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浅野太志 songe a Paris

パリでエテイヤ・タロットの取材を終えた、占い師・浅野太志の日々の活動をつづります。

失敗は運を開くチャンス

 昨日の夜、千葉のマンションに戻ってきました。
 無事3泊4日の帰省の旅も終わって、これから新しい生活が始まります。
   山ほど仕事がたまっている… (アワワ)

 それにしても、デジタルカメラの充電器を持っていかなかったのは失敗でした。
 まさか、あんなにすぐにバッテリーが切れるとは思ってもみませんでした。

 その為、写真を撮ったものの、結局ブログにアップできずじまいでした。
 さっき、アップしておきましたけど…(笑)

 今日の昼は赤坂に用事があったのですが、定期券を忘れちゃいました…
 一瞬、家に取りに帰ろうかとも思ったんですけど、約束の時間に間に合わなくなるので、そのまま切符を買って電車に乗りました。

 こういう所でお金を無駄にするのは、本当悔しいですね。
 たかだか数百円の損に過ぎないのですが(笑)

 常に完璧でありたい… と思う完璧主義者ほど、こういう失敗をすると悔んでなかなか先に進めなかったりします。
 完璧主義の人って、「まっ、いいか…」 って流せないですから…

 人間関係なんかでも、完璧主義の人って、ほんの些細な事が流せなかったりします。
 自分が言ってしまった失言とか、ちょっとした言い間違えなんかがを、いつまでたってもクヨクヨ思い悩んでいたりします。

 僕が思うに、完璧主義で神経質な人の人生は、大きく開くか、それともくすぶってしまうかのどっちか両極端になる気がします。

 完璧主義の人って、普通の人よりも失敗が多いです。
 いや、失敗そのものが決して多い訳ではないんですけど、失敗したと感じる事が多い… と言った方がより正確かも知れません。

 大雑把な人は、はたから見たら明らかに失敗に見える事をしていても、本人は失敗したと感じていなかったりします(笑)

 でも、人間と言うのは、この失敗から学ぶ事が本当に多いんですね。
 失敗には必ず、その原因やその失敗に至る自分のまずい所というものがあるものですから…

 例えば、帰省するのにデジカメと充電器を一緒に持って行かなかったのは、僕のツメの甘さですし、定期券を忘れるのは、出かける時の確認が足りないからです。

 それを自分で気づいて次回から改めれば、こういう失敗は次からなくなります。

 大雑把な人は、失敗したという意識も無いので、いつまでたっても同じ事を繰り返す事になります。

 ただし、完璧主義の人が、必ずしもこうやって自分の欠点を改めて、やがて成功者になるかというと、そうとは限りません。

 完璧主義の人って、いろんなものの欠点が目につきやすいので、疲れきってそういうものから目をそらしてしまう事も多いんです。
 目をそらして何もなかった事にしないと、身が持たないんですね。

 それは心の正常な防御作用だったりする事もあります。

 でも、それだと本来の成功者の気質を生かしきれなくなってしまうし、心の奥底では、やっぱりその失敗に囚われていたりするので、気持ちがふさぎこんでしまいます。

 それに、せっかく気づけた自分の問題点さえも、持ち越しになってしまう…

 完璧主義の人にとっては、少し辛いかも知れないけど、やっぱり失敗から目をそむけるのはもったいないと思う。

 失敗は問題点を改めて運を開く為のチャンスですし、そのチャンスは失敗したって気づけた人しか与えられないんですから…

 そういう僕も、昔は失敗した事から目をそらしてばかりいました。
 でも今は、少しでもそこから学び取っていこうと思う。
 今までは失敗するのを恐れていたけど、今は逆に失敗が楽しみなくらいです(笑)

 だって、その失敗こそが、成功の道しるべになるんですから…

 P.S.
紀伊国屋書店新宿本店 村野大衡先生から、
 「新宿紀伊國屋書店に浅野君の本が平積みされてたから、二列にしてきましたよ」
って、メールが入りました。

 思えば、ちょうど6年前の今頃、村野先生の 「紫微斗数命理学」 が出版されたんですね。

 僕自身、村野先生と同じように、こうして出版できる事になるなんて夢にも思いませんでした。
 
 なんか、これ感無量です!
 でも、ここで思い上がってはいけませんね。
 僕は本当に周りの人に恵まれていて、やっとここまで来たけど、周りの人に何も還元でできていない気がします。
 感謝の気持ちを忘れずに、しっかり初心に帰って頑張ります!
 

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新たなる未来の予感

 昨日の夜は、父と近所の回転ずしでお食事をしました。
 外はずっと雨が降り続いていたので、傘をさして出かけました。

   お寿司屋さん

 久しぶりの親子水入らずです(笑)

 父は、別に占い師でもないのに、雰囲気や顔なんかで、その人の未来を見通してしまうような鋭い所を持っています。
 (2012/4/12ブログ 「運勢は人相に現れる」 参照)

 僕は小さい頃から父から、いろいろあっても最終的には成功をつかむと信じられていたようです。

 不思議な事に、こういう能力は僕も受け継いでいたりします。

 朝早く実家を後にして、千葉に帰る前に少し寄り道して、浜松(静岡県浜松市)に途中下車しました。

 実はここで会っておきたい人がいたんです。
 それは、浜松を拠点に占い師として活躍されている、志田博基先生です。

 特にここ最近、僕の鑑定を申し込まれるお客様が一定の割合で、志田先生からのご紹介でお越しいただいているのです。
 だから、お礼もかねて、ちゃんとご挨拶しておこうと思いました。

 志田先生と僕の出会いは、かなり古くて、僕が当時まだ占いショップなんかで掛け出しの占い師として鑑定していた頃から、お客様として来てくださっていました。

 その頃すでに、志田先生には占い師としての才覚を感じたので、
 「占い師に向いている」
と、ハッキリ断言したのを覚えています。

 今もまだ二十代で若いのに、かなりの占術知識をお持ちで、しかも常に実際に起きた事柄との検証を怠らない、実力のある先生です。

 志田先生とお食事をしながら、3時間ほど占術の事を語らいあった後、一路また東京行きの新幹線に乗って、千葉のマンションへ…

 東に向かって、飛ぶように通り過ぎていく窓辺の景色を横目で見ながら…

 今、これまでとは違う、きっと想像以上にあわただしい、新たな未来の予感を感じています。


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過去の自分との再会

 今日の岐阜は、一日中雨…
 窓辺にシトシト降る優しい雨音を聞きながら、このブログを打っています。

 父から見ておくように言われて、一冊のアルバムを預かりました。

 僕の母が作った、僕が生まれてから15歳ぐらいまでの生い立ちが記されたアルバムでした。
 母は、僕が18歳の時に亡くなっています。

 いつもの僕なら、こういうものは、こっぱずかしい(直視するのが怖い)ので、見ようともしないのですが、どういう訳か、何となく素直にめくってみようと思いました。

3歳 3歳の頃の僕の写真は、どう見てもまるで女の子のようです(笑)

 メモを見ると、僕は母のお腹にいる時から、どうやら女の子である事を望まれていたようです。

 僕は三人兄弟の末っ子で、上には二人の兄がいますから、母は次こそは女の子を望んでいたのですね。

 そのせいで、こんな風だったかは知りませんが…

5歳 これは5歳の頃…

 メモを見ると、この頃は母や祖父や祖母に、まるで王子様のように可愛がられていたようです。

 僕の中には、断片的な記憶しか残っていないのですが…

 確かに写真を持ても、ものすごく可愛いと思う。
     自分で言うのも変ですが(笑)

 でも、十代に入る前ぐらいからの写真は、あんまり可愛くないですね。
 この頃から、自分のエゴが芽生えてきたからかも知れない…

剣道部 僕は、当時剣道部でした。

 ちなみに、中学校最後のトーナメント戦では、初戦敗退です(笑)
  最初、胴を取ったけど、
  続けて二本取られた…


 子供にエゴが芽生えるのは当たり前の事で、悪い事でもなんでもないのですが、その時に周りの人をたくさん傷つけた記憶がよぎります。

 僕がこういう過去のアルバムを見たがらないのは、きっとそれを直視するのが怖かったからのような気がする…

 でもなんか、人を傷つけた自分を受け入れたら、楽になりました。
 やっと、それができる時期が来たのかも知れません。

 過去の自分との再会…

 なんか今、これまで迷宮入りしていた自分の人生というものの謎が、どんどん解けていっているような気がします。

 今までの過去で、「なんでこんな辛い目に合うんだ…」 って思った事の理由が、次々に明らかになっていくというか…

 まるで推理小説のトリックが全て明かされる時みたいに、心臓がドキドキするのを感じます。

 人生に起こる苦しみも幸せも、全ては必然…

 そして多分、この自分の中の悟り(っていうと、格好良すぎるけど…)というものが、先祖の供養とかにもつながるんじゃないかな… って、昨日お墓参りをしていて感じました。

 脈々と人の心や思いというものは、つながっているはずだから…

 降りしきる雨のしずくの音の心地良さを感じながら、今こうやって生きている事に 「ありがとう」 です。
 明日の朝、千葉に帰ります。


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ゆるやかな時の流れの中で

 昨日の夜の9時に実家に到着し、久しぶりに父と二人で過ごしました。

 4年前から、「本を出す、本を出す…」 と言いながら出さなかったので、今まで父から 「ホラ吹き」 扱いをされていたのですが…

 現物の本を見せて、「やっと本当に出したのか…」 という事になって、父もとても喜んでくれました。

 でも、父は漢字を読めません…
 著者紹介の所の文章を音読しながら、「専門書を十数冊も読み魚…」 よみ…さかな!?
 いや、読み漁り(よみあさり)だから…(笑)
    わかりにくいから、重版する時はひらがなに替えとこ…

 昨夜は父と二人で少しお酒を飲んで、パソコンのメールの返信をして、その後ゆっくりと休みました。

 という訳で、今日は久しぶりのオフです。
(僕にとって、メールの返信とブログは仕事の内には入らない…)
 たまには、たまっている雑務や作業の事は忘れて、人生にメリハリをつけないといけません。

 天気予報では夕方から雨が降るらしいので、朝早く出て、岐阜の街をあてもなくふらついてみる事にしました。

 駅前に立っているC-3PO… じゃなくて、金ピカの織田信長も、僕を暖かく出迎えてくれましたし(笑)

岐阜駅前

 まずは、お墓参りに行きました。
 今回の出版を、ちゃんとご先祖様にも報告しておこうと思ったんです。
 そう言えば、去年の春にも同じようにお墓参りしていたような気がします。
 (2012/4/11ブログ 「墓参帰省」 参照)

 お墓参りのその足で、岐阜の繁華街である柳ヶ瀬(やながせ)を散策する事にしました。

 柳ヶ瀬と言えば、古くは 「柳ヶ瀬ブルース」…  By 美川憲一

 そして今は何といっても、ゆるキャラ 「やなな」 です(笑)
       と言っても、誰も知りませんね…

 2012年のゆるキャラグランプリ第1位の 「くまモン」 は有名だと思うんですが、「やなな」 は、その時8位でした。
 ちなみに、その前年の2011年には、「やなな」 は、なんと3位にランクインされているんです。
 もちろん、日本全国で…

 はっきり言って、こんな最低のユーモアのある ゆるキャラは日本全国どこを探してもいないです。
 だって、ダンボールを頭にかぶっているだけですから(笑)

 そして、当然の残念な事に、今年の4月に引退してしまいました。

やななの街 柳ヶ瀬の街には、でっかい 「ありがとう、やなな」 の垂れ幕が…

 この垂れ幕は、そんな引退していく 「やなな」 を懐かしんで作られたものですね(笑)


やなな&くまモン あのゆるキャラの人気スター 「くまモン」 と一緒になって活動した事もあるんですよ。

 「やなな」 はダンボールなのに…(笑)

 こんな風に…



 柳ヶ瀬は、僕が十代の頃過ごした懐かしい場所です。

 その後も、あてもなく気が向くまま風みたいに岐阜の街を散策していました。

ドラえもん? これって、なんか微妙に違うよね…

という作りがまたいいです(笑)


鴨のカップル
 用水路にはカモのカップルがいました…

 かわいい。



 駅に着いたら、タイミング悪く電車に乗り遅れてしまいました。
 高山線はローカル線なので、次の電車まで30分も待たなければいけません。

  岐阜駅プラットホーム

 プラットホームにあるベンチに腰を下ろして、ひと息ついてみる…
 歩きすぎて足がクタクタです(笑)

 でも、梅雨の初めの湿った風がとっても気持ちいいです。

 ゆるやかな時の流れの中で…

 人生には、こういう息抜きも必要だなって思いました。
 今日はぐっすり眠れそうです。


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凱旋帰省

 今、新大阪行の新幹線の中で、このブログを打っています。

 半年ぶりの実家のある岐阜への帰省です。

 でも、今までの帰省とはちょっと違う…
 あえて言えば、「凱旋帰省」(がいせんきせい)です。

 父親に自分の出した本をプレゼントするために…

ブーケと新幹線 昨日の書店イベントで、Hさんから頂いたきれいなお花のブーケをもって、列車は西へ西へと向かいます。

 この半年間、息つく間もなく時間だけが過ぎていった気がします。

 僕はこれから、どこへ行きつくんだろう…

 窓から流れるように過ぎていく景色に想いを馳せながら、もしも仮にこの先、大きな成功を手に入れたとしても、ずっと変わらない自分でいようと思いました。

 僕の師匠がそうだったように…

 僕の師匠は、とても気配りができる人でした。
 しばらくの間、そばで過ごさせて頂いて、本当に勉強させて頂きました。

 ものすごい実力を持った人なのですが、飄々(ひょうひょう)としていて、全然偉ぶった所がなく、何でも自分から率先して動く人でした。
 書店フェアなんかでは、自分からお客様のイスを引いたりしていましたし…

 僕が初めてお食事をご一緒させて頂いた時なんて、当時の僕は四柱推命をやるといっても何の実績もなく、単なるフリーターに過ぎなかったのですが、いきなり上座に座らせようとしました(笑)
 さすがに、僕もそれは受けつけませんでしたが…

 僕の中で、師匠のイメージは実は 「豊太閤」 なんです。
 別に豊臣秀吉に会った事はないけれど(当たり前ですが…)多分、生きていたらこんな感じだと思う…

 天下を取る器を持った人でした。

 だから、僕も師匠のように、どんなに成功しても、取っつきやすくて、人に気配りができる人になりたい、と思いました。

 新幹線の中で、取りとめのない妄想に浸りながら…

 間もなく岐阜の地に着きます。
 しばらく、骨休めする事にします♪


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誰かにした事は、全部自分に帰ってくる

 今日は、リブロ東戸塚店で、悠庵のイベントのお手伝いをしながら、自分の本の宣伝と販売をしました。

 一昨日のブログのP.S.で少しだけPRしたものの、多分誰もそれを見てお越しになる方はいらっしゃらないだろう… と正直思っていました。
 それにもかかわらず、多くの方にお越し頂き、感謝してもしきれないほどです。

 この前、総和社の方から、
 「もうすでに書店から何件かのご注文を頂いたのですが、なぜか、ISBNコードがみんな間違っていまして…」

 というお電話を頂きました。
 すみません、犯人は僕です(笑) ホームページちゃんと直しておきました…

 書店からもたくさんの方にご注文いただきまして、本当にありがとうございます

 発送も書店配本も、来月の初めまでには全て完了する予定です。
 どうか、もうしばらくだけお待ちになってください。

 今日の昼は思いっきり元気に、書店で本の宣伝と販売をしていました(笑)
 なんか、今から1年半前にも同じような事をしていたような気がします…

 その時は、師匠の本を売っていたのですが、全く同じシュチュエーションが繰り返されている気がします。

 扱う本が自分の本に変わっただけで… 今度は悠庵のメンバーが、僕の本の販売を手伝ってくれている…
 なんだか不思議な感覚です。

 今、僕がひしひしと感じている事があります。

 それは、自分が今まで誰かにしてきた事は、全部自分に帰ってくるという事…
 良い事も、悪い事も…
 
 例えば辛い目にあわされた時、目の前にいる誰かを恨むというのは、愚かな事だって気づきました。
 その目の前にいる誰かは、きっと過去の自分だから…

 そして今、目の前の縁ができた人に、できる限りの優しさで接し続けたいと思いました。
 その目の前にいる誰かは、きっと未来の自分だから…

 人生というのは有難い事に、人と会う度に、その事がちゃんと実践できているか自分でチェックできる…
 今はそれがちゃんとできていなくても、いつかできるように努力し続ける事が大切だと思う。

 少し前だったら くすぐったくて書けなかったこんなセリフが、今なら書けます。

 僕は昔に比べて、少しずつ成長している気がする…

 人の心が、まるで一つのもののように感じられる時が、きれいごとでもなく、イッちゃっている訳でもなく、当たり前に感じられる日が近づいている予感を信じて…


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アールヌーボーと四柱推命

 すみません。調子に乗ってこのブログ、本の事ばっかり書いてます…

 僕にとって、今回の四柱推命の出版は、念願とでもいうべきものでした。
 書店に入ると、職業柄当然と言えば当然ですが、必ず占いコーナーに立ち寄ります。

 そして、そこにある四柱推命の本やタロットの本を一通りチェックします。

 その時にいつも思っていた事があります。
 それは、タロットの本はそうでもないのですが、四柱推命の本は、なんか難しそうでつまらなさそう… という事です(笑)

 なんでそう感じるのかな… って思ったら、挿絵のないものが多いんです。
 特に読んでみて、この本は優れた内容が書いてあるな… って思える本に限って、字ばっかりで、学校の教科書よりも難しそうに書かれています。

 反面ちゃんと挿絵も入っていて、デザインもおしゃれだな… って思える四柱推命の本の中身は、???…と、?マークが3つぐらいつくような内容のものが多かったりします(笑)
      まあ、これはあくまでも僕の主観ですが…

 だから、僕はこの四柱推命の出版のお話が来た時、とにかく素敵で可愛らしい挿絵が入った本にしたいと思いました。

 原稿をある程度まで書き進めていた時、ふとイメージが浮かんだのが、以前通っていた歯医者さんに置いてあった 「まんがタイムファミリー」 に載っている 「キラキラ☆アキラ」 という4コマ漫画のキャラのイメージだったんです。

 僕は、この漫画に出てくる登場人物の 「青島クン」 という、恋愛が不器用な男の子のキャラが好きで、単行本を全部集めました(笑)

 実は、この漫画の作者の曙はる先生やご家族の方とは、あるきっかけで親しくさせて頂いていました。

 こういう可愛らしいキャラの絵が挿絵に使えたらいいな… と悶々と考えていたその時、突然、曙はる先生からメールが入ったんです。

 曙はる先生と親しくさせて頂いていると言っても、半年に一度会うか会わないかぐらいなのに、あまりのタイミングの良さに、僕は驚かずにはいられませんでした。

 やっぱり、「はる先生に頼んで本の挿絵を描いてもらえ」 って事だな… そう確信した僕は、総和社の小柴部長に 「キラキラ☆アキラ」 の単行本を見せて相談しました。

 「挿絵を入れるのは構わないと思うんですけど、本のイメージに合うかどうかが問題ですね…」

 僕も改めて、「キラキラ☆アキラ」 の絵を見ながら、もう一度 本のイメージをしてみました。

 この絵は、どう考えても本には合わない…(笑)
 やっぱり、そういう結論でした。

 その後、はる先生と半年ぶりぐらいにお会いして、ラーメン屋さんでお食事をしました。
 それにしても、あの閃き(ひらめき)は何だったんだろう… という思いがあまりにもつのるので、ある程度までできた四柱推命の原稿を見せて、はる先生の意見を聞いてみる事にしました。

 はる先生は、原稿に目を通されながら、
 「浅野先生は、アールヌーボーはお好きですか?」
と不意に聞かれました。

 はる先生は、ほんの少し前に六本木のミュシャ展(5/19ブログ 「パリの夢 本当のミュシャ」 参照)を見てきたばかりだったんです。

 僕は直感で、「それだ」 と思いました。

 アールヌーボーと四柱推命… どう考えても異質な組み合わせですが、何故かこれはいけると思いました。

 よし、プロローグはフランス・パリのゴークランの話を導入部にしてふくらませよう… そして、第一章で基本知識をまず書いて…
 僕の中でいろんなものがつながって見えてきたような気がしました。

 これは今までに絶対になかった四柱推命の本になる… 確信に近いものを感じました。

 はる先生は、売れっ子の漫画家さんなので、その時も原稿の締め切りに追われていたのですが、無理を言って何点かの挿絵のカットをお願いしました。

曙はる先生挿絵① これは、今回の
「四柱推命完全マニュアル」
の中に挿入されている挿絵の一部です。

 これって、十干がモチーフになっているんです。

 例えば右の絵は、十干の 「甲」(樹木の象意) と 「乙」(花の象意) と 「丙」(太陽の象意) のイメージです。


曙はる先生挿絵②
 左の絵は、「辛」(宝石の象意) と 「壬」(大海の象意) と 「癸」(雨の象意) です。

 しかも、アールヌーボー調…



 「キラキラ☆アキラ」 の絵とは全然違うけど…

 あれは、「はる先生に、この絵を書いてもらいなさい」 という天からのメッセージだったんだと確信しました。
 はる先生、素敵な挿絵をありがとうございました。
 banner.gif 
  漫画家・曙はる先生
← のサイト 「白玉庵」
  
 その時には意味のつかめないメッセージも、やっぱり何かを教えてくれている…

 その糸をたぐり寄せた時、きっとその意味の全てがわかるはずです。


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淋しさを誓いにかえて

 本の出版のお祝いメールやご注文メールをたくさん頂きまして、皆さま、本当にありがとうございます。

 こんな数ものメールを頂いて、僕は本当に幸せ者です。
 やっと、今日になって全部のメールに返信ができました。
      漏れがなければ…

 有難い事に今かなり多忙で、関東圏内をあちこち飛び回っています。

 明らかに睡眠不足のせいでもあるのですが、パソコンの前に座って、さあブログを打つぞ… とか、メールの返信をするぞ… と力むと、パソコンではなくて自分の方がフリーズして、意識が夢の世界へ飛んでっちゃうんです(笑)

 そんな訳で、ブログの方は、訳のわからない文章を23:30ぐらいに更新してしまったりします。

 しかし、僕も悪知恵がつきました(笑)
 このFC2は、一回ブログを更新した後でも、下書きモードにする事によって内容を引っ込めてしまう事ができるんです…

 でも、引っ込めた後に、溜まっていた疲れが一気に噴き出して、たまにそのまま1時間ぐらい居眠りしてしまう事があります。

 という訳で、「なんだよ、今日のブログ開けねえぞ」 っていう時は、どうか先にお休みになってください(笑)
 朝までには文章が校正されて、見られるようになってますから…

 実はメールも同じだったりします。
 メールの場合は、ブログと違って一回送ってしまったら修正が効きません。

 僕は一通のメールを返信するのに、やたら時間がかかるタイプなんです。
 文章を考えるのもそうですけど、自分の気持ちを練り込んでいるというのもあります。

 こういうものは、本来パッパと返信してしまうべきなのかも知れません。
 事務的な文章で構わないから…

 でも、受け取ったのがすごく心のこもったメールだったり、お世話になった人からのメールだったりしたら、そうもいきません。

 それで、眠くてクラクラしている時には、やっぱりすぐに返信を打とうとしても無理です。

 ただ返信を出すだけなら、この状態でもできます。きっと、軽薄な文章になると思うけど…

 僕は今までの人生、本当に軽薄で調子の良い人間だった時期が長かったんです。
 きっと今まで、そういう部分が出て、人を傷つけた事もたくさんあったと思う。
 さらに、その事にさえ自分が気づいていない事も…

 昔に比べて、自分の影響力がだんだんと大きくなってきた今、もうそれは許されない気がしました。
 これ以上、人に淋しい思いをさせてはいけないと思った…

 もちろんこの先、気をつけているつもりでも、そんな事をしてしまう事もあるかも知れません。

 仮にこの数のメールが毎日来たとしたら、おそらくこのやり方では仕事をさばけません。
 今後、メールの返信とかは、信頼できる人を雇って、その人に任せるような事になると思う…

 でも、まだ僕一人でやれる内は、できる限り精一杯の事をやりたいと思う。
 今、自分というものが、なんだか天に試されているような気がするんです。

 もしも、何か問い合わせのメールをして1週間以上も待っているのに、僕から返信が来ないという人は、どうかもう一度メールしてみてください。

 おそらく僕は、そのメールを読んでいません。
 たくさんのメールの中で見落としてしまった可能性もあるし、そのメールがちゃんと届いていないという事もあります。
 もしくはこの前あったように、逆に僕が出したはずのメールが届いていなかった… という可能性だってあります。

 僕、大切に思っていた人に何度かメールを送ったのに、返事が来なかったという経験があります。
 すごく忙しい方だったから仕方ないと思ったけど、やっぱり淋しかったです。
 その時は、これ以上傷つきたくなかったから自分から距離を置いた…

 あと、自分にとって大切な人がこの世から去っていく悲しみも経験しました。
 これに関しては、完全に仕方がない事だと思う…

 でもその時、自分が命を粗末にする事は絶対に許されない事だと思いました。
 それによって、こんなに淋しい思いを人にさせてしまうのだから…    昔はいつも死にたがっていた  

 僕はそんな淋しい気持ちを、人に絶対させたくないと思いました。

 この先、できる限りの優しさを人に注いでいこうと思う。

 淋しさを誓いにかえて…

 今、自分ができる事をしていきたいと思います。


 P.S.
 あさっての5月26日(日)、講座会場としてお世話になっている 「悠庵」 の書店イベントに参加させて頂く事になりました。
 場所は、横浜のリブロ東戸塚店です。
 詳しくはホームページの お知らせコーナーをご覧ください。
 よろしかったら、是非書店でお会いいたしましょう(^^)


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うまくいくものは、どうやってもうまくいく

 今回の出版の経験を通して、本当に感じた事があります。
 それは、うまくいくものは、やっぱりうまくいくようになっている… という事です。

 自分で言うのもなんですが、正直ここまで素敵な本ができるとは思っていませんでした(笑)     だから、自分で言うな…

 もし3月31日の時点の原稿で、今回出版されていたとしたら、かなり中途半端な本になっていました。

 3月中にあそこまで追いつめられて、その後に11日間の日程を頂くというプロセスを得なかったら、ここまでの本は出来上がっていませんでした。

 正直、あれは自分の力で書けたとは思えません。

 今回、この本は良い意味でも悪い意味でも、「四柱推命」 という占いそのものに一石投じる本となったはずです。

 おそらく、2ちゃんねるの占術スレデビューして、叩かれまくる事は固いです…
   スレとか立ててくれなくて、本当に結構ですから(笑)

 僕はマニアックだから、あの本の中で、結構きわどい事を書きまくっているんです。

 それはともかくとして、今回不思議だなあと思ったのは、原稿の手直しの最終段階になって、間違っている所や文章を書き換える必要のある所に、パッと気づかされるという事ですね…

 例えば、原稿の間違っている部分のページが机から風で落ちて、ふと感じてもう一度そのページを見直したら、やっぱり間違っていたとか… そんな事が今回一度や二度じゃないんです。
 まさに不思議な何かが、僕に教えてくれているみたいに…

 普通だったら、本が仕上がってから間違いに気づいて、「あ~、やっちゃった」 となるんですが、今の段階で、製本された本を読み直してみても、間違いは発見されていません。

 まあ、その内一つ二つくらいは、見つかるとは思いますが(笑)

 本を書く作業というのは、著者と出版社の共同作業です。
 自費出版でもない限り、著者が何でも自由に書きたい事を書いて出版できる訳ではありません。
 その代わり出版社は、その本が流通する為に全力をかけます。

 だから著者も妥協すべき所は、妥協しなければいけません。

 例えば、今回の付録の万年暦を、僕としては、もっと誰にでも使いやすい仕様にしたかったというのがあります。
 でも、現実にはさまざまな出版事情があったりして、ある部分に関しては妥協せざるをえませんでした。

 ちなみに本のタイトルを決めるのなんかは、どちらかというと出版社側が主導権を握っていたりします。


 僕は総和社から出版できて、本当に良かったと思う…

 4月13日の段階において、仕上がった原稿は520ページでした。
 しかも価格は1,890円と決定してしまっている…

 こういう場合、普通なら、この原稿を400ページ未満に強制的にカットされるか、著者にどこかを削らされます。
 「これ、第九章は全部カットね…」 みたいな(笑)

 だって、このままの状態だと、ものすごい数売れない限り、利益がほとんど取れないですから…

 ところが総和社では、僕の書いた原稿を全部、どこもカットする事なく発行してくださいました。
 僕は、過去の経験や、出版のお話をたくさんの方から伺がっているからわかるのですが、こんな事は奇跡です。

 そして、この状況はそのまま、一冊の単価において、出版社の儲けや、著者の印税が極端に低くなるのと引き換えに、この本がものすごい販売数をはじき出す下地を作ってくれているんですね。
 
 これも、天が仕組んだいたずらのような気がします。

 僕自身は、この本でお金儲けしたいなんて気持ちは、これっぽっちもありません。
 多少、印税が入るみたいですけど、別に印税なしでも構わないと思っていました。

 それよりも、僕の四柱推命に関する主張や、占いというものに関する主張を、少しでも発信する為に、なるべくたくさん本が売れて欲しいと思っているだけです。

 もちろん、結果がどう転ぶかなんてわかりませんが、今回、全てにおいて天が味方しているような感覚がしてならないんです。

 うまくいくものは、どうやってもうまくいく…

 天の計らいを信じて、やれる限りの努力をしつくした時、貴方に幸運の女神が、きっとほほ笑むはずです。


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未来は「つくる」というよりは「つかむ」

 昨日、渋谷で総和社の小柴部長にお会いして、見本出しの第一号の書籍 「四柱推命完全マニュアル」 …本当にこんなタイトルつけてしまっていいのか(笑) を頂きました。

 小柴部長より、「本の大きさが一般の書籍より一回り大きいという事をPRしてください」 とご指示いただきましたので、本とのツーショットを撮ってみました(笑)

浅野太志 with 四柱推命完全マニュアル はい!

 こんなに大きくて、大変お買い得ですよ~(^^)


 それにしても、この本ができるにあたって、この世のものとは思えない いろんな力が働いたように思います。

 この出版のお話は昨年の年末に、お世話になっている社長から頂いたものですが、当初の出版計画では、4月末に発売予定で、原稿の最終締め切りは3月末というものでした。

 原稿がすでに出来上がっているという前提を元に、社長は動いてくださったので、かなり余裕のある出版計画のはずでした。

 ところが、その4年前に書き上げた原稿のほとんどが使えないと判断した僕は、万年暦以外の大部分を大急ぎで新たに作り直す事に決めました。

 文章そのものがあまりにもひどいという事…、そして その時の本の構想自体がもう使えないという事があって、表や暦以外は、ほとんど一から作り直す事になりました。(表に関しても、画像データが荒かったので、結局は全部作り直した…)

 そうしようと決めた時、3ヵ月と言う期間は、初めて出版をする人間にとっては、かなり短すぎる時間でした。

 それでも、前に作った文章を部分的に切り貼りしながら、必死になって仕上げました。
 せっかく頂いたお話を、期限が間に合わなくて出来ませんでした… なんて事にしたくありませんから(笑)

 皆目、どう新しく作り直ししたらいいのか見当がつかない状態で、今年の1月から手探りの作業でした。

 2月末の段階で、原稿の締め切りが迫っているにもかかわらず、出来上がったページは暦も合わせて、約250ページ弱…
 本にするには、内容が足りなさ過ぎます。

 でも、発売予定日までの時間も無いので、もう書店の営業もスタートさせてしまいました。
 まだ本は出来上がっていないけど、最低350ページぐらいにはなるだろうという目算で、それを目安に価格も1,890円(1,800円+税)と決定してしまったんです。

 そして、原稿の締め切りに追われる3月の正念場、睡眠も削ってフルパワーで頑張ったせいもあって、締め切りの3月31日には何とか400ページの原稿が出来上がりました。
(3/31ブログ 「人生は取捨選択の連続」 参照)

 でも、あの日のブログには書きませんでしたが、あの時出来ていた原稿は、僕としては60%ぐらいの満足度の妥協作だったのです。
 取りあえず形だけは整えられたものの、ハッキリ言えば、「時間切れ」 と言うやつです(笑)

 とはいえ、4月末に発売するという条件を満たす為には、これでいくしかありません。
 もう、心の中ですでにあきらめもついていました。

 ところが、僕にとって、この後とんでもなくラッキーな事が起きました。

 他の事情の絡みもあって、総和社から4月末には間に合わないから、発売日を5月末にずらしましょうという提案があったのです。

 これは僕にとって、まさに渡りに船でした。
 早速、小柴部長に原稿の提出期限を4月13日にして頂いて、その後の11日間、書ききれなかった部分をものすごいスピードで書き上げました。

 そして気づいてみれば、520ページの超大作が出来上がっていました。
 たった11日間で120ページもの文章が書けたのは、構想が完全に練りあがっていたという理由が大きいです。

 本と言うものはある意味、構想が命です。
 構想が出来ていないと、先に進めません。
 何でも好き勝手な文章を書けばいいかと言うと、そういうものではありません。
 だいたい、そんなもの読まされる方は、たまったものではありませんし(笑)

 僕が今回学んだのは、自分の力で本を 「つくる」 という発想だと、頭打ちにあうという事でした。
 「つくる」 のではなくて、未来におそらく出来上がっているであろうその本のイメージを 「つかむ」 という気持ちが大切な気がします。

 それにしても今回3月31日までに、何が何でも仕上げなければいけない… という背水の陣が敷かれたお陰で、この本はここまでの仕上がりになったと言えます。

 だからこそ新たな延長期間を頂いた時には、書ききれなかった内容が頭の中でものすごくクリアになっていて、すごいスピードで書きあげる事が出来ました。

 最初から原稿の締め切りが4月13日だったら、やっぱり同じ事になっていたように思います。

 ところで、350ページを目安にしてつけた1,890円という価格設定ですが、すでに3月半ばには、かなり書店の営業が終わってしまっていましたから、今さら価格変更は出来ません。

 520ページで1,890円と言うのは、実用書としては、あまりにも破格中の破格なのですが、実はこういった諸般の事情というのがあったのです(笑)
    さりげなく宣伝…

 未来は 「つくる」 というよりは 「つかむ」…

 近い未来と言うものはある程度確定されてしまっていますから、それをたぐり寄せる方が手っ取り早いです。
 これは出版だけに限らず、ある程度大きな目標を叶えるキーワード…

 本当にたぐり寄せたい未来をつかんだ時、貴方は人生の勝者になれます。


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物事は一番ふさわしい時に成就する

 昨日、本の出版のお話をブログに書かせて頂いて、たくさんのお祝いのメールや本のご注文のメールを頂いて、本当に胸が熱くなる思いでいっぱいです。

 お誕生日の時のお祝いメールもそうだったのですが、今回はさらにその倍以上の数のメールでした。
 僕は今までこんなに人からお祝いしてもらった経験が無いので、かなり戸惑っています。
 そうですね… 真っ暗な所から、急に光のまぶしい所につれてくられて、目がくらんじゃっている感じですね… 

 頂いたメールは、みんな僕の宝物です。

 僕は、昨日今日とホームページの作業や出版や書店関係の用事やブログの更新が重なって、睡眠時間が3時間の日が続いていました。   昨日は立ちながら居眠りした… 危険(笑)

 せっかくメールを頂いているのに、情けない事に、返信が追いついていません。
 本当にごめんなさい。どうか、もう少しだけ待ってやってくださいm(_)m

 今、自分は本当に幸せ者だと感じます。
 本を出版できた事もそうですけど、これだけのたくさんの人に支えて頂いているという事自体が…

 僕はこの42才と言う厄年を迎えて、やっと出版という一つの目標を達成する事ができました。
 この目標は、4年前に出版のお話を頂いた時からの念願だったのです。

 その時はまだ30代でしたから、何とか30代の内に出版の話を実現してやるんだ… とか言いながら、必死で原稿を作っていました。

 何でそんな思考になっちゃっていたかと言うと、あれは思えば、20代の内にミュージシャンとして成功したかったという夢が叶わなかったリベンジですね(笑)
(2/10ブログ 「旧正月の誓い」 参照)

 だから、あの頃、自分が自由に使える時間は全てその為だけに使って、必死になって、四柱推命の原稿を完成させたんです。

 でも、原稿は全部仕上がったものの、出版の話はすっかり暗礁に乗り上げてしまいました。
 まあ、こんな事は出版業界では良くある事です。

 でも、なし崩し的に時間が過ぎて40才の誕生日を迎えた時、正直言うと、心がポカンと空虚な気持ちになってしまったんです。

 あの頃は周囲の人から、幸せすぎるほどの幸せを頂いていたから、例え出版ができなくても、その与えられたものに感謝すべきでした。
 結局、人生のリベンジ… みたいな事に囚われていたから、そんな大切な事さえも感じられなくなってしまったんですね。

 今回、総和社からの出版のお話を、お世話になっている社長から頂いた時、最初、その時に仕上げた原稿をそのまま使うつもりでいました。

 ところが、改めて4年前に作った原稿をもう一度読み直してみて、僕は、思わず青ざめて震えてしまいました。
 
 この原稿は、世に出せる代物ではない…

 これは、四柱推命の内容云々という問題ではありませんでした。
 正直、あまりにも文章から伝わってくる精神性が稚拙すぎて、恥ずかしくなってしまったんです。

 どんな文章でも、読んでいると、その人その人の精神性が自然と伝わってくるものです。

 精神性の高い人の文章は、読んでいても、気持ち良くて幸せな気分になれるものですが、精神性の低い人の文章の中には、押しつけがましくて腹が立ってくるようなものもあります(笑)
 まさに、そういう文章だったんです…

 これは、制作の人が、どんなに見事に読みやすく書き替えたとしても、良い本にする事は絶対に不可能です。
 だって、その骨格が歪んじゃっていますから…
 著者に代わって新しく文章を起こさない限り、変えようがありません。

 4年後の今になって、あの時のあんな原稿が世に出る事は、自分の汚点にしかならない事に気づきました。
 当時、原稿を読まされた人も、どう校正しようか、きっと悩んじゃったんじゃないかと思う…

 あの時の原稿の出版が、暗礁に乗り上げたのも分かる気がします。
 というか、暗礁に乗り上げて良かったと思う。

 あんなものが本になっていたら、その時点で僕は頭打ちでした。

 あれから4年の間に、僕はいろんな事を学びました。
 そして、広い視野を手に入れることができた今、もう一度原稿を一から書き直す事ができた…

 物事は一番ふさわしい時に成就する…

 そんな言葉が僕の脳裏に、何度も何度もリフレインしています。

 今、自分の成し遂げたい事が叶わなくたって大丈夫…
 それは、一番ふさわしい時期に、一番素晴らしい形で成しとげる事ができますから…

 
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天・地・人

 このブログも今日で451回目を迎えました。
 やっと僕自身の中で、自分の成果というものを発表できる事になりました。

 ついに…、ついに…、ついに、念願の出版が叶いました(涙)

「四柱推命完全マニュアル」

  このあざといキャッチチコピーは、刷り帯なので絶対に取れません(笑)

 「四柱推命完全マニュアル」(総和社・刊)
  定価 1,890円(本体1,800円+税90円)
  ISBN978-4-86286-071-2


 お約束どおりに、緑の本です(笑)

 この本は何が良いかと言いますと…

 特典1  四柱推命の本・史上初、一目で大運を出せる万年暦が、1926年(昭和元年)~2038年(平成50年)までついている事…
 たとえ、本の中身が気に入らなくても、暦だけでもお得です。

 特典2  四柱推命にそんなに興味が無い人でも、運をひらくツボをつかむ読み物としてお楽しみいただけます。

 その他、特典いっぱい!
 なんと、圧巻の520ページ!!
      夢中になって書いていたらそうなってた…

 ご購入は、こちらのページへ(^^)
     いきなりでっかく、広告かよ…

 それにしても、ここまで本当に長い道のりでした。

 実は、四柱推命の出版の予定は4年くらい前からあったのです。
 でも、何らかの事情でどんどんと先送りになり、やっと今その念願が叶いました。

 本当、今で良かったと思う…
 今でなければ書けなかった事が、山ほどありました。

 物事が成就する時って、天・地・人の働きがあると思う…
 今回の出版では、それを本当に感じさせられました。

 正直、この本は自分で書き上げたというよりも、変な言い方ですが目に見えないものに書かされた… と言った感覚が強いです。

 それに、正規の出版というのは、自費出版とは違って、いろいろな意味で運に頼る要素も大きいです。
 「天」 の力、みたいなものが無かったら、やっぱり難しかったと思う…

 とはいえ、僕はこの本の準備に関しては4年前からひたすらやっていました。
 あの頃、まだ会社に勤めていた時代も、自分の休みのほとんどは、ずっと家に閉じこもって、パソコンに向かって原稿を作っていました。
 お正月休みも、お盆休みも…

 もちろん、その時作った原稿は、稚拙すぎて今回ほとんど使用しませんでしたけど、その下地が無かったら、例え出版の話が来てもチャンスをつかみきれなかったでしょう。
 地道に努力して地盤を作る 「地」 の要素は、絶対に物事の成功に不可欠です。

 そして最後は、やっぱりこれが一番大きいと思うのですけど…
 全ては、僕の周りの優しくて温かい人達のお陰です。

 僕がいつもお世話になっている社長は、この本の実現の為に親身になって奔走してくださり、出版社の総和社と僕とのパイプをつなげてくださいました。

 それは、僕の師匠が以前に、僕の為に、社長に話を通してくださった経緯もあります。

 また、総和社の竹下社長と小柴部長の大きなお力添えがあったからこそ、実現した話です。

 そして、今回僕がすごく幸運だったのは、本の制作のプロフェッショナルの安藤さんに巡り合えた事です。
 安藤さんは、僕の訳のわからない意味不明な文章を、全部すごくわかりやすくて、素敵な文章に書き換えてくださったのです。
 だから真の著者は、僕ではなく安藤さんであると言っても過言ではありません。

 それから、僕の事を応援してくださったたくさんの方々に支えられていたからこそ、今日までくじけずに僕はここまでやってこれました。
 「人」 の力無くして、何一つ成し遂げられる事なんてありません。

 今、ここで改めてお礼を言いたいと思います。

 本当に本当にありがとうございました。
 そしてこれからも、よろしくお願いします!


出版社と調子に乗って、刷り帯にあざといキャッチコピーをつけてしまったので、
また、「占い」のランキングのみに絞って、参加をさせて頂く事にしました (笑)
これからもどうか末永く、よろしくお願いいたします m( _ )m

パリの夢 本当のミュシャ

ミュシャ展のポスター ずっと行こう行こうと思いながらも、忙しさにかまけて予定を先送りにしていたのですが、最終日の今日になってやっと、

「ミュシャ展~パリの夢 モラヴィアの祈り~
に行く事ができました。
  ギリギリ間に合った…

 僕、この展覧会だけは、何があっても行こうと思っていたんです。

 アルフォンス・ミュシャといえば、フランス・パリが誇る画家でもあるし、僕は昔からアール・ヌーボーの画風が大好きなんです。

 だから、10年ぐらい前に上野の美術館で、ミュシャの展覧会が開かれた時も一人で見に行きました。
   あの頃はよく一人で美術館通ってた…


六本木ヒルズ 早速、六本木ヒルズの52階にある、「森アーツセンターギャラリー」 に行ってきました。

  この話はまた日を改めて書きますが、今回の 「ミュシャ展」 が日本で開かれた事は、少なからず僕の人生の大きなプロジェクトに重要な役割を果たしてくれたんです。



ミュシャ展
 最終日だけあって、すごく混んでいましたが、ミュシャの作品を目の当たりにして、改めて圧巻という感じでした。

 僕の中でミュシャは、とってもおしゃれな 「美女」 と 「花」 というイメージです。
 これはそのまま、僕のパリのイメージでした。

 この人ほど、パリの香りがする画家も珍しいと思う…

 僕がずっとパリに行く前から憧れていたのは、この世界観です。   やっぱ、結婚相手はパリジェンヌがいいかな(笑)

 ところが、実はアルフォンス・ミュシャは、パリには住んでいたものの祖国はモラヴィア… チェコの人だったのです。
 そして、祖国を愛し続けた画家でもありました。

 ミュシャの描く画風を 「ミュシャ様式」 とか 「アールヌーボー」 とか言うんですけど、思わず恋をしてしまうくらいに描かれている女性が美しいです。


ムーズ川のビール 例えば左のリトグラフは、「ムーズ川のビール」 って言います。

 テクニック的な所で言えば、色使いは写真のような細やかさなのに、輪郭線がものすごく太くてデフォルメされています。
 でも、下のモノトーンの所なんかは、すごく繊細に描かれている…

 こういう所がきっと、ミュシャ独特のおしゃれな芸術を作り出しているんですね。
 思わず僕は、ハートを射ぬかれました…


 ちなみに、ミュシャの私生活についていえば、この人すごく晩婚です。  念の為にいうと、ミュシャは男性です。

 結婚した年は46才、その後49才で長女が生まれて、52才で長男が生まれました。
 とても、子煩悩だったらしい…

 世の独身の男性諸君、まだまだ大丈夫です(笑)

 ミュシャは、芸術と言うものに対して、次のように述べていたそうです。

 私は芸術の為の芸術を創るよりも、大衆の為の絵の制作者でありたい…

 つまり、絵を通して 「人に喜んでもらいたい…」
 これがミュシャの原点だったのですね。

 ミュシャの作品の数々に触れて、久しぶりにパリを思い出した気分です。
 会場を出る時には、なんだかドキドキ胸がときめいていました。

 P.S.
ミクカフェ ミュシャ展の森アーツセンターギャラリーの隣に、見つけてしまいました(笑)


 期間限定
 「ミクカフェ 」



    考えてみれば、初音ミクって緑のキャラだ…

 お店の外に、食事のメニューの見本がありました。

       ミクカフェメニュー

 これは、ヤバいです!
 右上の緑のカクテルには、ネギが刺さってます(笑)
  さあ飲め、おまえ好きだろ やさいジュース~♪ (ほっぴっぽー

 今日は時間がなくて寄れなかったけど、次の機会に寄ってみます(笑)
 

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今、何かが変わりつつある…

 僕は今、とても素敵な毎日を送らせて頂いています。

 大げさに聞こえるかもしれませんが、人生というのはこんなに感動的なものだったのか… って気づかされている感じです。

 今日は横浜の 「悠庵」 で、講座を行った後、そのままの足で東京に行って、直接鑑定をさせて頂きました。

 僕はこうやって、たくさんの人とのご縁を頂きながら、本当に素晴らしい学びをさせて頂いています。

 特に今日今さっき、お客様からお聞きしたお話は、正直、僕の価値観が変わってしまうほど衝撃的でした。

 これをうまく伝えられればいいのですが…

 それは、地球のあらゆる物に意識があるというお話です。

 とはいえ、この手のお話を聞いた事がある方もいらっしゃるかも知れません。

 例えば、コップ一杯の水をくんで、片や 「ありがとう」 とか 「愛してる」 という良い言葉や念を投げかけたものと、片や 「死ね、バカヤロー」 (笑)とか、悪い言葉の念を投げかけたものを、凍らせて結晶化させて顕微鏡でのぞくと、前者は綺麗な美しい結晶を作るのに対し、後者は、結晶がバラバラにこわれてしまう… というお話です。

 植物なんかでも、同じような実験をすると、明らかに、片や立派に育って、片や枯れてしまうという結果になります。
     悪い言葉をかける植物が可哀そうすぎてできない…

 僕も、このお話は前から知っていました。
 本当に考えさせられる話だと思います。

 それで、今さっきお客様から うかがったお話は、もっとすごい衝撃的なものだったんです。

 こんな風にコップ一杯の水にも意識があるという事は、当然ながら水道の水にも意識があるという事になります。
 普段そんな事、考えもしませんけど…

 だから、例えばシャワーを浴びている時の水(お湯)にも、やっぱり意識があるという事になります。
 その水はまさに一期一会で、次に同じ水に出会える事は、二度とないかも知れませんが…

 だから、シャワーを浴びながらでも、その一期一会の水に感謝の念や愛情の気持ちを送るといい…
 その感謝や愛情が注がれた水は、やがて下水を通って、浄化されて雲になったりまた雨になったりする…
 その水は世界中を駆けめぐります。
 運が良ければまたいつか、その時の水に巡り合えるかも知れない…

 そのお話を うかがった時、なぜか胸にじんときました。

 結局、我々は地球という形で、みんなつながっているのだなあ… って改めて感じたんです。

 もっと言うと、そのつながりというのは太陽系のつながりでもあり、銀河系のつながりでもあり、もっと広い宇宙にも つながっている…

 想像もつかないくらいの果てしない話ですけど…

 ちなみに、銀河系を上から見てみると、スパイラル状に らせんを描いているそうです。

 そして、人の遺伝子というのも、それと同じような らせんの形をしているらしい…
 つまり途方もない大宇宙は、僕らの体の細胞一つ一つにまで連動している…

 僕、お客様からそのお話をうかがった時、ふと、「今、何かが変わりつつあるんだな…」 って思ったんです。

 僕自身の心も、パリに行く前には想像もつかなかったほど、ここ一年ぐらいでものすごい進化をとげている気がするんです。

 これは僕だけじゃなくて、ひょっとすると他の人も連動しているんじゃないかな… って、ふと思ったりして…

 変わりゆくその先に、もっと素敵な僕らがいるから…
 もう立ち止まっている暇なんか無くて…

 もっともっと、ひたすら変化し続けようと思いました。


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枯れてきた「気」を補う方法

 僕はおそらく、今これまでの人生で最高に気力がみなぎっています。
 パリから帰ってきてからというもの、まるで超強力な滋養強壮剤を飲み続けているように、元気いっぱいです。
 正直言うと、自分でも少し異様と思えるほどです。

 だいたい、あれから風邪一つひかないし…
 まあ、お腹が痛くてきつかった日はありましたが(笑)
 (3/30ブログ 「絶対に大丈夫!」 参照)

 僕は決して、昔からこうだった訳ではありません。
 そうですね… 以前は、布団の上に寝っ転がっていても、何一つやる気が起きなくて、無駄に一日過ごしてしまう事も結構ありました。

 特に体のどこかが調子が悪いという訳でもないのに、疲れやすいというか… 体力が続かないというか…(笑)

 今思えば、体力が続かなかったと言うよりは、気力が続かなかったんです。
 僕の経験上、気力さえあれば、体力は後からついてきます。

 ところが、気力というものが無くなると、もう何にもやる気がしません。
 いわゆる 「気」 が枯れちゃっている状態です。

 「気」 が枯れてくると、布団から起きてご飯を食べるのも、布団の中で寝がえりを一つうつのも、もう面倒くさくて仕方がなくなります(笑)

 まるで笑い話ですけど、こういう時って、まるでゆるんだゴムのように、何一つ体を動かす気が起きなくなっちゃうんですね。

 で、こういう時どうしたらいいかと言うと、枯れてきた 「気」 を、元のように補うしか方法がありません。

 この 「気」 というものには、大きく分けて二種類あります。

 一つは、やわらかくて、気持ちが良くて、優しさに満ちたもの…
 もう一つは、復讐心や勝ち負けのこだわりなんかのエゴに満たされたもの…

 どちらかというと後者の 「気」 の方が、簡単に補う事ができます。
 自分の中の 「悔しい」 という気持ちを、勢いに任せて増幅させていけばいいんですから…
 意外な事ですが、野口英世のように、このパワーによって成功した人もたくさんいます。
 (2012/6/12ブログ 「偉人達の隠された葛藤の日々」 参照)

 僕は20代の頃、もう精神がクタクタになりながらも、自分の体をムチ打って無理をしていた時代があります。
 それは、この悔しさの 「気」 のパワーによるものでした。

 なまじ、前者の気のパワーよりも、こちらの方が荒々しくて強力です。
 少なくとも瞬間的な部分に関して言えば…

 ただし、この気のパワーの弱点は、広がりが無い事です。
 パワーそのものは強力でも、例えば、「こうしたら仕事がうまく行く」 というような天からのヒラメキのようなものは一切やってきません。
 何をするにも、能率はめちゃくちゃ悪くなります。

 せいぜい、「10頑張って1」 ぐらいの効果ですね。
 だから、10の成果を上げたかったら、100頑張るしかありません(笑)

 それに復讐や悔しいというパワーに満たされていると、どれだけ成功をつかんでも、本当の幸せにはたどり着かないものです。

 また、瞬間的なパワーは強くても、自分の身を削っているようなものですから、持続力だってありません。
 結果的にもっと、「気」 が枯れる状態になるし、余程タフでもない限り、病気になる事も多いです。

 その点 前者の、やわらかくて、気持ちが良くて、優しさにみちた 「気」 というのは、持続力があります。
 自分の精神力を削る事もありませんし、どこからともかく無限にパワーが湧いてきます。

 だからいつも、異様なほどの気力が体中にみなぎってきます。

 こちらの気は、復讐心や勝ち負けではなく、自分の周囲の人に思いを馳せる事によって補う事ができます。

 例えば、自分の家族や恋人… 大切にしている友人… 自分を信じてくれる人達…

 人は、「誰かの為に生きる」 事でうんと強くなれます。大切な人の為に生きようとする事で、どこからともなく不思議な力が湧いてくるものです。
 
 大切な人を守る為にも、絶対に負けられないと思うし、その為に頑張っている自分を誇りにも思う…

 僕にも、僕の事を信じてくれる大切な人が周囲にいっぱいいて、逆にすごいパワーを頂いています。
 もう負けられないと思う…

 「気」 が枯れちゃった時には、貴方の事を頼りにしている人を思い出してみるといいです。

 どこからともなく、すごいパワーがみなぎってくるのを、きっと感じるはずです。


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布団の中で夢を見るだけではもったいない

 全国的に初夏の陽気が続いています。
 僕の周りの人は、みんな暑がっていますが、僕は寒がりなので、このくらいの温度が丁度いいです。

 当然クーラーなんて入れませんから、電気代もかかりません。
 でも、その分だけ、冬は暖房を入れまくっていますから、大して自慢になりませんが…    節電しよう…

 僕は相変わらず、元気に忙しく過ごしています。
 一時のピークは過ぎたものの、やる事は山ほど溜まっています。

 なんか… 「いつも忙しいって言ってるね」 ってツッコミを入れられそうです。
 本当、そうですね(笑)

 人生って、よっぽど暇でもない限り、大して忙しくはないのに、忙しいって感じてしまうものなのかも知れません。

 今思えば、僕の子供の頃はまさにそうでした。
 僕、小さい頃からテレビっ子だったんです。

 何もしないで、家でごろごろとテレビを見ていると、本当に一日はあっという間に過ぎていきます。
 見たいテレビ番組が連続で続いていると、息つく暇もありません。
 本当に毎日が忙しいです。   どこが(笑)

 僕は20代のある時期から、テレビを封印してしまったのですが…
 仮にテレビが無くても、布団の上に寝っころがっていて、「どうも起きる気がしない… う~ん…」 とかやっていると、やっぱりあっという間に時間が過ぎていきます。

 会社勤めの人はそんな事言ってられないから、例え気持ちが乗らなくても、起き上がって通勤するしかありません。

 でも、我々フリーの占い師のような自由業は、なまじこういう事ができてしまうので、よっぽど気持ちをシャキッとしていないと、何も生み出す事もなく時間だけが過ぎていく、布団の中で過ごす忙しい日々を送る事になります。
     それを忙しいというべきかどうかは謎ですが…

 こんな状態になった時、どうしたら抜け出せるかって言ったら、やっぱり、どんどん楽しいイメージをするに限ります。
 自分の夢が叶って、幸せになっているイメージを…

 大方の夢と言うものは、よっぽど現実離れしているものでない限りは、叶うものです。
 だって、人生は可能性のかたまりなんですから…

 楽しいイメージをふくらましながら、吉方位旅行に行くのも良いでしょう。

 ちなみに僕は、大吉方位のパリに旅立つ時、エテイヤタロットの本が出版されるイメージを、暇さえあれば何度も繰り返していました。
 まあ、その夢はまだ、当面先になりそうですが(笑)

 布団の中で夢を見るだけではもったいない…

 貴方が動き始めた時、その夢はすべて現実に変わります。

 P.S.
緑の山手線 話題では聞いていましたが、ついに 「緑の山手線」 を発見してしまいました!

 お~っ、本当に走っていたよ…

 残念ながら乗る事はできませんでしたが、いやあ、きれいな色の車体ですね(笑)
 どうやら1963年に、山手線が緑色になって、ちょうど50周年を迎えるらしいです…

 「乗れたらラッキー」緑の山手線電車復活

 なんか、とっても素敵なもの見ました(^^)


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お金の上手な使い方

 僕は少し前まで、お金の使い方というものに、かなり大雑把で適当でした。
 だから、結構収入があった時でも、あんまりが貯蓄ができていませんでした。
(2012/8/23ブログ 「ちっぽけな目先の事に満足しない」 参照)

 そんなこんなで、去年はパリへエテイヤ・タロットの取材を準備をしている段階で、全ての貯蓄が底をついてしまっていたんです(笑)

 もちろん僕は、支払いを滞納するとか、借りたお金を返さないというような事は、一度もありません。
 だいたい、人にお金を借りるような事もありませんでしたし…

 でもあの頃は、お金がいっぱい入ってくると、すぐに欲しい本やら、服やら訳のわからない小物に消えていきました。
 すぐに人におごったりしたし…

 そうですね。戦国武将で言うと、豊臣秀吉みたいな感じにばらまいてました(笑)
 まあ、あの人は茶室やら、寝台やら、身の回りの物を金や銀で飾り立てたような人ですから、僕とはレベルが違いますが…

 その点、徳川家康は対照的です。ごっそりと金銀を貯め込んでました。
 でも、それにはちゃんと政策的な理由があったんです。

 それは、「自分が金銀を集める事で、世間の金銀の流通量が減り、人々はお金を大切にする。その結果、自然と物価が下がって庶民の生活が楽になる」 というもの。

 家康と言うと、何となく 「ケチ」 というイメージがあります。
 でも、家康は人からそう思われる事が嫌だったらしく、自分はケチではなく、倹約家なんだ…という事を、何度となく主張しています。

 これは領国の三河の国の矢作(やはぎ)川の橋が増水で決壊した時の話です。

 ある家臣が、「いっその事、橋は使わないで、船渡しにした方がお金も掛からないし、敵からの自然の要害にもなるから、このままにしておきましょう」 と言いました。
 それに対し、次のように言ったと伝えられています。

 「必要とする時まで金を惜しむのは、ケチである。
 倹約と言うのは、有効なお金を使う為に、不要なお金を使わない事である。
 橋の修復を行わなければ領民の生活は不安定になる。それでは国は治まらず、要害などと言っている場合ではなくなる」

 家康と言うのは、実は単なるケチではなく、使うべき時にはちゃんとお金を使える人だったんです。

 ちなみに、お世話になっている社長が言っていましたけど、大阪では、「ケチ」 というのはほめ言葉なんだそうです。

 関東の言葉の 「ケチ」 とは少しニュアンスが違って、必要のない物にまではお金を出さないけど、ちゃんと出すべき時には出すという、いわゆるお金に対して賢い人を指します。

 だから、「お前、ほんまにケチやなあ…」 というのは 「お前は本当にケチだ」 という意味ではなくて、「お前本当にしっかりしてるな…」 という、大阪弁の賛辞なんですね。

 ちなみに大阪で、お金に対して、意地汚くて出すべき時に出さない人の事は、「しぶちん」 と言うらしいです…
 そう呼ばれるようになったら、ヤバいですね(笑)

 社会生活をしていると、三河の矢作川の橋じゃないですけど、どうしてもお金を出さなければいけないタイミングってあります。
 その時に出さないというのは、やっぱり良い事ではありません。
 結果的にそういう人というのは、お金が貯まらないものです。

 もちろん、秀吉みたいにお金をまき散らす必要は無くて、倹約するべき時は倹約しながらも、出すべき時には出すと言う事が大切です。
 お金って、使う為にあるんですから…

 それに自分の欲得じゃなくて、周囲の為に出資すべき時に出資できる人には、必ず周りからその分の恩恵が帰ってくるものです。

 これはあらゆる事に対して言える、人生の真理と言ってもいいでしょう…

 やがてその恩恵というのは、巡り巡って貴方の元へと帰ってくるはずです。

 P.S.
Ra.jpg 今日は、お世話になっている社長と、虎ノ門にあるおいしいメロンパンの店 R&αに行ってきました。
 
 実は、このパン屋さん、今回大変お世話になった出版社の総和社の社長が副業で経営しているお店なのです。
 総和社の 「影の日本史」 は面白い本だ…

 180円のメロンパンを始め、たくさんの焼きたてのパンが売っていて、なんと、中でもお食事ができるんですね。

 コンビニで普通なら158円で売っている何種類もの500mlのペットボトルが、何故かたった100円で売っているし…

メロンパン いや、本当に得した気分です。

 これは、100円のジュースに、メロンパン(抹茶・苺・オレンジ)の組み合わせに、ジャンボフランクサンド…

 ほっぺが落ちるほど、超おいしかったです!!

メロンパン&ホイップ ちなみに、お世話になっている社長は、メロンパンにホイップのトッピング(100円でトッピングできる)をして、食べていました(笑)

 本当、ご馳走さまでした。
 これから何度も来ます(^^)

 
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自分の行動は自分の意思で決める

 今日は暖かくて、外は本当に気持ちがいいです。

 さっき外を歩いていたら、通りがかりの親子が、
 「今日は気持ちいいね」
って、何度も言っているものだから、つい 「気持ちいいね」 って、ボソリと独り言をつぶやいてしまいました。
  まるでお年寄りみたい…  年取ったのかな(笑)

 今までの人生、振り返って見るといろいろありました。

 特に若い時というのは、何かと誰かの指示に従いながら、仕事をしたり行動をしたりしなければいけない事が多いものです。
 職場の先輩とか、上司とか、オーナーとか…

 時には横柄な言い方で命令される事もあります。
 時々、それに従わなければいけない自分が、この上なく惨めに思えたりした経験って、多くの人があると思います。

 僕は見た目と違って、人から頭を押さえつけられるのが我慢できない傲慢な人間なので、若い頃には、その度に葛藤していました。

 とは言っても、上から何か言われて、その場でキレて仕事を辞めちゃった… という経験は一度もありません。
 だって、それってあんまり頭良くないと思うし(笑)

 もっとも言われた事があまりにもひどくて、理不尽極まるようなら、場合によってはそういう辞め方もありかも知れませんけど…

 おそらく僕は、そういう意味ではかなり我慢強い人間の部類に入るんじゃないかって気がします。

 僕は今まで、いろんなアルバイトをやってきたんですけど、どんなバイト先にも、時々変な上司っています。
 大方は、何かしらの劣等感を持っていて、それを後輩とか弱い立場の人にぶつけているような人…
 「オレはお前より偉いんだ。オレを尊敬しろ」 みたいな雰囲気が、全身に醸し出されているというか(笑)

 だいたい、こういう上司が職場に一人いると、本当その職場は、人の移り変わりが激しいです。
 みんなそんな人と一緒に仕事したくないから(笑)

 でも僕は、そういうタイプの上司とも、案外うまくやっていけた方だと思います。
 だから、どのバイトも長く続いたし、必ずと言っていいほど、オーナーとかから社員のお誘いを受けました。
 まあ、全てお断りしましたけど…   社員なんてなりたくない(笑)

 多分僕は、どんな上司も きちんうやまって真面目に仕えている忠実な部下… というイメージに映っていたんじゃないかと思います。
 結構 「ハイ」 とか、元気良く返事をしてましたし…

 でも、「自分は目下だから、上司の命令には従うしかない」 という思考回路になった事は、今までの人生たった一度もないんですよ。

 例えば、何かのバイト先輩から、横柄な口調で 「オイ、ここモップ掛けしとけよ、コラ」 とか、言われたとします(笑)
 僕はそんな時には、「はい、わかりました」 って、元気良くモップ掛けをします。

 きっと中には、こういう時にたまらなく屈辱感を感じる人もいると思います。
 「なんで、こんな奴に命令されなきゃいけないんだ」 って、悔しい思いをしてモップを掛けていたりして(笑)

 でも、僕はそんな風には考えません。
 アルバイトをしている訳だから、当然お給料が出る訳だし…
 お給料が出るのだから、そこにいる人間の指示に従うのは、ギブ アンド テイクの言ってみれば交換条件です。

 つまり、モップ掛けをするのは、横柄な人間の命令でモップ掛けをするんじゃなくて、自分の意志で、やるべき事を果たす為にモップ掛けをするのです。
 だってそうしないと、ただでお給料もらうのが申し訳ないから…

 僕が思うに、そんな相手の物言い一つに、自分の気持ちが支配されているという事は、すでにその相手に自分の人生が支配されているのと同じです。
 僕は、そんなどうでもいい相手に、自分の人生を支配されたくはありません(笑)

 端から見たら同じように、誰かの言いなりになって奴隷のように使われているように見えても、実際に奴隷になっているかそうでないかは、結局、本人の気持ち次第だと思うんです。

 例えば、口の悪い職場の上司から 「てめぇ、ちゃんとまともに仕事しやがれ、コノヤロウ」 って注意を受けたとします(笑)

 その時に、本当に自分がちゃんとした仕事をしていなくて、損害を出してしまったのなら、「申し訳ありません」 って謝ります。
 でもこれは、口の悪い上司が怖いから、ひれ伏して頭を下げるのではなくて、損害を出してしまった事に、本当に申し訳がないから、「申し訳ありません」 って謝るんです(笑)
 
 そして、事後処理で、極力その損害が最小限になるようにします。

 よく、「組織に属している限り、そこの上司の命令を聞くは絶対だ」 という風に考える人がいますが、僕はそんなものは 「絶対だ」 なんて思いませんね(笑)

 例えば、「君、この仕事 明日までにやっておいてね」 って上司から言われた時に、「はい、わかりました」 と答えるのも、「それは嫌です」 って答えるのも、本人の自由だと思うんです。

 まあ、「それは嫌です」 って答えると、そのまま職場を解雇されるという事もあるかも知れませんが…

 ただ、どちらかと言ったら 「はい、わかりました」 と答えた方が、相手も喜んでくれるし、おそらく仕事もスムーズに行くし、周囲も自分も幸せになると思うから、そっちを選ぶだけの話です。

 僕は多分、組織に属するのがあんまり向かないタイプなのかも知れません(笑)

 でも、人生を自分の意思で生きている… っていう実感は常にあります。

 自分の行動は自分の意思で決める…

 その代わり、ちゃんと自分で自分の人生の責任を持つし、なるべく人に迷惑をかけないようにする…

 できる事なら、周りの人が少しでも幸せにするのに役に立てたらいいと思う。

 今までの人生振り返ってみて、ずい分回り道をしてきたな… って思います。
 それでも案外、自分らしい生き方をしてこれたかな… という気がします。

 そして、これから先も…
 頑張ります!


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自分が幸せになる事で、みんなも幸せにできる

 人生というのは、いろんな生き方があります。
 自分の事以上に、人を優先するという立派な生き方もあります。
 こういう人はみんなから慕われるし、貴(とうと)い生き方だと思います。

 自分の生活を切り詰めて、世界の恵まれない人に寄付して、しかも自分自身も募金を募っているという人もいます。

 多少生活を切りつめても、世界中の飢餓にあっている人の苦しみに比べれば、相当に幸せな訳ですから、それが人として当然だといえば、そういう事になるのかも知れません。

 これは正論です。
 でも、何だかギュッと息がつまりそうな気持ちになりますけど…

 何でそんな気持ちになるのかな… って考えてみたんですけど、きっと、幸せな生活をするのが、とんでもなく罪な事に思えてしまうからじゃないかと思う。

 それで、例えばですけど、世界中で一定の収入がある人は、自分の最低限の生活する分を残して、残りは全部恵まれない人に寄付する義務がある… というような法律が施行されたとしたら、きっとみんな元気がなくなって、世界中の生活レベルが縄文時代の頃に戻ってしまうような気がします。

 だって、人間というのは、ある程度幸せでないと、心の底から湧き出るパワーがそがれてしまうものだから…

 結果的に世界中の恵まれない人たちは、もっと困窮して、援助のあてもないような状況になってしまうと思う。
 これが、共産主義の限界ではないかという気がします。

 僕は逆に、人を幸せにする為には、まずは自分が幸せになる事だと思うんですね。

 自分が幸せになった時に、貴方の周りの人は2種類の反応に分かれます。

 一つは、一緒になって 「良かったね…」 って心から貴方を祝福してくれる人たち…
 そしてもう一つは、貴方に嫉妬する人たち…

 「いや、人なんて口では、『良かったね…』 って言ってたって、みんな本当は 『こんちきしょう』 って思っているんだよ」 って言う人がいますけど、それは違います。

 その考え方というのは、すでにもう不幸な人の考え方なんですよ。

 ある程度幸せな人は、本当に心から貴方の幸せを喜んでくれる…

 現に、僕の周りはそういう人たちで満たされているし、僕だって、誰かが幸せになったら、心から 「良かった…」 って思えます。
 それは多分、今、僕自身が本当に幸せだから…

 とはいえ、僕も20代の頃はずっと、幸せそうにしている人を見ると、「こんちきしょう」 って思っていました(笑)
 あの頃は、本当に自分が不幸だったから…
 だから、その気持ちだって、すごく良くわかるんです。

 それで、どうしたらこの問題は解決できるかと言ったら、自分が幸せになるしか方法がないと思う…

 僕の意見は間違っているかも知れないけど、世界の飢饉にあえぐ人々を救う以上に、こっちが優先だと思います。

 自分が幸せになれば、人の幸せも喜べる…
 逆に言えば、人の幸せを義務感じゃなく本心から喜べる人が、自分も幸せになれる…

 きっと、そこから始まるんじゃないかな… って気がするんです。

 そういう幸せな人たちが、みんなで一斉に立ち上がったら、世界のいろいろな問題だって、きっと解決できるはずだから…

 自分が幸せになる事で、みんなも幸せにできる…

 だから、もっともっと自分が幸せになったらいいです。
 それはそのまま、人を幸せにする事につながるはずだから…


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心の奥底で思った事は現実になる…

 昨日、一昨日とほぼ不眠不休で、鑑定や、講座の資料作りに明け暮れていました。
 そして、昨日の晩はパソコンの前で電池が切れたように止まってしまいました(笑)
     好きな仕事でなければ、こんな無理はできない…

 このままだと風邪を引くと思って、そのままベッドへ…
 目覚ましをかけるのも忘れて、完全に熟睡していました。

 今日の朝10時、電話鑑定の予約が入っていたのですが、目覚めたのは9時半…
 何とか、間に合いました。

 僕、鑑定とかで時間に遅れた事無いんですよ。
 例え目覚ましをかけなくても、起きなきゃいけない時には、ハッと目を覚ますんです。

 実は昨日の朝も、完徹して、京浜東北線の中でうっかり眠っちゃったんですけど、ちゃんと講座会場の 「悠庵」 の最寄り駅の関内に着く直前で、ハッと我に返って目を覚ましました。
 きっと、潜在意識が絶対に遅れたくないと思っているから…

 ジャッキー・チェンの映画に 「酔拳」 というのがあって、酔っ払ってフラフラになっているのに、滅法強い剣術使いというのがあります。
 あれは完全なフィクションですけど、無意識のパワーと言うのはヘタな気合いよりもよっぽど上だという事ですね。
   ちなみに、本物の酔拳は実際に酒は飲みません(笑)

 そして、肉体が限界を超えると、それは発揮されやすくなります。
 きっと、「一生懸命頑張っているな…」 って、神様が力を与えてくれるんだと思います。

 運が良くて、大成功している人って、例外なく普通の人がやらないようなすごい事をやっている人ばかりです。

 僕は20代の頃、大成功しているミュージシャンとかタレントの人に対して、いつも自分と比べながら、嫉妬の眼で見ていたけど、今思えば、あの人たちが成功していた理由がわかるような気がする…

 逆に言えば、今肉体の限界を超えて、一生懸命やっているのに芽が出ないという人は、この先100%絶対に成功するという事です。
 だって、じきに潜在意識が動きはじめるから…

 心の奥底で思った事は現実になる…

 大丈夫です。もうすぐですから…


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意識が途切れてしまうその前に…

 今やっと、ベッドの上に横たわって、スーッと意識が途切れる前の最後の力を振り絞って、このブログを書いています。

 昨日の朝は、5時に起きたのですが、今日の朝は、起きていません。というか… 今日は寝ていません(笑)

 いや、正確にはパソコンの前でとか、電車の中でとか、何度も何度も意識が途切れているので、全く寝ていないというのは嘘になりますが…

 本当に遠くから、僕の講座に集まってくださった皆様、ありがとうございます。

 これだけの人に囲まれて、僕はつくづく幸せだなあと思う…
 今、周りの人から、本当にたくさんの事を教わっています。

 その一つ一つが、僕にとっては宝物です。
 お金よりも、名誉よりも、よっぽどこっちの方が価値がありますね。だって、お金や名誉はいつかはなくなってしまうけど、学びは一生なくなる事は無いから…

 今日もたくさんたくさん良い事を教わりました。
 特に、I さんから、講座が終わった後に聞いた言葉は感動しました。

 それは… 誰かの為に尽くした事は、必ずその分だけのお返しがどこかからやってくると言う事…

 普通そのお返しは、尽くしてあげた人から返ってくるものだろうと思うのですが、I さんがおっしゃるには、どちらかというと、その人からではなく、巡り巡って、全く他の人から恩恵がもたらされる事の方が多いそうです。

 人は目の前のその人に一生懸命尽くしているのに、その人から何も返ってこないと、損したような気分になってしまうものですけど、本当はそうじゃない…
 その分はちゃんと天にカウントされていて、全く別の人を通して、その恩恵がやってくる…

 それから、もう一つ良いお話を聞きました。

 I さんは、「人というものは、誰もが本当に大きなものです」 とおっしゃっていました。

 「嫌な部分や、みにくい部分を持っているような人でも、もっと深く接すると、心の奥に本当に素晴らしいものを持っているから、いつも人と接する時は、悪い部分は見ないで、良い部分だけを見ていこうと思います…」 と…。

 I さんの言葉に、僕は胸をうたれました。
 僕らは、こうやって人生でお互いに学び合っているのだと思う…

 とっても、素敵な素晴らしい真理を聞く事ができました。
    この収穫は、大きかったな…

 僕は自分の感動した言葉を、少しでも誰かに伝えていきたいと思う。
 自分の意識が消えてしまうその前に…

 どちらにしても僕は、おそらくあと60年もは生きられないでしょうし…
 だから意識が途切れて夢うつつになってしまうその前に1つでも伝えたい…

 そうすれば、その伝わった言葉を、また別の人が伝えてくれるだろうから…
 本当に今ここに生きてて良かったと思う。

 このまま眠りについて、目を覚まさない様な事があっても悔いのないように、残りの人生もしっかりと頑張ります。
 もう限界です。おやすみなさい…


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効率が悪いのは命取り…

 今日は、朝の5時から起きて、明日の 「タロット講座~小アルカナ編~」 のテキストの製作に取りかかっています。

 何度も何度も繰り返して、コピー用紙を裏表に差し替えたりして、何だか印刷屋さんで働いている人になった気分です。

 何と言っても83ページ両面刷りを、明日までに人数分作らなくてはいけませんから…
  今回の講座に申し込んで頂いた皆様、本当にありがとうございました。
  気合い入れて、講座やらせて頂きます。

 それにしても、こうやって大量に印刷すると、インクカードリッジがあっという間に無くなりますね。
 でも大丈夫! この前ヨドバシカメラで大量に、インクカードリッジを買い込んで置いたのです。
 僕、何か買い物をする時には、結構まとめ買いをしてしまいます。

 よく昔、会社とかでバイトをやっていた時、僕が備品とかをまとめ買いをしようとすると、「使う分だけ買えばいい…」って、上の人から叱られましたけど…

 僕は、その意見は反対ですね(笑)
 まあ、バイトの立場なので、何も反論しませんでしたけど…

 確実に消耗して無くなる備品なら、ある程度買い置きしておいた方が絶対にいいです。
 その会社がつぶれたりするような事がない限り、必ず使う事になるんだから…
 それにパソコンなんかの機械と違って、時間がたったら型落ちして、もっと良いものが市場に出回っているという事もないし…

 トイレットペーパーみたいに場所を取るものでもない限り、僕はたっぷり買い置きをする事を推奨しますね。

 僕が思うに、何度も何度も買い物に行って、無駄にする時間がもったいないんです。特にお店が遠い所にあるような場合は…

 仕事の効率が悪いというのは、人生の命取りです。
 一事が万事で、効率の悪い人って、何やっても本当無駄が多いです。
 まあ、僕もあんまり人の事は言えませんけど、備品を買い置きして、人生の時間の無駄を取り戻しています(笑)

 ちなみに、仕事で時間のロスを極力避けようと思ったら、堅実で確実な方法を取る事ですね。
 備品を何度も回数を分けて少しずつ買う事なんかは、堅実でもなんでもありません(笑)

 失敗のない手段や方法を取る事です。
 つまり、仕事で一か八かのばくちをしない…

 今僕は、「タロット講座~小アルカナ編~」のテキストを印刷しながら、このブログを書いています。
 テキストは全部で84ページあるんですけど、ページを1枚ずつ裏表にしながら印刷しています。

 これ、本当はもっと効率の良い方法があるんです。
 それは、一人分ずつ奇数ページと偶数ページを別々に指定して、自動で印刷してしまう方法…

 これなら、一回一回、1ページごとに紙を入れ替えなくても、勝手にテキストが刷り上ります。

 ところが、たまにうちのプリンターは、紙を2枚同時に取り込んで印刷してしまう事があるんです。
 いつもじゃなくて、ごくまれになんですが(笑)

 もちろん、そんな事が起こらなければ、勝手に一気に印刷が仕上がります。
 でも万一、一枚でもそんな事が起こると大変な事になります。

 それ以降のページが全部一枚ずつズレて、ページの裏表が合わなくなり、全ての紙と、印刷のインクと、今まで掛けた時間が無駄になります(笑)

 だから、やっぱりそういう賭けはするべきではないですね。

 時に人生に賭けは必要ですけど、わずかな時間をケチって、そんなリスクを背負い込むのは割に合いませんから…

 それにしても、つい少し前まで、原稿の仕事をしていた時は、何度も何度も訂正や直しを入れて、出版社の人に本当にご迷惑を掛けていました。
 今、すごく反省しています。

 もう少ししたら、その仕事の成果が出そうです。
 また、このブログで発表させていただきますね!


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それは決して偽善じゃない

 僕は今、自分の好きな事をやって、毎日幸せに満たされながら生きています。
 もちろんそれでも人生は、いろんな事がありますから、目の前の事に一喜一憂する事だってあります。
 まあ、少なくとも今は、何があっても本来の自分の状態に戻る自信はありますけど…

 よく、「自分に正直に生きろ」 とか言います。
 言いたい事があるんなら、それをおさえ込まずにぶちまけろ… とか、人なんて気にしないで自分の思った通りに行動しろ… とか。

 確かに無理に我慢をするよりも、その方がずっと健康的なのかも知れませんけど…
 でも、本当にみんながそれをやったら、世の中は大混乱になると思います(笑)   きっと修羅場です

 僕は時々、一体自分の本心って何だろう… って考えるんですね。

 素敵な異性といつもベッタリくっついていたいって思う自分か…、お金や地位を手に入れて、のけぞって歩きたいっていう自分か…、ちっぽけなプライドにこだわって、自慢したり怒ったりしながらオロオロしている自分か…

 確かに全部自分だと思う…
 そして、「それがお前の本心だろう」 って誰かに言われたら、僕は 「はい、そうです」 って答えてしまうかも知れません(笑)

 でも… でも… やっぱり違う。
 それは、自分の心の一部ではあると思うけど…、僕の本心はそんなものじゃないです。
 本心の本心は、もっと意識の深い所にあるはずだから…

 ただ、悲しいかな… 僕はなかなかその意識まではたどり着きません。
 でも、想像はつくんですよ。
 人の幸せも自分の幸せも、みんなが幸せになる事を望んでいるのだろうと…

 全ての人がみんなそうだと思う。
 これは綺麗事でも、おかしな新興宗教でもなくて、僕はそれを確信しています。

 おそらく、その本心にそった生き方は、人が見たら感動するような生き方じゃないかな… って気がするんです。

 決して、自分の今のちっぽけな感情に支配されているような生き方じゃなく…
 だって、そんな感情なんて、いつか消えちゃうでしょ(笑)

 それで、自分でも本当に気持ちがいいって思えて、しかも周りの人の幸せまで思っているような瞬間があったりします。

 何かに集中している時のほんの一瞬だったりとか、偶発的なふとした気持ちだったりするんですけど、きっとそれが人の心の深い部分にある本心だと思うんですよ。

 僕は本当に何一つ取り柄もない人間ですけど、できれば、そんな気持ちにそった生き方がしたいな… って思う。

 確かに、内面は全然それに追いついていないけど、そうやっている内に少しずつ理想に近づいていけるような気がするし…

 それは決して偽善じゃないと思う。

 まだちゃんと感じられないですけど、きっとそれが僕の本心の本心だと思うから…


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気づきって宝物!

 このブログも、何だかんだ言いながらも、400回を超えてしまいました。(正確にはこれで439回)
 このブログを始めてからというもの、「今日は何を書こうか…」 って、毎日ネタを探しているような人生です(笑)

 やっぱり、読んでくださった人が得をした気分になる内容でなければいけないと思うし…

 だからいつも、自分がハッと気づいた事があったら、すばやく書きとめる事にしています。

 ところが、いざ文章を書く段階になると、うまくいかない事があるんですよ。
 結局、僕自身が 「これはすごい発見だ」 と感じても、他の人にとっては当たり前の事だったりする…

 それを、わかったような口調で、上から目線で文章にする事はできるけど、そんなの読まされた人は、きっとうんざりだと思うし…

 とはいえ、知らず知らずそんな文章を書いてしまっているかも知れません。もしそうだったら、本当ごめんなさいです。

 結局、どんな正論であっても、他人の口を通すと、何か押しつけがましくて嫌らしいものになっちゃう可能性があるんですね。

 よく、正しい事なのに、誰かから言われると、「なんかムカつく…」 っていうアレです(笑)

 僕はいつも、ちょっとした小さい事でも、そこで立ち止まって、「う~ん」 って考えこんでしまう癖があるんですよ。
 それで、普通の人が絶対に考えないような変な事を考えている…

 例えば、何で人は 「暑い」 とか 「寒い」 とか感じるのかな… とか、何で裸で人前に出たら恥ずかしいのかな… とか、だんだんエスカレートして、みんなが外を裸で歩いていたら、ひょっとしたら恥ずかしくなくなるのかなとか(笑)

 そんなお馬鹿な事を、延々と考えていたりします。
 もちろん、答えなんか出ないんですけど…

 たまに、「すごい事を発見した…」 と思える事があったりして、他の人にその話をするんですけど、「それがどうしたの?」 みたいな顔されたりして(笑)

 多分、自分の心の中に、この発見をみんなに教えて自慢しよう… という下心があるから、おかしな事になるんです。
 それって、何も意味を持たないのに…

 でも、自分の中で気づけた事って宝物です。
 それが例え、他の人には意味のない事でも…

 僕がボ~ッとしている時は、訳のわからないような事を考えていますから、笑ってやって下さいね。

 P.S.
苺 イトーヨーカドーで、美味しそうなイチゴを発見!
 僕は滅多に果物を買う事は無いんですけど、つい衝動で買ってしまいました。
 「とちおとめ…」 5月と言えばイチゴですね。
 お砂糖なしでも、甘くておいしかったです。

 それにしても、何でイチゴって、こんないびつな形をしているんだろ…
 って、考えても意味ないですね(笑)


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全ての出来事には意味がある

 人生というのは、嬉しいとか、楽しいとか、という瞬間もあれば、逆に苦しいとか、辛いとか、という瞬間もあります。

 できれば、苦しい事とか辛い事と言うのは避けたいと思うのが人情ですが、案外こういうものって、人生を味わい深くしてくれるスパイスです。
 でも、気をつけないと小骨がのどに刺さるから、ちゃんと噛み砕いて味わう事です(笑)

 そして、一見理不尽と思えるような出来事でも、何かの意味があるものです。

 例えば、昨日のブログの司馬遷(しばせん)の受けた刑罰ですけど…

 現代ではあれは考えられないですけど、まあ普通の人だったら、あの刑を下した武帝に対して、怒りを覚えるんじゃないかと思います。

 司馬遷は何一つ悪い事はしていないし、友人の為に正当な意見を人に媚びる事なく言ったまでです。

 それをあんな目にあわせるなんてヒドい…

 これは正論です。
 でも、それでは本当は勿体ないんですね。
 人生の全ての出来事には意味があるし、その事を取りあえず信じる事で、人は幸せになれるはずだから…

 もしもその 「武帝への恨み」 という思考で止まってしまったら、その先に進めません。
 だって、「人生は理不尽極まりないものだ…」 っていう結論になってしまいますから…

 もちろんこれは、自分がその司馬遷の置かれた状況に立って、一体どんな気持ちになるかという事を身を持って感じた上で思考しなければ、ただの理屈の遊びになってしまいます。

 まあ、さすがにこういう目に遭った人はいないでしょうし、少なくとも女性は経験したくてもできませんし(笑)

 だから、自分が過去に経験した、それに近いような苦い経験を思い出して、その気持ちを察してみる事です。

 逆にそういう経験がない人は、確かに現実的には幸せな人ですが、ある意味人生の深みを知るチャンスに恵まれなかった人とも言えます。

 そして、司馬遷の気持ちをちゃんと理解できたその上で、どうしたらこの絶望の状態で幸せになれるかを考えてみる…

 この事件、この世的な理屈でいうと、司馬遷には何一つ非は無いです。
 それこそ、「悪いのは武帝…」 って事になっちゃうんですけど、その思考からは何も生まれません。

 だってこの人一応、二千年以上前の封建時代の皇帝ですから…
 アフリカのサファリのライオンの前をうろうろして大けがをして、オレがこんな目に遭ったのはあのライオンのせいだ… って言っているようなものです。

 さすがに司馬遷は、そういう思考にはならなかったようです。
 司馬遷は、ただただ自分の事を責め続けた…

 でも、やっぱり、これでは幸せにはなれないんですね。
 その起こってしまった出来事の深い真意がわかっても、わからなくても、そこから何かを学び取らなければ、苦しみを消化した事にはならない…

 もちろん、「お前が李陵(りりょう)なんかをかばって、あの場で正論なんか言うから悪いんだ。周りに合わせて、皇帝におべっかでも使っておけば良かったんだよ…」
というのも違~う(笑)
   まあ、確かに難は逃れていたかも知れないけど…

 これは僕がふと思った、一つの可能性としてなんですけど…

 ひょっとしたら、この原因は、司馬遷の心の中に、「宮刑」 やそれに処せられた人や宦官(かんがん)に対する、どこか軽蔑にも似たさげすみの心が引き寄せた運命のような気がするんですね。
 刑を受ける前の司馬遷のセリフから察してですけど…

 だから自分が宮刑にあうというのも、あまりにも罪が重すぎる話だし、理不尽だというのもわかるんですけど…
 司馬遷クラスの大きな使命を持つと、こういうちょっとした心の間違いも許されないのかも知れない…

 司馬遷は刑を受けた後、ずっと恥辱の感情に支配されていて、自分の事をほとんど書き残しませんでした。

 そして、ただこう語っています。
 「今の自分はただ 『史記』 の完成の為に生きながらえている身であり、この本を完成させる事が出来たなら、自分は八つ裂きにされようとも構わない」

 気持ちはすごく良くわかります。

 でも、ここが重要な所なんですけど…
 人生の全ての出来事の正体は、「実際に起こった事」 ではなく、それを 「どう感じるか」 だと思うんです。

 確かに、あんな刑を受けたいと思う人はいませんが、人によっては、命が助かっただけでも良かった… って思う人もいるし、心が女性なのに間違って男性に生まれた人だったら、おそらくあまり屈辱も感じないでしょう。

 僕らは、人生の様々な試練によって、その感じ方の勉強をさせられている気がするんです。
 それは、人をもっともっと深く理解する為に…

 そしてそれによって、自分も幸せになって、さらに他の人も幸せにする為に…

 もしも、宮刑を受けた事を、屈辱だって思うんじゃなくて、単なる事故に遭ったんだと思えれば、実は苦しみから解放されているんです。

 多分、人生のすべての苦しみって、ある意味そんなもんじゃないですかね(笑)
 まあ、僕も偉そうにそんな事を上から目線で言えるような人間ではありませんが…

 人の心って、連動していると思う…

 僕が仮に、ある一つの課題を乗り越えたなら、僕にかかわっている人も(もっといえば、潜在意識でつながった世界中の人が)同じような部分で、何かを乗り越えられるんじゃないか… って気がするんです。

 逆に言うと、僕にかかわりのある人が、何かの課題を乗り越えたなら、それに連動して、僕も自然に何かを乗り越えられるようになっているというか…

 多分ですけどね(笑)

 僕自身もいろんな課題を持って生まれてきました。
 ひょっとしたら、普通の人よりもうんと課題が多いのかも知れない…

 でも頑張って乗り越えていこうと思う。

 自分を幸せにする為に…
 そして、僕にかかわっている人を幸せにする為に…


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名作は恥辱によって作られる…

 ゴールデンウィークも、終わってしまいましたね。
 僕は体力の限界まで、いろいろと頑張っていました…

 昨夜がちょうど疲れのピークに達していて、ブログを中途半端に更新したまま、不覚にもパソコンの前で朝まで居眠りしてしまいました(笑)

 ちょっと無理がたたりました。いや、あの文章はひどかったですね。
 毎日このブログを楽しみにして下さっている皆様、本当に申し訳ありません。

 と言う訳で、今日ちゃんと手直ししてあります(笑)
   調子に乗って、めちゃくちゃ長文になってるし…

 昨日のブログは、史記に出てくる魯仲連(ろちゅうれん)のお話でしたけど、史記という作品は本当に名作です。

 これ、史実にある程度は基づいて作られているんでしょうけど、かなり作者の司馬遷(しばせん)によって、脚色されている事は確かです。

 おそらく半分近くは虚構の物語じゃないかと思いますね。だって、史実にしてはでき過ぎていますから(笑)

 こういう物語を書けてしまう司馬遷と言う人物は、よっぽど人間の酸いも甘いも知り尽くした人なんじゃないかなって感じます。

 この史記の構想は、司馬遷の父である司馬談(しばだん)の歴史書を記したいという強い思いから始まりました。
 それを息子である司馬遷が受け継いだんですね。

 司馬遷は20歳頃から、中国大陸を旅に出て、いろんな見識を身につけ、やがて漢の皇帝・武帝の接待係である郎中に任命されます。
 その後、天文と暦法を司る太史令(たいしれい)となりました。
 そして、いよいよ父の願いでもあった史記の編纂に取り掛かるんです。

 ところが、この後の司馬遷の人生には、筆舌に尽くしがたい屈辱と恥辱に満ちた運命が待ち受けていました。

 ある時、司馬遷の友人である李陵(りりょう)が異民族との戦いに敗れ、投降してしまうという事件が起きました。

 武帝を始めとして、全員の非難の的になっている李陵を、司馬遷は ただ一人かばい、武帝にたてついて投獄されました。
 ところが、その李陵が投降先の異民族の地で、兵の軍事訓練を行っているというデマが飛び交うと、怒った武帝は司馬遷に宮中の刑を与えたのです。

 中国の歴史には、鼻を切ったり、足を切ったり、本当にひどい刑がいっぱいあるのですが、中でもこの宮中の刑ほど男にとって屈辱的な刑は無いでしょう。
 つまり、男性のシンボルを切り取ってしまう刑です。

 司馬遷は前から、宮中の刑は人々に振りかかる恥辱の中でも最悪なもので、この刑を受けた者はもはや人間として扱われない… とまで述べていました。

 まさか、その刑を自分が受ける事になるとは思ってもいなかったでしょう。それは司馬遷が47歳の時の出来事でした。

 それでも、司馬遷は死を選ぶ事をしませんでした。
 彼は生きている内に、どうしてもやらなければいけない事があったからです。
 それこそが、父の遺志を引き継いだ歴史書 「史記」 の完成だったんです。

 宮中の刑を受けた、司馬遷のうめくような言葉が残されています。

 「それは私の罪だ… 私の罪だ… 体が損なわれて用に立たなくなったのは… ああ私はつくづく思う… 司馬氏は代々天文を役目とし、私の時におよんだのではないか。つつしんで熟慮しよう… つつしんで熟慮する事だ」

 司馬遷は罪を許され、宦官(かんがん)として、皇帝の秘書長である中書令(ちゅうしょれい)という高い地位に着きました。

 しかし彼の心は決して晴れる事はありませんでした。恥辱にまみれて、悔しさで狂いそうになりながら、ただ史記を完成させるだけの為に生きながらえたのだと思います。

 この史記の作品の一人一人の人物像の影に見え隠れする、人の心を揺さぶる得体の知れない何かは、この司馬遷の恥辱から来ているんじゃないかと思うんですよね。

 司馬遷のこの時の気持ちを考えると、本当に胸が痛くなります。

 でも、司馬遷には悪いのですが、そのお陰でこんな素晴らしい作品が生まれたんじゃないかとも思う…
 司馬遷もきっと、あの世で満足していると思う。

 人生には時に恥辱にまみえなければいけない時があります。
 この時代のこんなひどい恥辱は、現代には無いけれど、時に恥辱と言うものは人間をたくましくしてくれます。

 多分、人生上の何らかの意味があるんですよ。
 だから、そこから学び取っていったらいいです。
 それを乗り越えて、大きな器を手にした人だけに与えられる大きな使命があるはずだから…


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過去は未来に活かされる

 ゴールデン・ウィークもいよいよ大詰めですが、自分の自由に仕える時間というのは、人生の宝物ですから、本当に有意義に使いたいものです。

 思いっきり旅を楽しむのも良いですし、レジャーを楽しむのも良いです。

 そうですね。僕は今、本当に時間に追われっぱなしですが、時間が出来たら、思いっきり好きな本を読みあさりたいです。

 文庫本なんて、1冊500円前後だから、この道楽はお金が掛からないし、ネットで分かる内容よりもやっぱり中身が濃いです。

 それにテレビや週刊誌のように、一方的にいらない情報を押しつけられる事もありませんし…

 この世には良書が山ほどありますから…
   悪書も山ほどあるけど(笑)

 僕がそんな中でハマっているのが、度々このブログでも紹介する司馬遷(しばせん)の 「史記」 です。
 心がカラカラに乾いた時に、時間が無い時でもよく読みます。

 史記が書かれたのは、紀元前91年ごろの漢王朝です。
 つまり、キリストの生誕よりも時代が古いんですね。

 そういった意味では、これほど歴史のある良書は他にはちょっとないかも知れません。

 この史記はこの漢王朝の時代までの、国同士の争い事や人物の発言なんかが書き連ねられています。
 その登場する人物の言葉が本当に味があるというか… 身にしみるというか…

 史記の中でも、春秋戦国時代(しゅんしゅうせんごくじだい)あたりのお話は本当に面白いです。
 
 春秋戦国時代は、やがて 「万里の長城」 で有名な秦の始皇帝が大陸を統一する事によって、終焉を迎えます。

 秦という国は、人民を力ずくで押さえつけるような暴虐の国です。
 例えば、「万里の長城」 は、確かに世界的遺産ですけど、あれを作る為に国民は非常に過酷な強制労働をさせられていました。

 これは、強大な力を持った秦が統一をまじかに、弱小国の趙(ちょう)へ攻め込んだ時のお話です。

 この時代の弱小国は趙以外にも、梁(りょう)とか、燕(えん)とか、斉(せい)とか、楚(そ)とか、いっぱいあって、最初は一致団結して強大な秦に対抗しようとしていたんです。
 でも、秦がどんどん強大になるにつれて、みんな、おじけづいてきました(笑)

 梁の国の王様なんかは、最初は同盟国の趙の応援をしようと兵を繰り出したのですが、あまりに秦の兵力が膨れ上がっていたので、途中で兵を前進させるのをやめて止めちゃったんです。

 そして、新垣衍(しんこうえん)という将軍を使者にして、秦の兵に包囲されている趙の国内に潜入させ 「秦は皇帝の称号を欲しがっているから、皇帝だと認めてやれば、兵を撤退してくれるだろう」 という王の意見を伝えたのでした。

 まあ梁の国としても、わざわざ趙の為に巻き添えを食って、秦に攻め滅ぼされたくはないという訳です。

 趙の公子は悩みました。頼りにしていた梁からの援軍も来ないし、完璧に孤立無援です。
 秦の王を皇帝として認めるなんて全く本意ではないのですが、もうそれしかないかな… と。

 そんな時、魯仲連(ろちゅうれん)先生と呼ばれる人物がひょっこりと趙の公子の所にやってきました。
 この人はどこの国に仕える訳でもなく、自由気ままに暮らしている 「天下の名士」 と呼ばれた人なのですが、どういう訳か、わざわざ秦に攻められて戦場になっている危険な趙の国内にいたんですね。

 魯仲連は趙の公子に 「一体どうするおつもりですかな」 って尋ねました。

 趙の公子は、言いました。
 「それがしはもう何もできない。趙の国は40万の兵を失い、都は秦の軍勢にすっかり包囲されている。その上、梁(魏)の王は援軍を前進させず、秦に帝(みかど)と称する事を認めさせようとしている。その使者である新垣衍という梁の将軍は現に ここにおる」

 恐れをなしている趙の公子に、笑いながら魯仲連はこう言いました。 
 「はてさて、貴方様は賢明な方だと思っておりましたが、今となって見ると、そうでもありませんな。どれ、では私が貴方様の為にその新垣衍とやらの口を閉口させてまいりましょう」

 魯仲連の智謀と弁舌は世に聞こえていたので、早速、趙の公子は、新垣衍に魯仲連をひきあわせました。
 新垣衍は最初、「自分は使者として来ているのであって、魯仲達先生に会う気は無い」 と会うのを拒んでいましたが、趙の公子に頼まれてしぶしぶ承知しました。

 魯仲連は新垣衍と面会しましたが、ずっと黙っていました。
 気まずい雰囲気が続きます(笑)

 仕方ないので、新垣衍から話を切り出します。
 「わしはこの包囲された城内におる者を見ておると、みんな趙の公子から何かせしめようとしているものばかりだ。ところが魯仲連先生だけは見た所そうでもなさそうだ。何でこんな所に立ち去りもせず長湯しているのですか」

 魯仲連は言います。
 「秦という国は礼儀がなく、詐術を使って人を陥れ、人民を奴隷のように使っております。
 あの国の王が皇帝となり、天下の政治を取るような事があれば、私は東の海に飛び込んで死ぬより他は無い。あの国の民になるのは我慢がなりませぬ。
 私が将軍にお目に掛かりました目的は、この趙を助けるが為です」

 新垣衍はあきれて言いました。
 「助けるも何も、一体この状況で何をされるおつもりか」

 魯仲連は言いました。
 「私は、梁と燕に、この趙を助けるように兵を出させるつもりです」

 途方もない話に新垣衍はますますあきれます。
 「燕の事は他国だから知らんが、そもそもこのわしは梁の者だぞ。先生はどうして梁に助けを出させる事ができるのだ」

 魯仲連はきっぱり言い切ります。
 「梁には、秦が帝の称号を称する事の害がまだ良くわかっておりませぬ。それがわかればきっと趙を助けます」

 新垣衍は魯仲連をなだめました。
 「先生は下男たちの事を御存じであろう。十人いて、たった一人に従っているのは、主人が恐ろしいのだ」

 「はてさて。梁は秦に比べれば下男のごときものでありましたか…」

 「さよう」

 新垣衍の弱気な態度に、魯仲連はこう挑発しました。
 「私は、秦王に梁王を煮殺し塩漬けにさせてお目にかけましょう」

 新垣衍は少し腹を立てました。
 「それは先生の申される事でも、ひどすぎるぞ。それにしても、なぜ秦王に梁王を煮殺させる事が先生にはできるのか」

 魯仲連は言いました。
 「わかりきった事です。
 むかし、九侯(きゅうこう)・顎侯(がくこう)・文王(ぶんおう)は、殷(いん)の国の紂王(ちゅうおう)の三公でした。

 九侯の娘で顔立ちの良いものを、紂王に差し出した所、紂王はみにくいと言って、九侯を塩漬けにしました。
 顎侯がそれを強くいさめると、今度は顎侯を殺し、干し肉にしました。
 文王はそれを聞いて思わずため息をつくと、蔵に閉じ込められて、もう少しで餓死して死ぬ所でした。

 梁の王様は、秦王と等しく王と称しながら、結局は干し肉や塩漬けの目に遭う下地を作られるのは、一体何の為でしょうか」

 しばらくして、魯仲連はこう付け加えました。
 「以前、斉の王が魯(ろ)の国におもむこうとした時、夷維子(いいし)がむちを持って従っていましたが、魯の国の者に申しました。

 『お主たち、わが君は天子であられるぞ。天子がおもむかれた時には、諸侯は自分の住まいをあけて外に出て、屋敷の鍵を差し出し、襟を合わせて膳を持って、庭先でお食事の接待にあたり、天子が食事を終えられてから部屋を退出し、政事を見るものだ』

 すると、魯の国の者は門を閉ざして、斉の王を中に入れませんでした。
 魯の国に入れなくなってしまったので、鄒(すう)の国に行きました。丁度、鄒の君が亡くなった所だったので、斉の王はお悔やみを言おうとしました。
 その時、夷維子は鄒の嗣子にこう言いました。

 『天子がお悔やみに来られれば、主人は棺の反対側に立って北を向き、南面の席をしつらえる。その後で天子が南面の席でお悔やみを言われる』

 それを聞くと、鄒の臣は 『どうしてもそうしろと言うのなら、我々は剣でのどをついて死ぬ』 と言って、斉の王を中に入れませんでした。

 鄒や魯の家臣たちは、主君の生前も十分な生活をさせる事ができず、死後も供え物を整えられずにいました。
 それでも、斉王が天子の礼を行なおうとすれば、それを拒んだのです。
 秦は万乗の国ですが、梁も万乗の国です。相手がただ一度の合戦に勝ったとみて取るや、追従して帝の称号を与えようとは、梁の大臣は鄒や魯の下男達にも劣る事になるではありませんか。

 まあ、他に策が無くて、結果的に秦が帝になってしまったとすると、まず諸侯の大臣を取り替えますでしょうな。秦は可愛いと思うものを昇進させ、にくいと思うものを辞めさせるでしょう。それから、自分の娘や腰元を諸侯の妃や夫人にして、梁の宮中に住まわせましょう。
 梁の王も落ち着いてはいられますまい。そして将軍、貴方様も今のままでいられるとは限りませんぞ」

 この話を聞いて、新垣衍は青ざめました。そして再拝してこう言いました。

 「魯仲連先生は、並みの者と思っておりましたが、今初めて天下の士であるとわかった。わしはここを出よう。もう二度と秦を帝にするなどとは口にも出すまい」

 この話が場外に伝わると、秦の大将は軍を五十里後退させ、さらに梁の公子が趙の国を救う為に秦の軍を攻撃した結果、秦は軍を引き上げ、趙の国は助かったのでした。

 趙は魯仲連に領地と大臣の位を与えようとしましたが、魯仲連は固く辞退しました。そこでせめてものお礼に千金を魯仲連に贈ろうとしましたが、それも受け取りませんでした。
 そして、こう言ったと伝えられています。

 「天下の士が貴いのは、人の為に患いをはらい困難を解決し、もつれをといて、しかも何も受け取らない事です。もし何かを受け取れば、それは商人の取り引きと同じです。私はそんな事をするのは嫌です」

 本当に立派な人と言うのは、こういう魯仲連みたいな人の事を言うのだと思います。
 なぜ、魯仲連に新垣衍が説得できたかと言ったら、過去の歴史において、非常に詳しかったからだと思います。それは、その歴史の一つ一つの事例から、様々な事を学んで取り入れているからでもあります。

 実際に過去に起きた事例というものは、説得力があります。
 これは様々な事に言える事です。
 例えば、占いの象意でも、「昔からこう言われているから…」 というんじゃなくて、「実際にこうなった…」 という事例の方が100倍説得力があります…

 過去は未来に活かされる…

 自分の人生における過去の経験の中にも、人類が過去に残してきた文献や書籍の中にも、様々なヒントがあります。
 そして、これらを活かしていけば人生は何十倍もの実りのあるものになるはずです。


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みどりの季節

 皆様、ゴールデン・ウィークの休日をいかがお過ごしでしょうか。
 お勤めの方にとっては、待ちに待った休日でも、子供を持ったお母様や、逆に休日が稼ぎ時だという人にとっては、忙しいだけの大変な休日かも知れません。

 僕のようなフリーの占い師にとっては…
 そうですね。あんまりゴールデン・ウィークも平日も関係ありませんね(笑)

 今日は空が青くて、暖かくて、風も気持ちよくて、本当に最高です。
 このくらいの陽気だと、少し暑いという人もいるかも知れませんが、僕は寒がりだから、逆にちょうど良いです。

 そして、今日は何と言っても、「みどりの日」 (笑)
     お約束のネタです…

 4月の始めの新緑のやわらかい黄緑色が、だんだんと濃くなって、若葉の色も鮮やかな緑色に染まっています。
 これからもっともっと緑が濃くなって、やがてセミの歌声が鳴り響く夏になる…

 毎年の事ながら、大自然の粋な演出に感動させられます。
 僕はこの緑に彩られた季節が一番好きです。

 それにしても、なんで僕は、この色が好きなんだろう…

 僕が緑色がいい色だなって思うようになったのは、おそらく小学生の頃からだと思います。
 中学1年生ぐらいの頃には、文具とか緑色に揃えていた記憶があるし(笑)

 まあ、極端にこういう風に同じ色ばっかり集める人って、心理学的には、視野が狭くて他を受け入れられなかったり、適応障害になりやすい気質を持っています。
    うん、確かにある(笑)

 だから時々、こういうのを わざとぶち壊す事も必要です。
 (2012/10/23ブログ 「常に変化させる事で運が開く」 参照)

 ちなみに 「色彩心理学」 によると、緑色が好きな人は、自分の未来への可能性を期待している人で、「今の現状で満足していない」といった気持ちが強く、また、人間関係に疲れている人が安らぎを求めて好むそうです。
    ヤバすぎるくらいに、完璧に当たっている…

 身に付けている色で性格を見抜く方法
 http://shinribukuro.com/chara/593/

という風に、このサイトに書いてありました(笑) 

 外は輝けるみどりの季節…
 もっともっと僕も輝きたいと思いました。


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さりげない幸せ

薫る桜 今日、駅の自動販売機で不意に見つけた 「<季節限定>紅茶花伝 ・ 薫る桜 ロイヤルミルクティー」 …

 感動しました。
    そんな事に感激するな(笑)

 実はこれ、きっと今年の2月ぐらいに発売したと思うんですけど…

 駅の自動販売機にあるのを見て、これは美味しそうだから一度飲んでみたい… と思ったものの、コールド仕様でしかも内容量が410mlもあるので、寒かった季節には、ちょっと買う気がしなかったんです。

 でも、ずっと僕の記憶の中に残ってました。

 最近暖かくなって、そういえばアレ飲んでみたいなって探したんですけど、どこの自販機にもないんですね。
 何と言っても 「季節限定」 ですから…
     絶対、発売する季節 間違えていると思う(笑)

 ところがたまたま、今日発見してしまいました…
 多分最後の売れ残りですね。

 のども乾いていたので、いっきにゴクゴク飲みました。
 いや~、最高に美味しかったです!
     桜、薫ってた(^^)

 さりげない幸せのひと時…

 自分の念願の夢が叶うというような大きな幸せもいいですけど、こういうさりげない幸せも、本当にいいものですね。

 例えば、今までずっと恋人のいなかった人が恋人ができたとか…、念願のマイホームを手に入れたとか…、子供が生まれたとか…、年末宝くじで一等が当たったとか…

 そういうでっかい喜びも、とても大事ですけど、気をつけないと、ついつい喜び過ぎて、自分の世界から抜けられなくなってしまいます。

 一番ヤバいのが、あまりにも嬉しくて、それを人に自慢してしまうパターン(笑)    気持ちわかりますけど…

 喜ぶ事は良い事ですけど、喜び過ぎると周りの事が見えなくなって、自己満足の世界に入ってしまいやすいです。
 そうなると、運は先細って行く事になります。

 これがいわゆる 「良い事があったから、徳をいっぱい消費しちゃいましたね…」 ていうヤツです(笑)
 (2012/5/20ブログ 「幸せの種をまき続けよう」 参照)

 どんなに良い事があっても、ポワ~ンとならなくて、常に周りに気遣いができていれば、そんなに徳は減りません。
 つまり、「勝って兜の緒を締める」 という事さえ、きちんとできていれば問題ないんです。
 だから安心して、どんどん幸せになったらいいです。

 でも、もっと燃費が良いのは、本当にさりげない事に喜びを感じられる事…

 そして大切なのは、その事に感謝する事ですかね…
 こういう状態が続いたなら、もう人生は楽しい事だらけです。

 さりげない幸せに心が温かくなって、それに感謝した時…
 永遠に続くおだやかな安らぎに、心がいつも満たされます。


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新緑のさわやかな風の中で

 銀座の街も、5月の新緑のさわやかな風に包まれていました。

  銀座一丁目
 今 僕は、自分の身の回りのいろんな事が変わり始めようとしているような、異様な緊張感に満たされています。

 何となく、今 自分の実力の全てが試されているような感覚なんです。
 もちろん良い意味においてですが…

 まさに、今が将来の方向性を決める正念場というような気がして…

 だから、心の状態を、スカーッと澄み切ったような最高のコンディションに持っていきたいのですが、やっぱり人間ですから、ちっぱけな事が心に引っかかっちゃって、スカッとしない事もあります。      五月病?(笑)

 愚痴や不平不満、将来に対する不安とか… そういう悪い想念に囚わてしまうと、せっかくのチャンスを逃したり、運勢を傾けてしまいます。

 だから極力、そういう悪い思考に陥る事は避けた方が良いのですが、今まで身につけてきた考え方の癖ですから、仮に一時的に心が離れられても、簡単にはそこから抜け出せなかったりします。

 それならば、いっその事、徹底的にその思考を掘り下げてみるのも良いかもしれません。
 その後すぐに、人と会うような約束とか入っていなければ(笑)

 その際に大切なのは、感情的にその思考に囚われるんじゃなくて、自分の中で消化できるように思考を深めていく事…

 「本当にこの自分の思考は正しいのか…」 って、理性的に練りこんでいくんです。

 そうすると、今までなら悔しいと感じたり、嫌だと感じていた思考が、一瞬 「かえってこれで良かったんだ」 って思える時があります。
 実はこれが本当なんです。人生って全部、目の前の事は、それによって自分が幸せになる為にやってくるんですから…

 そう思い込もうとするんじゃなくて、本当にそうだって事に気がついてみる…

 目の前に起こった嫌な事や、人から言われた嫌な事は、全部自分を成長させてくれる糧です。
 例えば、自分がされた嫌な事は、案外過去に自分が誰かにしていた事だったりするし、それに気づけただけでも元は取れていたりします。

 もちろん、ふとまたそこで感情的になると、「やっぱり悔しい」 って事になっちゃうんですけど…
 そうなったら、そうなったで、「この課題を乗り越えるのは、今はまだ早いんだ」 で終わらせておけばいいです。

 時期が来たら自然に乗り越えられるようになっていますから、今は、風の中で全部吹き飛ばしてしまえばいい…

 5月の新緑のさわやかな風の中で…

 大丈夫です。やがて全ての人生の中で起こった出来事が、消化できるその時が来ますから。


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