浅野太志 songe a Paris

パリでエテイヤ・タロットの取材を終えた、占い師・浅野太志の日々の活動をつづります。

幸せな結婚スタイル

 「結婚は人生の一大イベントだ」 と言う人もいれば、「結婚は人生の墓場だ」 と言う人もいます。
 墓場だ、というのが本当なら結婚なんてしたくないです(笑)
   おいおい…

 まあ、それは冗談で、結婚を墓場にするのも、最高の楽園にするのも、結局の所、本人次第だと思います。

 ある人が言っていた話ですけど、十代や二十代の頃には、結婚相手に対して容姿や好みを重視しやすいのに対して、三十代・四十代となると、相手の頭の良さや生活能力を重視するようになり、五十代になった時に、最も重要視する事とは…

 それは、「相手が自分の事をどれだけ好きでいてくれるか」 という事だそうです。

 なるほど…
 僕も若い頃は、どんなに自分の事を好きでいてくれても、こっちが好きになれなければ、そんな結婚は不幸でしかないとか思っていましたけど、年を取るにしたがって、今なら少しはこの気持ちがわかる気がします。

 これは僕の持論ですけど、結婚した二人が共に幸せでいられるには、ある一つの所にかかっているように思えます。
 それは、「お互いに、相手と一緒に暮らせる事に感謝できるかどうか」 という事…

 これがきちんとできていれば、喧嘩したって仲直りできるし、ましてや浮気や不倫なんて起こりえないと思うんです。
 本当に感謝していたら、例え見えない所でも、相手を悲しませるなんてできないですから…

 出会いのきっかけが恋愛であっても、見合いであっても、結婚に至るパターンとしては、「こちらが相手に惚れて、必死にプロポーズして結婚に持ち込む」 か 「相手から惚れられて、こちらが折れて結婚する」 かという、どちらかのパターンになると思います。
 もちろん、結婚する前に両想いになれれば、それが一番なんですけど…

 冷静に理性的に考えれば、幸せな結婚生活は、相手から惚れられて、こちらが折れるパターンの方が楽にうまくいくんです。
 だって結婚できたという時点で、相手は必ず貴方に感謝していますから。
 後は、こちらの気持ちさえ、その相手を好きになって感謝するように持っていけばいいだけの話です。

 逆に、自分が必死にプロポーズして、やっと射止めた相手というのは、主導権が相手に握られるんですね。
 相手に、自分と結婚した事に感謝してもらわないと、本当に幸せな結婚生活は成立しません。

 かといって、「おい、オレに感謝しろよ(ちょっと、私に感謝しなさい)」 と相手に言うのは、どう考えても逆効果ですし…(笑)

 それならば、相手にこれでもかというくらい尽くしたらいいかというと、それは何とも言えません。
 普通の男というのは、女房から一生懸命尽くされれば尽くされるほど、つけあがるんです。
 きっと、女の人も同じじゃないかと思うんですけど(笑)
 下手に出続けていると、「浮気してバレたって、開き直ればいいや…」 とか思われるかもしれません。

 ではどうしたらいいかというと、常に相手から尊敬されるような素敵な異性であり続ける事に、努力するしかありません。
 これができてくれば、相手も貴方と結婚した事に感謝できるようになるはずです。

 お互いがお互いに感謝する事ができたら、少し手厳しい相手への忠告も、愛情を持った言葉で言えるし、素直に聞けるようになります。
 喧嘩になったって、すぐに仲直りできます。

 今、結婚生活がうまくいっていない人でも、お互いがその気になれば、必ずうまく行くようになれます。
 だって縁があって結婚したんですから…

 素敵な異性に巡り合えた事に感謝して、結婚した後は、お互いに感謝し合って、幸せな結婚スタイルを築こうではありませんか。


堪忍を全うした偉人

 三英傑の話も、いよいよ今日が最後です。
    無理やりつき合わせて、ごめんなさい…

 この三人の天下の持ち回りの事を、餅にかけあわせて、
「天才である織田(信長の事)がついて、才人である羽柴(秀吉の事)がこねて、作り上げた天下餅を、何もせず座って食べたのは、凡人の徳川(家康の事)だった」

 と言われたりする事があります。
 なんか、家康だけ損な役回りをさせられていますが、まあ、一番おいしい所をいただけたのは確かですし、皮肉られても、仕方ないと言えば仕方ないでしょう。
 それにしても、「凡人」 って…(笑)

 頭の良さという事でいえば、家康は信長を上回るくらいの冷静な知恵が回った人です。
 ややタイプは違いますが…
 信長や秀吉というのは、たたき上げの創業者タイプですが、家康は明らかに官僚タイプです。
 物事にソツがありません。いわゆる学校の優等生型です。
 だからつまらないし、家康嫌いの人もいっぱいいます。

 物事の本質をつくような事を言って、周囲を感心させる事も多かったにもかかわらず、独特の要領の悪さやバカ正直な真面目さが、凡庸っぽいイメージを与えているのだと思います。
 (それによって結果的に得をしてしまうので、腹黒いイメージを持たれる事さえあります)

 家康の行動パターンの最もたる特徴は、「損をする生き方」 を見事に実践していた所にあります。
 その傾向は、幼少の頃からありました。

 13歳の頃、駿河の国で今川義元の人質になっていた時の話です。
 墓参という名目で、義元から一時的に本国である三河の岡崎城へ帰参を許された事がありました。
 岡崎城は先祖代々からの松平家(のちの徳川家)の持ち城、いわば自分の城です。
 ところが家康は、岡崎城に入っても、本丸へは決して上がろうとせず、ずっと二の丸で過ごしたのです。

 「竹千代(家康)は未熟者ゆえ、二の丸にとどまりたいと思います」
 この家康の発言を聞いた今川義元は、
 「竹千代は未熟者なものか、何とまあ思慮深い人物だ。大人になったら、どんな素晴らしい人物になるか計り知れない」
 と、周囲の者につぶやいたそうです。

 一般的に、家康は今川義元から人質としてぞんざいに扱われていたみたいに思われていますが、それは必ずしも正しいとは言えません。(義元の家臣(例えば孕石元泰)から、ぞんざいに扱われた事は事実ですが…)

 あまり知られていませんが、今川義元が桶狭間の合戦により、織田信長に命を奪われると、家康は今川義元の弔い合戦と称して、織田の城を必死になって攻め立てていました。
 「今川殿の恩義に報いるために戦わねばならぬ」
 と言いながら、懸命に戦っていたのです。
 今川義元の息子である氏真(うじざね)をはじめ、誰一人弔い合戦などする気もなかったのに…
 結果的に家康が三河で独立したのは、今川氏真があまりにも無能だったからです。

 後年、豊臣秀吉の天下となって、江戸に領国が移ってからも、東海道を通って桶狭間に立ち寄った際には、家康は必ず義元の墓前に立ち寄って手を合わせたと言います。
 そして家臣にも、同じ事をするように指示していました。

 歴史に If というものはないのですが、仮に桶狭間の奇襲が成功せず、今川義元が京に上洛して、早々と天下を取っていたら、やっぱり家康はそのNo2ぐらいにはなっていたでしょう。

 仮に信長という存在がなくても、家康という人物は天下に君臨する定めだったに違いありません。
 元々生まれながらにして、そういう素養を持っていますから…
 これは、豊臣秀吉に関しても同じ事が言えると思います。

 家康は子供の頃から、「史記」 とか 「易経」 とか小難しい本をいっぱい読んでいました。
 この家康の 「損をする生き方」 は、多分 「易経」 を読んでいた影響によるものではないかと思うのですが、この後も、天下を目の前にするまでずっと、このスタイルは続きます。

 姉川の戦いで、織田信長と連合を組んで、浅井軍・朝倉軍を相手に戦う時も、信長が珍しく気を遣って、
 「三河殿(家康の事)は、二番備え(にばんぞなえ/戦況が不利になった時に出向く予備軍)をされよ」
 というにもかかわらず、
 「それがしはそんな事をする為に、ここへ来たのではありません。敵と正面から戦う為に来たのです」
 と言って、自軍の二倍もの兵力の朝倉軍と戦って、見事勝利しています。
 たまたま勝ったからいいようなものの、普通の人から見たら、かなり馬鹿っぽいです。
 信長の指示に従って、二番備えをしていれば、うんと楽ができたのですから…

 豊臣秀吉が台頭して、諸大名の前で臣従の礼をする際には、これでもかとばかり秀吉の前で低頭しました。
 さらに、秀吉の陣羽織を所望したいと願い出て、
 「今後は、殿下に陣羽織を着せて、合戦の指示を取らせるような事はいたしません」
 と誓っています。
 家康にとっては、かつて秀吉は朋友・信長の部下だったわけで、普通ならプライドが邪魔してなかなかここまではできないと思うのですが、家康にはこういう事ができてしまう。
 どんな時でも、常に自分を空(くう)にできる強みを家康は持っているのです。
 家康が本当に 「凡人」 だったら、絶対にできない事です。

 最晩年家康は、後継者である息子の秀忠に、天下をおさめるにあたっての 「訓戒の書」 というのをしたためました。
 これは 「堪忍」 という事について、書かれたものですが、その中で織田信長と豊臣秀吉の事を記している箇所があります。

 「織田殿(信長の事)は近世の名将にて、人をよく使い分け、大きな器にて智勇が優れた人であったけれども、堪忍というものが(十ある内の)七つ八つにて破れてしまったゆえに、光秀の件が起こった。
 太閤様(秀吉の事)は、生まれながらの大きな器と智勇があって、堪忍というものがしっかりできていたゆえに、卑賤の身より二十年の内に天下の主にもなられたが、余りにも自信家ゆえ、分限の堪忍というものが破れてしまった。
 そうなる前はうまくいっていたにもかかわらず、身の程をわきまえなくなってからの万事華麗なまでの過分の知行や、行いや施しは、もはや奢り(おごり)というものである…」
 (清水橘村 「家康教訓録」 より)

 信長は、十ある内の堪忍の七つ八つが破れていた。
 秀吉は、ほぼ完璧だったが、最後になって 「奢り」 というものによって、堪忍の一つが破れてしまった。

 「堪忍」 などというと古めかしく聞こえますが、「自分を律する」 とか、「自分に打ち勝つ」 とか言った言葉に置き換えるとわかりやすいかも知れません。
 戦国の最後の勝者・徳川家康の言葉は、実際に苦労してきた人だけに、やはり重みがあります。

 人生において、未来というものは、大方決まっています。
 その人の持つ性格や考え方の中にある素養の部分によって…
 信長も秀吉も家康も、やっぱりそれぞれがああいう人生を歩むのは、大方決まっていたと思うんです。
 逆にいえば、性格や考え方といった心の中の素養を磨きさえすれば、どれだけでも人生をレベルアップさせる事ができます。

 こうなったら我々も三英傑に負けることなく、己の人生を最大限にレベルアップしようではありませんか。



気配りの優しい英雄

 豊臣秀吉と徳川家康は、性格こそ対照的ですけど、二人とも共通点はいっぱいあります。
 その共通点こそが、成功者の条件とも言えるでしょう。
 この二人の共通点がわかれば、いかにしたら成功者になれるかも、わかるような気がします。

 まずは、二人とも真面目で努力家です。何をやるにも、ひたむきで一生懸命…
 しかも、人に対してとても気を遣います。
 悪く言えば、小心者という事です。この辺は、織田信長には絶対にない部分です。

 この二人の違いを言えば、秀吉は楽観的で開放的、家康は極端に用心深く慎重です。

 秀吉のこの陽の部分というのは、本当に気持ちいいです。
 絶対的に自分を信じているというか…、というよりも、自分の運命とか天命みたいなものを信じていたのかも知れません。
 そして素早いです。
 チャンスは決して逃さない。

 本能寺の変の後の秀吉の一連の行動は、まるで神業と言えるくらいの素早さです。
 だから、後世の歴史の研究家の中には、「実は信長を死に追いやった黒幕は秀吉ではないか」 みたいな仮説を立てる人もいます(笑)

 それはともかくとして、豊臣秀吉の真骨頂は、必要以上に敵を作らない所にあります。
 うまく相手を丸めこんで、自分の味方にしてしまう…
 「みんなで一緒にやっていこうよ」 てな感じです。もちろん、人間同士が命をしのぎ合う戦国時代ですから、そんなやわな言葉は出てきませんが、きっと心の中にはそんな部分があったと思います。

 豊臣秀吉が天下統一を決める最後の戦いである小田原の陣に、伊達政宗が参陣してきた時の事です。
 伊達政宗は東北地方を統一していた実力者で、おそらく計算に計算を重ねて、秀吉には従っておいた方が良いだろうという結果になって、やっと参陣したんですね。
 つまり、秀吉にとって絶対的に油断ならない相手です。

 秀吉は何と、小田原城を見下ろす崖の上で、政宗に刀を持たせて二人きりになっているのです。
 伊達政宗が、背中からドーンと秀吉を崖から突き落としていたら、天下は明らかに変わっていました。
   太閤殿下が崖から落っこちました…とか話になって(笑)

 こういう芸当は、絶対に徳川家康には真似できないですね。
 家康は、余程信用している家臣以外、疑って心を許しませんから…

 こういう所が秀吉のすごい所だと思います。
 人を信じるという事ができる。
 サラリーマン社会で豊臣秀吉みたいな上司がいたら、僕はその部下はとても幸せだと思います。
 これが本当の意味での統率力だと思う。

 だから、本能寺の変以来、秀吉の事を牽制していた家康でさえ、毒気を抜かれて秀吉に従ってしまいました。

 秀吉は、自分の出自や身分にコンプレックスを持っていました。
 現代は、生まれながらの身分なんてものは存在しない時代ですが、当時は家柄とか血統の貴賎みたいなものが、かたくなに信じられていた時代です。
 とはいえ、この戦国動乱時代は、そういった価値観に対する変革期の時代でもあったのですが…

 秀吉は、そのコンプレックスを見事に武器にしました。そして、気難しい信長の心を惹きつけ、足軽から天下人にまで上り詰めた英雄です。

 秀吉という人は、明るくて裏表がなく、細かい所に気がきいて自分から率先して動きまわる事ができる人です。
 庶民の出だから、弱者の気持ちや苦労も良くわかる。
 夏の猛暑の賤ヶ岳の合戦の際、照りつける太陽に苦しむ負傷兵に、敵も味方も関係なく、近隣の農家から買い上げた すげ笠をかぶせて回ったと言います。
 こうした行為は、決して計算ではなく、秀吉の持っている優しさから出たものである事は言うまでもありません。

 まさに、安国寺恵瓊が言う 「さりとての者」 …天下をおさめる器を持った偉人であり、慈愛の心を持った優しい英雄でした。
 僕は、ここまでの秀吉は大好きですし、とても尊敬しています。

 しかし、油断したんですね。
 天下を取ってしまってからの秀吉は、本当に愚かな老人になり下がりました。
 もう、まるで別人です。人間ここまで変わってしまうものなのか… というくらい。

 生まれた身分とかのコンプレックスが完全に解決していなかったのかも知れません。
 自分が何をやっても許されるような状況になると、人間は自分を制御できなくなって道を誤るものですね。
 本当に惜しいです。  というか、今までの生き方が台無し…

 もし、秀吉が道を誤る事がなければ、歴史の流れはかなり別の物になっていたし、秀吉は本当の意味での英雄になっていたに違いありません。


三英傑の話

 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人の戦国武将の事を、天下の三英傑と呼んだりします。  もう、全くパリとは関係ない話…

 三者三様それぞれに個性的で、よく比較されます。人によって、信長ファンだったり、秀吉ファンだったり…、とそれぞれに分かれます。
 僕がこのうち誰のファンかは、過去のブログを読んだ方はもうおわかりですね(笑)
 それでも、僕は三人ともそれぞれに好きです。

 鳴かぬなら、殺してしまえ ホトトギス (信長)
 鳴かぬなら 鳴かせて見せよう ホトトギス (秀吉)
 鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス (家康)

 おそらく一度は聞いた事がある、三人の性格を言い当てた川柳ですが、これは江戸時代の平戸藩主・松浦静山が読んだものです。

 この三人に対する評価は、人によって本当に違います。
 きっと、その人の生き方のスタイルなんかが反映されているのだと思います。
 これから3日に分けて書くブログは、僕の勝手な見解です。
  3日連続で戦国武将ネタ…  今回も暴走します(笑)

 特に信長ファンの方、これは勝手な見解なので、気に障ったらお許しください…

 僕は、この三人は三人ともすごい人だとは思うのですが、天下を治める器という事でいえば、織田信長はちょっと他の二人には及ばないと思うんですよ。
 というより、そもそも織田信長は、天下を治めるような器ではないと思うんですね。

 時代の先見力とか、斬新な発想力、それに何より行動力というものに関してはピカ一です。確かに他の二人は、信長の足元にも及ばないです。
 だいたい秀吉も家康も、織田信長がいなかったら、天下を取れてない訳ですし…

 ただ、逆にいえば、結局、織田信長って、秀吉と家康のつゆ払いだけの役割だったんじゃないか… って気がしなくもないんですね(笑)  信長ファンの皆様、ごめんなさいm(_)m

 僕は、仮に明智光秀が謀反を起こさなくても、信長は結局あんな最期になるんじゃないかと思う。
 だいたい、殺生の数が半端ではなかったですから…
 しかも本来殺さなくてもいい人間までも、欲求不満で殺していた気がする…

 比叡山延暦寺の焼き打ちは有名な虐殺事件ですが、それは氷山の一角で、敵と見れば相手の事情など一切情状酌量する事なく皆殺しにします。
 身辺でも、信長の部屋にあった果物の皮を捨てなかったというだけで、信長に仕えていた少女は殺されたくらいです。

 織田信長という人は、基本的に冷徹で徹底的な能力主義です。
 時には、こういう非情で冷徹な強いリーダーが必要になる時がありますが、信長の場合は、冷徹さの上に残忍さが加わっているのが問題です。

 織田信長というのは、あの時代に絶対的に必要な人だったし、悲劇のヒーローゆえによく同情されますけど、やっぱり人間の器では他の二人にかなわないです。

 秀吉には黒田官兵衛、家康には本多正信といったような、有名な軍師がいますが、信長にはこういう人物がいません。
 人からゴチャゴチャ口を出されるのが大嫌いだったんだと思いますけど、こういう所も、リーダーの素質としては問題点です。

 毛利家の外交僧である安国寺恵瓊は、京都で信長に謁見し、信長の部下だった木下藤吉郎(のちの秀吉)と懇談した時の感想を主家(毛利家)に次のようにもらしています。

 「信長の代は、あと三年から五年くらいは持つでしょう。来年あたりは公家などになる事と思われます。ですがそののち、高転びあおむけになるような未来がすでに見てとれます。それにひきかえ藤吉郎なる者は、さりとての者でございます」

 やっぱりある程度、人を見抜く目がある人にはわかってしまうんですよ。

 つまり、信長に対して、恐怖におののき従っている人間はいたとしても、心底慕ってついてくるような人間はいない。
 その点、豊臣秀吉と徳川家康というのは、ちゃんと天下をおさめる器を持った人物だと思います。
 秀吉、家康どちらがトップであっても、優秀な部下さえいれば、天下はおさまったはずです。

 僕は、この二人が戦国時代を終結させる為に台頭するのは、すでに天のシナリオで決められていたんじゃないかって思うんです。
 この二人は、歴史的な時間背景において言えば、信長に巡り合った事により天下を取っていますが、例えそうじゃなくても、何らかの形で結局はそういう流れになっていくと思うんです。

 だって、この二人、普通の人と比べたら、明らかに才能が突出してますし、目の前の事にいつだって120%ぐらいの力で頑張っていくような人ですから…

 本当に才能があって努力する人は、今も昔も変わらず、必ずいつかは本来の能力を花開かせる事になると思う。
 僕はそんな気がしますね。

本当に探していた幸せ

 ロンドン・オリンピック、いよいよ開幕ですね。
 4年に一度のオリンピック、今回はどんなドラマが生まれるか… 楽しみです。

 昨日は久しぶりに、ゆったりとした休日を過ごしました。
 別にこれといった事をした訳ではなく、近所のイトーヨーカドーに買い物に行ったり、電子辞書のEX-word XD-D7200
(3/4ブログ 「翻訳生活」 参照)と戯れて遊んでました(笑)

 最近、現実の中のごちゃごちゃとした思考の中で埋もれてしまって、それが一瞬消えた時に出てくる、優しい気持ちの感覚というか、そういうものを見失っていました。

 理屈じゃない何か大切なもの… それはつかみどころがなくて… 真理って呼ぶべきなのか… 何だか照れます。
 よくわからない事を偉そうに言っているだけなので…

 結局の所こういうものって、頭でゴチャゴチャ考えれば考えるほどにわからなくなりますね。

 恋愛だって、彼女の事を大切にするにはどうしたらいいんだ… なんて悶々としている時は、本当に彼女の事を考えているかと言ったら、案外それって自分だけのつまらないこだわりだったりするし…
 こういうジレンマは、女性よりも男性が陥りやすいようです。

 努力する事とか、もがく事は大切ですけど、たまにはブレイクするのも良いみたいです。
 きっとバランスの問題ですね。
 ブレイクしっぱなしの人は、少しは頑張らないとダメですよ(笑)

 慌ただしい生活をほんの少しブレイクした時、ふと気づいたら目の前に、貴方の本当に探していた幸せが見つかるかもしれません。


自分らしく自由に生きる

 今日は久しぶりに何も予定が入っていない日です。
 パリから帰ってきて、今日のように完全にオフの日というのは、初めてかも知れません。
 もちろん、やりたい仕事は山ほどあるのは確かですけど、別に今日やらなくてもいいし…

 いつもの僕なら、その仕事(ホームページの更新とか、四柱推命講座の準備とか、タロット本の原稿、エテイヤ本の翻訳…)に早速取り掛かって、パソコンに貼りついて、いやあ、今日も忙しかったです…って事になってしまうんですけど、それは必ずしも良い事ではないな、と気づきました。

 よく、「魂を悪魔に売る」 という言葉を聞きますけど、人生の中でそういう選択に迫られる事があっても、それだけは、やめるべきだと思います。

 とはいえ、悪魔ほど凶悪なものではないとしても、魂を仕事に売ったりとか、名誉に売ったりとか、お金に売ったりとか、という事を、知らず知らずにやっている事もあると思う…
 「売る」 というよりは、「縛られる」 と言った方が正しいかも知れません。
 そういう時って、いくら自由な生活をしていても、知らず知らずに疲れがたまるみたいです。

 自分らしく、本当に自由に生きられたなら…
 何だか、「栄光も、人の評価も、必要以上のお金も要らな~い」 って、大声で叫びたくなりました(笑)    …近所迷惑

 てな訳で、タロット講座もひと段落して、ホッと一息ついた一日、今、穏やかな幸せにひたっています。

 P.S.
 小アルカナタロット講座の卒業生(…正確には、欠席した最終日の講座のDVDを見るまでは、卒業予定生(笑))の現役の占い師・冨田桂子先生から、「やっとブログを開設しました」 というメールが届きました。
   ブログ開設、おめでとうございます(^^)

 ブログは個人で仕事をする人にとって、自分の情報を発信できる武器ですから、うまく活用していくといいですよ。

 Happyけいこの開運占いのブログ
 http://ameblo.jp/happykeiko-uranai/


輪廻の未来の先に…

 ここ最近、重いブログネタが続いています…
 というか、僕自身が今、重要な自分の課題に直面している、という感じなのです。

 もちろん、心はとっても元気ですよ!
 まるで、過去の人生の整理整頓をやっている感じです。
 いろいろと整理されてくると、気持ちがいいですね。

 自分の過去のトラウマを省みるという作業をやってみて、やっぱり 「因果応報」 というものは存在するんだな…って痛感しました。

 きっと今、それをしっかりと知る時期に来ていたのだと思います。

 僕がタロットや四柱推命に興味を持ち始めたのは、おそらく、あの修学旅行の直後だったと思います。
 当時、たった一人で人生を悩み、何度もタロットを切っていた記憶があるのですが、今一つ何に悩んでいたのかが思い出せません。
 どちらにしても、あの修学旅行の闇が、僕を占いや精神世界に向かわせてくれた事は、おそらく間違いなさそうです。

 苦しい事や辛い事というのは、別の側面から見れば、新たな未来の可能性を生み出してくれるきっかけとなっていたりします。
 因果応報という法則は、人類の歴史が始まって以来、ずっと続いている法則です。

 転生輪廻という考え方があります。
 人間の魂というものは、何度も生まれ変わり死に変わりしているという考え方です。
 その際、前世からのカルマはずっと引き継がれると考えられています。
 カルマとは、悪いカルマだけではなく、良いカルマもあって、どちらにしても、今世は過去世のカルマが引き継がれた結果にふさわしいものになります。

転生の秘密 僕の心の師・西谷泰人先生から、すすめられて読んだ本があります。

  「転生の秘密」
(ジミ・サーミナラ 著・多賀瑛 訳/たま出版)

 これは、アメリカの眠れる予言者と呼ばれたエドガー・ケーシー(1877~1945)のリーディングについて書かれている本です。
 ケーシーのリーディングで有名なのは、その人の過去世を見るライフ・リーディングです。
 ベッドに横たわり、眠りに入った状態で、誰かがケーシーに暗示をかけます。そうする事で、催眠状態のケーシーはその人の前世について語り始め、それを素早く記録する事で行われました。

 前世なんて、何の証明もしようがないものと思われがちですが、エドガー・ケーシーのリーディングには、検証的見地の裏付けがされています。

 例えば、ある人の前世の名前は、バーネット・シーと言い、南北戦争の時、南部の兵隊でヴァージニアのヘンリコ郡に住んでいて、その記録は探せば見つかる、という結果のライフ・リーディングがありました。
 実際にその記録を探して見た所、ヴァージニア図書館の古文書に、1862年南部の軍の旗手として、バーネット・シーなる人物が入隊したという記録が残されていたのです。
 ケーシーのリーディングには、この手の決して偶然とかで説明できない事例がたくさんあります。

 この本は、エドガー・ケーシーのリーディングからわかる転生輪廻のあらゆる考察がなされています。
 それは、転生輪廻の中での因果応報の法則です。
 因果応報は、今世という枠を超えた所でも厳然と存在するという事を知る事ができます。

 もちろん、普通、自分の前世を知る事はできないし、何らかの形で知りえたとしても、それに関する確証を、ケーシーの事例のように裏付けできる事は滅多にないので、必要以上に前世というものに深入りするのは考えものです。
 存在する事だけは、間違いないと思いますが…

 今起こっている事は、良い事も悪い事も、過去からの何らかの影響を受けている事は確かです。
 そして、今の行いによって、未来に起こる禍福も決定していく…

 どうせなら、少しでも価値のある行いをして、素晴らしい未来を創っていこうではありませんか。


シャドーを認めれば、人は強くなれる

 昨日のブログの続きのお話ですが、だいたい自分の過去に人からされた出来事は、さらに過去に自分がしていたりします。
 まあ、その逆のパターンもあったりします。
 運命の法則というのは、時間軸を超越していますから…
 つまり、自分が過去にされた出来事は、これか自分がしてしまう可能性が大いにあるという事です。

 心理学の中に 「投影」 という言葉があります。
 小難しく定義を説明すると、自分のシャドーとか、コンプレックスというものを、相手の中に見いだした状態です。
 コンプレックスという言葉は、一般的にも使われる言葉になってしまいましたが、元々はシャドーもコンプレックスも、心理学者のパイオニアである、カール・ユングが提唱した言葉です。
   ユングは僕の尊敬する偉人の一人です。 尊敬する人、いっぱいいます…

 今回お題にするのは、この内 「シャドー」 の方です。
 20代の頃、Shadow(シャドー)という名のバンド組んでました(笑) どうでもいい…

 過去の辛かった記憶を思い出してケアするという方法は、メソッド演技のワークの一部でもありますが、元々はユングが提唱した心理療法の一つです。
 本来なら、臨床心理士や優秀なカウンセラーが一緒につきそって、心の傷になった過去の出来事をつきとめ、それと向き合って、さらにそれを克服しなければなりません。
 一人でこの作業を勝手にやって、最後の段階である克服するという作業ができなければ、これ、明らかに逆効果なんですね。
 マリリン・モンローが、酒浸りになってしまうのも無理はありません。
 (7/20ブログ 「いざ、内面の旅へ」 参照)

 シャドーというのは、決して認めたくない自分の性格の中に潜んでいる悪だと思う部分の事です。
 光が強ければ、影(シャドー)も強くなるのと同じで、正義感の強い人ほど、シャドーに敏感です。

 昨日のブログの僕の場合のシャドーは、「人に責任をなすりつけて自分だけ逃げようとする卑怯者」 の事です。
 ユングが示すシャドーの解決法は、シャドーを否定する事なく、シャドーが自分の中に存在する事を認め、こういうものを表に出すと、みんなを悲しませる事になる… と客観的に再認識させる事です。

 だから、僕の最終ワークとしては…

 あんな卑怯な事をしてしまったのは、もう人間として絶対に許せない事だ …… いや待て、あの状況なら無理もないよ …… だって先生に殴られるのが怖かったもん …… 人間なんて弱いものだからそういう事もあるよ 
…… でも、ああいう事は、みんなを悲しませるから、もうやめておこう

 …と完全に思えれば解決です。
 僕、今になって、上司から顧客の前で見せしめに罵倒されて、本当に良かったと思えます…
 あれで、過去に犯した自分の罪がつぐなえた気がする。
 その時は、あまりの理不尽さに気が狂いそうだったけど…

 最初の 「投影」 というものの話に戻します。
 人は誰でも、なぜか無性に腹が立つ人とか、何だか気に食わないという人がいます。
 例えば、ビクビクした人を見ると、
 「なんでアイツはあんなにビクビクしているんだ、みっともなくて腹が立つ。どうして堂々としていられないんだ。本当にイライラする」
 と、思ってしまう…
 客観的にみると、そこまで腹を立てる必要なんてないのに…

 これ実は、自分のシャドー(自分の中で決して認めたくないもの)を相手に投影している事が多いんです。
 僕の場合は、ビクビクしている相手に対するシャドーは持っていないので、(というか、自分の中にビクビクしている自分の存在を認める事ができるので)腹も立たないし、こういう思考になる事はありません。
 こういう思考になる人は、自分に確固たる自信を持っている人に多いですね。

 それじゃあ、浅野太志のシャドーは何で、どういう時に投影してしまうかというとですね…(笑)

 この前のブログで書いた、ラジオの広告のキャッチセールスの電話が掛かってきた時、自分では非常に冷静でパーフェクトな対応していたつもりだったのですが…
 (7/12ブログ 「人を信じ続ける事と、現実を強く生きる事…」 参照)

 どうも、あれから精神的にコンディションがおかしくなりました。
 で、気づいて見ると、あれから異様と思えるほどに、あの手のキャッチセールスみたいなものに腹を立てている自分に気づきました。
 普通の人だったら、別に騙された訳でもないし、笑い話で済ませるだけの話なのに…
 あれは、まさしく自分のシャドーの投影だったのです。

 その過去の原因はなんだったんだろうと、記憶をたぐりよせました…
 見つかりました。27歳くらいの出来事です。

 当時、僕がバイトをしていたお店で、お店の主催者が主催する、あるイベントの参加者を募集していたのですが、その主催者の都合が悪くなって、ずっとそのまま延期になっていたという事がありました。

 僕がそのお店にバイトに来る前から、そのイベントの参加者を募集をしていたので、たくさんの予約者がいるまま、5年ぐらい放置されていたんです。

 それで、やっと主催者の都合が良くなって、イベントが開ける事になったので、僕が、過去にイベントを予約した人に、次々にイベントのご案内の電話を掛けるという仕事をしたんですね。

 そのイベントの内容も、一新してグレードアップした関係で、当時の予約と違って、参加費は3倍になりました。 

 次々に電話を掛けていったのですが、何せ5年前の予約で、つながらない電話番号も多いし、参加費も高くなっていたので断る人も多かったです。

 で、その中のある中年の女性に電話をした時に、やってしまったのです。
 これも、僕の中で、相当に心のトラウマになっていた事実です。  やっぱり、こんな風に とても人に語れなかった…

 予約された方はみんな、そのイベントをずっと楽しみにしていました。
 だから、電話をかける時にそれを真っ先に伝えようとしたんです。

 その女性も同様に、イベントをすっかり心待ちしていたとあって、最初とても喜んでくれました。
 それで、参加費が3倍になったという事をお伝えするのが、一番最後になってしまったのです。
 その事を告げると、その女性は烈火のごとく怒り出したのです。

 約束が違う… 人を喜ばせておいて、そうやってお金を稼ぐ気か…
 という訳です。延々と30分ぐらいクレームを聞いたでしょうか。

 で、電話回線が何故か切れてしまった。
 そうしたら、またその女性から電話があって、「途中で電話を切るとは、どういう事だ」 みたいな…
 その後、また40分ぐらい。
 クレームが大きくなるのはまずいので、平謝りに謝るしかなかったのですが…

 確かに、僕のご案内の伝え方にも問題があったと思います。その時には気づけませんでしたが…
 この事件も、僕の心の中にずっと封印していました。思い出すと、憎しみが込み上げてきて、夜も眠れなかったくらいです。
 なぜかというと、その女性の気持ちを全く理解する事ができなかったから…

 それで、今回のラジオ広告のキャッチセールスの電話があって、冷静にいられなかった自分を発見した時、気づきました。
 自分のシャドーを、電話を掛けてきた彼に投影してしまっていたのです。
 この場合のシャドーは、「調子が良くて、自分の成果が出せれば、人の気持ちがどうであろうと知った事じゃない人間」 です。
 つまり、僕の内面にこういう自分が存在していたにもかかわらず、決して認めたくないという頑固さですね。

 これは、時間軸が逆になったパターンです。
 つまり、ラジオ広告の調子のいいキャッチセールスに対して、自分の攻撃性が出てしまう因果(投影)が、電話のクレームで痛い目に遭って傷つかなくてはいけない事につながっている…

 でも、もっと過去の記憶をたどれば、この女性が僕に対してした事を、僕は誰かに対してやっているのではないか… という想像がつきます。  今はしっかりとは思い出せませんが…

 やっと今になって、クレームを言ってきた女性の怒りもわかるようになりました。
 それから、キャッチセールスの電話の青年に対しても、ノーマルな状態に戻れた気がします。

 自分のシャドーを相手に投影すると、その相手に対して、説明がつかないくらい拒絶感を感じる事があります。
 それによって、せっかくの出会いを台無しにしてしまっている可能性もある…

 自分の心の傷に向かいあえた時、出会った相手だけでなく、全ての運命を受け入れる事ができるのかもしれません。

 

人にした事は自分に帰ってくる

 タロット講座も終えて、鑑定をこなしながら、日々の仕事を少しずつこなしています。

 2~3日前から、一日に10分程度ですが、アクターズスタジオのメソッド演技の中のワークでもある、自分の過去のトラウマを思い出して、それをきちんと消化させる、という作業をやっています。

 まずは自分がやってみて良さそうだったら、心のメンテナンスの方法として人にもおすすめしようと思ったのですが、残念ながら、かなりリスクを伴うハードな作業なので、人にはちょっとおすすめできません。

 この作業はつまり、もう忘れてしまいたい嫌な思い出を、ほじくり出す作業です。

 人からされた嫌な事は、思い出すと悔しい思い出が蘇るし、人にしてしまったヒドい事を思い出すと、罪の意識でいたたまれなくて、本当に死んでしまいたくなります。
 死んでしまわないように、無意識が記憶を忘れさせて守っていた訳ですから(笑)

 でも、確かに気づきはありました。
 かなり、きつかったですけど…
 そして、一つの真理を目の当たりにしました。

 それは、人からされた仕打ちというのは、過去に自分が人に対して犯しているという事です。
 つまり、因果応報と呼ばれる法則は、間違いなく存在しているという事実…

 これは、僕が若かりし頃の記憶です。
 仕事をしていて、上司の指示で顧客に伝えた言葉がクレームになった時、別の上司から、全部それを僕が独断でやった事にされ、全部の罪をかぶらされて、見せしめに顧客の前で罵倒されるという事がありました。
 それからしばらくの間、情緒不安定になったほど、僕の中でこれは、かなりの心の傷になっていました。
   こんな風に、とても人に語れなかった…

 で、この原因を、さらに過去にさかのぼって、自分の中の記憶をたどっていくと…
 やっぱり、見つかりました。
 それは、中学2年生の14歳の頃の記憶…
 苦しくて、最初あまり良く思い出せなかったです。まだ断片的に記憶が途切れている部分もあるのですが…

 僕の通っていた中学校は、非常に規律が厳しい学校でした。
 普通、修学旅行というものは、楽しい思い出が残るものだと思うんですけど、本当に二度と思い出したくもないような記憶です。

 修学旅行の前日、僕はクラスで最も仲の良かった親友と、何故か懐中電灯を持っていこう、という話になったのです。懐中電灯で旅行の夜に、いろいろ探検してみようという訳です。
 彼は小型の懐中電灯を持っていたので、持ってきてもらう事になりました。

 ところが修学旅行の最初の夜、引率の先生達が抜き打ちで、全員の生徒を宿泊先にある大きな広間に集めて、抜き打ちで 「不要物チェック」 というのを始めたんです。
 必要のない持ち物を持ってくるような規則を守れない生徒は厳しく罰するべきだ、という訳ですね。(中に一人ひどく厳しい先生がいた)

 集められた全員の生徒をその広間から一歩も出さないようにして、担任の先生が宿泊部屋にある一人一人の生徒のカバンの中を全部調べるんです。
 当然、その友達の持ってきた懐中電灯も、発見されてしまいました。

 一人一人の生徒が呼び出されて、不要物を持ってきた生徒は、先生に拳骨で思い切り張り倒されました。
 友達が不要物を持ってきているのにもかかわらず、黙認して先生に報告しない生徒も、厳しく叱られました。

 僕も呼び出された時、もう殴られるのが怖くて怖くて震えていました。
 ところが、僕が先生から呼ばれた罪状は、その親友の持ってきた懐中電灯を黙認したという罪だけになっていたのです。
(本来、僕は共犯者なのにもかかわらず…)

 本当は、そこで全てを告白すべきでした。

 いわゆる僕は当時優等生タイプだったので、担任の先生は、懐中電灯を持ってきたのは、僕の親友の単独行動で、僕はただ黙認していただけと、すっかり決めつけてかかっていたんです。

 僕は最悪な事に、そのまま先生の言う事に、うなづいてしまいました。
 本当に卑怯で最低な奴でした。人間のクズだと思います。

 これが、ずっと長い間記憶の中にくすぶっていました。
 思い出すのが辛くて、まだモヤが掛かったように記憶が鮮明にならないし、事実だと認めたくもないのですが、まぎれもなくこれが真実です。

 やっと今になって、気づきました。
 過去に、上司から罪を着せられて、顧客の前で罵倒されるという仕打ちは、中学生の時の僕が親友にやってしまった卑怯な仕打ちが、そのまま自分に帰ってきたという事に…

 つながった時には愕然としましたが、確かに心の闇が解けた気がします。

 この前、ラジオ番組の広告のキャッチセールスの電話が掛かってきた話をブログに書きましたが、あれについても、過去に自分がした過ちを思い出しました。
 もう今日は遅いので、また、明日のブログにでも書こうと思います。

 自分が運命の中で受けた仕打ちというものは、どうやら紛れもなく、過去に人にしてしまった事に関連があるようです。
 その事を知って相手の罪を許す時、きっと自分もその罪から許されるような気がします。


人生は学びの連続

 最近少しだけ涼しくなって、夜もすごしやすいです。
 でも、この後にいよいよ夏本番がやってくるんですね。
 また暑くなりそうです(^^;;

 今日は 「タロット講座 ~小アルカナ編~」 の最終講座でした。
 8回の短い講座でしたけど、毎回充実した気持ちでやらせて頂きました。
 いつも、講座当日の朝まで、テキスト作りに必死だったというか(笑)
 この計画性の無さは、いけませんね。
 …反省します。

 講座を通じて、いろいろな事を教わりました。
 一応、講座では講師をやっていますけど、それはたまたま僕が今までタロットをやっていて(子供の頃からのオタクなので…)その部分だけは経験と自信があるから講義ができるだけで、それ以外の事に関しては、本当にもう教わる事だらけです。

 まだまだ学ばなければならない事が山ほどあるのは、自分自身痛感しています。
 このブログだって、一応僕なりに一生懸命書いてますけど、きっと間違っている事も書いていると思います。
 だから、決して全部信じてはダメですよ(笑)

 僕自身、いつも模索しています。
 不安な時には、あの人ならこんな時どうするかな… って尊敬する人を思い出したりします。
 例えば、地井武男さんが絵手紙を描いている時の姿勢を思い出して、僕も、運命の絵柄を描いて見たりとか…

 僕の周りには、運がいい事に、尊敬できる人が本当にたくさんいるんです。

 僕はあまり自分に自信を持った事がないです。虚勢を張る事はありますけどね(笑)
 道を踏み外す事が怖くて、自分を常に追い詰めていないと不安なんです。

 ところが今日、ある受講生の方に言われました。
 「自分にブレーキをかけ過ぎないで、もっと幸せを追い求めようとしてみるのも、いいんじゃないですか」 って…

 確かにそうでした。
 僕はどうも、いつも堅苦しく、ストイック(禁欲主義)に考え過ぎる所があるようです。
 このタガが外れたら、もっとのびのびと生きられるのかも知れない。    もっと、モテるかも(笑)
 道を踏み外したら、また戻ればいい事ですし…

 また、学ぶ事ができました。
 今までの生き方の癖なので、そう簡単に変われるとは思いませんが、意識してみます。

 それにしても、人生は素敵です。
 だって、毎日毎日が学びのチャンスの連続ですから…
 この事だけは、衰運期になろうが、病気になろうが、職場で上司に怒鳴り続けられようが、借金を抱え込もうが、死ぬまで変わらない。むしろ、状況が苦しいほどよく学べます。

 まあ、まだ死ぬまでには時間もかなりありそうですから、それまでにたくさんの事を学んで、あの世にお持ち帰りしたいと思います(笑)

 P.S.
 今回のタロット講座の受講生 秘書系手相家Emiさんが、ついに講座最終日にしてやっとブログを開設しました。
 まだ始めたてで、最初の「ご挨拶」の1日分しかありませんが、これから先どんなブログになるのか、本当に楽しみです(^^)

 秘書系手相家 Emiのブログ
 http://hishokeitesouka.blog.fc2.com/


衰運期を一瞬で終わらせる方法

 この前から、自分の内面のトラウマを見つめて解決する、という試みをやっています。
 これはちょっと、やっぱり、人にはおすすめできませんね(笑)
 まるで、開けてはいけない扉を、次々と無理やり、こじ開けるような作業です。

 過去のトラウマを思い出した時、それを本心から納得するような形で消化をするのが目的なのですが、そう簡単にいくものではありません。逆に消化させられなかった場合、明らかに逆効果です。
 マリリン・モンローがこのワークをやって酒浸りになったというのも、わかる気がします。

 でも、このまま中途半端に止めるのも悔しいので、もう少しだけ無理のないように続けてみて、結果をまた報告しますね(笑)

 人生には、何でも思い通りにうまくいく開運期(好調期)と、逆に何をやってもうまくいきにくい衰運期というものがあります。

 衰運期という言葉、僕、あんまり好きじゃないです。
 なんだか運気が衰えて、悪い事が起こりそうようなイメージですから(笑)
 むしろ、学習期とか、準備期と呼ぶ方がピッタリくる気がするのですが…

 この時期というのは、自分の中の欠点や弱点などが、出やすくなって痛い目にあいやすいです。
 でも、必ずしもではありません。
 何もトラブルなく過ごす人もいます。それはどういう人かというと、自分の性格の欠点や弱点の衝動にかられても、それを言動に出さなかった人です。

 それから、衰運期は運が開かない時期である、というのも正しくありません。
 むしろ、物事がうまく行きそうな状態になっていても、つい自分の欠点や弱点が出てしまい、ご破算になってしまいやすい時期、と言うべきでしょう。

 例えば、好みの異性を見ると、おかしな行動に出てしまうとか…
 お金の事にルーズで、そういう不正に無頓着だとか…
 お酒が入ると、つい失言してしまうとか…
 批判癖があって、調子に乗ると人を手痛くバッシングするとか…
 せっかく頑張っている事が、そういう言動によって台無しになってしまう。

 また、衰運期と言うのは、根気がなくなったり、やけになって暴走しやすい時期でもあります。
 その結果、こういうトラブルが次から次へと連鎖しやすいです。
 僕の場合は、○○に弱くて、いつも失敗していましたね(笑)
      恥ずかしいから、内緒…

 人間ができている人は、衰運期になっても、たいして運気が悪くならないです。
 例えば、故・植木等さんなんて、コメディアンとして演じていたキャラとは、全く正反対の真面目な人です。
 女遊びはしないし、不正もしないし、お酒も飲まない…
 また、いつも謙虚に自分を戒めている…

 紅白歌合戦で、メドレーのスーダラ伝説を歌った時、自分が笑いながら歌っていた事を、ずっといつまでも後悔しているような人です。
 こういう人は、衰運期が来ても安全なんですね。

 性格の欠点って、案外トラウマみたいなものが原因の事も多いのですが、別にそれを持っていたとしても、言動に出さなければ問題ありません。

 あとは、思い通りにならない事があっても、やけを起こさない事です。
 うまく行かない時って、やたら、一発逆転の大勝負に出たくなるんですけど、それはやめた方が良くて、手堅く確実につかめるものをつかんだ方がいいです。
 そして、こういう時ほど、周囲の人や、今、自分に残されているものに感謝すべきです。

 こういった事が日頃できている人は、衰運期を一発で終わらせる方法があります。
 それは、今の状況は大きな飛躍の為の準備期間だ、という事に気づく事です。
 だって、本当にそうですから…

 はたから見ると良くわかるのですが、衰運期に入っている人って、顔が暗いです。
 人生の悲哀を一身に背負っている表情というか…(笑)
 そして、「何でこう、うまくいかないんだ」 とか言いながら、うまくいかないようなやり方をやっていたりします。

 それは、今がこの先の飛躍の準備期間である、という事に気づいていないからですね。
 気づいたら、表情がパーッと明るくなります。
 そしてその時、その衰運期は、一瞬にして終わってしまいます。


いざ、内面の旅へ

 人生というものは、いろいろあっても、やっぱり素晴らしいものだと思うのですが、局所的に見れば、嫌な事や辛い事もたくさんあります。
 でも、そういったものは、やがては時間と共に忘れていきます。それに固執さえしなければ、ちゃんとそうなります。

 とはいえ中には、この忘却ができずに、悶々と苦しむ人がいます。いわゆる、心のトラウマになってしまった状態です。
 トラウマの対象は人によって様々ですが、こうなってしまうと、そう簡単に解決できるものではありません。

 ちょうど、お風呂場とかのタイルの目地のカビと同じです。あの汚れは、洗剤とタワシでこすっても、なかなか落とせません。
 あれ、ある程度時間が経つと、カビキラーでも落とせないです(笑)
 目地のしっくいの中に、カビの根が浸透してしまっていますから…

 で、一番手っ取り早いのが、真っ黒なカビの上から白い色を塗ってしまう方法です。
 とはいえ、その下にカビの根っこがそのまま残っている訳ですから、時間が経ったらまた出てきますけど…

 自己啓発とか宗教の教えなんかで多いのが、これに似た処置です。
 教理や教論で、平面的に真っ白にくくってしまうんです。
 人によっては、それで救われる事もありますから、結果オーライです。

 ただし、一時的にはいいのですが、残念ながら根本的な解決にはなっていません。
 自分の価値観ではなく、その教えのフィルターを通してでしか、物が見れなくなってしまうのが、やや難点といえます。

 もしも、タイルの目地のカビを根本から取ろうと思ったら、針で目地をほじくって洗剤で磨いていくような事をするしかないです。
 時間も掛かるし、タイルをうっかり傷つけてしまうかも知れませんが…

 実は僕、これに似た方法を、実験も兼ねて自分でやって見ようと思ったのです。(うまくいくかどうかは、わかりませんが…)

 これは、ハリウッドの映画俳優のロバート・デニーロやアル・パチーノなんかが、アクターズ・スタジオで学んだという 「メソッド演技」 の学習ステップの一つです。
 (5/28ブログ 「イメージした自分が現実になる」 参照)

 メソッド演技というのは、役の気持ちを共有して、舞台上で完全にその役に生きるというのを理想としています。
 でも中には、どうしてもアクター(役者)がその役になりきれない事があります。つまり、アクターそのものが無色透明になっていない場合です。
 人によっては、遊女の役ができないとか、詐欺師の役ができないとか、様々です。また、撮影のカメラが回ると演技が止まるとか…
 その苦手意識に、何らかのトラウマが存在すると考える訳です。

 メソッド演技の学習の真骨頂は、「自分と向き合う事」。

 アクター自身がそれぞれ、自分の過去に、目をそらした事を、勇気を出してもう一度向き合う… という作業をする事にあります。     はたから見ていると、メソッド演技は、まるで変な宗教…

 具体的にどういう作業をするかというと、過去の自分が経験した辛いと思った体験(トラウマとなって、アクターの違和感のある動きや表情になっている原因)を探り、その記憶を思いおこして、ありのまま見つめて受け入れ、相手や自分を許す。
 つまり、未消化のまま過去に追いやられていた、目をそむけた出来事に向かい合うという作業です。

 これは結構危険なんですよ。人によっては、忘却によって心が守られている事もありますから…
 ヘタにほじくり出すと、元に戻れない人もいる。
 「絶対に負けないんだ」 という強い意志を持った人しかできません。

 中には、過去のトラウマに押しつぶされて、精神疾患になってしまう人もいます。
 マリリン・モンローがそうでした。モンローは、アクターズ・スタジオのメソッド演技の学習で、過去のトラウマをほじくり出した事に耐えられなくなって、アルコール依存症になってしまったのです。
  それに比べると、メソッドをやり遂げたロバート・デニーロとかはすごい…

 意志の弱い人や、途方もないトラウマを抱えている人には、あまりおすすめできません。

 僕も今までは恐ろしくてできなかったのですが、これからやっていく占い師の仕事というものに対して、自分の軸がブレないようにするためにも、腹をくくってやってみようと思いました。
 もう、自分だけの問題は済まないから、ある意味、覚悟ができました。

 という訳で、早速、ほんの少しやって見ましたが、すんなりとはいかないですね(笑)
 生まれてから思い出せる限りで、自分がされて嫌だった事、自分がしてしまったヒドイ事…
 特に、自分がしてしまったヒドイ事(罪の意識)を思い出すのはキツイですね。
 よく内容が思い出せなかったり、拒否反応が起きたりします。

 無理は禁物ですから、長丁場でいくつもりです。
 (無理すると、本当に危険)
 こういうものがクリアに見えてくると、それらの内容は全部つながっていて、全ての出来事は意味があって、連鎖して起きているという事がわかるそうです。

 この作業は苦しいです…
 でも、この苦しみと向かい合う事によって、ますます自分がとぎすまされて、輝いていく。

 ひょっとしたら、苦しみというものは、幸せを次々に生み出してくれる最高の打ち出の小づちなのかも知れません。


ワンランク上のステージへ

 外はすっかり熱くなりましたね。
 今日の最高気温は、37とか… 皆様、熱中症にはご注意ください。
 僕はだんだんと、気力がみなぎってまいりました。
 実は、ここ3~4日あまり、ちょっとだけ夏バテ気味でした。
 プチ衰運期を体験した、という感じです(笑)

  ハ~イ、プチ「petit」という言葉は、フランス語から来ていま~す。
  ちなみに最後の「t」は、発音しませ~ん。   エセフランス語講師 ムッシュより


 このプチ衰運期を通して、僕の内面で未消化だったトラウマみたいなものを垣間見ました。
 今回、その本質に向き合って解決する事ができたのですが、どうやらまだ他にも、その手のトラウマは抱えていそうなんですね(笑)
 
 普通こういうものは、放っておいて、忘れてしまうのが一番無難ですし、今まではそうしてきました…

 ただ、僕がたずさわる仕事が仕事なだけに(占い師という仕事は責任も重い)やっぱり放置してしまわない方がいいような気がして、ちょっと自分である実験をやって見る事にしました。
 自分の軸がブレていたら、良い鑑定も出来ませんから…
 (その内容は、また明日のブログにでも書きますね)

 人間誰でも、まず例外なく、悩みに悶々とする瞬間があります。
 衰運期なんかに入ると、ベッタリとその悩みに取りつかれます。
 それはある意味、自分の人生の課題でもあります。
 客観的に人から見ると、だいたいはくだらない事なんですが、本人にとっては我慢ならないものだったりします。 

 ある人は、それを人生で乗り越えて(その悩みの正体がわかって)克服していきます。
 また、ある人は、その悩み事をうまくかわして、何とかスルーします。
 どちらにしても、その悩み事は、時間とともに忘却の彼方へ…

 人生において忘れる事というのは、とても大切な事です。
 これができなければ、生きていけないと言っても良いでしょう。

 とはいえ、その課題をちゃんとクリアできてなくて、うまくかわしただけの時は、何度も何度も同じような課題がやってきます。
 その渦中にいると、本当に皮肉としか言いようがありません。

 でも、そういう時は逆に、チャンスだと思ったらいいです。
 その問題の本質が見えて乗り越えた時には、人生のステージがワンランク上がって、素晴らしい未来が開けますから。


もっと大きなものに感謝しよう

 人生はいろいろな事がありますが、僕は、目の前に起こる事というのは、必ず何らかの意味があると思うんです。
 それが例え良い事でも、悪い事でも…

 その時は意味がわからないかも知れないけど、後になってわかる事がある。
 案外すぐかも知れないし、ずい分後になってからの事かも知れない…
 ひょっとしたら、死ぬまで意味がわからなかった(笑)… という事もあるかも知れませんが、それでもやっぱり、何らかの意味があると思うんですよ。

 人は誰でも過去にいろんな事があって、いろんな傷を背負っていたりするものですけれども、その原因を自分を傷つけた相手に見ようとした時には、やっぱり憎しみしか湧いてこないものです。

 誰だって、自分を傷つけたりひどい目に遭わせた人は憎いですし、自分の事を助けてくれて元気づけてくれた人の事は大好きです。
 だから、自分に良くしてくれた人には感謝できるけど、自分をひどい目に遭わせた人には感謝できない。
 まあ、当たり前と言えば当たり前ですが…

 でも、「感謝の達人」 になろうと思ったら、これではいけません(笑) (4/16ブログ 「感謝の達人」 参照)

 「いや、別に 『感謝の達人』 になんてなりたいと思ってないから…」 っていう人もいるかも知れませんが、感謝の達人はいいですよ。
 少なくとも、怒りや憎しみとかいった感情に、支配されずにすみますから…
  僕は達人になりきれてないので、たまにやられてしまう…(ただいま修行中)

 なぜなら「感謝の達人」の感謝の対象というのは、もっと大きなものだからです。
 人生そのものとか、身の回りの自然とか、宇宙とか…
 だから、自分をひどい目にあわせた人にも感謝できる。
 その人単体に感謝するんじゃなくて、その人を含めた宇宙とでもいうべきものに感謝している…

 で、ここでもう一つ大事なのは、自分に良くしてくれた相手に感謝する時も、気持ちの持ち方としては、その人個人に感謝するのじゃなくて、やっぱり、その人を含めた宇宙とか、そういったものに感謝した方がいいのです。

 それでは、自分に良くしてくれた相手に申し訳ない… なんて思う必要ありません。
 本当に善なる素晴らしい人というのは、決して個人的な見返りなんて求めていませんから…
 これは、今まで何人も、そういう素晴らしい人に会ってきた僕の見解です。まず、間違いありません。

 そうではなくて、
 「これだけしてやったんだから、俺に感謝しろよ」
 という人もいるかも知れませんが、逆にそういう人個人に感謝する事は、とても危険です。
 このように、相手に見返りを求める人というのは、恩を売った相手を自分のテリトリーに結び付けて、操ろうとしてきますから…

 それに、一人の個人というものに感謝しすぎると、人間はやたらと弱くなります。
 特に自分に良くしてくれた相手に、頭が上がらなくなる… その結果、大きな働きもできなくなります。

 本当に善意にあふれる人は、相手が自分に恐縮しまくる事なんて、全く望んでないです。
 自分を含めたもっと大きなもの(宇宙とか神様とか)に、感謝してくれれば、それでいいと思っている。
 そうじゃないのは、ニセモノです。

 人間なんて誰しも、そんなに大きな違いがある訳ではないと思うんです。
 確かに、立派な人やダメな人がいるように見えても、それはちょっとした価値観の違いが結果として表れているだけですし、未来永劫変わらない訳ではなくて、時間と共に常に変わっていきます。

 もっと大きなものに感謝した時、人はきっと、本当の意味で自由になれる… そんな気がするんです。



澄み切った青空の下で

 今日の松戸は、青空が澄み切っています。
     青空

 体調もだんだん良くなってきました。
 日々いろいろな事があっても、この青空の下で、胸一杯空気を吸って暮らしていける…
 本当に幸せです。
 噛みごたえがある美味しいごぼうも食べられるし(笑)

 岡山のKさんから、
 「ごぼうは、アクをちゃんと出してから食べた方が美味しいですよ」 ってメールを頂きました。
 早速、トライしてみます。  何せ、調理は初心者なもので…

 ここ3~4日、心の旅に出ていました。

 よく、昔に誰かからひどい目に遭わされた事が、どうしても忘れられない… という人がいます。
 恋愛問題や金銭トラブルなど、内容はさまざまです。

 中には、裁判まで起こして、ケリをつけようとする人もいます。
 でも結局、裁判費用とか、費やした時間の事を考えると、例え勝訴したとしても、元が取れない事がほとんどです。

 結論だけ言えば、こういう恨みは忘れた方が、はるかに人生を有意義に生きられる事だけは、間違いなさそうです。

 人は誰でも一つや二つ、過去において、こういう経験をしているものです。
 自分の中では、とっくに消化しているつもりでも、実はそうではなかったりして…

 この前少しだけブログに書いた、僕が25歳の頃に、マルチ商法のごちゃごちゃに巻き込まれた事件は、とっくに気持ちの上では解決したつもりでいたのですが、実はそうでもなかった、という事に気づかされました。
(7/13ブログ 「かけられた魔法がとけた時」 参照)

 今、あのマルチ商法の会社がどうなっているかをインターネットで調べてみたら、2007年9月5日に倒産していました(笑)

 あの頃、取り上げられた40万円というのは、本当に大きなお金でした。
 ミュージシャンとして世に出る為に、音楽機材をそろえる為に貯めたお金だったんです。
 当然悔しいですよ。正直に言えば、断り切れなかった自分を含め、確かにその話を持ってきた人を恨んでました。

 その頃、「人生の授業料だと思って諦めろ」 みたいなアドバイスを聞いても、当然納得できる訳もありませんでした。

 それが今になってやっと、心から感謝ができるようになりました。
 なぜなら 「それが本当に、人生における貴重な経験の授業料だった」 という事に気づけたからです。

 もし、僕がこの悔しい経験をしていなかったら、過去に人からお金をかすめ取られて恨んでいる… という人の気持ちを、心から理解する事もできなかったでしょう。
 そういう意味では、40万円で400万円分以上の学びができたと思います。

 だから、そういう経験をさせてくれた天の計らいに感謝しています。
 あっ、間違っても、そのマルチ商法の話を持ってきた人には、感謝していないですよ。当たり前ですけど(笑)

 でも、実はここが重要なポイントだったりします。
 感謝の対象を人にしてしまうと、どうもおかしな事になってしまう…

 なぜ僕が、このマルチ商法の話を持ってきた人の言いなりになってしまったかというと、この人にいろいろと恩を感じていて、義理人情で断り切れなかったんです。
 どっちにしろ、この人とは、今回の事で完全に切れてしまいましたけど…

 世の中には、いつも損得勘定ばかりを考えて相手を利用する為に恩を売る、というタイプの人がいます。
 そういうタイプにだまされない為にも、義理人情の前にもっと見なければならない事があったりします。

 感謝の対象が人ではなくて、天の計らいとか、神様とかいうものであれば、こういう事も避けられるし、人に対する恨みとか憎しみというものにも、支配されずにすみます。

 25歳の時、天から与えられた課題を、自分ではクリアしていたつもりでしたが、僕は完全にはクリアしていなかったようでした。
 いま、その答えが見つかった時、心に澄み切った青空が広がった気がしました。

 

菜根を噛みしめて

 最近、夜寝る前に 「菜根譚(さいこんたん)」 を読み流す事にしています。
 パリから帰って来てからというもの、眠る前の至福の時間というものがすっかり無くなってしまって、そのまま仕事に疲れて、ベッドになだれ込むように眠る… という繰り返しだったのですが、最近になって、やっと少しずつ、本来の生活に戻りつつあります。

 忙しい事はありがたい事だとばかり、ガムシャラに仕事をしてきましたが、失ったものも多かった気がします。
 自分の精神修養の時間が、不足していた事は明らかなのですが、それをそのまま放置して、調子に乗って勢いだけで突っ走りすぎた気がして…

 ここ3日ぐらい前から、自分を見つめる作業をしています。

 「菜根譚」 の本に出会ったのは、25歳ぐらいでした。
 あの頃は本当に、いろんな事で壁にぶち当たっていました。

 古典の中には、壁にぶち当たった時のヒントがたくさん載っている、という話を聞いて、「論語」 とか 「易経」 とか、「史記」 とか… 当時たくさんの本を買いこんだのですが、やっぱり小難しくて、すぐに投げ出してしまいました。
 漫画で解説されている本とかも試してみたのですが、やっぱり今一つ、つかみどころがなくて…
 でも、そんな中、この 「菜根譚」 だけは、辛うじてとっつきやすかったのです。
(「史記」 に関しては、数年後もう一度読んでみたら超面白かった)


 菜根譚というのは、支那大陸が明の時代に洪自誠によって書かれた隋筆集です。
 中国ではあまり重んじられる事はなく、我が国における江戸時代、六代将軍・徳川家宣の治世に儒者が翻訳した訳本により広がりました。

 菜根譚の評価は人それぞれで、中には
 「そんなもん読んだら、爺くさくなるから読まない方がいい…」
 と言っている人もいます(笑)
 でも、僕にとっては、この本は相性がいいみたいです。
 何よりわかりやすいし、知らず知らずに陥った間違いに気づかせてくれる…

 人によって合う合わないは、あるかもしれません。
 今はネットが普及して、タダで読める時代ですから、良かったら試してみてください。

 菜根譚 洪自誠

 最近どうも僕は、暴走して突っ走り過ぎている気がして、この 「菜根譚」 を枕元に置いて、自戒しようと思いました。

 まあ、そうはいっても、最悪は免れているんです。
 最近の自分の体の調子の悪さや、メンタル的なものの違和感で、「何だか変だぞ」 って気がつく事ができましたから…
    気づければ、こっちのもん
 それに、靖国神社に行ってから、体の調子がだんだんと元に戻りつつあります。   あとは食事の問題だけだな きっと…(笑)

 人間は、本調子ではない時でも、工夫次第で何とかなります。
 歩く姿勢が前のめりになっている事に気づいたら、ちょっと背筋を後ろに反らせて歩けば、見た目ではまっすぐに歩けています。
 取りあえず、自分を取り戻すまでの応急処置ですが…

 だから、僕は、不安にかられている人というのは、それだけで十分大丈夫だと思うんです。
 不安で自分に自信がない状態というのは、本人的には苦しいですけど、言いかえればそういう人は謙虚な人ですから…

 逆に、自分が言う事は絶対に正しいんだ… って思っている人は、一番要注意です。
 その状態では、自分を改める事も出来ないし、知らず知らずの内に周りにいる人に迷惑を掛けています。

 「菜根は堅くて筋が多い。これを噛みしめてこそ、物の真の味わいがわかる」 というのが、「菜根譚」 の題名の由来です。
 消化不良を起こさないように、しっかりと人生を噛みしめて頑張ります!


 ごぼうP.S.
 夕食に、菜根類を食べてみようと思い、近所のイトーヨーカドーで、ごぼうを買ってきました。
  菜根といえば、やっぱりごぼう

 でも、ごぼうの調理なんてした事がないので、ネットで調べてみると、意外にも、皮をむいたりとか、アクを出したりとかしなくても大丈夫みたいです。

 ゴボウの新常識
  … ごぼうの事、色々書いてあります

 そこで、ごぼうを水洗いしてから、適当にぶつ切りにして、少量の水でゆでて、しょうゆとゴマドレッシングをかけて、食べてみました。

 アク出しは全くしませんでしたが、味にはそんなに影響ありませんでした。
 最初、口の中で泥臭さは感じましたが、噛んでいる内にそれも無くなります。

 これは良く噛まないと、消化不良になりますね。でも、植物の根っこの深い味わいというか … 意外と美味しいかも知れません(笑)
 玄米食なんかと一緒に、おかずとして食べたら最高です。
   まさに、仙人の食事

 昔は、こういう自然の味の良さが全くわからない人間だったのですが、今は多少なりともわかるようになりました。
 まさに、「菜根これを噛みしめてこそ、真の味わいがわかる」 ですね(^^)
 

靖国神社参拝

 今日はタロット講座の7日目、颯爽(さっそう)とパリのブランドスーツに身を固め、講座会場である 「悠庵」 に向かおうと、京葉線の満員電車(ほとんどが東京ディズニーリゾートに行く人)に乗り込みました。

 ところが満員電車の中で、立ちながらゆられていると、乗り物酔いのように気持ち悪くなって、思わず自分のでっかいカバンの上に腰かけてしまいました。
 すぐに何もないふりをして、立ちあがったのですが、5分後に二度目のダウン…   ううっ お腹が気持ち悪い…

 ふと、うつろな目で天井の吊り広告を見ると、靖国神社の「みたままつり」のチラシがあって、剛力彩芽さんの着物姿が目に入りました。
 彼女の笑顔が、まるで天使に見えました(笑)

 これは、きっと靖国神社に行けって事だなと思いました。
 本当は昨日、西谷泰人先生のブログを読んで、参拝に行こうかと思ったのですが、仕事に追われて忙しいのと、体調があまり良くないのとで、断念したのです。

 もちろん、講座の時はそんなそぶりは出しませんでしたが、気づいていた人いると思いますね(笑)

 パリに行って帰って来てからというもの、ずっと体調は最高潮だったのに…

 考えてみたら、あのラジオ番組のキャッチセールスの電話が掛かってきたあたりから、体調崩してます。
 体調だけではなくて、かなり気持ちのモチベーションもおかしくなっているのです。

 それでも頑張って、仕事をこなす量や行動パターンは変えていないのですが、疲れ方が全く違うんですよ。
 僕の原動力のエネルギーを色で例えるなら、それまでは白く輝いて無限の力が出ていたのが、あれから、何か薄汚れたような灰色になっていて、同じ行動をしているにもかかわらず、疲れ方が半端ないのです(笑)

 あの電話が掛かってきてからというもの、過去の嫌な思い出が、やたら脳裏をよぎる事に気づきました。
 気づいてみると、それまで楽しくてもう無我夢中になって仕事をしていたのが、いつの間にか、仕事をする原動力が、過去の悔しかった思い出をリベンジする…みたいなものに、取って替わられていたようです。

 仕事の原動力の理由づけが変わっても、そんなに影響の出ない職業もあります。(もちろん、その人の運勢上の影響は否定できませんが…)
 でも、占い師という仕事の場合、仕事への影響はかなり深刻です。

 何でこんな事になってしまったかというと… 多分、大切な事を忘れかけているからだと気づきました。
 それは、人に幸せになって欲しい、人に喜んでもらいたい、といった最低限の基本として持っていなければならない気持ちの事…

 僕の周りの人、ひいては、この国の人々が健やかに幸せであり続けていてほしい… という思いが不足していて、パワーそのものが弱まっていたんですね。

 タロット講座を終えると、僕はその足で、九段下の靖国神社へ行ってきました。
 昨日、西谷先生も参拝されたこの靖国神社は、日本の英霊となった方々が祀られている神社です。
   入り口近くで、西谷先生の名前のちょうちんを発見!

 ここに参拝する事で、少しでも、英霊が我々に託された願いというものを感じ取る事ができれば… と思いました。

  靖国神社
衣装コーディネート By AOKI松戸八柱店 東海林店長 … うちわは関係ありません(笑)

 ちょうど、タロット講座の帰りで、身なりもきちんとしていましたから、昇殿参拝をして参りました。
 今年の元旦にも初詣をしたので、約半年ぶりの参拝になります。

 参拝したら、気力がみるみるみなぎってきました。
 明日からもまた、頑張ります!

 P.S.
 タロット講座も、あとラスト一回という事で、今日は総仕上げの意味で、お互いに交代でタロット鑑定をしあう実践トレーニングと、5問の例題のエクササイズをやりました。

 長野から毎回通って受講されている、みずぽんさんは、とても真面目な受講生さんです。
 今日のエクササイズの解答もばっちりでした。
 でも、みずぽんさんのブログは、本人の見た目とややギャップがあって、すごく面白くておすすめです。
 この前、のめり込んで一気に読んでしまった…

 よろしければ、ぜひ訪問されてみてください(^^)
 みずぽんさんのブログ 個人部屋のStorytailor


パリの着こなし

 今日は、夏場のスーツを買いに、近所にある紳士服のAOKI松戸八柱店に行ってきました。

 1ヵ月ほど前、ポケットチーフを買う為に、フラっとこのお店に立ち寄った事があったのですが、その時に対応して下さった店長の接客に、僕はすっかり魅了されてしまったのです。

 店長は僕より一つ年上なのですが、身なりもセンスもすごく良くて、いろいろなファッションの事に精通されています。

 僕は何かを決めるのに、本当に優柔不断な所があって(知能線が超長い)その時も、たった2枚のポケットチーフを選ぶのに、なかなか決められませんでした。
 店長は親身になって、ポケットチーフとスーツやワイシャツとの合わせ方の事、チーフのさし方の事などを、いろいろレクチャーして下さいました。
 僕が、これにしようか… いや、やっぱりこっちに… とウダウダしていても、嫌な顔一つせず最後までつきあってくださったんです。
 他にも、もっと高い買い物をしてくれそうなお客様が店内にいるでしょうに…

 だから近い内には、せめてものお礼に、そんなに高くないスーツでも買いに行こうとは決めていたんです。スーツ半額券というのも、もらいましたし…

 今日、AOKIのお店に行ってみると、店長は、この前と同様、忙しく動き回っていらっしゃいました。

 声をかけるのも悪いと思って、一人でスーツ売り場に行って、スーツを選んでました。

 その中にすごく素敵な紺色のスーツがあって、手に取って見たのですが、値段がちょっとだけお高めでした(笑)
     緑色のスーツはなかった…
 僕がじっとそのスーツを見ていると、店長は忙しい中、僕を見つけて駆けつけて下さいました。

 「これは、いいですよ。ジュンコシマダといってフランスのパリのデザイナーです」

 「 パリ ですか~」   最近、パリと聞くとやたら反応する…

 店長は、ヨーロッパのそれぞれの国のファッションスタイルの事を語って下さいました。
 イギリスというのは、とにかくスタンダードで保守的なファッションスタイル、逆にイタリアというのは、一番先進的で奇抜なファッション・スタイル… そしてフランスは、ややイギリスよりではあるが、2つの国の中間のスタイルだという事でした。

 店長はたいへん物知りで、他にも、ファッションの流行は30年周期でやってくる話とか、同じくパリのジャン・レノというブランドの裏話とか、いろいろなお話を聞けました。

 「割引券をお持ちですから、お値引きできますよ」
 と言って下さるので、その紺のスーツを買う事にしました。
      パリという言葉に弱い(笑)

 で、ついでにベルトも安かったので、一緒に買いました。

 「このスーツとベルトの組み合わせなら、靴は茶色がおすすめですが、お持ちですか」
 と言われたのですが、僕はスーツに合わせられるような靴は、黒しか持っていません。

 「黒では駄目ですか」 と聞くと…

 「いや、別に構わないんですけど、それですと惜しいんですよね。昔は一点豪華主義というのもあったんですが、やっぱり、今は全体のバランスですから…」

 正直、靴まで揃える事は、全く考えていなかったのですが、店長の次の言葉で決めました。

 「衣食住という言葉があると思うんですけど、その中で衣という存在は、その人の自信にもつながってくると思うんですよ。やっぱり心のどこかで、それに引け目を感じていたりすると、それが気持ちや態度にも表れてくるんです。
 気持ちがフニャフニャとしてしまうというか… 女性の場合はそれでもいいんですけど、男性の場合は、フニャフニャしているのは、あんまり格好がつかないですから…」

 これは、目からウロコの言葉でした。
 そしたら、店長は奥から見切り品になっている安い茶色の靴を見つけて下さいました。
 「これならセンスも悪くないですし、お値段的にもかなりお得だと思います」

 見切り品と言っても、僕にとっては、その値段が信じられない位、センスの良い靴でした。

 スーツのズボンの丈直しが終わったので、早速試着してみました。

 店長がおすすめして下さった、細身の僕に一番合っている型だけあって、まるでオーダーメードの服のようにピッタリです。

 パリのブランドのおしゃれなスーツに身にまとって、ちょっぴり優雅な気分になりました。
 明日の講座で早速、着こなしてみようと思います。


かけられた魔法がとけた時

 昨日の広告料ビジネスの話ではないですけど、世の中本当にたちの悪いセールスが多いです。

 お世話になっている社長にその話をしたら、
「詐欺師というのは、誠実で人の良さそうな感じの人間が多くて、それで皆さん騙されてしまうらしいですよ」
 って、おしゃってました。

 それにしても、電話を掛けてきた彼は、話していても善人にしか思えなかったですね。
 人を出し抜いてやろうという気持ちなんて微塵も感じられなかったです。  まあ、僕が見抜けなかっただけの話かもしれませんが(笑)

 それで、これは僕の想像の範疇(はんちゅう)なんですが、おそらく彼は正しい事をやっているつもりでいるんですよ。

 最後にお金の話をする時は、本当に申し訳そうに話してましたが、それ以外の所では、自分の会社にも雑誌にも誇りを持っていましたから。
 これは、絶対に素晴らしいもので、8万8千円でも安いんだ、というような…

 でも、僕から言わせると、そのフェアじゃないセールスのやり方をしているだけで、すでにアウトなんですけど…
 むしろ最初から、「8万8千円のラジオの広告枠があります」 って言ってくれた方が信用できます。 どっちにしても、契約しませんが(笑)

 で、僕はふと、若い頃の記憶を思い出しました。
 それは、あるお世話になっていた人に誘われて連れていかれた、ある会社のネットワークビジネスの講演会なんですよ。
 今思えば、まるで魔物の巣窟みたいな所でした。

 ネットワークビジネスの会社が、必ずしもこうであるという訳ではありません。
 商品性を重視した健全な会社だってあります。
 問題なのは、「マルチ商法」 と呼ばれるやり方を、会員に強いている会社です。
 これは、ノルマを課して人間の欲望を刺激して、どんな手段を使っても良いからという事で、商品をとんでもない価格で売りつける… 当然そこには、売りつける相手がどうなろうと知った事じゃない、という世界です。
 しかも、一定の期間内にそれをやらないと利益につながらない。(それを見事やり遂げると、とんでもない収入になる)

 それで、そこの会社の代表と呼ばれる人の講演が、それはまた見事なんです。
 「私は、今の不景気になった日本の経済を立て直す為にこの手法を編み出した… うちの商品は素晴らしい商品ばかりだ… ここに集まった皆さんは周りの人を不況から救うんだ… 我々には時間がない。だから急いでいる…」

 そんなような事を話すのですが、それがまた、やけに論理的で説得力があるんです。

 それで40万円近くもする洗剤やら化粧水やらのセットを、
 「これは非常に価値があるから、例えビジネスを広げようとしなくても価値がある」
 とか言って、買わせるんですよ。

 その40万円の半分が、ある一定の条件を満たしていれば、紹介した人間のグループのロイヤリティーになる訳です。
 (つまり、そんな訳だから、本当は商品に大した価値などない)

 僕は当時25歳だったんですけど、連れて来てくれた人の顔をつぶすわけにいかないし、ビジネスをしなくても良くて、それだけの価値のある品物ならまあいいか… って仕方なくサインをしました。    今なら、絶対にしないけど…
 
 みんな、僕がサインをするのを、じっと見てましたね(笑)

 もちろん、実際に商品に40万円の価値などある訳なくて、二束三文ですよ。
 それにしても、あの代表の話術はうまかったですね。

 で、それは仕方ないとして… 本当は仕方なくないけど(笑)
 その後、そのビジネスの仲間から、もうひっきりなしに電話が掛かってくるんですよ。
 「ビジネスをやる気があるのか…」 とか 「みんなで協力しなければいけないのに、何をしているんだ」 とか…

 僕は最初から、そんな阿漕(あこぎ)なビジネスをやる気はさらさらなくて、買わされた商品を、多少原価割れでもいいから売って、当時欲しかったシンセサイザーを手に入れる事しか頭にないというのに…
 どうやら僕が動かないと、そのグループの人達の収入が上がらないらしい…

 彼らは、自分達はとても偉大な事をやっていると思い込んでいるのです。
 すっかり、魔法にかかってしまっているんですね。

 マルチ商法というのは、成功している一握りの人と、数多くの損失を抱え込む人が必ず出るんですけど、彼らの思考では、「成功しない人は怠けている」 という事になるらしいです。
 で、怠けている僕に喝を入れようと、一日に何度も何度も電話を掛けてくる訳です。
 いや、あれには参りました。

 まあその後、彼らとはうまく縁を切りましたけど… 苦い経験でした。

 世の中には、こういう図式がいっぱいあります。
 マルチ商法だけじゃなくて、ぼったくり詐欺や悪徳商法の会社、一部の自己啓発セミナーや新興宗教団体…

 ミイラ取りがミイラになる図式です。
 末端の人達というのは、意外にみんな純粋なんです。

 僕は、できれば人間の良い部分だけを見ていきたいとは思っていますが、そういう人の迷惑を顧みない行動は、やっぱり許せないです。
 それを認めてしまったら、地下鉄サリン事件の犯人や、同時多発テロの9・11のハイジャック犯でさえ、許す事になってしまう。
 あの人達も、自分の世界の中では、良い事をやったつもりなんですから…

 本当は、心のどこかで気づいているはずなんですよ。
 でもそれを認めると自分が壊れそうだから、一生懸命間違ったものを信じこもうとしている…

 あの電話を掛けてきてくれた彼には、勇気を出してほしいと思いますね。
 かけられた魔法がとけた時、自分自身も解放されるし、きっとたくさんの人を本当の幸せにしていく事ができるはずだから…


人を信じ続ける事と、現実を強く生きる事…

 今日の松戸は曇り空、小雨がぱらついていました。
 でも、湿った風が涼しくて、とても気持ちよかったです。

 昨日、地井さんの絵手紙展を見る為に、2時間待ちの列に並んでいると、一本の電話が掛かってきました。

 「初めまして、ラジオ番組の制作をしています△△会社の○○です。
 実はホームページを拝見して、浅野先生のご活躍を知り、ローカル放送ではあるんですけど、是非番組内でご紹介させて頂きたく、お電話しました」

 その方は、さわやかな話し方をする若い男性で、とても好感が持てました。
 最近の占い事情もよく知っていましたし、占いで人を幸せにするという考え方も、僕と共通できる部分があり、話が通じました。

 それで、
 「ラジオでご紹介したものに対するお問い合わせや反響が多く、番組内では対応しきれないので、それに連動させて、その情報を雑誌にも掲載させて頂こうと思います」
 と言われました。

 もう、いたれり尽くせりっていう感じですが、僕は勘がいい方なので、このあたりの話を聞くと、多分本当に言いたい事は他にあるんだろうな… と思いました。

 で、やはり案の定、申し訳なさそうに、
 「実は最初にお話すべきだったのですが、この雑誌の掲載費用として、8万8千円をご負担頂く事になっています」

 もちろん、僕はやんわりとお断りしました。
 なぜなら、こういう放送局の相場は知っているからです。

 だいたい、こんな風に是非とも番組内で紹介したい、という話の場合、このような大金がかかる事は絶対にあり得ません。
 逆にゲスト出演しようものなら、わずかであっても、ちゃんとギャラが発生します。
 この8万8千円というのは、広告費用と同じで、その会社はこの広告費用によって成り立っている事になります。

 それで、もしこのお金を払ったら、その分の実入りがあるかというと、それもかなり怪しいんですよ。
 だいたい、ラジオ番組で、本当にちゃんとした面白い内容の番組を制作するつもりなら、相手にこういう大金を請求する事は絶対ありません。
 番組内で問い合わせに対応しきれないのなら、ホームページとかで紹介すればいい事で、わざわざ雑誌に掲載する必要はない訳です。
 その雑誌の掲載広告費が、本来の目的でない限りは…
 
 つまり、こういう広告費用が目的のラジオ番組というのは、あまりうまくいっていないし、リスナーの数なんて怪しいんです。

 こういう所で、都合の良い期待をふくらませて、8万8千円を支払ってしまう経営者はまず失敗します。

 地井さんの絵手紙展をみおわった僕は、家に帰って、早速この会社の事を調べてみました。

 そうすると、同じようなパターンで電話が掛かってきて、いろいろ持ちあげられて、8万8千円掛かりますって言われたという話が載っていました。  なんだ、僕だけじゃなかったんだね(笑)
 
 「これは広告詐欺?」 なんて、見出しがついていたりしましたが、別にこれは詐欺ではないんです。

 もちろん、お金の事を何も言わないで、後から雑誌の掲載料を請求してきたら詐欺ですけど、ちゃんと最後に電話で伝えてくれていますから、営業ビジネスとしては、一応成立しています。
 あんまり、フェアとは言えませんが…

 まあ、僕としてはそんな事はどうでも良くて、それよりも関心は、あの電話してきてくれた感じの良い青年のは、何を思って電話で僕と話していたのかな… という事でした。

 とても、人を騙そうとしているとは思えなかったし…

 謎ですね(笑)
 でも、僕はこういう時、いいように考える事にしています。だいたい、人の心の中なんて、人間にはわかる訳がないですし…
 だったら、人を疑って悪く考えるよりも、まだ騙された方がいい… そう、僕は考えます。
 もちろん、それで無駄なお金を取られる訳にはいかないので、現実的な強さだけはしっかりと思っていないといけませんが…

 きっと彼は、電話で話している時、僕といろんな話を共感してくれていたと思う。それで、きっとこの営業マニュアルはまずいよなあ… って感じていたと思う。
 だって、最後のお金の話を言いだす時、本当に申し訳なさそうでしたから…

 現実社会というのは、綺麗事だけでは生きていけないのは事実です。
 時には、作り笑いをしながら生きていかなくてはならないような事だってあります。
 誰だって作り笑いなんかしたくないけど、そこにはいろんな事情が存在するし、それがその人のクセになっているような事だってあります。

 よく、作り笑いをしているのを見て、
 「貴方は私に対して、何か企んでいる」
 とか、決めつけて言う人がいます。

 直観力があるというよりは、器の小さい人です。
 その決めつけは、当たっているかも知れないけど、もし間違っていたら一体どうするんですか、と言いたくなります。

 そんな間違いを犯すくらいなら、まだ、相手に騙された方がマシです。
 もちろん僕も、油断ならないと思ったら、現実的な部分ではしっかりとガードしますけど、少なくともその人と話している時くらいは、気持ちの上では信用したいんです。

 僕はどんな人でも、よっぽどではない限り、絶対的な悪人というのはいないと思うんですよ。
 悪い部分もあれば、良い部分だってある…

 だから、できるだけなるべくなら、人の良い部分だけを見ていたいと思うんです。

 
 

地井さんが教えてくれた事

 今日は赤坂に用事で出かけたついでに、ふと銀座に寄ってみようと思いました。
 銀座三越の9Fで 「ちい散歩」 の絵葉書展をやっていたからです。

 先日惜しくも、心不全で他界されてしまった地井武男さんですが、「ちい散歩」 というのは、テレビ朝日系列の地井さんがあちこち散歩するという内容の番組の事です。
 その番組の中で、毎回地井さんは、散歩した場所にちなんだ絵手紙を書くんですよ。
 その地井さんの描いた絵手紙の原画が全て、この銀座三越9F 「銀座テラス」 で、展示されているのです。

   ちい散歩

 行ってみたら、いきなり入場まで2時間待ちでした…

 今日も、この後やらなければいけない仕事がたくさんあったので、一瞬ひるんだのですが、やはり並ぶ事にしました。

 地井さんの遺志である、「日本の将来を担う子供達を応援したい」 という気持ちを受けて、絵葉書は1枚3万円で販売された後、全額「あしなが募金」に寄付されるのですが、僕が行った時には、すでに完売になっていました。

 残念ながら、さすがに展示場は撮影禁止なので、中の様子を写真ではご紹介できませんが、本当に2時間待っても入った甲斐はありました。(入場無料です)

 この前のブログのP.S.にも書いたんですけど、僕にとって、地井武男さんというのは、こういう年の取り方をしたいという目標の人なんです。

 地井さんは俳優なんですけど、言ってみれば人気タレントのわけで、そういう意味では、多くの人に影響を与える大きな役割を持った方でした。
 にもかかわらず、変に格好つける事もなく、素朴で子供みたいな心をしている。それで、関わった人の心を幸せにしてしまうという人です。

 地井さんは別にプロの画家とかではないのですが、一枚一枚の絵に本当に心がこもっているというか、地井さんの優しさがこもっていました。

 展示場内には、「ちい散歩」 のビデオグリップが流されていて、その中で地井さんはこんなような事を言ってました。

 よく、散歩した先の神社やお寺に手を合わせている時に、何を祈っているのか…って聞かれる事があるんですけど、僕は一つに決めているんです。
 それは、その地域の人達が、今後も平穏で平和な暮らしが続いていきますように…という事です。
 絵を描いている時も、そういう気持ちで、うまく描けなくて途中で破り捨ててやりたいと思った事もありましたが、毎回心だけは込めて、描きました。


 僕は、この地井さんの話を聞いて、もし何かの役割を背負った時には、決して自己本位のままでいる不謹慎は許されないと、身が引き締まる思いがしました。

 地井さんの絵に描かれているものは、散歩で出会った普通の人々だったり、建物だったり、線路に咲いたタンポポだったりするんです。
 いわば、誰もがいつも目にしている風景そのものです。
 でも、地井さんの絵のフィルターを通して見ると、みんな天国の世界のものになってしまうんですよ。

 僕は最近、いろんなものに気負ってしまっていました。
 物事が思いのほか、うまく運んでいるのが、逆にとても苦しくて…
 このまま、本当にやっていけるのか… 自分にはそんな実力があるのか… って、常に不安になってしまっている自分を感じていました。

 地井さんの絵手紙を見て思いました。
 いつも、自分の心が天国にいられたら、なにも気負わなくても、それだけで人を幸せにできるのかも知れないと…

 なんか、展示場に飾ってある地井さんの大きな顔写真を見ていたら、
 「大丈夫? しっかりしろよ。ホラ、肩に力が入っているぞ」
 って、肩をやさしく叩かれたような気持ちになりました。


澄んだ最高の笑顔で

 心が満たされてなくて苦しい時や、自分が人からどう思われているか不安で仕方がない時というのは、何をやってもなかなかうまくいかないものです。
 おそらく表情だって、どんよりと暗いでしょうし…

 だから、人から 「君、表情が暗いのなんとかして」
なんて言われちゃったりします。

 こう言ってくれる人は、優しい人です。一緒にその人としてやっていきたいと思うからこそ、暗いのは困る訳だし… それに、そのまま暗いんじゃあ、本人も損するだろうって思って、言って下さっているんでしょうから。

 でも、そう言われて…
 「あっ、す、すいません。ワ、ワタシって、そんな、暗かったですか… ア…、アハ、アハハ…」
 って、一生懸命笑顔になろうとしても、ぎこちない(笑)

 無理もないです。超一流の映画俳優でもない限り、意識しての笑顔は難しいですよ。
 アクターの感情表現の中で、喜びの表現をするのが、一番大変なんですから。

 普通の人は、カメラを向けられて、「はい、笑って、笑って」 って言われると、顔が引きつっちゃう事も多いです。
 これは当り前の事です。

 ところが、人生っていうものは、お芝居の舞台と同じで、笑顔がうまくできないと、やっぱり役どころが限られてしまうんです。
 だいたい主役級の役(人を束ねていくような役)というのは、笑顔ができないと厳しいものが多いです。
 まれに、そうでない役どころも、ある事はあるのですが…

 笑顔が輝いている状態というのは、心が喜んで納得している状態ですから、無理やり作ろうとしても、うまく行かないんですね。

 うまく笑顔に似せたような表情を作る事はできますけど…
 やっぱり、見抜く人は見抜きます。
 まあ、本当に優しい人は例えそれを見抜いても、口では言いません。
   そういう事を口にする人は、器の小さな人だけ… 恐れるに足らず

 で、結局の所、澄み切った笑顔になれるようにするには、心を澄み切らせておくしかないです。
 でも、僕は、別に笑顔ができない人は、心にやましい所がある人だとは思っていません。
 多分、こうありたいという自分の理想が高くて、それに心の満足が追い付いていない状態だと思う。

 まず、一番大切なのは、心を満足させる対象を、物事の結果や人の評価みたいなものに、なるべく頼らないようにする事です。

 どんなに笑顔ができない人でも、宝くじを買って一等が当たったら、満面の笑顔になれるんです。
 でも、そういう時にしか笑顔になれない人は、結局いつまでも、不安定な心の状態でいなければならないです。
 いつも、周りの状態に振り回されていなければならない。

 そうではなくて、例えそういうこの世の刺激がなくても、心を満足させられる事が大事です。

 その為には、自分が没頭できるような何かがあるといいですね。
 一般的には、スポーツで体を動かすような事が理想とされていますが… まあ、人によります(笑)

 僕も、スポーツは健康にいいだろうと、ジムの一日体験レッスンというのに行きました。とにかく、今みたいにひ弱なのは格好悪いので、筋肉をつけようとしたんですね。
 で、体が慣れてないのに、いきなりバーベルやら自転車こぎやら、体の限界までやりました。
 もう、全ての体力を使いきってしまって、笑顔どころか、立っているのがやっとでした(笑)

 ジムの人に、「どうですか、是非続けてみて下さい」
と言われて、「いえ、どうやら僕には無理のようです…」
と、フラフラになりながら、やっとの思いで家に帰りついたものの、あくる朝まで動けませんでした(笑)
      …こういう無理は、絶対にしてはいけません

 僕の場合は、例えば、ホームページを頑張って更新したり、一日のブログを書いてアップしたりした時、満面の笑顔になれますね。

 結局、どんな事でも一生懸命自分なりにこだわって頑張って、それを成しとげるという事がいいのです。
 どんなくだらない事でもいいですけど、できれば、誰にでもできる事じゃなくて、自分でも偉いなって思えるような内容の物の方がいいです。

 つまり、テレビゲームのエンディングまで終わらせるような事でもいいのですが、それよりもフランス語検定の勉強をして合格する事の方が、なおいいです。
 そうすると、いつの間にか、澄み切った笑顔が取り戻せています。

 笑顔ができなくて苦しい時期というのは、消して無駄にはなりません。
 僕にも本当に長い間、そんな時期がありました。
 その時期というのは、本当の優しさというものを学ぶ最高の時期です。
 そして、やがて昔の自分と同じように、笑顔を忘れてしまった人を助けてあげられるのです。

 心が道に迷って、笑顔を忘れてしまっても、焦る事はありません。その袋小路は、誰もが一度は足を踏み入れた事があるのですから…
 そして、心の迷いが解けた時、貴方は一回りも二回りも大きくなって、たくさんの人を導くようになれるのですから…

 P.S.
ケンタッキー 今日は、何となく、ケンタッキーのチキンサンドが食べたくなって、近所のケンタッキーで、昼食をしました。

クラッシャーズがセットドリンク
にできたので、頼んでみた…


 人生の中のひと時の幸せ…  とっても笑顔になれました(^^)


今そばにいる人に優しく

 僕の本棚の上に、一枚の色紙があります。

今そばにいる人に優しく これは、以前大変お世話になった、中谷彰宏先生から、頂いたものです。

 言わずと知れた、世に900冊以上のベストセラーを出しているという売れっ子作家の中谷彰宏先生です。     中谷先生も緑色が好き…

 僕がまだ、「壬生明生」(みぶ あきお)の鑑定師ネームを使っていた頃、中谷塾に呼んで頂いたり、お食事をご一緒させて頂いたりした事がありました。

 この色紙を見るたびに、いつも 「人に優しく」 って、自分に言いきかせてきました。

 確かに僕は、子供の頃から、人に喜んでもらいたいな… っていう気持ちは、常に心のどこかで持っていた気がします。

 でも、優しくはなかった…

 若い頃は、何をやっても空回りばかりでした。
 人に喜んでほしいと思って、いろんな事をするのですが、かえってそれで嫌われたりして…
 何でこうなんだあ~ って、いつも悩んでましたね(笑)

 でも、今あの頃を振り返ると、原因がわかった気がします。
 あの頃の僕には、余分な思考があったんですよ。

 例えば、彼女を欲しがっている友達に、素敵な彼女を紹介してあげたい。友達が喜んでくれて、それで… 僕の事を 「いい奴だ」 って言ってもらいたいんだとか。

 バイト先の掃除のおばちゃんの仕事を手伝ってあげて、喜んでもらいたい。それで… おばちゃんから、よく思われたいんだとか。

 「それで…」 の後がくっついているものだから、善意が善意でなくなって、嫌味な奴になっていた気がします。

 男女の仲を結びつけようとする時に、なるべく仲介の存在なんて目立たない方がいいに決まっている。
 ところが、自分が幸せになっていない時って、その事がわからないんですよ。

 掃除のおばちゃんだって、手伝ってやったんだ、なんて大きな顔されるくらいなら、むしろ手伝ってもらいたくない。
 でも、人に愛されている自覚がなくて不安な時というのは、それがわからないんです。

 人が喜んでくれる顔を見たい… って所までは、良かったんですけどね。

 だから、
 「ホラ、みて下さい。足元にこびりついていたカーペットのシミ、僕、漂白剤で落としておいたんですよ」 とか…

 「やっぱり、大震災の募金はしておいた方がいいと思って、いや、ほんのウン万円程度ですけど…」 とか言ってしまうのって、せっかくの貴い(とうとい)行為の価値が半減してしまっている気がする。

 言わなくたって神様は見ているし、それに誰よりも自分自身が、貴い行為の事を知っている訳ですから…

 僕、映画の 「忘れられない人」 に出てくる主人公のアダムみたいな優しさっていいと思う。
   あっ、でもうっかりマネすると、ストーカーになるので気をつけて…(笑)

 例えば雨が降っていて、家に帰れなくて困っている人がいたら、そっとそばまで行って足元に傘を置いて、気づかれないようにいなくなる…

 それで後から、
 「あの時、傘を私にくれたのは貴方なの?」 なんて聞かれて、
 「いや、僕知らないよ」 とか、とぼけてみたりして…
 そういうの素敵だと思う。   すっかり自分の世界(笑)

 優しさに、損得勘定なんて要らないし…
 例え自分という存在が誰にも知られなくても、相手が喜んでいる姿が嬉しい。

 今そばにいる人に優しく…
 いつか、そんな境地にたどりつけたなら…
 その時きっと、人も自分も本当の意味での幸せになれるのかも知れません。

幸せな結婚のスタイル

 恋愛にも、結婚にも、人それぞれ、いろいろなスタイルがあると思います。
 一人の異性に愛をつらぬくべきだという人、たくさんの異性とつき合って、その中で自分を高めるんだ、という人… 人それぞれです。
 で、それぞれに 「男女の関係とは、そういうもんなんだ」 とか思っていたりして…

 こういうものって、子供の時に見た親の結婚観に影響される事が多いですね。
 ただし、調べてみると、必ずしもとはいえないようです。
 父親は浮気ばっかりしている人なのに、息子は真面目で女房一筋という例もありますし…

 僕は、どちらかというと、一人の女性に… というタイプです。
 あまり要領が良くないですから、複数の女性と同時につきあうなんてできないですよ(笑)
 とはいえ、結婚する前は(もしくは、離婚した後は)自由にたくさんの恋愛を同時にするという生き方はありだと思います。結婚の際の選択肢も増える訳ですし…
 ただ、くれぐれも異性を泣かさないようには、気をつけてほしいですね。

 でも、結婚して所帯を持ったら、やっぱり伴侶を大切にするという責任は、ある程度負わないといけないと思う。
 ちょっと、堅苦しいかも知れませんけど…

 幸せな結婚生活をして、奥様から愛されているのに、それだけじゃ人生がつまらないし、自分の幅を広げたいんだ… と言って、他の女性と体の関係を結んでしまう男性とかって、ちょっと信じられないですね。
 「男の体はそういうメカニズムなんだ」 とか 「イスラムは一夫多妻制だ」 なんて、言い訳にならないですよ。
 家で自分だけを愛して待っている人がいると思ったら、申し訳なくて、普通そういう事はできないと思うんですけど…

 実際に結婚してない人間に何がわかるんだ、なんて言われるかも知れませんけど、僕はこの部分はモラルの問題だと思うんです。
 だから、例え相手が社会的に成功している人でも、そんな話を聞いてしまったら、いっぺんに引いちゃいます。

 もちろん、結婚する時に相手と
 「私達はお互い、浮気OKという事にしましょう」
 という約束を交わしているのなら、話は全く別ですけどね。

 不倫というもののほとんどは、最初からそんなつもりはなくて、いつしかそうなってしまった、という事が多いですし、そういう場合はまだ、仕方がない部分もあるとは思うんですけど…

 結婚したら、愛情はよく持って数年だ、なんて話はよく聞きます。
 結局、その愛情が冷めてしまった後、どうするかが問題になってきます。
 僕の大好きなカールスモーキー石井さんは、本の中でこんな風に語っています。

 僕は愛情っていうのは五年ももたないと思ってるんです。愛情だけで突っ走れるのはよくて五年だと。
 で、そこから先は相手を学び、相手の中に哲学を見いだす作業になっていくと思う。この人は何を考えているのか、何が好きなのか、次にどういう行動を示すのかっていうのを学んでいく。だから男と女の関係性というのは、哲学なんだと思うんですよ。
 (中略)いろんな夫婦がいるけれど、僕は出会って短い期間で結婚する人は結婚してから学ばなきゃいけなくなると思うんですよ。
(カールスモーキー石井 著 「アートの祭り」~てつがく~より)


 お互いを学んでいく哲学… 相手の事を学ぶという姿勢が大切であると同時に、自分自身も相手に学ばせたいって思えるような人間になっていないといけない、というのもあると思います。

 その為には、自分の中に確固たる信念みたいなものがないといけないと思う。
 でも、共同生活の中で、お互いがゆずるべき所はゆずる、という柔軟性も必要でしょうし…
 まあ、結婚したら、もっと説得力のある言葉の言い回しができると思うんですけど(笑)
 独身者のたわ言として、何かの参考にしていただければ、それだけでいいのですが…
 


七夕に願いを込めて

 今日は七夕です。
 一年に一回だけ、織姫と彦星が会えるという日です。
 織姫というのは、天帝の一人娘で、はた織りの働き者でした。同じく、彦星は牛追いをしていましたが、彼も大変な働きものでした。
 二人は出会って一目惚れし、結婚して、楽しい生活を送るようになったのですが、あまりにも仲が良すぎて、二人とも遊んでばかりいて、仕事をしなくなってしまったんですね。
 怒った天帝は、二人を天の川の東と西に離れ離れにしてしまいました。
 でも、悲しそうにしている織姫を見て不憫に思い、一年に一回、7月7日の七夕の日だけは、天の川を渡って彦星に会いに行く事を許したんです。

 この日、五色の短冊に願い事を書いて、糸で笹にかけ、空の織姫(こと座ベガ星)と彦星(わし座アルタイル)に祈れば、三年以内に願いが叶うと言われています。

 ロマンチックなお話ですね。
   感傷にひたっていたいが、講座の準備でそれどころじゃない…(残念)

七夕飾り 松戸のイトーヨーカドーへ夕食の食材を買った帰り道、七夕飾りを発見!

 みなさん、たくさん願い事書いてますね。

 どうか皆様の願い事が、叶えられますように…




 ところで、鑑定をお申し込みになられるお客様のご相談は、だいたいが恋愛か仕事の事です。

 どちらかというと、恋愛の割合の方がやや多いです。
 中には、なかなか素直に恋愛の事をみてほしいと言いだせないシャイなお客様もいらっしゃいます。
 まあ、僕もそうです。
 自分の恋愛の事を話すなんて、照れくさくて…
 でも何気に、本当は誰かに聞いてほしかったりもするんですけどね(笑)

 僕、誰かに恋をしている人って、すごく幸せだと思う。
 その恋が叶うとか、叶わないとかは、関係なくて…
 そういう素敵な人に出会えたという事が、素晴らしい事なんですから…

 でも、どうして恋をすると人は悩んでしまうかと言ったら、自分の気持ちを相手にわかって欲しい… というのと、叶う事ならば、その相手から愛されたい、と思ってしまうからなんじゃないかなあ、と思います。
 それは、当然といえば当然なんですけど…

 とはいえ、その願いは必ずしも叶うとは限りません。
 例え、短冊に願いを込めても、悲しいかな、必ずしもではないんですよね。

 むしろ、そうやすやすと願いが叶わないからこそ、「本物の愛」 みたいなものを学んでいけるんだと思う。
 簡単に叶えられてしまったら、それこそ出会ったばかりの織姫と彦星のように、ぐうたらになってしまうと思うし…

 多分、「本物の愛」 というのは、例え自分がむくわれなくても、相手の幸せを思える… みたいな事なんじゃないですかね。
 ここまで来ると、僕自身、本物の愛を学びきった訳ではないので、地に足がつかない理想論になってしまうかも知れないんですけど…

 これは、男女の関係の事だけではなく、親子関係とか、友人関係とか、師弟関係とか… さまざまな人と人とのつながりに言えることだと思う。

 本物の愛… 例えば、自分の大好きな人が、自分以外の人と幸せな結婚をした時に、「本当に良かったね」 って心から祝福できたら、これは本物だと思う。

 それから、その人の事を思って、自分が憎まれるのを覚悟でいさめられるかどうか、とか…
 これは、親子の関係なんかでありがちだと思うんですけど。
 もちろん、よく考えた上での言動でないと、相手にとって、はた迷惑なおせっかいにしかならない事もあるので、慎重さが必要です。
 これは、究極の愛ですよ。
 自分が相手から拒絶される覚悟で、相手の未来を思い、いさめる訳ですから。

 でも、そんな時に、
 「私はあんたの為を思っているから、言ってるの」
 と、口にしてしまうと、ちょっと冷めますね(笑)

 「私はいつだって、あなたのことを考えているのよ」
 というセリフが出てきたら、かなりその愛は怪しんですよ。
 いつのまにか、愛と 「自分の欲求」 というエゴが入れ替わっているかも知れない。

 話は変わるんですけど、僕、好きになった人の為に死ねるのって、男としては本望だと思う。
 昔から、そんな風に考える所がありました。

 これはもう15年以上前、僕は24歳くらいだったと思うんですけど…
 その頃は、ミュージシャンを目指しながら、あるファーストフードでバイトしていました。

 そのファーストフードのアルバイトには、結構可愛い女の子がいっぱいいて、バイトの男友達同士で恋愛話が盛り上がる事もよくありました。
 缶ビールをガブガブ飲みながら、どの女の子が一番可愛いと思うかを、お互いに言いあったり… まあ、たわいもない話ですけど…

 その時、僕が
 「僕は○○さんが誰かに襲われた時、それを体を張って守ってナイフで刺されて死んじゃうのなら、喜んで死ねる」
 って言ったんです。  ううっ… 超恥ずかしいセリフ

 そしたら、いっそに飲んでたバイト仲間にこう言われました。
 「じゃあ、もし○○がお前の彼女になった時、そんな風にお前が死んだら、○○が可哀想だろ」

 確かに… 何も言い返せませんでした(笑)
    「本物の愛」 とは難しい

 誰かを愛する事って、本当に難しいです。
 それが仇になって、自分の胸に突き刺さる事もあるし…

 でも、人を愛する事って、ただそれだけで素敵な事だと思う。
 もしこの世に生まれてこなかったら、そんな出会いもなかった訳だし…

 夜空の星に願いを込めて…
 これからも皆様に、たくさんの素敵な出会いがありますように…


 

人を幸せするべき役割

 僕は、今、占い師という仕事について、それなりに自分が満足する毎日の生活があって、確かに幸せに暮らせています。

 これは、占い師に限らず、どんな職業でもそうですが、仕事とは、たずさわった人達を幸せにして、それと引き換えに報酬を得るものです。

 たずさわった人が自分の得た報酬以上に幸せになっていれば、その仕事はますます発展して行くし、その逆であれば、今は良くてもいつかはうまくいかなくなります。

 これは、この世の不変の法則です。

 占い師という仕事は、人の運命をみたり、事の成り行きを占ったりしますが、確実性というものは数学的に証明のしようもないし、何ともつかみどころのない職業です。

 でも、最も大切な役割の一つは、その人の運が伸び悩んでいる本質の原因を見つけて、それを除去する事… 究極的には、その人を本来の役割に導いて、人の縁をつないでいく仕事と言ってもいいかも知れません。

 決して、カウンセラーの代わりでもないし、ましてや、占いは宗教団体の勧誘の道具でもありません。

 注… カウンセラーは、占い師とは別の意味で非常に重要な意義のあるお仕事です。
 占い師の仕事には、多分にカウンセラー的な要素も含みますが、占い師=カウンセラー ではありません。それゆえに、一般的に費用もカウンセラーより割高です。

 それから、占いと宗教は、全く無関係なものです。道端でよく、宗教団体の勧誘の為に占いをやっている人達は、「占い師」 とは言わず 「詐欺師」 と言います。
 あっ、それから 「詐欺師」 は、決して職業ではありません(笑)


 占い師というのも、職業の一つですから、たずさわった人を幸せにするべき役割があります。他の職業よりも、その部分に関しては特に求められると言っていいでしょう。
 それは、大きな責任が伴います。
 お客様の相談ごとに、常にこちらも真剣に抱え込まなくてはいけないし、その方の立ち位置に立っていないといけない。
 何でもかんでも、口当たりが良い事を言う訳にもいきません。それは、その場では良くても、後から苦しめる事になるだけです。
 未来の願い事は、叶う事で幸せになる事もあれば、今、その願い事が別の物に替わる事で幸せになる事だってあります。
 すべてはケースバイケースですし、そう言った意味では、とても繊細な仕事です。

 占い師というのは、人間力が問われる職業だと思う… どれだけ自分に接した人を感化して、幸せにできるか。

 僕の心の師である、西谷泰人先生は、自分の周りの人々を次々に幸せにしていく、不思議なパワーを持った人でした。
 僕は、その西谷先生に最も強く運気の影響を受けた中の一人だと思います。

 一人立ちした今、僕が接するご縁を頂いた人々を、今度は、僕が幸せにしていくという役割をしなければならない気がします。
 まだまだ至らない所だらけで、能力が不足している事も承知の上ですが、その自覚だけはしておこうと思いました。
 もちろん、傲慢になる事は決してあってはいけないし、たまたま、偶然に今こういう状況になっただけの事ですから、「自分が特別な人間だ」 なんていう恥ずかしい勘違いは、微塵もありません。

 何ていうか、うまく言えないですけど、今、大きな水の流れに巻き込まれて、流されているような感覚なんですよ。
 その水の流れは、とても心地よくて…
 それがいつまで続くかわからないし、どこに流されるかもわからないけど、精一杯流れに乗っかれる所まで、頑張ってみようと思います。


 

心にいつもメロディーを

 心に何か引っ掛かっているものがあると、人はどうしても、それに囚われてしまいます。

 僕も最近は忙しくしているので、最近それに囚われている時間もあまりないのですが、それでも、外を歩いている時とか、電車を待っている時とか、抱えている悩みが頭をもたげたりします。

 例えば、税金の支払いとか、税金の支払いとか、税金の支払いとか…  それかよ(笑)
 それを考え込んだ所で、解決する訳でもないし、仮にそれが解決しても、また別の悩みが出てくるだけですけど…

 そんな時は、必ず視線がうつ向いて、猫背になっています。
 姿勢が悪い人って、考えすぎの人が多いです。

 僕は、若い頃からずっとそんなでした。
 今から15年以上前、ミュージシャンを目指しながら、ファーストフードのお店でバイトしていた時代がありました。
 その頃も、いつも考え過ぎて、バイト中も姿勢が悪かったですね。

 そこのバイト先の先輩で、僕より4つ年下の人がいました。金子和喜さんっていうんですけど(笑)
 僕よりも年下だけど、僕の人生の中の、最も尊敬する人のうちの一人です。  尊敬する人に、年下も年上も関係ない…

 何を尊敬していたかというと、まず人間性がとてもできている人でした。当時20歳そこそこなのに、物事を達観しているし、人に優しいんです。
 それから、姿勢も良くて、いつも表情もすがすがしくて、当然バイトの女の子にもモテましたね。
 僕とは違って…

 バイトの閉店作業を終わらせて、一緒に二人で帰る事も多かったです。
 彼も音楽をやっていたので、話が合ったんです。

 僕が、「いつも、いろんな悩みが頭の中をよぎって止まらなくなる」 という話をすると、彼は、
 「いつも頭の中で、バックミュージックを流しておけばいいよ」
 とアドバイスをくれました。

 別にCDやウォークマンを掛けていなくても、頭の中で好きな曲のメロディーを流して、そのテーマに合わせて道を歩いたり、電車を待っていたりしていれば、余計な事を考えて心を乱されずに済みます。

 ただし、メロディーを口ずさんでしまうと、人の迷惑になるので注意が必要です(笑)
 昔の話ですが、俳優の渡辺徹さんが 「太陽にほえろ!」 という番組で、走っているシーンを収録しただけなのに、NGになってしまいました。
 走りながら、自分を盛り上げる為に、オープニングテーマの 「チャラチャ~ チャララ~♪」 っていうのを口ずさんでいたら、音声に収録されてしまったらしいです(笑)

 僕、パリの街にいる時、長いフランスパンを抱えて歩きながら、いつも心にシャンソンのメロディーを流していました。
 そしたら、フランスパンを持っている僕と、街の景色と、そのシャンソンが合体して、一つの映画みたいになって、とても優雅で満たされた気持ちになりました。
 それは、一片の悩みもわいてこない世界…

 自分を最高に演出してくれるメロディーを見つけて、日々の生活のバックミュージックにしてみる…
 ひょっとすると、そこに、初めて出会う魅力的な貴方を、発見できるかも知れません。

 

本当の自分に出会う為に

 外もだんだんと、夏らしくなってきました。
 夏の日差しの下を歩きながら、いろいろな事を考えます。
 ちょっと考えすぎちゃってる気もするのですが、それがまあ、このブログのネタにもなる訳で…

 人間の悩みって、ほとんどが人間関係の事と言ってもいいと思います。
 誰だって、人とうまくやっていきたいし、できることなら、人に良く思われたいと思う。

 自分も笑顔で、相手に接していたい。
 だから、なるべく相手を好意的に思う自分でありたい…
 いや、それどころか、相手を好意的に思っている自分でいなければならない…

 これ、「いい人」 の典型的パターンです。
 でも、はっきり言って、それ無理です(笑)

 人間の思いなんて、自分で操縦できるものではないですから。
 それを無理にやろうとすると…

 あっ、またこんな事、思ってしまった… 今の違うよ、ウソウソ
 ひょっとしたら、顔に出ちゃったかな… バレてないよね…
 あ~ こんな風に誤解されて、嫌われるなんてイヤだ~
って… ドツボに はまります(笑)

 これがひどくなると、赤面恐怖とか… どもり恐怖とか… 自分の視線が鋭くなるのが気になって仕方ないとか…
 いろいろな雑念がわいてきます。
 これ、強迫神経症(O.C.D.)の一形態です。

 でも中には、人前で自分の思いを操縦するのが癖になっていて、やめられないという人もいるかも知れません。

 思いというものは、良いものも悪いものも、次から次へと無尽蔵に出てきます。
 それを操縦しようというのは、例えば、ずっとつま先立ちで、外を歩こうとするのと同じくらい、無理がある事です。

 思いなんて操縦しようと考えないで、自分の事を信じて、自然に任せてみたらいいです。

 相手に自分の事を受け入れてもらいないんじゃないか… なんて、怖がらなくていいですよ。
 大物と呼ばれるような人は、ちゃんとその気持ちをわかって受け入れてくれますから、大丈夫です。
 そんな不安な気持ちをわかってくれない人は、友達じゃないし… 世の中の全員の人に受け入れてもらう必要なんてない。

 大物と呼ばれる人は、意外と小心者が多いんです。
 徳川家康なんて、その代表例です。
 いつも、ちょっとした人の言葉にビクついて狼狽してました。
 それは、家康がやがて 「律儀者」 と周りから信用されるようになった根底の理由とも言えます。

 「老人雑話」 という文献には、「東照宮様(家康の事)は、声太くあられ、おどもりあそばされた」 と記載があります。
 つまり、徳川家康って、いつも人前で、どもっていたんです。

 自分の心の根底に臆病さを持っているからこそ、人情の機微に敏感になれて、大名や家臣の人望を集める事ができて、天下を掴んだ、とも言えます。

 感情は、流れるに任せたらいいです。
 いろんな思いが頭をよぎるけど、全部認めてあげたらいいです。

 ネガティブな感情や、みにくい感情が頭をよぎっても、「こんな自分もいるんだ」 って一旦受け入れて、無視すればいいんです。
 その感情は多分、本心の自分じゃないですから…

 でも、最初からその感情を拒絶して、「こんな事、思ってはいけない」 なんてやると、無理がきます。

 勇気を出して、自分の事を見つめた時、本当の素晴らしい貴方自身に、きっと出会う事ができますよ。


自分の所有物なんて、何一つない

 今、なんだか本当に満たされた気分です。
 それにしても、新製品のビデオカメラ、いいですね。
 いろんな機能がついてます…
 画面にテロップを書けるなんて、思ってもみませんでした。
    しかし今、これにハマっている時間の余裕はない(笑)

 こんな風に欲しいものが手に入ると、人間、嬉しいものですね。
 でも、逆にそれを失う苦しみというのも、抱え込むことになります。   ノート・パソコンみたく、データごと盗まれたらどうしよう… とか

 お金も増えれば増えたで、今度は失ってしまう恐れに悩まされます。
 財産を奪われるのが心配で、夜も眠れないという人が、事実います。

 そういう面では、人の愛情だって同じですね。
 あの 「神田川」 の歌詞のサビの部分の言葉がそうです。

 若かった二人 何も怖くはなかった
 ただ、貴方の優しさだけが 怖かった♪

 なんで、優しさが怖かったかというと、その愛を失ってしまうのが怖かったという事ですね。

 それにしても、どうしてこういう苦しみが出てくるかというと、相手の心を、常に自分の物にしてしまいたい、っていうエゴだと思います。

 僕は極端な考え方をする人間だから、このブログも話半分で読んでもらえれば、と思うんですけど、この世の中に、本当の意味での自分だけの所有物なんて、何一つないと思うんです。

 極端な話、自分の体だって自分の所有物ではなくて、親と神様から預かった借り物だと思うし…
 ましてや、人の心のなんて、なおさらの事で…

 これは、例え自分の子供だろうと同じだと思う。
 人の心なんて、絶対に自分の意にならないですよ。

 だから、人を愛する時は、代償を求めてはいけないし、自分の元から離れていく可能性もある事は、覚悟していないといけないです。
 その覚悟があれば、何も不安はなくなります。

 去る者は去るし、来るものは来る
 それは自分じゃなくて、神様が決める事のような気がする。

 だからどんな形であれ、一つ一つの出会いと別れに、心から 「ありがとう」 って言えたなら、とても素敵な事だと思います。
    僕も少し、大人になった…

 P.S.
 9月から予定していた 「四柱推命講座<実践編>」 に、現在5名の方が申し込んでくださいました。正直、これは予想もしていませんでした。
 最初のお申し込みは、ブログの更新前のホームページからありました

 本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
 一人一人の方の、大切な時間と電車賃を使わせて、講座をする事を絶対に忘れてはいけないし、必ずや講座料以上のに価値があるものにしなくてはいけないと、今、自分に強く言いきかせました。
 まだ、タロット講座の終わった後に1ヵ月余裕があります。
 その間に、今計画しているものをさらに練り込んで、絶対に期待以上の素晴らしい講座にします!


まだ見ぬ未来に照準をあわせて

 今日は、秋葉原のヨドバシカメラに、ビデオカメラを買いに行きました。

ビデオカメラ これ、小さくて軽いですけど、機能はなかなかのすぐれものです。
 値段は、30,700円(税込)でした。
 節税の為、領収書は取っておこう(笑)

 今までいつも、タロット講座の時は、Tさんから借りたビデオカメラで撮影して記録を残していました。

 Tさんは家庭の主婦で小学校のお子さんもいらっしゃって、本当は、運動会やら学校の行事なんかでビデオカメラを使う事も多いのです。

 このまま借りっぱなしというのも、どんなものかな、とは思ってはいたのですが、わざわざ週1回の講座の撮影の為にビデオカメラを買うのも、もったいないし…

 なかなか踏ん切りがつかずに迷っていました。
   健康保険料と住民税も半端ない額だったし…

 ビデオカメラで撮影するような可愛い息子や娘がいる訳でもないし、やっぱりこんな贅沢な物を買うのはやめておこうと、最近までそう考えていました。

 でも、ふと気づいたのです。
 これでは、僕の未来には、結婚して家庭を持っているビジョンがまるで存在していないじゃないかって…

 家族や子供がいる未来を想定したとしたら、ビデオカメラは生活必需品です。
 それなら、どうせ使うのだから、今のうちに買っておいた方がいい、という事になります。
 この先、必ず役に立つし…

 僕の中に、このまま独身でずっといるつもりの自分というものがいたという事実に、改めて気づかされました。
 こんな風に、人は知らず知らず、自分で未来を制限してしまっているのかも知れません。

 やがて来る未来に照準を合わせて、それを自分のものにする気になったら、全ての行動が変わります。

 このビデオカメラを操作しながら、ホームビデオを撮影している自分の姿を想像していたら、今、未来の筋書きが変わったような気がしました。

 P.S.
 この度、9月1日より、毎週土曜日に 「四柱推命講座<実践編>」 を開講する事にしました。  ビデオカメラも入手しましたし(笑)

 前々から僕の中に、やりたい講座の内容のイメージはあったんです。それがだんだんと具体化してきて、今、まとまりつつあります。
 気合いは十分。絶対に素晴らしい講座にしますから、期待していてください!
 詳しくは、ホームページの案内をご覧下さい。
 http://asano-uranai.com/conference2.html


 これからまた、もっと忙しくなりそうです!  のぞむところ(笑)