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浅野太志 songe a Paris

パリでエテイヤ・タロットの取材を終えた、占い師・浅野太志の日々の活動をつづります。

FORGIVENESS

 皆様、こんばんは。
 だんだんと、冷え込みが厳しくなる季節がやってまいりました。
 今宵、いかがお過ごしでしょうか。
       今日はローカルラジオのDJ風…

 人生というのは、いろいろな事があるもので、僕は最近ちょっとだけお疲れ気味でした(笑)
 ふと自分のブログを読み返してみると、知らず知らずにブログの内容にコンディションが反映されていますね。

 もちろん、運気そのものは相変わらず絶好調には変わりありませんけど、調子の悪い時は、やっぱり重苦しい内容書いてます(笑)
 わかりやすいというか、なんというか…

 人間、日々のいろんな出来事の中で、いろんな事を感じて生きている…
 その感じている事全てが、勉強だと思います。

 何も感じられなくなったら、もうおしまいですから…

 僕の周りには本当にたくさんの優しい人がいて、いつも僕を元気づけてくれます。
 だから僕は何があっても、強く生きていけますね。

 昨日、講座の会場に使わせていただいている 「悠庵」 に行った時も、どうも顔に疲れが出ていたのか、悠庵の姉御こと冨永浩美先生(11/20ブログ 「『香り』という名の癒し」参照)から、元気づけてもらいました。

 僕の場合、「失敗したな…」 って思う事があると、もう心が抜け殻のようになって、ボーっとしてしまう傾向があります。

 やらなければいけない仕事が山ほど溜まっているのに、もう何もする気がしない…   プチ鬱ってやつです…

 もちろん、自分がそんな状態では、このブログで偉そうな事書けないから、今までもそんな気持ちに負けないで仕事に取り掛かってきましたけど、ちょっとここんところ無理が来たかな… なんて思いました。

 姉御は、「たまにはボーッとして、時間を過ごすのもいいんじゃないですか…」 って言うんですけど…

 やっぱり、そういう訳にもいきません(笑)
 これ以上、溜まった仕事が遅れても困るし…

 そうしたら姉御から、「FORGIVENESS(許し)」 っていう名前のアロマオイルの小瓶を渡されて、手で広げて、まんべんなくお腹に塗るように勧められました。

 アロマオイルは普通、香りを嗅いで楽しむものかと思っていたんですけど、こういう使い方もあるんですね。

 両手についたアロマオイルの香りを思い切り吸い込むと、「癒されるぅ~」 って感じで、まるで天国へ登ったみたいに気持ちよくなりました。     なんか入っていたりして(笑)

 心地良い香りの中でふと、「FORGIVENESS(許し)」 とは、一体何だろう… って考えました。

 どうも僕には、これが苦手みたいなんです。

 人がした失敗に対しては、そこそこ許せる方だとは思うんですけど、自分がしてしまった失敗は、どうしても許せなくて、いつも自己嫌悪になりますね。

 もちろん、そんな事で弱音を吐いたりも、顔に出したりもしませんけど…      少しだけ顔に出ていたみたいですけど(笑)

 この性格のせいで案外、僕の身近にいる人には窮屈な思いをさせているのかも知れません。

 僕は基本的に、人に何かを要求する事はないんですけど、無言のまま、結構人にプレッシャーを与えていたりして…

 そっかあ~
 やっぱり自分を許せないというのは、周りにも迷惑になるのかも知れませんね。

 うん。よし、姉御の言う事を聞いて、たまにはボーッと時間を過ごしてみよう。   ただし5分だけ(笑)


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真摯さが道を開く

 時に人生において、本当の袋小路に陥った時というのは、僕の経験からして、小手先だけのテクニックでどうにかなるものではありません。

 もう本当ににっちもさっちも行かなくなって、悩み苦しみます。
 中には、それによって体を壊す人もいます。

 自分の失敗によって、周囲に多大な迷惑を及ぼしてしまったとか、周りにとことん自分の悪い評判が広がってしまったとか、まあ、人生にはいろいろな袋小路があります。
      ここんとこ、重~いブログが続く…(笑)

 中には、自分としては不本意なものや、言い訳したくなるような類いの物もあります。

 でも、その言い訳が自分を慰めるのには役立ったとしても、実際の事態の収拾にはあまり効果がない事が多いです。
 言い訳された所で、実際に広がってしまった損害や険悪なムードが消える訳ではありませんから…

 結局こういう時、損害に遭った人や、嫌な気分になっている人というのは何を求めているかというと、相手の真摯さや誠意だったりします。
 その状況が元に戻せない事は、多分わかっていると思うんですね。

 そして、人間誰もが完璧じゃない事もわかっている…

 だから、こういう時は真摯になって、できうる限り精一杯の誠意を相手に与える事です。

 そうすれば、よっぽど自分勝手で我がままな人でない限り、「この落とし前をつけろ」 的な事にはならないはずです。
 結局、状況が泥沼化してしまうのは、やはり、そういう部分が足りていないのかも知れません。

 中には、こういう真摯さや誠意を人に見せるというのが苦手な人もいます。
 かくいう僕もそうでした。

 こういうのが苦手なのは、何といっても完璧主義なタイプに多いです。
 人に対しても、自分に対しても…

 完璧主義の人というは、まずは、自分が失敗した事を認める事ができません。

 そうすると、素直に謝れなくなります。だって、自分の失敗を認める事になってしまうから…
 こういうジレンマは本人にとっても、相当に苦しいんですよ。

 だから仕方なく、適当に笑ってごまかしたりとか、何とか言い逃れをしようとするんですけど、これが見事に逆効果になります。
 気持ちは痛いほど、よくわかるんですけど…
      僕もそういうタイプだったから 

 でも、やっぱり、こういう時は悪あがきしないで真摯な対応を心掛けるのが一番です。
 時にはそれによって、逆に好感を持たれる事だってあります。

 SMAPの草彅さんの公園の酩酊事件は、とんでもないビッグなスキャンダルになってしまいましたけど、あれってすごく人間らしいと思いますね。
 一部のマスコミは、「あれは絶対に許される行為ではない」、と騒いでましたが、僕はそうは思いません。もちろん、誉められる行為ではないけど…

 だって、仕方ないですよ。人間ですから間違える事だってある…

 僕だけでなく、ほとんどの人がそう思っていると思いますね。

 しかも彼の場合は、真摯に自分の失敗を受け止めて、何度も頭を下げました。
 僕は本当に立派な人だと思いましたね。あれは誰にでもできる事じゃないです。
   草彅クンのファンになった 

 人生の袋小路にはまり込んだ時に必要なのは、真摯さと誠実さ…

 ちっぽけなプライドを捨てた時、きっと神様から、ものすごく大きなご褒美をもらえるはずです。


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人生は川で泳ぐ魚

 人間長く生きていると、いろんな事があります。
 川で泳ぐ魚のように、どれだけ用心深く泳いでいても、壁にぶち当たる事だってあります。
 時には、急流に巻き込まれて、袋小路に追い詰められてしまうかも知れません。

 でも、その袋小路で必死にもがいていたら、ボロッとどっかの壁が崩れて出口が見つかるかも知れない…

 ピンチに陥って、苦労してその困難を乗り切った人というのは、不思議な魅力が兼ね備わってきます。
 だから、年配になればなるほど、そういった意味でも差が出てきます。

 僕が思うに、川を泳ぐ魚と人生が唯一違う所は、言葉というものによって、人からいろいろとご指導を頂ける事かなと思います。

 言葉というのは真摯に受け止める事によって、うんと心を成長させてくれます。
 ただし、人は感情の生き物だから、時には言葉によって傷ついてしまう事があります。
 だから、感情的になって、ネガティブな言葉を抱え込んではいけません。

 僕は言葉というのは、薬の部分と毒の部分の両面を持っていると思うんです。
 厳しい言葉というのは、自分を向上させる為の判断材料として、常に理性的に受け止め、感情では考えない事が大切です。
 また、それらの言葉の中には、的外れなものがある事も知っておくべきです。

 逆に優しい励ましの言葉というのは、心で受け止める事によって、やる気につながるし、心の栄養にもできますが、自分の仕事の質を高めていく上では、その切り替えの邪魔になる事も多いです。

 それぞれに正しい受け取り方をすれば、全てプラスにできます。

 もしも、人生の中で二つの選択に迷ったら、僕は楽な方よりも苦労する方を選びます。
 苦労してとぎすまされて腹ペコになった分だけ、たくさんの栄養を吸収できるし、魅力的になれるから…

 この先の人生、いろいろな困難があるかも知れません。
 でも大丈夫! どんな困難に陥っても、必ず抜け道は用意されています。

 そしてその先には、どんなものにもまさる充実感と、至高の喜びがあるはずです。 


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健康は気の流れから

 僕が今までの人生を通して、本当に恵まれていたなあと思う事は、病気とか体の不調とかというものに、ほとんど無縁だった事です。

 たまに風邪をひくという事はありましたけど、そんな時でも薬を一切飲まずに治してしまいました。
 (2012/3/16ブログ 「気づきの薬」 参照)

 こんな僕は、よっぽど健康的な生活を送っていたのかというと、そうでもありません。

 若い時は本当にお金が無くて、毎日インスタントラーメン生活だったりとか、睡眠も取ったり取らなかったりで、まるで不規則きわまりない生活でした。
 しかも体を動かす事も苦手だったから、スポーツなんかもほとんどしない…

 あんな生活をしていて、よく病気にならなかったもんだと思います。

 あえて病気をしなかった理由として考えられるのは、怖いもの知らずのポジティブシンキングだったって事ぐらいでしょうか(笑)

 でも、よくよく思い出してみると、十代の頃は、いつも体の調子が悪かったです。
 あの頃は蓄膿症で、いつも偏頭痛を持っていました。
 そういえば、子供の頃はいつも、全校朝礼で長時間立っていると、体力が持たずに倒れていました(笑)

 だから、体の調子の悪い人の気持ちや頭痛持ちの人の気持ちもよくわかります。
 あれ、本当に辛いんです。

 子供の頃の蓄膿症や偏頭痛は、病院で診断を受けたものの、真面目に病院に通い続けた訳でもなく、薬を飲み続けた訳でもないのに、気がついたら自然に治っていました。

 今思うと、こういう病気の原因って、体の気の流れが停滞している事にあるんじゃないかと思います。

 「病は気から」 って言いますけど、あのことわざは、「病気は気持ちの持ちようで変わる」 って意味だけじゃなく、「気の流れが滞っているのが原因だ」 という深い意味が込められているんじゃないかという気がしますね。

 別に僕は、三好宗彰先生みたいに、気功の達人とかではないんですけど…

 例えば最近でも、ごくごくまれですが、精神的なコンディションが悪くて偏頭痛を感じる事があります。
 だいたい、くだらない事にとらわれて考え過ぎた時ですけど(笑)

 そういう時、なんか後頭部の辺りに、こぶし大の腫瘍みたいな気の固まりを感じるんです。
 そのせいで、目元まで緊張してくるような気がします。

 子供の頃は、いつもこんな感覚でした。
 多分、蓄膿症だったのも、それが原因だと思います。

 僕の場合は、少し間違った自己本位な思考に陥ると、すぐにこうなるようです。
 つまり、そこが僕の体の弱点なんですね。

 おそらく、この状態を半年続けたら、間違いなく頭かリンパ節の病気になると思います(笑)

 先日、本を読みながら眠ってしまった時には、両肩が痛くて痛くてしょうがなかったんです。
 変な姿勢で寝てしまったというのも原因ではありますが、あの時はすごくプレッシャーみたいなのを感じていて、両肩の辺りで気が停滞してガチガチになっていた気がします。
       辛い悪夢にうなされていた…

 僕はそんな時どうするかというと、まずはその時に感じている思考や感情なんかを打ち切って全否定します。
 それから、体全体に気を循環させるようにします。

 これは全く僕の我流のやり方ですが、尾てい骨を体の中心にイメージすると、うまく体全体に気を循環させられるようです。

 それによって、比較的早く体の痛みも取れます。

 なんかすごく特別なテクニックみたいですけど、別にそうでもなくて、屈伸運動と同じような感覚です。

 案外あまり意識しないで、こんな事をしている人も、他にもいるんじゃないかと思います。

 ここで一番大切なポイントは、体の調子を悪くさせている思考をいち早く消してしまう事です。
 そうしないと、違和感のある停滞した気の存在さえも感じられませんから…(この状態が当たり前になると、病気が進行する)

 僕は今まで、気の流れなんてものは、まるで感じる事ができなかった人間ですが、今では自然に何となく感じられるようになりました。

 少しヘンテコなお話になってしまいましたけど、これが僕のちょっぴり風変わりな健康法…

 続けていただければ、きっと無病息災間違いなし… ですよ(笑)


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幸せの近道

 今日は、「タロット講座~大アルカナ編~」2日目でした。

 占いの種類の中で、タロットというのはその時の偶然性の事象というものでみていく占いです。
 (これを卜占(ぼくせん)とか雑占(ざっせん)とか言います)

 はっきり言えば、こういうタイプの占いはやり方さえ覚えれば、誰にでもすぐにできるようになります。
 逆に言うと、その占い師のレベルが最も結果に反映されやすいと言えます。占い師のレベルが低いとまるでお粗末なものになってしまう…

 占い師の心の持ち方が、的中率なんかに反映されると思うんです。

 それで、こういう占いをする占い師は、心の持ち方のフォームがおかしくならないように、ある程度日頃の行動とかにも気をつけていないといけない… というのが僕の持論です。

 だからその事を、講座の中でお話ししようとしたのですが、ふと自分でも、日頃の行動というものをどこまで気をつけたらいいかが、わからなくなってしまいました。

 こういう占いをする占い師は、やっぱり心がお金や色欲なんかに惑わされていたままの状態では、絶対に良くないというのは間違いないと思うんですけど…

 では、占い師は風俗に行ってはいけないかと聞かれたら、何だか僕もわからなくなってきました。
     いや、別に風俗に行きたいわけじゃなくて…(笑)

 ふと頭に思い浮かんだのは、一休宗純(いっきゅう そうじゅん)の事なんです。
 あの人、晩年は禅の悟りを開いて、女極道をしまくってました。
 まあ、言ってみれば、禅の高僧なのに風俗のハシゴをしているようなものです。

 ところが一休の場合、そういう遊びに夢中になっていながらも、心は決してそれに囚われる事はなかったんですね。

 世の中には様々な誘惑がありますが、女遊びなどというと、ちょっと下賤に考えがちですが、ある程度悟りを開いた人にとっては、美味しいものを食べるような道楽と、たいして変わりがない気もするんです。

 もちろん、人に迷惑を掛ける女遊びは絶対にダメです。
 例えば誰かの奥様とそういう行為をするとか、自分にちゃんとした奥様がいるのに浮気するとか、ましてや嫌がる女性を強姦するとか…

 でも、そうではなくて、それが食欲を満たすのと同じような感覚のものなら、案外OKなのかもしれません。

 それで僕、ふと、こういうのって、その人の器(うつわ)の大きさで決まるのかな… なんて思いました。

 器の小さい人は、そういう遊びに夢中になって、道を踏み外したり、心がブレてしまったりするけれど、ある程度の大きな 「器」 を持っている人は、それ自体が大した事ではなくて、心がブレる事にもならないとか…
   僕は器がまだまだ小さいので、この手の道楽はやめておきます(笑)

 どんな事にも言える事ですけど、器が小さい人というのは常に目前のちっぽけな事に悶々としています。
 いつもつまらない事に悩んで、右往左往している…

 多分そういう人は、あんまり幸せになれないようにできているんじゃないかなって思うんです(笑)

 それならば、自分の器を広げて、酸いも甘いもこちらから呑み込んでいってみる…
 全てを包み込むような大器の人を目指して…

 意外とひょっとしたら、こんな事が幸せの近道なのかもしれません。

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悪夢の正体

 昨日は、合計で3人のお客様を鑑定させて頂きました。
 全ての鑑定が終わったのは、夜の10時半ぐらい…

 その後、タロット講座の準備に入ろうと、「ユングとタロット」 という本の「皇帝」 の章を読んでいたら、体の限界が来て、そのままうつぶせのまま、本を枕に眠ってしまいました。

 へんな体勢で眠ってしまったら、両肩が痛くて痛くて、ものすごい悪夢を見ていました…

 午前3時に目が覚めたんですけど… しばらくの間、夢と現実の区別がつかなくて、「もうこんな人生は嫌だ(夢なのに)」 って、気持ちが落ち込んでました(笑)

 なんか… 強制労働させられている夢なんですよ。
 タロットの皇帝のカードのイメージのせいかどうかはわかりませんが…

 夢の中で僕は、生まれ育った岐阜にいるんですけど、なぜか辺り一帯が殺伐とした荒れ地になっていて、そこに建っていた家は、みんな半壊していました。

 それで、なぜだかわからないんですけど、町内の人みんなで一帯の区画整理をしていて、瓦礫(がれき)を運び出したり、そこをアスファルトで舗装して、道路にしようとしているんです。

 僕の家のお隣の老夫婦は、もうお亡くなりになっていて、半壊した家の中に、なぜか墓石が2つ置いてあるんですね(笑)
   夢の中では、現実にはあり得ない事も当たり前にあり得る…

 父親がその墓石をリアカーに乗せて運び出そうとしたので、すぐに僕が代わって、リアカーを肩に担いだのですが、重くてにっちもさっちも動かない…

 全然運び出せないで、もたもたしていると、そこにいじめっ子の佐野君(小学生の時よくいじめられたけど、中学生の時は仲良しになった)が現場監督の姿で登場して、
 「てめぇ、なにもたもたしてやがる。さっさと仕事終わらせろ」
ってまくしたてるんですね。

 僕はそのまま泣きそうになりながら、うなだれていました。

 そこで目が覚めました。    ああ、夢で良かった…

 目が覚めてまず感じたのは、すごく肩が痛かった事(笑)

 そしてもう一つは、訳のわからない悲しみの気持ちなんですね。もっと冷静に分析すると、「屈辱感」 のようなものだと思います。

 思い起こしてみると、僕は若い頃、いろんなアルバイトの経験をしました。
 現場作業や引っ越し作業みたいなのも、やった事あります。

 仕事は大変なのですが、アレ、夢中になってやっていると、それなりに楽しかったりもします。
 ある意味、筋トレの楽しさに似ていますね。

 ところが、どんな仕事でもそうですけど、誰かにやらされていると感じると、途端に辛くなります。

 多くの人が仕事を本当に辛いと感じるのは、おそらく仕事そのものに対してではなく、誰かの命令に服従せざるを得なくて、それに逆らえないという緊迫感と屈辱感から来るものじゃないかな… と思います。

 実は僕、昔はそれが当たり前だと思っていたんです。

 会社に属して、お給料を頂いているんだから、そこの上司の命令は絶対で、失礼な事や屈辱的な事を言われても、そこはひたすら耐え忍ぶしかないと…

 こういう風に考える真面目な人は、結構多いと思います。

 でも、今になって見ると、それってすごくおかしな事だ… って感じずにはいられません。

 もちろん、組織社会においては、上司と部下という関係がないと成り立たないから、仕事の際には上司の指示には従うし、社会常識的な礼儀もきちんと尽くすべきです。
 敬意を払うべき所は、ちゃんと敬意も払う…

 でもそれは絶対服従というものではなく、あくまでも関係性としては一つの仕事に対しての対等なパートナーであるべきだと思うんです。
 もちろん、ある程度その仕事ができるようになる事が、必須条件にはなってきますけど…

 会社からお給料を頂いているのだから、そこの上司には、背中を丸めて頭を下げて生きていかなくてはいけない、という考え方は絶対におかしい…
 僕は今、こうやって一人で生きてみて、それをひしひしと感じます。

 社会の中で報酬を得る際に必要な事は、背中を丸めて頭を下げる事ではなくて、相手の人の為にどれだけの恩恵を与える事ができるかという事のはずです。

 ここを取り違えると、いつも人に対してビクビクしながら生きていないといけないし、こんなどうしょうもない悪夢を見てしまう事があります(笑)

 これは僕も長い間考え違いしてた事だから、今、改めて自分にも言い聞かせたいと思う。

 人は、一人一人が自由で対等です。
 人に迷惑を掛けるような事がない限り、自分の行動は自分で選択する自由があります。
 
 その自由な選択の中で、誰かの指示に従うというのは健康的です。
 でも決して、その誰かに隷属してはいけない…
 もしもそんな不健康な関係を強いる 「皇帝」 がいたら、きっぱり縁を切るべきです。

 その事を自分に強く言い聞かせたら、背筋がシャキッとして、ぐんと腹が据わった気がしました。


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心の探し物

 ここの所、真冬にもかかわららず、ほんの少しだけ暖かくて過ごしやすいです。   寒いの苦手…

 僕は最近、これまでに増して本当に時間に追われまくっています。
 今までこのブログは、心ゆくまで時間を掛けて書いていたのですが、それすらもできなくなってきました…
 まあ、逆に言えば仕事が順調に言っているからこそで、ありがたい事です。

 今の僕の生活は、ほとんど満たされていますが、それでも今、一番欲しいものと言ったら… 時間ですね(笑)

 でも仮に、もしこの時間というものも、それからあと、お金も、恋人も、名誉も… 欲しいものが全て手に入ってしまったら、本当に幸せになれるのかといったら、多分そうでもない気がします。

 まあ今の所、実際にそんな状況を経験していないので、わかりませんが、多分違うと思うんです。

 ミュージシャンの布袋寅泰さんの 「さらば青春の光」 の二番の歌詞の中に、こんなのがあります。

 もしも毎日が幸せだらけなら
 きっと我慢できないはずさ
 何かを探しに生まれてきたから…
 (布袋寅泰 「さらば青春の光」 より抜粋 詞:布袋寅泰)


 布袋さんは、僕から言わせれば、普通の人では決して手が届かないような成功をつかんだ人に思えるのですが、それだけに、この言葉は本当に説得力があります。

 「この世的な幸せじゃない何かを探しに生まれてきた」 って言っているんですね。

 その探し物が何だかは意識ではわからないけれど、意識の奥の奥の深い部分では、実は全ての人が自分で分かっているのかも知れません。

 でも、その探し物が何か知る事は、そんなに重要じゃない気がする…

 自然にその探し物が見つかって、心が芯から満たされて、意識というものがぐんと成長していけばいいのかな… なんて感じます。

 心の探し物… それが何だかわからなくても、ふとした瞬間それを見つけた時、きっと今までに味わった事がないような至高の幸せに包まれるはずです。


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願いはきっと叶えられる

 イメージコントロール法といって、自分の願っている事を具体的にイメージしそれを確信した時、その願い事は叶います。

 スポーツ選手なんかでも、イメージトレーニングを上手に活用しています。

 ただし、これを成功させるには、表層意識だけではなく潜在意識もそれと同じ事を願っているという事が条件です。
        ここ重要…

 願いが叶わないのは、自分の本心である潜在意識がそれを望んでいない事がほとんどです。
 いわば、潜在意識というのは未来を決定づける力を持っています。 昨日のブログ参照)

 例えば、司法試験を受けて弁護士になりたいという夢があっても、潜在意識がそれを望んでいないような場合、どんなに気合いを入れて勉強しようと机に向かっても、さっぱり勉強がはかどりません。
 机に向かいながらも、ずっと集中できないまま、時間を浪費します。
 こういう時って、勉強できない言い訳を、やたら考えるようになります(笑)

 潜在意識から司法試験に合格する事を望んでいたら、気合いなんて入れなくても、自然に机に向かって勉強してしまっているんですね。
 そういう未来が確定されているから、もう成り行き上そうなってしまう…

 だから、自分の望みを何が何でも叶えようと思ったら、潜在意識に賛同してもらうしかないです。

 潜在意識は、その人の人生にとって本当に価値のある事しか望みません。
 もしも、弁護士になる事でその人の名誉欲が満たされて、自己満足だけの人生で終わってしまうような場合、潜在意識は弁護士になる夢をボイコットします。

 あと、潜在意識がもっと他にやるべき事を知っている場合にも、同じ事が起こります。

 潜在意識は全体意識(普遍的無意識)につながっていますから、自分だけではなく、みんなが幸せになる事を望むと、物事が何でもうまく行きやすくなります。

 会社の経営でも、自分の利益ばっかり考えている人はうまくいきません。

 たまに、悪どく金儲けをしている経営者が成功している場合がありますけど…
 こういう人の潜在意識は、「こんな悪どいやり方が良くない事を身を持って学びたい」 と願っています(笑)
 その結果がどうなるかは、自明の理です。

 社会や周りの人の幸せを願うと、場合によっては自分の願い事が変わってしまう事もあります。

 それでも、自分の気持ちが変わらないようなら、それは本物です。

 貴方の願いはきっと叶えられるはずです。

 

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認識したものだけが存在する

 先週のタロット講座の中でも取り上げたお話ですけど、物理学の世界には 「非局在性理論」 というのがあります。

 これはどういうものかというと、物質を素粒子なんかの超ミクロの世界で見た場合、全てが波動によって成立していて、最初から実在化しているものは何もない… という考え方です。

 つまり、全ての物質は観測されるまでは、その存在は何も確定されていない…
 ある物理学者は、誰にも発見されていなければ、天体の月だってこの世に存在をしていない、と結論づけています。

 決してこれはスピリチャルの世界のお話ではなく、物理学の量子論の中の論理です。

 実はこれ、この前書道を習いに行った時に、山本光輝先生(2012/11/19ブログ 「いろはにほへと…」参照)から教えて頂いたお話なんですけど、まさに、この世の真理を言い表していると思います。

 つまり言ってみれば、人間の意識の中で作られた 「これはこういうものなのだ」 という概念が、この世の中を形成しているという事になります。
 嘘みたいな話ですけど、つきつめていくと、確かにこういう事になる気はします。

 その最もたる例が、イメージ・コントロール成功法だと思うんですよ。
 自分が将来なりたいと思う姿をイメージして、それを強く確信すると、やがてそれが現実化するというアレです。

 もしも完璧に潜在意識の底からそのイメージを認識できたなら、必ずそうなります。

 それを意識の世界で認識をして、磁場が確定してしまえば、現実が勝手に動き出す事になります。
 何かの目的の為に、「努力しなくきゃ…」 なんて思う前に、勝手に体がそれを叶える為の行動を起こしてしまっている…
 気がついたらやっていたとか、運命の流れで自然にやらされていたとか… そういう事になります。

 あと例えば、タロットとか四柱推命とか方位学とか… そういう占いが当たる理由も、この 「非局在性理論」 で説明できます。

 はるか昔から(いや、ある意味 時間軸というものを超えて)人々の意識の奥に、「この占いは、こういう理論でこういう風に当たるものだ」 という概念がすでにでき上がってしまっていますから、ちゃんとした概念が存在する占いが当たるのは、むしろ当然です。

 例え、表面上のこの世の理屈では説明がつけられなくても…

 ひょっとすると我々は、意識のコンピューターが生み出した、映画のマトリックスのような世界に生きているのかも知れません。
    首の後ろにコンセントのタップがあったりして(笑)

 全ての人達が、未来はみんなが幸せになって、テロなんてない素晴らしい世界がやってくるんだって強く確信した時、その未来はきっと、すでにそこに存在するはずです。


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狂った世界の歯車の中で

 今回アルジェリアで起きた不条理極まりない事件は、本当に悲しい気持ちにさせられてしまいます。

 なぜ、何の罪のないたくさんの人達が、あのようなばかげた政争の為に亡くならなければいけないのか。
 特に日本人なんて、イスラムに何の関わりもないはずなのに、なぜあんなひどい殺され方をしなければいけないのか。

 そんな風に思いを巡らすと、だんだん心が修羅道に入っていきそうです。

 あのふざけた隣国に逃げ込んだ首謀者と三角頭巾をかぶった犯行グループを、一人残らず銃でズタズタに撃ち殺してやりたい…

 もちろん、そう考えてしまうのは何かが間違っている事はわかっているんですけど、やっぱり人間は感情の生き物だから、ある意味仕方がないとも思う。

 2001年9月11日のアメリカで同時多発テロが起きた時にも、僕はやっぱり同じような思いになってしまいました。

 でも、こんな風に考えてしまった時には、こちらもこの人達の低いレベルに、確実に一歩近づいてしまうんですね。

 だからそれよりも、このテロ組織に属する連中の思考回路を、ちょっとでも理解しようと努める事の方が、はるかに有意義な気がします。
 もちろん、許す許さないは別として…

 多分こんな思考なんですよ。
 自分達は今、理想郷を作ろうとしている。自分たち以外の世界の人間なんて、動物と同じレベルのくだらない人間だから、別に何人殺したって罪にはならないし、この殺人は理想郷を作る為の尊い行為なんだ…

 ハッと我に返ってみると、このテロの犯行グループを一人残らず撃ち殺してやりたい… って思った時の思考って、この人達の狂った思考と、もうそっくりなんですね。
 つまり、こちらも毒をくらってしまったという事です。

 こういうテロ組織の根底にある極端に視野が狭くて独善的で狂った思考というのは、世界中の人類の心に眠る劫なんだと思います。
 僕は、心理学者のユングが言っていたように、人の心というのは深い普遍的無意識で結びついていると思うから…
 (2012/10/28ブログ 「人は『忘れ神』」 参照)

 この前、僕がいつもボディーケアをしてもらっている先生と、精神世界の話で盛り上がっていました。
 僕はいつも体のケアをしてもらう時、その先生ととめどなく精神世界論を語り合っています。
      一般の人には、おそらく意味不明の会話です(笑)

 僕は、人の心の中には、これまでの長~い歴史の中でたまった考え方の歪みみたいなものが蓄積されていて、人間のトラウマや心の傷に影響しているんじゃないかって考えているんです。
 そしてそれが、個人の悩みや人間同士のトラブルの原因になっている… その中でも最も顕著な例のが、こういうテロとか戦争だと思う。

 おそらく、イスラム過激派の人達の心の中には、長い歴史の中で虐げられてきた祖先の深い悲しみのようなものがいっぱい詰まっているのではないかと思う。
 そしてこれは、全人類が長い歴史の中で積んできた、劫でもある気がします。

 こんなものは一朝一夕に消えるようなものではないし、まあそれでも、少しずつ人間が心が進化していけば何千年後には世界中の全ての劫は消えているかも知れませんけど…

 僕がこんな話をしたら、そのケアの先生は、今現在がそういうものを瞬間的に消せる時代に来ている… と言われました。

 僕は現実的な人間なので、こういう荒唐無稽な話は絶対に信じません(笑)
 でも、ケアの先生は、おかしな宗教に勧誘するような人でもないし、奇跡を起こせる高額な壺とかを売りつけるような人でもないので、そのままだまって話を聞く事にしました。

 ケアの先生は、ハワイで流行っている 「ホ・オポノポノ」 というものを一つの例としてあげました。
 僕は、これまでにも何人もの人から、「ホ・オポノポノ」 の話を聞かされた事があります。

 「ホ・オポノポノ」 というのは、心の癒しの言葉なんですね。また、許しの言葉でもあります。
 僕も正体がつかみきれていないので、うまく語る事ができません(笑)     ホ・オポノポノ」は魔法の言葉

 ケアの先生が説明するには、「ありがとう(Thank you)」「ごめんなさい(I'm sorry)」「許して下さい(Please forgive me)」「愛しています(I love you)」 という4つの言葉(ホ・オポノポノ)を繰り返し、自分の心に言い聞かせるように唱えるのだそうです。
 そうすると、全ての人の心は潜在意識で繋がっているから、自分以外の人の心も癒されて行く…

 ケアの先生が電車に乗っていると、目の前の席に座った人がお弁当をムシャムシャ食べていたんだそうです。
 「嫌だなあ、やめてほしいなあ」 と思って、この 「ホ・オポノポノ」 を実践したら、何とその人は、すぐにお弁当を食べるのを止めてくれたとか…
 まあ、何かの偶然かも知れませんけど…

 僕は本当にそんな事があるのかな… なんて、少し斜(はす)に構えて聞いていました。
 そんなにうまく行ったら、テロだって戦争だってすぐにおさまるから楽でいいよなって…

 この前、新宿に買い物に行こうと電車に乗っていた時に、途中で電車が止まっちゃったんです。
 
 「只今、市ヶ谷~四ツ谷間において、人が線路に立ち入っているとの通報を受け、総武線の電車は運転を見合わせてます。」
っていう車内放送が流れて、そのまま15分ぐらいずっと動きませんでした。

 続けて 「只今、駅係員が線路に立ち入っている人を説得しております」 というアナウンスが入りました。

 僕は、ためしに 「ホ・オポノポノ」 をやって見よう… と思い立ち、心の中で自分に言い聞かせるように唱えてみました。

 そしたら見事、その1分後すぐに電車が動き出しました!

 はい、分かってます。単なる偶然です(笑)

 でも、別に 「ホ・オポノポノ」 じゃなくても構わないけど、世界中の人が、こんな風に心の奥で癒し合えたり、許し合えたりしたら、奇跡は奇跡でなくなるのかも知れません。

 魔法の言葉で、テロや戦争も世界から消えてしまう事だってあるかも知れない。
 例えそれが、地に足がついていない人間が言う、夢の中のたわ事であったとしても…

 僕はそんな夢を、ずっと見続けていたいと思います。


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無理をしなければ損をする

 アルジェリアで起きている本当に理不尽な人間の殺戮には、同じ人間として、憤りを感じずにはいられません。

 世界中でこんなに不条理な事がいっぱい起きているのに、非力だから、何もしてあげられる事ができない…
 もっと自分に力が欲しいなんて、ふと思ったりします。


 一昨日の晩、徹夜の状態でタロット講座を終え、家に帰ってから昨日やるべき仕事を全て終えわらせて、ベッドの中に入ったのは夜の12時でした。

 そのままむさぼる様に眠りについて、目が覚めたのは今日の昼の11時近く…
 いやあ、それにしてもよく寝ました。

 これは僕の経験則ですが、目の前の事に一生懸命夢中になっている時って、どんなに寝ていなくても、どんなにお腹がすいていても、楽しいし仕事の能率も上がります。

 だから、多少無理するくらいで丁度いいですね。
 それが楽しいと思える仕事ならば…

 そうでもない仕事に関しては、無理をしてはいけません。
         病気になります…

 結局、心から楽しいと思えて、価値のある事をしている時は、いつも気持ちが盛り上がっているから、体は無理をしていても健康にはいいんですよ。

 こういう無理はどんどんすべきですね。
 無理をしなければ、損をします(笑)

 こういう仕事のやり方をしている時の注意点は一つです。
 それは、体がきついというのを仕事の言い訳にしない事…

 「今、徹夜しているんで、ちょっとミスするかも知れませんけど勘弁してください」 とか言っちゃダメです。

 あと、人前でいかにも辛そうな顔をするのも禁止です(笑)

 これでは相手の人にも悪いし、何よりもこういう思考になったら、自分の健康にも悪いです。

 そういう時はいさぎよく、仕事をやめて寝る事…

 それにしても、自分の限界まで頑張って倒れるって、本当に気持ちいいですね。
 僕は一生を終えて死ぬ時にも、こんな気持ちでありたいと思います。


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迷いがあるから苦しい

 昨夜は一睡もしないで、そのまま 「タロット講座~大アルカナ編~」の会場である横浜の悠庵に行き、講座を行いました。

 毎回不思議に思うのですが、寝ていないと、すごくハイテンションになれるみたいです(笑)   
 お集まりくださいました5名の受講生の皆様、本当にお疲れさまでした。

 講座が終わって、帰りの千葉行きの電車の中で、知らないうちに熟睡してしまいました。
 でも、お陰で体力が復活しました!

 さて、この勢いでやるべき仕事を全部終わらせて、その後ゆっくりと休む事にします。

 タロットという占いは、人生で右か左か道に迷った場合に、本当に役に立ちます。
 例えば結婚したい人が2人いるとか、受験と就職のどちらを選ぶか迷っているとか… こういう時にとても的確な答えを出してくれます。

 でも、占いを信じていない人の中には、そういう決断は占いではなくて自分でしっかりと考えた上で解答を出すべきだ… という人もいるでしょう。

 それもいいと思います。
 ここで大切なのは、できるだけ早くどちらかの選択肢を選んでしまう事です。

 人間というのは、迷って悩んでいる間が一番苦しいですから…
 そして、迷っている間は何も進んで行きません。

 どっちを選んでもいいから、1つを選択したら後は迷わないで腹をくくる事です。

 腹をくくってしまえば、後は進むしかないからスッキリします。
 全てはそこから始まる…

 本当にお恥ずかしい話、僕はいつも段取りが悪くて、毎回講座の前日は徹夜になってしまうのですが、別にいつもギリギリまで何も手をつけようとしない訳ではないのです。

 今回も、比較的早くから準備に取り掛かっているんですけど、ちっとも作業がはかどらないんですね。

 やりたい講座の構想が漠然といっぱい浮かんできて、どういう風に手をつけていいのかわからないまま、方針を決めかねていたら、いつの間にか前日になっていたという訳です(笑)
       まあ、言い訳ですが…

 でも切羽詰まって、一つに決めてしまったら、面白いくらいに仕事が進むし、準備が楽しくてしょうがない…
 こんな事なら、さっさともっと早く決断して準備に取り掛かれば良かったです。

 道に迷った時、どんな選択をしても大丈夫…

 一つに決めて、腹をくくって立ち向かった時、全ての希望が開けてきます!


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自分のポリシーは曲げない

 いよいよ明日は 「タロット講座~大アルカナ編~」 の初日です。久々の講座です。
 そして案の定、準備が間に合っていません(笑)
 このまま徹夜モードに突入です!
    本当にもう いつも懲りない…

 でも、こうやって講座の準備をするのって、すごく楽しいです。
 人生で好きな仕事ができるというのは、何にもまさる喜びだと思う…

 今回の講座は、僕が会社から独立してから3回目の講座です。
 有難い事に、1回目の 「小アルカナ編」 も、2回目の 「四柱推命講座~実践編~」も、10名の定員が一時的に全て満席になりました。

 でも、今回の講座に関しては、いろいろと不利な条件が重なってもいて、当初からこれまでと同じようにはいかないと、ふんでいました。
 そんな中でも、結果的に5名もの方が受講して下さる事になりました。
 僕が今持っている力の全てで、最高の講座にするつもりです。

 今回の講座は、前ほど人が集まっていない事もあって、講座のスタッフの方から、
 「前に講座を受講した人とか、メールアドレスのわかる方にお誘いのメールを出してみたらどうですか? 講師の先生から直接お誘いが来たら、みんな嬉しいものですよ」
って勧められたんです。

 僕の事を思ってアドバイスして下さったんですね。

 でも、僕はどうしてもそういう気にはなれませんでした。
 それをやったら、本質的な何かが違ってしまう気がしたんです。

 確かに僕が直接お誘いをしたら、申し込んで下さる方も増えるかも知れません。
 でも、それは講座を受けたいという理由じゃなくて、僕を喜ばせたいとか、僕に義理を感じてという理由だと思うんです。

 僕としては、講座を受けて、タロット占いを使いこなせるようになりたい人がいらして下さって、その方々の為に精一杯良い講座をしたいだけであって、別にお金儲けはメインではないんです。
 そんなものがメインになっちゃったら、僕自身が終わっちゃう気がする…

 だから僕は、講座の宣伝に力を入れるよりも、講座の中身に力を入れたいんです。

 物品の販売にしても、保険の勧誘にしても、いろんな商売がありますけど、僕は義理人情や人の断りづらい心理を商売に利用するのは、すごく卑怯な気がするんですね。

 そんなやり方をして、その場は取りあえず食いつないでも、絶対にジリ貧になるだけだと思う。

 それに僕、営業メール好きじゃないし…
    このブログ読んでいる人は、僕の性格わかるでしょうけど(笑)

 だから、今回もそういう営業は一切しませんでした。
 それなのによく僕の講座に、5名も集まって下さったなあ… って思っているんですよ。

 でも、皆さんの決断は正解です(笑)
    よし、会場のスペースをタロットの実践用に思いっきり広く使おう…

 どんな商売でも、自分のポリシーを曲げないで良い仕事をしていれば、すぐに結果が出なくたって必ず良い評判が広がっていくはずです。

 目先の利益に捉われずに、思いっきり良い仕事をしようではありませんか!     さあ、今日は朝まで頑張るぜ~


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人生は微分積分いい気分♪

 今日は日差しがまぶしくて、気持ちいいです。
 まだまだ外が寒い日は続きますが、少しずつ春は近づいて来ているんですね。

 時々、前日に書いたブログとか読み直すのですが、何かずい分生意気な事を書いていて恥ずかしくなりますね。

 「お前は、昭和一ケタ生まれかよ」 って自分にツッコミを入れたくなるような(笑)
 まあ、世間知らずの人間が書いているブログですから、笑って許してやって下さい。

 幼い頃の僕は、本当に頭でっかちな子供でした。
 学校で苦手な教科は、体育、家庭科、書道… それから、友達とのコミニュケーション(笑)
 まあ、五教科の勉強や、音楽と美術は、それらに比べればまだマシだったので、それなりに頑張っていました。

 でも、心のどこかで、一体この勉強が社会で何の役に立つんだろうって、ずっと思っていました。

 特に、数学…(笑)
 細かい計算を必要とするような専門職に就く人は別にして、子供がこんな微分とか積分とか、出来るようになって何の意味があるんだよって、思っていました。

 だから、やっぱりちゃんと頭の中に入っていないですね。
 今、微分積分を説明しろって言われても、しっかり思い出せないです。

 うる覚えで、微分積分をとても乱暴に説明すると、こうです。

 例えば、
関数グラフ

 上のグラフのような関数を微分するという事は、これのχ軸を細切れにして、

微分の概念図

 こんな風にするっていう事です(笑)

 いや、これでは全然微分になっていませんが、このΔχをどんどん果てしなく小さくしていけば微分です。
 ちなみに積分は、この逆をする事です。

 このブログ、数学のブログじゃなくて、パリブログなので、これ以上の説明は省略します(笑)
   ちなみに、もはやパリブログである事も忘れ去られています…

 今、改めてこれを思い出したら、これって人生の哲学を言っているんじゃないかな… ってふと思いました。

 人の一生を微分すると、きっと今一瞬のこの瞬間の事になるのかも知れない…
 そして、この瞬間を積分すると、人の一生になる…
         強引な哲学(笑)

 一体何が言いたいのかというと、人間というのは、常に達観して人生全体の事を見渡す視点と、今この一瞬に集中して、いわゆる禅でいう 「三昧(ざんまい)の境地」 になっている視点の二つを同時に持っていなくちゃいけないという事を、微分積分は教えてくれている気がするんです。
   もちろん、そんな使い方をする人は誰もいませんが…

 つまり、人生で道に迷った時には、人生を微分したり積分したりする事が大切なんじゃないかな… という事(笑)
 案外、学問って全ての真理につながっているのかも知れません。

 それで、今この一瞬を積分したのが人の一生だと言いましたが、人の一生をさらに積分すると、多分、何億年前からある人類の歴史のDNAになる気がするんです。

 人間は誰でも自分の心の中に、それぞれ問題点やトラウマなんかを抱えているじゃないですか、それぞれに生まれながらの拒否反応みたいなのがあったりする…

 それは前世の記憶とか先祖の記憶とか…人類がずっと受け継いできたDNAだと思います。
(ここでいうDNAは、例えの言葉です。生物学のDNAは、記憶の情報なんて取り込む事はできません。)

 その壮大な人類の歴史ドラマにも目を向けられたら、何かがわかるかも知れません。

 何か宗教の教祖みたいな、訳のわからないブログになっちゃいました(笑)     僕は絶対、教祖にだけはなりたくない…

 この地球上にはいろんな学問がありますけど、それらはつながり合っているのかも知れません。

 その中で、誰かに頼る事なく、一人一人がそれぞれに自分の真理を見つけていけたらいいと思うんです。


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運は自分次第で開く

 「タロット講座~大アルカナ編~」 の日程が迫ってきて、テキスト作りの準備に、また忙しく時間を追われています。
 何でいつもギリギリにならないとやれないんだ、って毎回反省するんですけど…    本当懲りない

 でも、小アルカナの時よりは枚数が少ない分、気持ちに余裕があります(笑)
    小アルカナは56枚だけど、大アルカナは22枚…

 一瞬、前に作ったテキストを使い回しにしようか、とか思ったんですけど、それではせっかく集まって下さった受講生の皆様に申し訳なさ過ぎます。

 でも、こうやって、大アルカナのカードの1枚1枚を、改めて調べ直して文章をまとめていると、自分でもまた新しい発見がありますね。
 鑑定の実践演習と兼ねながら、詳しいカードの説明は、一講座に3枚ずつじっくりとやっていこうと思います。
   これなら、テキストも一度に作らなくても済む  …悪知恵(笑)

 僕は、占い師の仕事というのは、お客様と一緒の立ち位置に立って悩みを共感し、その上で幸せに導く事だと思います。
 そういう面では、カウンセラーのお仕事と共通した部分も多いです。

 でも、カウンセラー的な占いに小慣れてしまって、口あたりの良い事だけを言ってその場を盛り上げて、根拠もなく 「大丈夫ですよ」 で終わってしまう占い師さんもいます。

 そうですね。これは例えるなら、お医者さんに行ったら、軽く聴診器を当てられて、「大丈夫、あなた健康ですよ」 だけで終わって、何も処方してくれないのに似ています。

 もちろん、本当に大丈夫ならば問題は無いのですが…

 まあ、人が不幸になる事を言って、何の解決策も与えない占い師や、もしくはそこで何かを売り付けて商売にしようとするどうしようもないの(これはすでに占い師ではなく、悪徳商法師)もいますから、それに比べたら善意がある分、良い占い師という事になるのですが、あまりレベルが高い話ではありません。

 ちなみに、僕の占いの鑑定料は、おそらく一般の占い師の人よりもやや割高だと思います。

 僕、毎回占いをやらせて頂く度に、自分の鑑定が鑑定料以上のものになっているか自問自答しています。

 僕は、人が不幸になる未来を解決策なしで伝えるような事は絶対にありません。
 でも、そのお客様に幸せになる未来を伝えた後にも、もし、お客様がその未来の幸せをつかめなかったらどうしよう… って時々不安になります。

 だから、絶対に幸せをつかめるように、あらぬ限りのアドバイスをします。

 もちろん、占いには絶対というものはない事はわかってますが…
 少なくとも、その場だけ口当たりのいい事を言って、後はどうなろうか知った事じゃないというスタイルは、僕にはできないです。

 お客様に確実に幸せをつかんでもらう為には、運をさまたげる注意すべきシグナルを、できうる限り発見できるようになっていないといけません。

 タロットカードや運気のバイオリズムからもそうですけど、お客様のお話を聞いている時に、その考え方だと成功におぼつかないな… と感じたら、少し口うるさいと思われても遠慮なく口にします。
 だって、成功して幸せになって頂かないと困りますから…

 例えば、日本は安倍さんが内閣総理大臣になって、景気だってきっと良くなると思うし、経済だって間違いなく発展すると思うんですよ。
 でも、少し不安もあります。

 日本が戦後に大きな高度成長時代を迎えたのは、当時の日本を何とか復興させよう頑張った、あの時代の人達のハングリー精神があったからこそだと聞いています。

 僕の家から、最寄駅のまでの道の途中に、パチンコ屋さんが2件もあるんですけど、毎朝そこを通るたびに、パチンコ店の前で、見るからに不景気そうな顔をしている人たちが、朝10時の開店時間までボーッと並んで待っているんですね。

 その人達の、他力本願そうな顔を見ていると、これで本当に日本の景気が回復するのかな… って心配になってきます(笑)    別にたまにだけなら、パチンコもいいんですけどね…

 景気にしても、幸せにしても、目の前にあるものをつかめるかどうかは、結局の所、自分達次第だと思う。

 だから鑑定の中で、あまりにもお客様が都合の良すぎる未来を期待している時は、僕もすごく辛いですけど、現実に引き戻す事もあります。
 その上でもう一度、未来の幸せを再構築していけたらいいと思うし…

 運というものが開けるかどうかは、ある程度まで自分の力です。
 そして、その事こそが、占い師が伝えていかなければいけない最も大切な事のような気がします。


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うまくいかない時は冷静に

 時々、仕事の段取りなんかで、何をやっても思うようにいかない時があります。
 日常生活でも、まるでボタンを1つかけ間違えたみたいに、全てがちぐはぐになってしまったり…

 こういう時は誰でもイライラするものです。
 特に仕事ができる人ほど、イライラとしやすいようです。

 そういう人は、「仕事はうまくいって当たり前」 という世界で生きていますから無理もありません。
   こういう時でもポワーンとしている人は、あんまり仕事ができない(笑)

 それで、うまくいかないのを誰かのせいにして腹を立てると、ますます他の事までうまくいかなくなって、ドツボにハマります。

 部下のせいにしたり、業者のせいにしたり…
 上司のせいにしたり、契約先のせいにしたり…

 仕方ないんですよ。その人は貴方ほど仕事ができないんですから(笑)

 で、こういう人は挙句の果てに、今度は自分の不甲斐なさをずっと責め続けてしまいます。     まさに悲劇

 誰でもこういう調子の悪い日ってあります。
 それでも、やけを起こさなければ大丈夫です。

 こういう時には、物の流れがどこへ行くのか、じっと見定める目が必要です。

 うまくいかない事には理由があります。
 全てのタイミングがかみ合わないような事が起こると、人はつい感情的になって怒りをあらわにしてしまうものですが、こういう時にこそ冷静になる事が大切です。

 だって、そのありえないようなタイミングの悪さとか、その絶対に起こりえないようなミスって、偶然に起こった事ではありません(笑)

 こういう風にうまくいかない事には、必ず何かの意味があります。
 例えば、うまくいってしまうと、もっと大きな損害を出す可能性があるとか…
 だから、結果だけを見て、ふてくされてしまうのは、本当に勿体ないです。

 何か大きな不測の事態が起こった時に、まず最初にやるべきは、これ以上に事が大きくならないように防御策を張り巡らせる事、そしてその上で冷静に今までのやり方を見直してみるべきです。

 そのようになってしまってから、大騒ぎしても仕方がないです。
 まあ、やり方の見直しができただけでも、アクシデントの意味があったというものです。

 逆にまだ今は何も起こっていなくても、将来の問題の芽になりそうなものを見つけた時には、思いっきり大騒ぎすべきです。
 そうしないと、いつ爆発するかわからない不発弾を、ずっとを抱え込む事になります。
 こういう時にあえて不協和音を覚悟で、みんなに話を切り出す事ができるのが、真のリーダーだと思いますね。

 僕も今まで、たくさんのピンチや、何でこんなにうまくいかないんだ… という事を乗り越えてきました。

 こうやって今、日々の安らぎの中で感じるのは、全てが予定調和だったんじゃないかな… という事。

 考えてみれば、うまくいかない事があったから、今の人生や生活がある気がするし、この先にもし、うまくいかない事があっても、それはもっと先の未来の種まきに、きっと必要な事なんだと思う…

 うまくいかない時は冷静に…
 そのメッセージをキャッチしたなら、その後の貴方の人生は100倍運が強くなります。

 
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例えわかってもらえなくても…

 どんな人でも、必ず弱点というものがあります。
 ある人はお金が弱点だったり、ある人は異性が弱点はだったり…
 そして人は、いつもその部分でつまづきます。

 僕の弱点は、「人の評価」 というものでした。
 人からどう思われているのかが、いつも気になって仕方がないんです。
 いわゆる情けない人です(笑)

 自分でもかなり前から、その弱点には気づいていたのですが、あえて見て見ぬふりをしてました。

 僕にはいつも 「人から良く思われたい」 という欲が、本当に頑固にこびりついているんですね。
 だから、いつもその部分でつまづきます。

 人に嫌われるのが怖くて、なるべく人と衝突したくないと思っていると、何を言われても適当な返事でごまかしてしまうようになります。

 でも中には、そういう煮え切らない態度に不信感を持つ人もいます。
 「腹の底では、何考えているかわからない」 って事になって、結局人に嫌われてしまうんですね。
 本人としては、人に嫌われたくないって思っているだけなのに、それが最悪の結果になってしまう…

 また別の人は、適当に流している返事を、勝手に 「OK」 だと思い込んでしまいます。
 自分は不本意だと思っている事が、いつの間にか同意した事になってしまっていたりして…
 それでこういう事をやっていると、「あっちを立てれば、こっちが立たず」 みたいな事になって、対立する人間関係の狭間に立たされて、泥沼にハマっていきます。
      まるで関ヶ原の毛利輝元です(笑)

 あと、人の評価を気にしすぎると、自分の思っている事を言うのが訳もなく怖くなるんですね。
 「これを言ったら、あの人に嫌われるかも知れない…」
って、どんどん引っ込み思案になっていきます。

 もちろん、自分の攻撃本能を満足させるのが目的で、人が嫌な思いをするような事を言うのは、厳に慎むべきです。
 それはエチケットだし、優しさでもあると思う。

 でも、人に嫌われるのを恐れて自分の言うべき事を言わないのは、優しさでも何でもなくて、ただの臆病です。

 ここ最近になるまで、僕はいつも臆病なまま、このブログを書いていました。
 今まで評価してくれていた人の心が離れていくのが、とても怖かったんです。
 それを自分にずっと 「人に対する優しさ」 だって言いきかせてきたんですけど、やっぱりそれは、都合のよい言い訳だ… って、最近気づきました。

 人は必ずしも、自分の事を理解してくれるとは限りません。

 自分が思っている事を言った時に、僕に失望して去っていく人もいれば、賛同してくれる人もいる…
 去っていった人は、もうそれっきりかも知れないし、また戻ってきてくれるかも知れない…

 それは仕方がない事です。
 その人の自由ですし、何が何でも自分を好きでいて欲しいと思うのは、やっぱり欲と言うものです。
 異性を強引に自分の物にしようしたり、お金を貪欲にがめつく欲しがるのと、大して変わりはありません。

 例えそれが、「人に嫌われたくなくて、言いたい事を言わない」 という消極的手段であったとしても…

 案外人は、他の人の事なんてどうだっていいものです。
 みんなそれぞれが自分の人生を一生懸命生きているから、どこかの誰かをどう感じているか… なんて興味ないんです。

 そんな事よりも、今日の夕食の献立の事とか、明日の会社の事とか、自分が他人にどう思われているかの方が、はるかに興味があります(笑)

 人の考える事って、みんな同じようなものです。
 だから、大して気を遣いすぎなくても、自然とわかり合えたりする事もあります。

 例えわかってもらえなくても、心配ありません。
 きっと人は、もっともっと深い部分で、わかりあえているはずです。


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例え天が冷たくても…

 夜明け頃から降り続いていた雨が雪になって、「浅野太志 東京オフィス」 がある銀座の街も、いつしか雪に包まれていました。

雪の銀座

 関東地方では、この冬初めての雪だと思います。
 北日本では、雪なんてたいして珍しくもないかも知れませんが…

 やっぱり、冬はこうでなくっちゃ(笑)
     やせ我慢  やっぱ寒いのは苦手です…

 人の運気の法則として、運気の良い人と組む事で、自分の運気を良くする事ができます。
 それでもって反対に、運気の悪い状態の人と組むと、普通は自分の運気も下がります。

 だから、運気の悪い人とのつき合いは避けて、そういう人が近づいてきても、なるべく関わり合いにならないようにしましょう… という結論になります。

 でも、何かこれ、すごく冷たい気がするんですよね。
 こういう風に考えちゃう人って、自分の事しか考えてないんじゃないか… って、いつも僕は葛藤がありました。

 でも、やっぱり、これが天の法則なのかも知れません。

 老子の 「虚用編」 に、
 「天地は仁ならず。万物を以て芻狗(すうく)と為す。聖人は仁ならず。百姓をもって芻狗と為す。」
というのがあります。

 芻狗というのは、お祭りの時に使う、わらで作った狗(こまいぬ)の事で、用が済んだら燃やしてしまう物の例えです。

 天も聖人も冷たいんだよ… って言う事ですね。

 多分、天というのは、広大でとっても冷たいんだと思う。
 まるで今日の天気のように…

 例えば、世界の貧富の差というのは歴然と存在するし、そう考えると、天は弱者にとっても冷たくて、不平等な気がしてしまうんですね。

 でも、ひょっとしたら、天は目に見えない所(例えば、前世とか…)を全てひっくるめてバランスを取っていて、トータル的には平等なのかも知れません。

 もちろん、一人の人間が貧しい人に対して、
 「貴方が貧しいのは、目に見えない所で理由があるから仕方がないんだよ」
なんて、間違っても口にしてはいけないけど…

 これは確かに正しいのかも知れません。

 でも、天が冷たいのは仕方がないけど、人の心が今日の天気のように冷え切ってしまったら、おしまいのような気がする…
 
 まあ、聖人のように達観してしまった人は、別としても…

 もちろん、運の悪い相手の為に、自ら自分が振り回されるのは馬鹿げているし、絶対に避けるべきです。

 人にはキャパシティーというものがあるから、親切心から相手を助けようとした所で、自分のキャパに収まりきらなければ、こちらが泥沼に引きづり込まれる事になります。

 そんな時は無理はしないで、まずは、自分がその人を助けられるだけの力をつける事が先決です。

 でも、運気の悪そうな人を一目見るなり、
 「この人、運気が悪そうだから離れよう」 って手の平を返すようにしちゃうのって、僕はどうかなって思うんですよね。

 僕ならこう考えます。
 目の前にいる運気の悪そうな人の運を、僕の運の力で上げてやろうって…

 その為に僕は今の運を頂けている気がするし、どうせ頂いた運なのだから、みみっちい運の損得勘定をするのは意味が無いと思って(笑)

 それに、運気の悪い人を導いて、ぐんと運気を良くしてあげたら、その分だけ自分の運もぐんと上昇します。
     こっちの方が、よっぽどしたたか(笑)

 もちろん、相手の性格に決定的な問題がある場合は、話は別です。
 僕もそういう人からは離れます。

 そういう人は、運気を良くしてあげようとしても、所詮無理ですから…

 人というのは、考え方がちょっと変わるだけでも、運気が上がったり下がったりします。
 それに人は運を上げるべく、成長する為に生きています。

 だいたい、いくら運の悪い相手がそばに来ようが、自分が相手に影響さえ受けなければ、運を吸い取られる事はありません。

 僕はまだまだ力が足りないから、大した事はしてあげられません。
 でも、例え天は冷たくても、人間らしさだけは捨ててしまいたくない…

 僕が今までたくさんの人から頂いた温もりを、少しずつでも、今度は誰かに与えていきたいと思うんです。


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心は感謝に満ち足りて、行動は人におもねずに

 1月も半ばに入りましたが、まだまだ寒い日が続きます。
 でも部屋の中では、エアコンをつけて、毛布にくるまっていれば暖かいです。
 こたつが家にある人は、こたつの中に肩までもぐりこめば大丈夫…       もう出られません(笑)

 昔はエアコンなんてない時代がありました。
 石炭ストーブをたいたり、外でみんなで輪になって焚き火に当たったり…        どんだけ昔…

 それに比べたら、本当に今は恵まれてます。
 いい時代に生まれて良かった…

 最近いつも、僕は感謝してます。
 何だか訳もなく、感謝している気さえします。

 特に、今まで出会った人に対して、ありがたいなあ… っていつも思っているんですよ。

 もちろん、人と出会って、良くしてもらった事もあれば、喧嘩したりとか嫌な目に遭ったりした事もあります。
 誰かと長くつき合えば、その人との良い思い出も嫌な思い出も、両方出てくると思うんですよ。

 喧嘩別れとかして、それっきり会わなくなった人の事を思い出すと、普通は嫌な思い出とか憎しみの方が先に立つものですし、僕も今まではそうだったんですけど…

 喧嘩するほどの仲になっているという事は、きっとその人から助けてもらった事もいっぱいあると思います。
 ただ、忘れてしまっているだけで…

 僕はなるべく良い思い出に包まれていたいと思う。
 その方が幸せを感じていられるから…

 感謝はした方がいいけど、自然に感謝してしまうというのが理想ですね。
 観念的に 「人に感謝をして、生きなければいけない」 とか思って行動したりすると、何か窮屈で卑屈になる気がする…

 僕は、心の中で思いっきり感謝に満たされていれば、行動は自然体でいいと思うんです。
 自然にその気持ちが、行動ににじみ出てくるはずだから…

 現実社会を強く生き抜くには、感謝だけでは通用しない事が多いし、中には昔の恩を笠に着て、理不尽な要求をしてくる相手もいます。

 その相手に、例え多少の恩があったとしても、別にそれに従う必要はありません。
 嫌だと思ったら、きっぱりと毅然とした態度で断ればいいです。

 心は感謝に満ち足りていても、自分の行動は人におもねる事なく、自分で決める…
 そうでなければ、それは感謝でも愛情でもなく、ただの服従です。

 もちろん、時には人生で、自分には何の利益にならない決断を迫れれる事もあるでしょう。

 そんな時でも、心が感謝で満たされていると、自然な対応ができます。

 嫌々不本意な決断をさせられるという、悲壮感ただようものではなく、自分が誰かの役に立てるという喜びの中で、その決断ができると思うんです。

 心は感謝に満ち足りて、行動は人におもねずに…

 できればこの先の生涯、僕はそんな人生を全うしたいです。


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もみじまんじゅうが無くても…

 今日は、溜めてしまったメールの返信を、一気にやってしまおうと、気合いを入れました。
 その際に、もみじまんじゅうを一つ食べてから作業に取り掛かる事に決めました。
 別に、特に合理性のある理由がある訳では、ないのですが(笑)

 先日、講座会場に使わせて頂いている 「悠庵」 に年始のごあいさつに行った時、もみじまんじゅうを一つ頂いたんです。
     年賀状を、悠庵の住所に送って頂いた皆様、ありがとうございました。
     頂いた年賀状は、僕の宝物です!


 頂いたおまんじゅうをそのままポケットの中に入れて、家に帰りついた時にそのままどこかに置いたのですが、探しても見つかりません。

 見つからないと、何だかムキになって、何が何でも見つけたくなるものですね(笑)
 どっかに置いたまま、一ヶ月後にカビが生えた状態で発見されても困りますし…

 僕の計画では、もみじまんじゅうを食べてからメールの返信をする予定なので、おまんじゅうが見つからないとメールの返信ができないのです。

 1時間近く探し回って、やっと見つけました!
    書類に埋もれていた…

 少しおバカな身の上話をしてしまいましたが、間違った計画を立てて、それに振り回されると、本当に人生の時間の無駄になります。

 必要な事は、単純に今すぐメールの返信をすれば良いという話なのですが…

 人というのは、物事を始めるのに計画を立てたがります。
 場合によっては、どう考えても必要ない予定まで計画の内に入っていたりします。

 P.F.ドラッガーは、計画というものについて、著書で次のように言っています。

 仕事に関する助言というと、「計画しなさい」 から始まるものが多い。誠にもっともらしい。問題は、それでうまく行かない事にある。計画は紙の上に残り、やるつもりのまま終わる。
 (P.F.ドラッガー 著 「経営者の条件」 より)


 計画を立てる事が必ずしも意味が無いとは限りません。
 大きなプロジェクトを実現するには、計画は不可欠です。

 その計画が自分一人でも、十分に実現可能な内容であれば問題はないです。
 ところがその中に、実現するかどうか不確定要素が強いもの、人の協力次第で実現するかどうかが決まるものがある場合には要注意です。

 そういう計画や手段に囚われると、物事の進行が遅くなったり、本来なら可能な事が不可能になってしまう事があります。
 他の手段があるかも知れないのに、狭い視野で袋小路になってしまっている状態…

 だから、不確定要素が強すぎる計画は、あまり綿密に立てない方がいいちうのが、僕の持論です。
 自分が気がつかないもっと良い方法を誰かが教えてくれるかも知れません。

 大きなプロジェクトをやる際には、天にお任せする覚悟が必要です。
 ちょっと無責任な言い方ですけど、ある程度大きなプロジェクトって、それが成功するかどうかは最初から決まっている気がするんです。

 プロジェクトを完遂させる際に一番大事なのが、計画を自由自在に変えられる柔軟性だと思います。

 もみじまんじゅうがその場になかった時に、「よし、この仕事は、もみじまんじゅう無しで行こう」 ってすぐに決断できる事が大切なんですね。
 ところが一旦ムキになって、おまんじゅうを探し始めると、中々後へは引き返せなくなるのが人間の性(さが)です。

 本末転倒を避ける為にも、無謀な計画を始める前に、計画そのものを変える事が重要なんですね。
     今回は、もみじまんじゅうの誘惑に負けた…

 例えば、結婚相手を見つけて結婚をする前に、仕事や海外旅行を人生で目いっぱい楽しんでおきたいとか…
 職についてしまう前に、運転免許だけは取っておきたいとか…

 一見、合理的な人生計画のようで、もみじまんじゅうとあんまり変わりません(笑)

 本当に必要なものは何か?

 それがハッキリわかった時、貴方は人生で必要なものをすべて手に入れる事ができるでしょう。 


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捨てる事で授かれる

 今日のお昼は初めて、「浅野太志 東京オフィス」 で、お客様を鑑定させて頂きました。   このネーミング気に入った…

 そしてまた、夕方には住んでいる松戸の八柱に戻って、喫茶店で別のお客様を鑑定させて頂きました。

 有難い事になにげに忙しくさせて頂いております。

 昨日のブログは、格好つけて僕の占い師ポリシーみたいな事を語ってしまいましたが、僕が占いの時に心掛けている事は、なるべく自分の思惑とか我みたいなものを捨てるようにする事です。

 間違っても、「自分の占いの腕を披露してやるぜ」 みたいな事は思わないようにしています。
 昔は僕も自信過剰で傲慢だったので、よくそういう思考にハマりまくってましたけど…
  占いの知識で相手を論破してやるぜみたいな (今思うと恥ずかしい…)

 今はただ、目の前のお客様の幸せを願って… というか、それさえも意識し過ぎないように気をつけています。
 とにかく 「自分」 というものが入ると、本当に間違いやすくなるんです。

 「占い師として成功して、一財産築いてやるぜ」 とか、
 「有名になってテレビや雑誌で活躍してやるぜ」 とか、
 そういう気持ちすごく良くわかるんですけど…

 何かここん所、そういうのも疲れちゃったんですね(笑)

 僕の人生、今までいろんな事がありました。
 20代の時は、いつも劣等感にとり憑かれてましたから、本当野心のかたまりみたいな人間で、有名になって人からちやほやされたくて、あがいていました。
 その野望は全て打ち砕かれましたけど…

 だからその時に、僕の変な野心は、ほとんどズタボロになって消えてしまったんです。
 でも、つい最近までわずかですが 「何とかリベンジしてやろう」 という野心が残っていました。

 ただ、今になって、それさえも消えていきました。
 別にこれ以上望まなくても、今、十分に幸せなんですよね。
 それに、そういう野心って何だか疲れるし(笑)

 もちろん若い時は野望も大事だと思うし、それによって自分を高める事ができるから、思いっきり野心を抱いたらいいと思います。

 でも、この占い師という職業には、この野心というものはあまり良い影響を及ぼさない気がする…
 インスピレーションという天からのパイプをさえぎってしまうんですよ。

 僕の20代って自分で言うのもなんですけど、「一体なんだったの?」 っていうほど悲惨でした(笑)
 もちろん、原因は全部自分にあるんですけど…
   今ならそれが痛いほどわかる

 でも、あの時代にいろんなものが捨てられた気がする…
 そしていろんなものを捨てた事によって、今の幸せが授かれたのだと思う。

 捨てる事で授かれる…

 その時はわからなくても、時が来れば必ずわかる時が来ます。
 今、僕はこれまでの人生の事を、本当に感謝しています。


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決して忘れてはいけない事

 世の中にはサイキックと言って、不思議な能力を持った人がいっぱいいます。
 こういうお仕事をしていると、そういう特別な能力を持った人の話を聞いたり、知りあうような機会も多いです。

 うちの父なんかは懐疑主義者なので、サイキックの話をしても、全部頭からトリックだとか、偶然だとか否定します。
 それは実際にサイキックに会った経験がないからです(笑)

 これはある方から聞いた話です。
 その方の友人は、サイキックのモードに入ると、たちまち人が変わったようになって、予言をまくしたてるそうです。
 しかも、普通の状態に戻った時には、自分が話した事を何一つ覚えていないのだとか…

 その方は、そういう話を信じていなかったので、その友人がサイキックモードに入った時に、
 「じゃあ、僕の未来を当ててみてよ」
と聞いたそうです。

 そうしたら、
 「2ヶ月後に、若くて髪の短い男性と殴り合いの喧嘩をするから気をつけろ」
と言われたそうです。

 その時、その方は、やっぱりいい加減な事を適当に言っていると思ったそうです。
 だいたい自分は滅多に人と喧嘩する事もないし、ましてや殴り合いの喧嘩なんてする訳もない…

 ところがその2ヶ月後、思わぬ事でカッとなって、気がついてみたら予言の通り、本当に若くて髪の短い男性を殴っていたそうです。

 その時から、そういうものをすっかり信じるようになったそうです。

 この話からわかる事は2つです。
 一つは、世の中にはそういう特殊な能力を持った人がいるという事…
 そしてもう一つは、未来はある程度までは決まっている事です。
 もちろんそれは絶対ではなくて、未来を変えられる可能性は残っていると思いますが…

 きっと、時間軸の次元を超えた所で、過去も現在も未来も全てのシナリオが組み込まれた、この世のシナリオのコンピューターみたいなのがあるんだと思います。

 サイキックの人というのは、いつもそこにアクセスできる権限を持っているのだと思いますね。

 ただし、そういう能力を持った人が、いつも正しい未来の情報を引き出せるかというと謎です。
 常に直感だけを頼りにしているから、日々のコンディションにも左右されやすいですし…

 一時的にすごい能力を持っていたサイキックでも、いつの間にかその能力が消えてしまっているという事もあると思う…

 占い師もそういった意味で、ややサイキックに似た部分があります。
 サイキックと違うのは、占い師はツールや占術知識を使って、答えを導き出す所です。
 サイキックのように、ビジョンが見える訳でも、具体的な事象がわかる訳でもありませんが、サイキックに比べればコンディションによる振れ幅は小さいです。

 占い師は、占術の知識量が全てかというと、そうでもありません。
 あくまでも、知識量と直観力のバランスです。どちらが無くても厳しいと思いますね。

 占術理論の知識量では誰もかなわないような人でも、実践鑑定の腕は今一つという事があります。
 「占い師は正しい占術知識さえ持っていれば、誰にでも未来を当てる事ができるんだ」 とか言っている人は、まずダメですね(笑)
 占術理論の世界にどっぷり浸かって、いつも知識の中で遊んでしまっているので、たいがい直観力が鈍くなっていますから…

 サイキックも占い師も、普通の人から見たら特殊です。
 決して平凡ではありません。

 こういう特殊な能力を持ち続けるには、逆に平凡になってはいけない気がするんですね。

 将来は家庭を持って、一戸建てとマイカーを手に入れて、できれば別荘も欲しいなあ… とか別に思ってもいいですけど、それが人生の中心になってしまったら、もうその占い師は先が見えていると思うんですよ。

 それはそれで願っても構わないけれど、常に自分の役割とでもいうべきものは、意識していないといけないと思う。

 それは別に、「自分は特別な人間だ」 と傲慢になるという意味ではなく、むしろその逆です。

 何の為にこういう特殊な仕事で成功させて頂いているのかを忘れてしまったら、元も子もないと思うんですよね。

 僕もまだ偉そうな事を言える人間ではありませんが、今こうやって、有難くも占い師というお仕事で生活をさせて頂けています。
 だからその事だけは、死ぬまで忘れないようにしていきたいと思います。


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素敵な贈り物

 お世話になった人にする贈り物を選ぶ時って、とても気を遣うものです。
 その人の好みもあるから、あんまり変な物を贈る訳にもいかないし、考えれば考えるほどに悩みます。

 僕は、こういう時に相手の人が喜んでくれそうな物を選ぶのは、結構得意です。
 こういう時は深く考えこまないで、相手の人をイメージして、何となくパッと思いついた物を贈ります。

 この 「何となく」 がポイントですね(笑)

 この人には、手鏡がいいかな… とか思ったら、徹底的に手鏡ばっかり探します。
 案外この直感が的を射ていたりするんですよ。もちろん、外れている事もあるでしょうけど…

 とはいえ、やっぱりずっと残る物を贈るのって、外すリスクも高いです。
 贈ろうとしている物は、相手の人がすでに持っている物かも知れないし…

 そこで、結局無難に、食べる物を贈ろうって事になるんですね。
 でも、これも注意が必要です。人には好き嫌いがありますから…

 例えば、甘い物や油っこい物が大嫌いな人に、そういう味つけの物を贈っても、ありがた迷惑です。
 優しい人は、それでも気持ちを受け取ろうと、無理して一つぐらいは食べてくれるかも知れませんけど、無理して食べてもらうのって酷です。

 どんな物を贈ったら相手が喜んでくれるかな… って思いを馳せた時、一番邪魔になるのは、「自分の思惑」 というエゴですね。

 ちなみに、受け取った時に一番苦笑してしまうのが、でっかく広告が入った品物…

 例えば大きな文字で、「浅野太志 東京オフィス 銀座にオープン」 とかロゴが入ったフェイスタオルを僕が誰かに贈ったら、きっとその人困ると思います(笑)
 洗面所で使うのも恥ずかしいし、しょうがない、雑巾にでもするか… ってなるでしょう。

 今のは極端な例えですが、例えば贈り物をする時に 「贈った相手に、自分の事を良く思ってもらいたい」 という思惑が入りすぎると(多少入るのは、無理ありませんが)、何となくズレた物を贈ったり、かえって気を遣わせてしまう物を贈ってしまいやすいと思いますね。

 そういう思惑を消し去ると、何を贈っていいかが自然とわかったりします。
 場合によっては何も贈らないのが正解だったりするし、そういう選択もできる…

 相手の人を想って、自分の思惑を消し去って選んだ物は、きっと素敵な贈り物になるはず…

 「いつも本当にありがとうございます。末永くお幸せに…」

 あなたの気持ちが本物なら、それは必ず相手の方に伝わるはずです。


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どんな記憶も過去の遺物になる

 ちょっとした些細な出来事が、頭から離れなくなるような事ってあります。

 考えたって仕方ないってわかっているのに、それが頭にこびりついて、何をやるにも上の空になってしまう経験って、きっと誰でもあるはずです。

 多分、記憶力が優れた人ほど、そういう傾向にあると思います。

 僕は、ちょっと自慢ですけど、子供の頃の記憶力は、多分天才的だったと思います(笑)

 小学校の頃なんかは、例えばクラスメイトの名前とか、生年月日とかを、名簿に載っている上から順に全部暗記してしまうような子供でした。
 あと、毎年のカレンダーを丸暗記したりして、誰かに、何月何日は何曜日なのかを聞かれたら、全部即答できました。

 もうちょっと、役に立つものを覚えればよかったんですけど…

 母親はここぞとばかりに、日本の県庁所在地とか、英単語とか、円周率とか平方根とかを僕に覚えさせようとしたのですが、なんか強制されると、やる気がなくなるんですよね(笑)

 まあ、そのお陰で、今でも日本の都道府県名や県庁所在地は、確かに頭の中に残ってます。

 中学生になると、その記憶力を活かして猛勉強… ではなくて、四柱推命の星とかタロットカードの名前や順番なんかを暗記していました(笑)
 勉強もしないで、そんな本ばかり読んでいたら、親に本を取り上げられました。
    子供というのは、親の思い通りにはいかないものだ…

 さすがに今はもうダメですけど、二十代の頃とかは、一回聞いた電話番号や生年月日なんかは、瞬間的に覚えてしまいました。

 今でも、例えば何日の何時にどこで会いましょう、とかいう約束は全部暗記で済ましています。別にメモとか取らなくても僕は大丈夫なんです。
 でも、約束をした後に僕がメモを取ろうとしないのを見て、不安な顔をする人がいる時には、一応メモをします(笑)

 少し自慢話をしてしまいましたが、では、こういう人は、常に成績優秀で将来はノーベル賞候補にでも上がるかというと、そうとは限りません。

 中には、落ちこぼれになる人もいます。  僕みたいに…

 中途半端に記憶力が優れていると、過去に起こった出来事がいつまで経っても記憶に残ってしまうんです。
 過去に失敗した事、悔しかった事、バカにされた事、もちろん嬉しかった事もそうですけど…

 結局、過去のそうした記憶がいつも頭の中を堂々めぐりして、集中力が発揮できなくなってしまい、勉強が手につかなくなる人もいます。

 忘れられればいいのに、忘れられない…
 僕も相当に悩みました。これ、本当に苦しいんです。

 人によっては、薬を飲んで精神を安定させる人もいます。
 確かにそれも一つの方法だと思います。

 でも僕は、それをしませんでした。
 僕が今こうして、楽しく人生を過ごせていられるのは、多分ある事を悟ったからですね。

 それは、「どんな記憶でも、ぶり返さなければ、やがて過去の遺物となって気にならなくなる」 という事です。

 例えば昨日、とても嫌な事が起こったとしましょう。
 それが今日気になるのは、当たり前です。

 それでも、一年後には気にならなくなります。

 中には、オレは記憶力がいいから一年前の出来事でも気になるぞ… っていう人もいるかも知れませんが、それは一年間の間に、何度も何度もその記憶をリフレインさせたからです。

 では、昨日起こった嫌な事(しかも考える必要が全くない事)を忘れるには、どうしたら良いかというと…

 「どうせ一年後には忘れているから平気だよ」
って、自分に何度も言いきかせるんです。

 これ、効きますよ(笑)

 どんな記憶も、やがて過去の遺物になる…
 百年後には、この体だって過去の遺物になる…

 だから、過ぎた事に囚われないで、未来だけ見ていたらいいです。

 いつの日か自分の体が消えてなくなる時が来ても、残された人々に、少しでも心の安らぎや幸せなんかが行き渡ればいいかな…
 なんて、柄にもなく思ったりしているんですよ。

 P.S.
ジュース
 最近、このジュースを毎日少しずつ飲んでます。
 これ、四柱推命講座の受講生の人達から頂きました。
   本当にありがとうございました!

 適量が一回分30ml~60mlなので、ほんのちょっとの量なのですが、なんか目の疲れに効いている気がします。

 パッケージが全部英語で書かれていて、何だか最初怪しいとか思ったんですけど…   失礼しました

 飲んでみたらすごく美味しかったです。
 どうやら中にはアントシアニンがいっぱい入っているみたいです。

 この調子で、毎日頑張ります!


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どれだけ幸せになっても大丈夫

 今日は、銀座にある「浅野太志 東京オフィス」 に届いている年賀状を取りに行ってきました。
     このネーミングを浸透させよう(笑)

 皆様、心のこもった年賀状を本当にありがとうございました。
 頂いた年賀状は、僕の宝物です。
    もちろんメールの年賀状も含めてです。

 去年パリから帰国して、周りのいろいろな事がうまくいき過ぎていて、正直当惑していました。
 僕は今までの人生で、こんなにも幸せになった事がなかったんです。
 変な話ですけど、少し恐怖さえ感じていました。

 年末、モスクワにいる木下順介先生(2012/10/12ブログ 「モスクワからの便り」参照)と、スカイプ電話を使って少しお話しました。

 僕が、今の自分がツキ過ぎているのが怖い… という話をしたら、木下先生はこうアドバイスをして下さいました。

 「その謙虚さは、浅野君の良い所でもあるけれど、そのままのスタイルだと幸せをはね返してしまうよ。
 幸せになるのが当然なんだ… くらいに思った方がいい」

 この木下先生の言葉は、グッと琴線にふれました。

 木下先生は続けて、こんな話をして下さいました。

 人間は、恨みや復讐なんかのエネルギーで頑張った時というのは、何もうまく行かなくて痛い目に遭うし、人によっては病気になったりする。
 でも、また心を改めて頑張った時には、昔の人生がまるでウソのようにうまく行く…

 その時に、昔のうまくいかなかった状態が普通だと思っていると、こんなに良くしてもらっていいのかって、絶えずビクビクしてしまって、せっかくの幸せが受け取れなくなってしまう…

 これ、本当にわかる気がします。
 若い頃の僕は、いつも恨みや復讐心に取りつかれていて、何一つうまく行かなかった時期が長かったですから…

 去年のクリスマス・イヴに、お誘い頂いたディナーの会場は、超一流の経営者や財界人みたいな方で埋め尽くされていました。

 出てくる料理は、今までに見た事がないような超高級料理ですし、やけに美味しいシャンパンだと思って飲んでいたら、後から 「それ、ドンペリですよ」 とか聞かされたりして…
 もう落ち着かないというか、かなりうわずってました。

 「ありがとうございます」 とか 「自分にはもったいないです」 とかひたすら連発していた気がします。

 今思い出してみると、反省点だらけです。
 僕の態度は、せっかくのあの優雅な雰囲気をぶち壊してしまっていた気がする…

 もっとどっしりとして、ディナーを有難く楽しむのが、最低限のマナーだったと思います。

 これは、例えば憧れの異性の前でも同じですね。

 憧れの人とのデートに成功して一緒に過ごしている時、「僕なんかでいいんですか」 という気持ちになってビクビクしていると、自分の魅力というものが何一つ発揮できません。
 その結果、つまらないデートになって、それっきりになってしまいます。

 幸せというものが目の前にきた時、「自分にはもったいない」 と思うと、神様はイジワルだから、「そうだね、君にはまだもったいないよね」 って取り上げてしまうんですよ(笑)

 だから遠慮しないで、有難く幸せになったらいいです。

 与えられた幸せをしっかりと受け取って、そして周りの人に、また幸せを与えていく…

 幸せは永遠になくなる事はありませんから、どれだけ幸せになっても大丈夫ですよ。


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予知能力者の苦悩

 最近このブログ、以前に比べてかなり過激になっている気がします(笑)
 何か浅野太志に心境の変化があったのか… と思われそうですが、別にそういう訳でもありません。

 前々からこのブログに書こうと思ってメモしたものの、このネタ書くのは問題あるよな… と躊躇してボツにしていた話を思い切って書いているだけです。

 このブログには、なるべく正しい事を書くつもりではいますが、僕自身書いている事が絶対に正しいかどうかなんて正直わかりません。

 反対意見が出ないような無難な事ばかり書いているよりも、あんまり損得考えないで、本当に思っている事を書いた方が、面白いブログになると思いまして(笑)

 僕が今唯一、ネタにするかどうかを決める基準は、読んで下さった方が幸せになるかどうかです。

 記事が正しいかどうかは別にして、読んでくださった人を不幸にしたり、混乱をさせてしまうような話は、極力書かないように気をつけているつもりです。


 さて、今回 「タロット講座~大アルカナ編~」を1/20より実施しますが、僕の講座を受講される人の中には、いろいろな能力を持った方がいます。

 その中には、未来の予知能力を持っている、サイキックの人もいます。

 その人は、東日本大震災が起こる数日前ぐらいから、宮城あたりを中心に大きな災害が来る事を予感で感じていたそうです。
 この予感は本当だろうかと思っていたら、タイミングよく仙台から間違い電話が掛かってきて、その予感が正しい事を確信した…
 とはいえ、まさか現地に行って、すぐに避難するように呼びかける訳にもいきません。

 そうしている内に、本当に自分の予感通りになってしまったという話です。

 その方はとても優しい方だから、今でも、あの時にみんなに避難するように呼びかけるべきだった… といつも苦悩されています。

 この話、残念ながら、第三者から見たら信憑性は今一つです。
 仙台から間違い電話が掛かってきたといっても、それは偶然に過ぎないといえばそれまでですし…

 でも、僕は信じますね。
 こういう話は、決してあり得ない話ではないと思います。 

 よく、山火事なんかが起こる時、その山に住んでいる動物は、数日前から山を下りていて、火事が起きた時には、山にはネズミ一匹いません。
 動物には、予知能力が自然と備わっています。

 まあ、火事が起きると察知して、山を下りているのかどうかまでは、わかりませんけど…

 だから人間にもそういう能力が備わっていても当然です。
 それに、その方の人柄からして、不器用ではあるけれど、嘘を言ったり、作り話をするようには、どうしても思えないんです。

 僕はサイキックではないので、未来が見えたりはしません。
 だから、そういう経験はありませんが、「わかっているのに何もできなかった」 というのは、さぞお辛かった事だろうと思います。

 でも、だったら、仙台に行って拡声器を使って、「今すぐ避難して下さい」 と呼びかけるべきだったかというと… 僕は、「それはどうかな」 と思うんですね。
 冷たい人間だと思われるかもしれませんけど…

 まず第一に、仮にそれをやったとしても、ほとんどの人は信じてくれないでしょう。おそらくあまり状況は変わりません。
 結果的に人を不安にかきたてるだけになってしまうとしたら、それはかなり罪な事です。
 また、状況が変わらなくたって、避難を呼びかける事さえできれば良かったというのなら、それはただの自己満足です。

 それにまだその時点では、災害が絶対に起こるとも限りません。
 それなのに、そんな事を口に出してしまえば、心のどこかで 「今、災害が起きなければ自分は嘘つきになってしまう」 という心の葛藤に悩まされる事になります。
 願うつもりはなくとも、心のどこかで災害が起こる事を願ってしまう… これは明らかに間違った心理状態です。

 では結局の所、その時に何ができたかといえば、人々を不安がらせないで、うまく難を避けられるように誘導する事ぐらいでしょうか。
 あと、サイキックならではの念の強さで、そうならないように神仏に祈るくらいの事しか、僕には思いつきません。

 去年にもブログに書きましたけど、例えば今僕が、住んでいる所に大災害が起こると言われても、その予言に怯えて、あわてて引越しをするような事はしたくないんです。
 (2012/12/21ブログ 「世界が終わる時」 参照)

 自分だけ助かろうとするのは見苦しいし、なんだかフェアじゃない気がして…

 本当に役割を持った人や強運の人は、意識せずとも難を避ける行動を自然にしてしまうものです。
 潜在意識が災難から守ってくれるんです。
  気功の三好先生は、神戸に行く予定を急遽変えた数時間後、阪神大震災が起こった…

 僕はだから、流れにまかせてみようと思う…

 いつの日か遠い未来、全ての人が予知能力を発揮できている頃には、きっと地上には、この上なく幸せに満ちあふれた世界があるに違いありません。


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陰と陽の結合で

 植物でも動物でも、陰と陽が結合して、そこに新しいものができます。
 あまり知られていませんが、大腸菌のようなバクテリアだって、オスとメスがあります。

 世の中の組織において、末長く発展していくものは、「陰」 の役割のものと 「陽」 の役割のものが、うまく結合して連携が取れています。

 明治維新の原動力になったのは、坂本龍馬が成しとげた薩長同盟ですが、陰の役割の長州藩と、陽の役割の薩摩藩がうまく連携したから、倒幕から明治維新までの流れができたんだと思います。

 長州藩というのは、イデオロギーの塊みたいな藩で、とっても過激です(笑)
 根底には、260年前の関ヶ原の戦いで戦わずして、徳川家に負けた毛利家の恨みつらみのエネルギーが原動力になっています。
 (11/8ブログ 「周りの人に流されない」 参照)

 でも、過激すぎて主義だけが先行し、現実性が欠けているので、「蛤御門の変」(はまぐりごもんのへん)の結果のように、長州藩だけだと何も成し得ません。

 一方、薩摩藩というのは現実的です。長崎で外国と貿易をして、武器もいっぱい持っていて兵も強いです。
 元々 「公武合体派」 で、幕府の味方にもなってました。

 大きな力を持っているけれど、スパッと筋の通ったイデオロギーのようなものがある訳ではなく、周りの時流に流されやすい…

 この 「陰」 の長州藩と 「陽」 の薩摩藩を、坂本龍馬らが合体させたから、偉業が成し遂げられたとも言えます。

 陰の役割、陽の役割、どちらも大切です。

 陰の役割というのは、どちらかというとあまり目立ちません。
 この世的に見ると、別に必要ないんじゃないかと思えてしまう…
 でも、これが大切なんですね。

 大きな事を成しとげる成功者というのは、なぜか不思議と、陰に厳しい奥様がいると言います。

 あの経営の神様の松下幸之助さんも、奥様だけには頭が上がらなかったそうです。
 奥様が陰の役割を担って、松下幸之助さんを支えていたんですね。
 別に奥様が、何か会社の仕事をするという訳ではないです。
 ただ、松下幸之助さんにとっての揺るがない精神的な支えになっていたんですね。

 奥様が天からのパイプの軸になって、松下幸之助さんの為に常に厳しい事を言われたのだと思います。

 「陽」 の要素だけですと、脆くて流されやすいです。
 現実的なエネルギーは大きいですが、天とつながっていないから拡散してしまいやすい…
 イデオロギーも一貫していなくて、支離滅裂になりやすいです。

 もちろん 「陰」 だけでは、それはただの点に過ぎないから、発展していきません。

 この陰と陽の関係というのは、ヨーロッパの歴史では、法王と皇帝の関係だと思うんですね。
 お互いがお互いを尊重し合う事によって、それぞれの権威が強まっていきました。

 日本の場合なら、陰と陽というのは、天皇と内閣総理大臣の関係にあたります。
 天皇って別に政治の決定権がある訳ではないですけど、日本の国の精神的な拠り所みたいなものです。

 これは少し余談になりますけど、今まで何回か首都移転の計画が持ち上がった事があります。
 東京一極集中はいろいろな意味で問題があるので、何とかしたいけれど、国の行政機関を移転させるのには莫大なお金が掛かるものですから、結局話は流れっぱなしです。

 それなのに、皇居の移転の話というのは、誰も切り出さないんですね。
 そういう話を切り出したのは、亀井静香さんぐらいです(笑)

 まあ、天皇のご意志もあるから、他人がとやかく言う事でもありませんが…
 でも、元々天皇家は代々京都だったし、徳川家の江戸城にお住まいになるよりも、そっちの方が御所にふさわしい気がするんですけどね。

 天皇陛下の吉方位で、移転されたら良いと思うのですが… まあ、余計なお世話でしょうけど(笑)

 軸が動けば、東京の一極集中も解決できるし、何かその方が日本がうんと発展する気がするんですね。
 何となくですけど…
  かなり問題発言だろうから、このブログの知名度が低いうちに言っとこ(笑)

 おそらく今、大きな時代の流れの変わり目に来ている気がします。

 いろいろとみんなで試行錯誤しながら、きっと素晴らしい場所にたどり着けると思う…

 今この時代に生を受けている事に、とても感謝しています。


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運命で結ばれた人

 今日は本当に寒い一日でした。
 外出する時には、結構厚着をしていったつもりですが、冷たい風が直撃する度に、耳が凍りそうになりました。
 頭だけは、どうしても防寒できませんから…

 まあ、ヘルメットとか、かぶっていればいいのかも知れませんけど(笑)

 何気なく昼食を食べようと入った喫茶店で、知り合いの人にバッタリ居合わせて、結婚する男女の縁の話で盛り上がりました。
 知り合いと言っても、僕よりも一回りも年上で幸せな家庭を持っている男性です。
 人生の先輩の話を聞かせて頂いて、本当に勉強になりました。

 これは結婚されている多くの方が口をそろえて言われる事なんですけど…
 結婚相手というのは、流れに任せていれば無理な事をしなくても、引き寄せられてしまうものだそうです。

 例えば、初めて出会った時に少しくらいすれ違ってしまったとしても、ちゃんとまた結ばれるべくその人と出会えるそうです。
 自然にまかせていれば、縁のある人と結ばれるべくして結ばれる…

 でも実際に、そういう相手がいつまでたっても見つからずに一人でいる… というパターンだって目にします。

 僕も、そういうパターンの原因が良くわかりませんでした。

 だから、多少は無理をしてでも相手を探す努力をして、根性で結婚をつかみ取るしかない… とか考えていました。
    もちろん吉方位なんかも活用して…

 ところが、そういう努力もマメにやっているのに、縁がないという人もいます。
 そういう人は、人生に縁が用意されてないのかな… なんて思いたくもなります。

 自然と縁に引き寄せられるのが本来の姿であって、相当に頑張っているのに縁にたどり着かないというのは、多分何かが違っているのかも知れない…

 僕はふと、そんな気持ちになりました。

 今までの僕もそうだったんですけど、おそらくそういう人というのは、目の前に現れた縁を認めようとしないんですね。

 その原因というのは、頑固さゆえかも知れないし、何かのトラウマが原因かもしれない…
 もしくは前の相手にどうしても心が囚われてしまっている、という事もあるでしょう。

 自然に任せていれば、縁のある人と運命の流れの中で出会って、お互いに心が惹かれあってやがて結ばれる…

 ところが、こういう頑固さやトラウマ(こういったものは、過度な個人主義が原因なんでしょうけど…)が原因で、心が不感症になって、縁がある相手と出会っても好きだと思えなくなってしまっているんじゃないか、という気がしたんです。

 もちろん無理やりに好きになろうとする努力なんて必要なくて、縁がある男と女なら、何もしなくたって自然に惹かれあってしまうはずです。
 ある意味、生物学的に(笑)

 僕は、思ったままにそんな感想を述べてみました。

 すると人生の先輩は、こうおっしゃいました。

 確かにそれは正しいでしょうけど、例え縁がある男女であっても、お互いがもっと近づこうとする努力を続ける事が大切だと思います。

 それによって、出会うまでの時間も短縮できるし、何よりも、お互いの人生がより幸せになれるから…

 なるほど、深いです。

 運命で結ばれた人はすぐそこにいるかも知れない…

 流れに逆らわず直感を信じて、お互いが努力を惜しまなければ、必ずその人と巡り合うはずです。

 P.S.
 さっきまで、この前のクリスマスパーティーを御一緒させて頂いた会長が、是非観ると良いと勧めてくださった映画のDVDをレンタルして観ていました。

 「華麗なるギャツビー(THE GREAT GRTSBY)という映画です。

 なにせ1974年制作の映画ですから、ギャツビー役のロバート・レッドフォードが若いです(笑)

 主役はギャツビーではなくて、ニックという中流階級の青年なんですけど… 引き込まれるようなストーリーで、いろいろな事を考えさせられる映画でした。
 一言でいうと、純情でセンチなある金持ちの男の物語です。

 ここの所、恋愛不信に陥っているという貴女に、おすすめのコメディ・ラブ・ストーリーです。
 でも、男性諸君にはちょっぴり切ないお話かも…
        フッ、所詮女なんてこんなもんさ(笑)


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地球には全部必要なものは揃っている

 お正月3日目、いよいよ三が日も終わりですね。

  謹賀新年

 これ、僕の住んでいる八柱駅前のネオンライトです。
     謹賀新年も、もう終わりですね(笑)

 夜の街を、美しく照らし出してくれています。

 それにしても、電気って本当に大切です。
 僕は少し前まで横浜に住んでいた時、東日本大震災による原子力発電所の事故の影響で、計画停電というものにまともに遭遇しました。
 ひどい時なんて、一日に2回です。

 計画停電というのは、電力不足を補う為に、地域で分担して順番に数時間電気を止められる停電です。

 まだ昼間の停電ならいいんですけど、夜に計画停電されると、外も部屋の中も真っ暗です。  世の中も真っ暗…

 あの時は持っていたペンライト(手相を見るのに使う)が本当に役に立ちましたね(笑)

 電気というものの大切さを、「これでもか」 というくらい思い知らされました。
 今現代の社会生活において、電気が無い生活なんて考えられないです。

 その中でも原子力発電は、発電所の建設には莫大な費用がかかるものの、確実に電力を供給できるという事に関しては、効率が良い事は確かでしょう。

 従来の火力発電だと石油も大量に消費する上に CO₂の発生もすごいので、環境問題に深刻な影響を与えてしまう。

 最初は、フランスが CO₂削減の為に原子力発電に積極的に取り組み始めたんです。
 それを日本も模倣した訳ですけど…

 フランスという国は地震がない国ですから、こういう事故は絶対に起こりえませんが、今回の東日本大震災はさすがに想定外だったと思います。

 ただ、事故が起きて放射能が漏れたと言っても、その放射能でお亡くなりになった人は、誰もいません。

 確かに放射能の測定値は通常よりも上回っていたかもしれませんが、地球上には別に原発が無くとも、あれ以上の放射能の数値になっている場所はあります。
 誤解されがちですが、そもそも放射能というものは、自然の中に存在するものですから…

 それよりももっと怖いのは、二次被害です。
 あの時、周囲の地域に避難勧告が出る事によって、寝たきりの老人や病院の患者がそのまま放置されてしまった結果、原発周辺の双葉郡の死者は342人もいるんです。

 もちろん、原子力発電が絶対安全だなんて、思っている訳ではありません。
 もしそうだったら、東京都のど真ん中に発電所を立てるべきです。
 多くの電気を使うのは、ほとんど東京なんですから…

 まあ、実現は100%ありえないでしょうね(笑)

 そうはいっても現実的な話、原発がなければ、電気の供給源が無くなって日本の経済が立ち行かないから、危なっかしくても、今後も原子力発電に頼らざるを得ない… みんな、そんな風によく言います。

 あと、廃炉にするにも多額のお金がかかるから、やっぱり、原子力発電死は稼働させ続けるしかないとか…

 でも、本当にそうなのでしょうか…

 僕も今まで、その部分に関してはあんまり真剣に考えた事がありませんでした。

 実は今日、1本のDVDを観ていたんです。

 「ミツバチの羽音と地球の回転」 というドキメンタリー映画です。

 この前、書道教室に誘ってくれたMさんが勧めてくれた映画なんですけど…
 とても考えさせられる映画でした。
 
 人が地球というものと共存して生きていく上で何が大切なのか… たくさんのメッセージが、伝わってきました。

 この映画の中には、北欧の国・スウェーデンのエネルギーに対する取り組み方のレポートがあります。
 スウェーデンでは、自国の電力を全て、ほとんど自然エネルギーの中から、自給自足でまかなっているんですね。

 風力発電、水力発電だけでなく、バイオを使ったものや波力発電… ありとあらゆるものを電気に利用する事ができるんです。

 スウェーデンは日本と違い、電力会社がいくつもあって、その中で消費者が好きな電力会社の電気を供給する事ができます。
 あの国って、充電式の車なんかが走っているんです。
 しかも、その電気も、風車で発電した風力発電による電気だったりする。

 こういうのって夢じゃないんだ… って思いました。

 この映画のメインテーマは、瀬戸内海にある、今まで島民が自給自足で生活してきたという祝島の原子力発電所の建設問題です。

 原子力発電所は、便利なものには違いないけれど、環境破壊によって島の人達の暮らしを全て奪ってしまうんですね。
 今まで自給自足で平和にやってきた島に激震が走る…

 僕は原子力発電に対しては、別に推進派でも反対派でもありません。

 ただ、島の人々の暮らしという奪われてはいけない大切なものが、「利権」 というものが絡んだ一部の企業によって踏みにじられてしまうのは、見るに堪えないと思いました。

 自然エネルギーの開拓は、きっといくらでもできるはずです。
 これは、国がもっと積極的に取り組むんでいかなければならない問題だと思います。

 今から25年ほど前、日本の国土は山脈の影響で風のふき方が複雑なので、オランダやデンマークのように風力発電には適さないというのが常識でした。
 だから当時、風力発電は国内で行なわれていませんでした。

 そんな風潮の中、デンマークから風車を輸入して、日本中の海岸沿いにふく風の測量をしながら、見事に風力発電を成功させた小島剛(こじま たける)さんという人がいます。
 日本の風力発電の礎(いしずえ)を築いたパイオニアです。

 その小島さんがおっしゃるには、当時の日本の官僚の頭の固さに、本当日々悩まされたそうです。
 まず最初に、「できる訳がない」 から必ず始まって、なかなか認可を下ろしてくれなかったそうです。

 もしも、この先の未来、日本が自然エネルギーを導入する事によって、電力の自給自足が可能になったならば、この国は素晴らしい国になります。
 もちろん、その為の課題は山ほどあります。

 それが可能になりさえすれば、「原発推進」 も 「原発反対」 も関係ない… お互いに口論をしあう事も無くなります。
 他に代替エネルギーさえあれば、えらく建設費用がかかる原発なんて、もう必要なくなるはずですから…

 「そんな事を言ってる君は、サルですか?」
 って、誰かから言われそうですけど、最初からやろうとしないであきらめてどうするんですか… って思います。

 それに、冷静に考えてみれば、今、日本中のほとんどの原発が稼働していないのにもかかわらず、電気の供給はちゃんとできているんですね。
 
 地球には、人間にとって必要なものは全部揃っている…
 これから先の未来、「自然というものと、どれだけうまく共存していくか」 というのは、人類の課題になってくると思う。

 それに少しでも貢献できるならば、まさに僕の本望です。


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一人一人が真剣に…

 新年2日目、皆様素敵な初夢はごらんになりましたか?

 僕は… 何だかすごく、ばっちい夢を見ました(笑)
     表現できません… いかにも金運上がりそうな。

 去年の末には総選挙があって、自民党大勝で安倍政権が誕生しました。
 僕、安倍さんが選ばれて、すごく良かったと思っています。

 もちろん課題は山ほどあるし、全て手放しでは喜べないですけど…
 少なくとも景気の面では回復していくはずです。

 今までで大きく景気を回復させた首相には、吉田茂首相、池田勇人首相、中曽根康弘首相、といるんですけど、きっと安倍さんは4人目になると思う。
 だって、運気いいんですもの…  顔色は悪そうに見えても(笑)

 それに安倍さんは、日本の事をしっかりと理解している人です。
 東京裁判の判事の中で、インドのパール判事という冷静沈着に公正な判断をした人物がいたのですが、わざわざインドまでパール判事の子息に会いに行ったのって、安倍さんだけだと思います。

 頭が良くて、駆け引きができる素晴らしい政治家です。
 しかも、勢いにまかせた行動もしないから、そういう面でも安心できる…

 もちろん景気が回復しても、まだまだ日本の問題は山ほどあります。

 溜まっていく赤字国債をどうしたらいいかとか…
 本当にエネルギーを原子力発電に頼っていていいのかとか…

 まずは景気優先で考えなければいけないけど、こういう問題から目をそむけてもいられないと思う。

 なんだか堅苦しい政治ネタになってしまいましたが、やっぱりこれからの未来、一人一人が政治に関心を持つ事って大切です。

 もちろん、僕の思想が正しいなんて限らないし、知り合いと政治の事で口論するのはバカバカしいから、僕も人前ではあまり口には出さないけど…

 一人一人がこの国の事を真剣に考えていれば、考え方の形は違っても、必ず国は発展していくと思うんです。


 P.S.
 今日1月2日は、一年で一番地球が太陽に近づいた日(近日点)でした。
 よく、地球が一番太陽に近づくのが夏至だって勘違いされる事があるんですけど、それは違います(笑)
    ちなみに日本が夏の時は、南半球は冬です…

 だいたいいつも、1月上旬がこの近日点に当たるんですね。
 望遠鏡で覗くと、いつもよりほんのちょっとだけ太陽が大きく見えてます。
 太陽が近くなった今日は、日の丸パワーがいっぱい来てるかも… ですよ(笑) 

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