表現だと、少しわかりづらいですけど、この言葉を 「思い」 とか 「想念」 とか言いかえてもいいと思う…

 昨日のブログの続きの話になっちゃうんですけど、現実というものは、間違いなくその人の思いや想念が引き寄せています。
 だから、目の前の現実のうまく行かなかった事や何かの不幸の原因を、そこにいる誰かのせいにするのって、あまり合理的ではない気がします。
 だって自分の中に、その運命を引き寄せる要因があるのですから…

 とはいえ中には、誰が見たって明らかに 「目の前のそいつが悪い…」 って事だって存在します。

 特に、僕が見た夢のように、先生と生徒といった関係みたく、その目の前にいる相手と自分とが、支配関係になっているような場合には、いかんともしがたいです。

 他にも、親と子の関係、上司と部下の関係、先輩と後輩の関係… など挙げたらキリがありません。
 これって典型的なパワハラの関係です。

 ハッキリ言って、これは明らかに間違っている事を押しつけている人間の方が悪いです。
 これで苦しんでいる人を、自分の中にその運命を引き寄せる原因がある… とか言って責めるのは、あまりにも酷な話です。

 まあ、その相手の愚痴をこぼせるような存在が身近にいるような時は、まだマシですが、周囲がみんな、そのボスの言いなりになっていて誰一人として相談できるような存在がいない環境の時は、もう八方塞がりです。

 そんな時、決して明らかに間違っている相手の言う事を真に受けて、自分を責めてはいけません。

 やむを得ない事情があって、どうしてもその相手に従わざるを得ない時でも、決して自分を責める事なく、相手の言う事を「こういう考え方もあるし、ひょっとするとこれが本当に正しいという可能性もあるかも知れない…」 というくらいの気持ちで受け取っておいたらいいです。

 昔の封建社会というものには、こんなのが当たり前でした。
 そして、もしも夢の中の世界なら、目が覚めるまで、この状況から抜け出せないかも知れません。
 ところが実は、心の囚われが無くなってくると、こういう夢を見ても、夢の中のその状況を自分で変えられるようにななるものです。
  例えさっきの夢で目が覚めなくても、状況は多分変えられた気がする…

 もしも、夢の中の出来事と、この現実の中の出来事との違いをあげるとすれば、現実の中の出来事は、例えこういう八方塞がりの状況であっても、少しの行動だけですぐに抜け出せるという事…

 では一体どうすればいいかというと、とにかく心が折れる前に、自分を理解してくれそうな人に状況を話してしまう事です。
 我々占い師に話してくれてもいいし、国の機関である法務局でも、ちゃんと無料で電話相談にのってくれます。

 法務局 みんなの人権110番
 http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken20.html

 法務局 子どもの人権110番(17歳以下対象)
 http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken112.html

 あとこの問題に関しては、この世の人間は本来平等であって然るべきなのに、なぜ人によって、生まれながらにこういう苦しみにあう人と、幸せでいられる人が出るかという疑問が残ります。

 この回答の一つの可能性となるものが、過去世の因果というもの…
 僕は転生輪廻はあると信じているタイプですが、前世の記憶を持っている人なんて滅多にはいないと思いますし、だいたい前世の存在なんて科学的に証明する事もできません。

 でも僕は、自分のうんと小さかった頃… 4歳や5歳ぐらいの記憶を時々思い出すんです。

 かなり幼い頃の事なので、全体の記憶は曖昧になってしまっていますが、あの頃、母親の自転車の後ろに乗せられて、よく街に買い物に出かけました。

 そんな時、欲しいものがあるといつもワンワン泣き叫んでねだっていたり、少し気にいらない事があると、まるで暴君のように母親を責めまくっていました。
 かすかですが、その時の記憶が今でも思い出せます。

 そこから考えると、多分その前に存在する自分の過去世は、そういう過ちをいっぱい犯してきたんだろうな… って、なんとなく想像がつくんですよね(笑)

 今の僕は、もう全てのパワハラから完全に解放されていますけど、それまではたくさんのパワハラの苦しみを経験させられました。
 それはきっと、前世で自分が誰かにしてきた罪のあがないの為だったんじゃないかなって気がするんですよ。

 何だか今日は、訳のわからない話になってしまいましたが、自分の夢の残像が、この現実を作っているのは確かだと思います。

 そしてまた、この現実をどんな風にでも変えていけるという事も、確かなはずです。


 P.S.
 何の気なしに、このブログの記事を書いて、村野先生のブログにリンクをつけようとしたら、偶然にも村野先生も夢の話を書いていました(^^)
 こういうのって、偶然なのか… 必然なのか…
 皆さま、今晩も素敵な夢を見てくださいね♪


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運命を自由自在に変える方法

 僕が最近思うのは、運命というものは、確かにある程度まで決められてしまっている部分はあるにしても、
「自分の運命を変えて、何が何でも未来を切り開いてやる」 と思う強い意志さえあれば、どれだけでも良い方向に変えていく事ができるという事です。

 では、なぜ運命学というものがあって、生年月日や生まれた時間なんかである程度の人の命運を読み取る事ができるかと言えば、その人その人の思考というものの限界を読み取っているからに他なりません。

 例えば、「経営なんてやったって、絶対成功する訳ない」 って思っている人は、経営で大金持ちになるような未来はないし、何かの間違いで経営とか始めたとしても、やっぱり成功しないです。

 でも、ここで重要な所は、この人は本当に心の奥の奥から、「経営なんてやったって、絶対成功する訳ない」 って思っているとは限らないという事です。

 人の意識なんて、いくつもいくつもの階層があって、それぞれが別の事を思っていたりしますから…
 心理学者のカール・G・ユングは、その意識の最も深い部分には、人類全ての意識がつながっている普遍的無意識があると言いました。

 言いかえれば、人の意識というのは例えるなら、テレビアンテナのチューナーと同じようなものだと思う…
 テレビのチューナーは、チャンネルを切り替える度に、あちこちのテレビ局やWOWWOWなんかの放送を受信してモニターに映し出す事ができます。
 これと同じで、人の意識というものも、あらゆる可能性に満ちあふれた幸せチャンネルから、やたら窮屈な不幸チャンネルまで存在していて、この現実の中で感じる意識はそのチャンネル一つに過ぎない…

 ただ放っておくと、自然に自分のアンテナの性能にふさわしいチャンネルを受信してしまいやすいというだけの話だと思うんです。
 そして、それを人は運命と呼ぶ…

 すなわちチャンネルのチューナーを切り替える事さえできれば、運命は自由自在に変える事ができるという事です。

 レベルが高くて幸せな波長の電波につながっている人は、当然ながら幸せな人生を送る事が出来ます。
 ただし、必ずしもそういう人が、この世の中で大きな事ができる訳でもありません。

 むしろ僕が思うに、本当に大きな事ができる人は、このチューナーを自由自在にチャンネルを切り替えてコントロールできる人です。

 言いかえれば、自在にチャンネルを切り替えて、天国から地獄まで自由に行き来できるエレベーターを上ったり下りたりする事ができる人…
 こういう人こそが永遠に続く幸せを手に入れられるし、人の心を救う事ができる人だと思うんです。

 では、そういう人になるにはどうすればいいかといったら、目の前に起こった事に囚われ過ぎたり、その原因を誰かのせいにしない事…

 今の現実で起こった不幸を、そこにいる誰かのせいにすると、もうエレベーターが今いる想念の階数で止まってしまって動かなくなってしまうんです。
 しかもかなり低層階の方で(笑)

 まあ、そうはいっても、誰が見てもどう考えても明らかに目の前の人間が悪いという事だってあるでしょう。
 それについては、次のブログで書こうと思います。

 運命を自由自在に変えようと思ったら、とりあえずは、全ての物事の原因は自分の中にあると認識する事が大切です。
 これは昔、母が言ってくれた事で、その時には全く意味がわからなかったんですけど…
 (2013/9/26ブログ 「自分と向き合える内は運は上昇する」 参照)

 もちろんだからと言って、自分の事を責めたりしてはいけません。

 この方法を使えば、どんなに目の前に受け入れがたい現実があっても、エレベーターでテレポーテーションして脱出できる…

 そして無限に、貴方の運命を変えていく事ができるはずです。


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たまには真面目に占いの話にしよう…

 昨日の夕方は、お世話になっている社長と、江戸川橋にある 「四柱推命完全マニュアル」 の出版社・総和社に寄って新年のご挨拶をしてから、渋谷の喫茶店で講座会場の事や今後の仕事の方針など、いろいろな事をミーティングしました。

 僕は今、かなり真面目に占い師として頑張っているような気がします。    なにを根拠にそれを言うか(笑)

 早いもので、僕が占い師として独立してから2年が経ちます。
 お世話になっている社長は、今では僕にとっては無くてはならない仕事のパートナーです。
 ここまで親しくさせて頂いたのは、師匠が僕の本の出版の為に、社長に話を通してくださり、会う機会をセッテイングしてくださった経緯もあります。

 僕と社長は、同じような認識を持っている部分も多いのですが、基本的には性質は対照的です。
 社長は、僕とは違って、合理的な未来思考の持ち主ですから、行動が本当に早いですし、新しい企画をどんどん作り出します。
 僕はどちらかというと、小さな過去に囚われて身動きできなくなってしまうタイプですし、新しい企画を自分で編み出して、行動に移すという能力は皆無です(笑)

 四柱推命上の僕の命式は、典型的な自星突出型の 「従旺格」 ですが、こういう命式だからと言って、行動力があるとは限りません。   そのくせ、世間体はやたら気にする…

 一応このブログは、占いのブログなので、少しだけ四柱推命の性格分析の話をすると…

 従旺格の中で、元々行動力を持っているのは、金の従旺格ぐらいなもので、木の従旺格はかろうじて、それに次ぎます。

 火・土・水というのは、まるでダメですね(笑)
 特に水なんて、放っておくとどんどん楽な方へ楽な方へ流されていきます。僕の命式は本当はそんなです…

 火・土・水に関して言えば、官星や財星によって制御されている命式の方が、はるかに行動力を発揮します。
 厳密には、日主が丙・己・壬の場合には官星が、日主が丁・癸の命式の場合には財星がより望ましい役割をします。
 (日主・戊は官も財も両方とも有効です。)

 では、従旺格というのは何に優れているかというと、いわゆる 「守備本能」 というやつです。
 従旺格は、自星である比肩や劫財が、やたら命式に存在する命式ですが、算命学では比肩や劫財の事を 「貫索星」(かんさくせい)とか、「石門星」(せきもんせい)と呼んだりします。
 名前は変わっても、意味するものは同じです。
 そして、算命学の中だとこれらを、「守備本能」 と言うふうに位置づけています。
 つまり、従旺格は守りに強いんであって、攻めにはそんなに強くありません。(金の従旺格を除いて…)

 従旺格は、現状を維持する面でこそ、大きなパワーを発揮します。
 というか、現状の自分が維持できないと生きていけないという、頑固そのものの性格なんです。(ただし、見た目にはわかりませんが…)

 そんな訳で、従旺格がブログを1000回毎日連続で書くと言ったら、必ずやり遂げます。   ふぅ~ あと314回…

 こんな話が大好きな人は、「四柱推命講座・初級編 第3期 速習コース」 東京・高円寺会場へ是非どうぞ。
   ちゃっかりと、あざとく宣伝してみた(笑)

 講座の営業はさておき、じゃあ僕のように攻めが弱い、どちらかというと本来ウジウジタイプは、どうしたらいいかというと、攻めに強くて合理的な思考を持つ人とタッグを組めばいいんです。
 それによって、自分の弱点が完全に補えます。

 占いというものは、悪い未来を聞いて恐れおののく為にある物ではなく、かといって良い未来を聞いて安心する為にある物でもなく、本来はそんな風に活用するものです。

 占いを上手に活用して言った時、本来の自分の強みを最大限に生かして、効率良く素晴らしい人生が歩めるはずです。


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たくさんの出会いと別れの中で

 関東地方は、朝方まで降り続いていた雨が止んで、昼は晴れたかと思ったら、夕方になって雪がちらついていました。

 今日は、この冬一番の冷え込みだったんじゃないかと思います。
 どうか皆さま、暖かくしてお過ごしください。

 風邪がかなり流行っているようです。
 風邪の予防にはうがいと手洗い、面倒くさくても、これをやるだけでも違います。
 僕だって、ちゃんとやっていますよ…

うがい薬 僕が使っているうがい薬はこれ。

 これは今から2年前に、師匠が買ってくださった思い出の品なんです。
 あの時はひどい風邪をひいて、のどをガラガラにからしながらも、声を張り上げて仕事をしていました。
 それで師匠が、僕ののどを心配して買ってくださったんです。

 よく考えたら、僕はあれから2年間、一度も風邪をひいていませんね。 
 
 いろいろと、懐かしい思い出がよぎります。

 なんとなく感傷に浸りながら、靖国神社へ参拝に行ってきました。
     靖国神社・甲午

 あれから僕は、たくさんの人との出会いがあり、たくさんの人との別れがありました。
 世の中は、いろんな人間関係のしがらみや利害関係の中で、上手に折り合いをつけながら生きていかなければならないから、それは仕方ないです。

 でも、例え別れても、同じ志を共有する事ができたら、それだけで素晴らしいと思う…

 僕は別に、全く思想が同じである必要はないと思うんです。
 みんな全く同じ思想だったら、逆に怖いし…

 それでも日本人だから、やっぱり国を思う心はあります。
 ここの神社に来ると、それを思い出せますね。

 この国の脈々と続く血のつながりの中で、今の自分がある訳ですし、人生の中で、生き別れたり死に別れたりする事はあっても、同じ志さえあれば、心はずっとつながっていられる…

 だから例え万が一、自分が一人きりになってしまったとしても、孤独を感じる必要はない…

 そう思ったら、真冬の寒さの中、何だかとても満たされた気持ちになりました。


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目標は高く、期限は前倒しで

 いよいよ今日から、昨年 先方に無理を言って遅らせて頂いていた原稿の仕事に取り掛かっています。
 お正月の7日間、原稿の仕事 全く進んでいませんでした。
    そういえば、七草がゆを食べるのも忘れてました  どうでもいいけど…

 今年に入って、それなりに忙しく過ごしたつもりでしたけど、まだまだ甘かった気がします。
 今こうして、原稿の仕事を再開してみたら、なんかこの仕事楽しいです。
 昨年時間に追われながら、やっていた時は、辛くて辛くて仕方なかったんですけど…
 やっぱり僕は、物を書くのが好きなのかも知れません。

 以前、今までに900冊以上ものベストセラーを出した事でも知られる中谷彰宏先生に、大変お世話になった事があります。
 (2012/7/9ブログ 「今そばにいる人に優しく」 参照)

 中谷先生は、「本は目次をきちんと作れば、それで完成する」 とおっしゃっていました。

 でも実際に誰でも、目次さえ出来あがれば本ができるかというと、必ずしもそういう訳にはいきません。
 そこで、最後に必要になってくるのが、その人の何が何でも書き切るという覚悟というものだと思います。

 その覚悟のある人は、やがてその本の原稿を書き上げて、完成させる事ができるはずです。
 本を書き上げるのって、まるで長距離マラソンを完走するのと同じような根性がいります。

 それで、その際にきちんと目標と期限を設定する事が、とても重要になってきます。

 僕は去年の10月から、3つの仕事の原稿に追われて、本当にアップアップでしたが、そのうち2つは何とかやり遂げました。最後の一つは今抱えています(笑)

 本来なら3つとも去年の内に終わらせなくてはいけないのに、なぜこんな事になってしまったかというと。締め切りの期限の認識が甘くて、順繰りに遅れてしまった結果です。

 純粋に毎日 本だけを書いているのなら間に合ったのでしょうけど、やっぱり鑑定とか、他にもいろんな予定が入ってくるから、原稿を進められない日だってありますし、中には調子の悪い日だって出てきます。

 だから、ある程度そういうもので作業が遅れる可能性を考えて、本当の提出期限より少し前倒しの日程を自分の中で目標にしながら、それまでに何が何でも仕上げるつもりで頑張るのがいいです。

 これは受験勉強なんかでもそうですし、全ての物事において言える事です。

 人生はいつ何が起こるかわかりませんから、ギリギリではなく、あらかじめ少し余裕を持って置く…

 時間というものだけでなく、お金だってそうです。急な出費が必要になった時、ギリギリで予算を回していると、いざという時とんでもない事になります。     経験あり(笑)

 それに、そうしておけば、気持ちにだって余裕ができますから…

 仕事の目標だって、少し余裕を持って、高めに設定しておいた方がいいです。
 だいたいの仕事の結果なんて、目標の7~8割いけば良い方ですから、最初から目標を、自分が目指している所の2~3割増しに設定して、丁度良いんです。

 まあ、そうする事で自分を追い込む事になってしまうんですけど、その分後から実入りが来ます。

 目標は高く、期限は前倒しで…

 さあ一気にたたみかけていきましょう!
    さあ、原稿たたみかけるぞ~


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どれだけ笑顔を持続させられるかによって人生は決まる

 外、寒いです。本当凍えそうです…
 逆に、家で布団にくるまって、暖房をつけている時は最高に幸せです。
 そのまま眠りについてしまいそうになります。
     寝ている場合じゃない… 絶対に(笑)

 今、僕は占い師という、一応自営業に入るような仕事をしていますが、自営業というのは上から命令されたり、誰かに指図される事もありません。
 そう言った意味では、とても気楽でやりがいを感じる仕事です。

 でも、良い事ばかりではありません。
 自分がトップだという事は、責任は全部自分で取らなくてはいけないというリスクを負います。

 時には自分に非が無くても、損失を背負い込む事だってあります。

 そうですね… 例えば、お客様から仕事の受注が入った時に、そのサービスに必要な協力を得る為に、お客様から頂いた料金の何割かを報酬として業者に支払うような事があったとします。

 ところが、実際にその協力を受ける前に、不況のあおりを受けて、その業者が潰れてしまう事だってあります(笑)
 そんな時、支払ったその何割かのお金は返ってきません。

 もう一度新しい業者にその同じサービスを依頼しなければならないので、こちらの実入りはうんと少なくなります。
 これは仕方がない事です。

 ところが運悪く、時にはそのお客様から受注がキャンセルになる事だってあります。
 そうするとお客様に元々の支払って頂いた金額を返金しなければなりません。
 つまり、つぶれた業者に支払った何割かは、全部自分の身銭を切って負担しなければならなくなります。

 これが数千円単位ならあきらめもつきますが、数万円単位になってくると、ちょっとキツいです。

 まあ、それでも個人でやっているから、この程度であって、もっと大きく経営している会社は、こういう損失が何百万とか何千万とかになってきます。
 みんな経営者って、こういう苦労をしてます。

 大手メーカーの部品の下請け企業の社長のお話ですが、そのメーカーの受注を見越して、たくさん部品の製造の為の機械を買い入れたら、その大手メーカーが急に受注を取りやめて、安くて人件費も掛からない海外に、自社工場を作って全部自分の所で部品を作るようになっちゃったそうです。

 もちろん、「こんなに部品の製造の機械を買い入れたのに、どうしてくれるんだ」 って大手メーカーに食いつく訳にもいきません。
 機械の場所も取るし、結局それを一回も使う事なく中古で売却して、何百万円の負債を出さざるを得なかったそうです。

 こういうような損失は、お勤めをしている人には絶対にありません。
 もしも自分に非のない損失が出たなら、領収書を提出すれば、全部会社が当たり前に支払ってくれますから…

 でも、今こういう自営の立場に立って思うのは、それって決して当たり前な事じゃなくて、つまり、会社が自分の為に身銭を切ってくれてたって事ですね。

 それで、もしもこういう身銭を切らなくてはならない立場に追い込まれた時は、笑顔でポンと何事もなかったかのように身銭を切るのがカッコいいと思う。

 こういう時って、きっと神様から自分の器を試されていると思うんですよ。
 だから、少しキツいなって思っても、決して笑顔を絶やさないのが大事です。

 もちろん無理やり笑顔を作る事に、意味があるのではありません。
 笑顔というのは、あくまでも人間の目に見える範囲の一形態であって、実際には自分のオーラの輝きを絶やさないというのが正しいですね。
 こういう時に、「ついてない」 とか 「自分は不幸だ」 なんて思うと、どんどん本当に不幸な方向へ流れていきます。

 オーラが輝いてなくって、ブスっとした顔つきになってしまったらもう最後、そこからが本当に不幸の始まりです。

 こうしたアクシデントが起きて、多少の負債を背負ったとしても、笑顔を絶やさないでいられたら、すぐにその分なんて取り返せるんです。
 だって、それが自営業のメリットなんですから…

 まあ、これは自営業者に限らず、全ての人生の法則だと思います。

 どれだけ笑顔を絶やさないでいられるかで人生は決まる…

 何があっても、へこまないで愚痴らないで、明るく前を向いて素敵な人生を歩んでいきましょう!


<お知らせ>
 「四柱推命講座・初級編 第3期」 の日程の第1日目の訂正です。
 2月1日(土)ではなく、正しくは2月2日(日)開講でした。
 大変、申し訳ございませんでしたm(_)m


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運命を掘りおこせ!

 外、もう凍えるくらいに寒いです。
        寒さが骨身にしみます…

 今日も、ホームページを更新したり、銀座の東京オフィスや郵便局に行ったりして、忙しく飛びまわっていました。
   やっぱ、内田先生の鑑定の通り、1月中はずっと忙しそう…

 まずいです… せっかく去年原稿の仕事の期限を1ヵ月遅らせてもらったのに、全然進んでいません(笑)

 でも、バタバタ駆け足で寒空の下を忙しく駆け回りながら、不思議と ある感覚がよぎります。

 それは、大きな運命の流れの渦(うず)の中に取り込まれて、突き動かされているような感覚…

 なんか… 時間に追いたて回されたり、細かい所は思い通りにならない事もあるけど、要所要所に関しては、不思議ときちんとツボを押さえられているんです。

 そして本当に大事な事は、自然に優先させられてしまう…

 去年で言えば、それは本の原稿でした。
 一年に2回も、あれは本当に大変な仕事だったのですが、気がつけばやり遂げられています。

 振り返ってみても、なんか自分の力でやり遂げた感じがまるでしません。
 もう一回、同じくらいの仕事ができるかと言ったら、正直無理です。
 あんな原稿が出来上がったのが、すでに奇跡なんですから…

 そして今年…
 なんと、東京の高円寺で、四柱推命講座を実施する事になりました。    わ~い、パチパチ(自画自賛)

    四柱推命講座・初級編 第3期 ~速習コース~
      ↑↑ ここをクリックして(笑)

 昨日の年末は本当に慌ただしくて、ずっと原稿に追われ続けていました。
 いや、正確には今も追われ続けています(笑)

 そんな中、いつも講座会場に使わせて頂いていた悠庵が閉店したり、いろいろな身の回りの変化がありました。

 実際の所 僕には、新しい会場を見つけるような時間の余裕は全くなかったのですが、お世話になっている社長は本当に人脈の広い方で、僕が原稿に追われ続けている間に、高円寺に素敵な会場を見つけて話をまとめてくださったりして、全てがうまくいきました。

 本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 そして今日、ホームページを更新して、講座の告知をしたばかりなのに、もう1名の方が申し込んでくださっていました。
 こういうものは、やっぱり縁というものが関係していると思うし、今、大きな運命の流れの中で、予定調和的に波に運ばれている感覚です。
 仕事の人の縁もそうですが、結婚相手の縁なんかは、もっとしっかりとある程度まで決まってしまっているようにも思う…

 人間なんてちっぽけなもので、「自分で運命を切り開いてやる」 なんて もがいても、所詮は孫悟空のお話のように、全てお釈迦様の手の平の中だったりする…

 それよりも、時には、本来決まっている運命の筋書きを掘り起こすような感覚で生きてみるのもいいです。
 そうすれば、必要以上に焦らなくてすむし、まるででっかい遺跡を発掘するような楽しみがあります。

 それに、そういう生き方をする事で、自分を過信する事もなく、周りに感謝しながら生きる事もできます。

 運命を掘り起こせ!

 貴方の目の前に広がる未開の土地の土の中には、とてつもなく素敵な運命のシナリオが埋もれているかも知れません。


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カッコよく恩に応えたい

 今、本当に僕は周りの人に恵まれて、幸せ者だなあと心から感じます。
 たくさんの人の支えられて、今の僕があると思う…

 どんなに感謝しても、足りないですね。
 鑑定や講座でたくさんの縁を頂いたり、大した人間じゃないのに、あり余るくらいに評価して頂いたり、いろいろな恩恵や物を頂いたり…

 頂きっぱなしじゃなくて、その恩を忘れないで大切にしようと思います。

 僕が戦国武将で一番好きな武将は徳川家康なんですが、関ヶ原の合戦でその家康の敵となった石田三成もなにげに好きです。   Nさんも三成ファン…

 まあ、家康自身、三成の事はそんなに嫌いではなかったんじゃないかって気もします。
 晩年家康は、「自分がここまで大きくなれたのは、武田信玄と石田三成のおかげだ」 (どっちも手ごわい敵だったから) って語ってますし…

 石田三成という武将は、多少の功名心はあったかもしれませんが、少なくともお金とか石高とか、豊かな暮らしというものには興味を持たなかった無欲な人です。

 晩年の豊臣秀吉から、同僚の増田長盛とともに、「お前らに百万石やろう」 と言われた時も、それを固辞しました。

 石田三成の話を片っぱしから書き始めたら、また3回連続とかその話題のブログになってしまいますから、やめておきますが、三成は多少 「甘いな」 と思える言動はあっても、優れた武将である事には変わりないです。

 いろいろある中で、僕が石田三成の最も好きな逸話は、三成と心を分かち合った親友である大谷吉継との大坂城での茶会の話です。

 大谷刑部吉継(おおたに ぎょうぶ よしつぐ)という武将は、頭がよく義理堅い名将ですが、らい病(ハンセン病)を患っていたんです。
 顔面が崩れて、いつも白い頭巾で顔を隠していました。

 あの日の茶会の事です。
 茶会というのは、一杯のお茶を全員で回して味わうのですが、大谷吉継がお茶を飲もうとした時、顔の膿がポタリとお茶の中に入ったのです。

 誰もがそのお茶を飲むのをためらって、飲むふりをして次に回していったのですが、石田三成はそれを全て飲み干し、「あまりにも美味しいお茶だったので全部飲んでしまった。もう一杯注いで頂きたい」 と言ったのです。

 これは本当に美しい話だと思います。

 大谷吉継というのは関ヶ原では西軍につきましたが、元々は親家康派の武将でした。
 元より家康の人望を高く評価していて、親友の三成を何とか家康と仲直りさせようと画策していたくらいです。

 その為の説得をしようと三成の元に出向いた吉継に、三成は挙兵して家康を討つ決意を打ち明けます。

 吉継は、これでもかとばかりに厳しく諫言(かんげん)して、家康と戦っても絶対に勝ち目がない事を三成に諭しましたが、やがて、三成の決意が絶対にひるがえらない事を知ると、三成との友情の為に、家康と袂(たもと)を分かち、あらん限りの智謀を捧げました。

 「おぬしは智には長けているが人望がない。横柄なおぬしが激を飛ばせば、みんな内府(家康)の元に走る。安芸中納言(毛利輝元)か備前宰相(宇喜多秀家)を総大将に立てて、おぬしは陰に徹せよ」

 三成は吉継の言う通りにしました。
 毛利輝元が西軍の総大将になったのは、こういう経緯があります。
 (2012/11/8ブログ 「周りの人に流されない」 参照)
   総大将が宇喜多秀家だったら、勝敗は違っていたかも…

 家康は、自分にすっかり味方してくれると思っていた大谷吉継が西軍についたと聞いて、ひどく狼狽したといいます。

 関ヶ原の合戦において、西軍には裏切りが多数出たのですが、大谷吉継は最後まで三成を裏切る事なく、戦場でその命を散らせました。

 大谷吉継も立派な武将ですが、石田三成もまた立派な武将です。
 
 大坂城の茶会の時、普通は人の病気の膿が入ったお茶なんて飲めません。
 そんなお茶を飲んだら、自分も感染するんじゃないか… とかいろいろと考えるでしょうし…
 でも、三成はそんな事よりも、人と人との関係でもっと大切にしなければいけない何かを取ったんですね。

 僕も、こんな風にカッコよく、周りの人から与えて頂いた恩に応えていきたい… 今そんな風に心から感じています。


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成功をつかみたければ、成功者をまねればいい

 お正月も3が日を過ぎると、やっと普通の生活が戻ってきたような感じになります。
 まあ、どちらにしても、いつまでもお正月気分でいる訳にもいきません(笑)

 僕も昨日から、去年の持ち越しの仕事に取り掛かっています。

 僕の今年の抱負は取りあえず、何らかの方法で、占い師としての実績を大きく形にする事です。
     いきなり、大きく出てみた…

 取らぬタヌキの皮算用みたいで、ちょっと恥ずかしいですけど、やっぱり松の内ですし、自分の抱負は語って置いたらいいと思います。
 自分の 「こうしたい」 というのがハッキリしていると、やっぱり願いも叶いやすくなります。
 目標がきちんと定まれば、どういう行動を取ったらいいかが見えてくるし…
 そうすれば確実に成功をつかめます。

 って言っても、やっぱりどういう行動を取ったらいいかわからないよ… という人がいるかも知れませんが、そんな時の方法は一つ、実際にそれで成功している人のやり方を、真似すればいいです。

 例えば司法書士で開業して成功したいと思っているのなら、実際に司法書士で開業して成功している人のやり方をまねてみる…
 どうやったら、成功できたとか、うまくいったみたいなお話って、ネットとか本で探せばいっぱい見つかりますから…
 片っぱしからやってみたらいいです。

 まあ、それを実際にやろうとすると、やっぱり成功をつかんでいる人はすごい努力をしているんだな… って事をまざまざと感じさせられますけど、自分も成功したかったら、そんな所で負けていられません。

 とはいえ、別にその人のやり方を、そっくりそのまま まねる必要はないです。
 どちらかというと、まねるのは、「どうやったら成功するか…」 という、その人の目的意識の捉え方です。

 ここがしっかりと捉えられている人は、その方向性に向けて常にコツコツ努力し続けているし、そうでない人は、ずっと毎日、正月気分でテレビ見ながらビール飲んでます(笑)

 最初はちょっと大変かも知れませんけど、まずは始めてみたらいいんですよ。
 あとはその内に自然と貴方に協力してくれる人が集まってきて、いろんな事を手伝ってくれます。

 自分が苦手な事まで、全部一人でやろうとしないで、それが得意な人にやってもらう事が大切だったりします。
 そしたらどんどんと、自分の目標に近づいて行きます。
 大きな成功者って、例外なくそうやってます。

 成功をつかみたければ、成功者をまねればいい…

 きっと今年が終わる事には、貴方も成功者の仲間入りをしているはずです。


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一年の計を誓いにかえて

 お正月3日目…
 昨日Rさんとかなりの深酒をしてしまい、家に帰ってお昼ぐらいまで、気を失ったように寝てしまいました。

 こんなに長い時間眠ったのは、多分半年ぶりぐらいです。
 ここ半年位の間、ずっと時間に追われていて、睡眠時間は極端に少なかったですから…

 昨日のブログ読み直したら、後半の文章がまるで幼稚園児並みだったので、ちゃんと書き直しておきました。
 お酒が入ると、やっぱり思考力落ちます。本当にごめんなさい。

 今、改めて自分の状況を見わたせば、去年からの持ち越しで、やらなければならない仕事がたまっています。

 戸隠神社と浅草寺に初詣に行って、神様からパワーはもらいましたが、目の前の現実に関して言えば、やっぱり自分で切り開いて行くしかありません。

 「苦しい時の神頼み」 と言って、人は神社でいろんなお願い事をしたりします。
 僕はそれは悪い事じゃないと思うし、人間らしくていいと思う…

 僕も昔はいつも、「ミュージシャンになれますように…」 って、よく神社でお願いしていました。
 結局は叶いませんでしたけど(笑)

 でも今はもう、神社やお寺で自分の荒唐無稽なお願い事をお祈りしたりはしないです。
 なんでかっていうと、やっぱり自分の目の前の現実は、自分で切り開くしかないような気がするから…

 もしも自分の事をお願いするとしたら、その際に僕は、「それを叶える為に、自分はこうやって頑張る…」 というような誓いを入れます。

 「神様、僕の願いを叶えてください」 じゃなくて、「神様、こういう風に頑張るから、応援しててください」 という感じです。

 例えば、「原稿の仕事を1月末に終わらせられるように、今度こそ計画的に書き進めるから応援しててください」 というような…

 やっぱり、まずは自分が動かなければ未来は変わらないし、お祈りしたら、摩訶不思議な力が働いて 「棚からボタ餅」 なんて、あり得ないと思うんです。

 まあ、人生には たまにそういう事もあるかも知れませんが、少なくとも自分が努力もしないのに、そんな事を神様にお願いするものじゃない気がする…

 三が日も、いよいよ今日で終わりです。

 新たな気持ちで一年の計を立てたら、それを誓いに変えて、神様に投げかけておく…
 そして行動は怠らない。

 やがてその誓いは、必ずや形になっていくはずです。


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初夢と観音様

 昨日の元旦は、S君と長野の戸隠神社まで初詣遠征に行ったまでは良かったのですが、体の限界が来て、ブログの更新をしながらウトウトしてしまいました。

 なんとか、半分眠りながらもブログを完成させたものの、所々かなり不備がありましたね。
 本当にすみません。   ちゃんと、校正しておきました…

 更新をした後、毛糸のセーターを着たまま、疲れ果てて眠ってしまいました。
 セーターで体が締めつけられて、朝の寝覚めは、ちょっとだけ悪かったです(笑)

 今日1月2日に見た夢は初夢…
 見た夢を忘れないように、あらかじめメモとボールペンを枕元に置いておきました。

 どんな夢を見たかというと…
 中学生時代の幼い頃に、自分がタイムスリップしていました。
 だいたい14歳~15歳頃の時代ですかね。

 夢の舞台は、学校みたいな所で、おそらくは中学校の校舎…
 いつもいじめられている男の子がそこにいて、なんと、学校の先生からもいじめられていて、その子から、「このままだと殺されてしまう」 って相談を受けたんです。

 そこで僕が、「このまま君が殺されないですむ方法は、この校舎から脱出して、学校をエスケープするしかない…」 ってアドバイスして、一緒にその中学校の校舎から脱走するという夢の物語の設定です。

 二人で物陰に隠れながら、おそるおそる廊下を歩いて、不良グループがたむろしている場所を上手に避けながら、学校の校舎から抜け出そうとしている夢です。

 途中、生徒指導の先生に尋問されて、うまく、 「別の先生の言いつけです…」 とかごまかして、もう少しで校門から外に出られるかなという所で、目が覚めました。

 初夢なのに、パッとしない夢でした。
 本当は富士山の夢とか派手な夢を見たかったんですけど…

 まあ、昔と比べて、僕は成長したと思う。
 中学生の頃は、確かに生徒会の役員とかやっていたけれど、いつも先生におべっかを使うだけの嫌な子供でしたから…
 もしもこの頃本当に、いじめられっ子から、こんな相談をされたなら、保身に走って関わり合いにならないようにするか、逆に先生に言いつけるだけだったと思います。

 でも、もしも今でもそんな性格だったなら、人の悩みを救ってあげる役割を持つ占い師なんて、絶対に無理でしたね。

 子供の頃の事を思い出すと、本当に恥ずかしいです…

 今日は、Rさんとの約束で浅草で飲み会です。
 これは去年からの約束だったのですが、原稿の締め切りに追われて、ずっと先延ばしになっていました。
 Rさんは、四柱推命講座の初級編と中級編に参加してくださった、僕が 「兄貴」 と慕うとても優しい男性なのです。

 せっかく浅草に行くのだから、初詣に浅草寺に参拝しようと、約束の2時間前に浅草に着きました。

浅草寺

 しかし、何と浅草寺の前には、長蛇の人が列を作って、並んでいるではありませんか…

 取り締まりをやっている警察官の方に聞いてみると、今 並んだとしても参拝できるのは、2時間時半後だという事でした。
 まあ、浅草寺は、日本中の誰もが知っている有名なお寺ですから、正月三が日なら、こうなるのも無理もありません。

 とはいえ、ここに並んで2時間半も参拝に時間を掛けてしまうと、Rさんとの約束の時間に間に合わないので、あきらめる事にしました。

 浅草寺というのは、関東圏随一の観音様のお寺…
 観音様というのは、よく穏やかな顔に描かれる事が多いのですが、本当はとても厳しい仏様なのだそうです。

 僕がまだ20代の若い頃、ある女性の方に、
 「貴方には、観音様が守っている」 と言われた事があります。

 観音様というのは、変幻自在にあらゆるものに変化して、時にはその人に様々な試練を与えてでも、正しい方向に導こうとする仏様… ある程度大きな使命を持っているしっかりした人しか、守ってくださらないのだそうです。
 というのは、観音様の守護は厳しすぎて、普通の人には耐えられないから…

 僕の20代の頃は何をやってもダメダメで、本当にどうしようもない時代だったのですが、その女性は僕の顔をじっと見て、そんな話をしてくださいました。

 あの頃は、本当に辛い毎日の連続だったけど、その話を聞いて、すごく慰められたのを覚えています。  

 今、このブログを読んでいる人で、毎日が辛くて辛くてたまらないという人がいたとしたら、それはひょっとしたら観音様に守護されているのかも知れません。
 だとしたら、この先の未来がすごく楽しみです。
 玉のように磨かれた後には、大きな役目と、誰もがうらやむような幸せがやってきますから…

 Rさんと浅草駅でおち合った後、Rさん行きつけの居酒屋で、新鮮なお刺身とお酒で盛り上がりました。
 Rさんは、とってもお酒が強いので、同じペースで飲んだら確実につぶれます(笑)
   
 Rさんは浅草出身で浅草育ち…、このあたりのお店の事は全て知りつくしています。
 居酒屋に行った後、地元で有名なフランス料理のお店と、ラーメン屋さんに連れて行ってもらいました。
    毎回必ず、お酒が出てきた(笑)

 すっかり、Rさんのお酒のペースに巻き込まれて、千鳥足になってしまいました…

 終電の間際の帰り道、僕はRさんにお願いして、浅草寺まで連れて行ってもらいました。
 この時間ですから当然門は閉まっているでしょうが、ご挨拶だけはしておきたいって思ったのです。

     浅草寺・夜

 浅草寺にたどり着いてビックリ…
 なんと、門は閉まっているのに、まだ参拝者の列ができているではありませんか!

 並ぶ事10分… Rさんも、僕と一緒に参拝してくださいました。

 僕が観音様にお願いしたのは、ご縁がある人がみんな幸せになって頂けますようにという事と、今年もきちんと仕事をやり遂げられますようにという事の2つ…

 夜の浅草寺にお祈りをしながら、観音様の気に包まれて、体がポカポカしたような感覚になりました。


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