浅野太志 songe a Paris

パリでエテイヤ・タロットの取材を終えた、占い師・浅野太志の日々の活動をつづります。

運命の予感

 長い人生の中で、自分の運命を大きく変えてくれる人が、誰にでもいるものです。

 僕の場合には、やはり一番大きな影響を与えてくれたのは、西谷泰人先生でした。
 西谷先生との出会いは、僕が24才の時。当時僕はシンガー・ソング・ライターを目指していました。歌に関しては超音痴だったのですが(笑)

 きっかけは、西谷先生が出された一冊の手相の本。本の裏表紙に書いてあった「手相家でもあり作曲家。21歳の時に作曲した『あの頃に帰りたい』は新宿音楽祭で新人賞を受賞…」という著者紹介の欄を見て、とにかく、この先生に直接会ってみたい、という思いをつのらせました。
 「運命の予感」を感じた、と言っていいでしょう。

 その思いは、意外と早く実現させる事が出来ました。
 その頃から、僕の最も尊敬する人は常に西谷先生でした。
 とはいえ、西谷先生は超スペシャリストの手相家ですから、講演会に通って遠目にお話を聞くぐらいしか出来ませんでした。

 ところが、その2年後ぐらいには、うまくきっかけをつかんで、何とか顔を覚えてもらうまでになったのです。
 きっかけとなった要因の一つは、僕が占いにすごく興味を持っていて、その世界に首を突っ込んでいた、という事もあるかもしれません。

 当時シンガー・ソング・ライターを目指して上京していた僕は、とにかく若いうちに成功したい、と常に思っていました。
 少なくとも20代のうちには夢を実現するんだ、と心に固く誓っていたのです。
 焦りようは半端ではなく、それが悪循環となって、いつも空回りしていました。

 結局、何も成し遂げられないまま30才になった時、絶望的な挫折感と、何とも言えない空虚な気持ちにさいなまれました。
 14才から趣味だった四柱推命で占うと、34才が才能が開花する時…。
 とはいえ、当時すべての生きる目標と気力を失った僕には、それはとてもありえない話でした。

 なすすべもなく自堕落な4年間が過ぎ、34才の誕生日を迎えたちょうど8日後の昼下がり、僕の携帯電話に、見た事のない着信が入りました。
 それはまぎれもなく、西谷先生からでした。

 「浅野君の携帯ですか。どうも西谷です」

 西谷先生の声は、僕のどんよりとした、もやのような暗闇を一気に晴らしてくれました。

 「聞いたけど、君、四柱推命出来るんだってね。それは絶対に活かすべきだよ」

 僕はもう、自分の思考で、ものを考える事が出来なくなっていました。
 尊敬する西谷先生がそういうのなら、何も考えずにその通りにしよう、そう心に思いました。


 あれからさらに7年…、今こうしてパリにいる自分がいます。

 実は、パリに行きたいという気持ちは前々からどんどん募っているにもかかわらず、僕はそれを曖昧にしか切り出せなかったのです。
 そんな僕の様子を見た西谷先生が、こう言ってくださいました。

 「パリに行きたいんだってね。今人生のチャンスだから、パリに行って勝負してみたらいいよ。こっちは何とかするから」

 西谷先生は、自分の都合よりも周りの人を気遣って察してくれる、そんな優しい先生です。

 西谷先生はある時、僕と一緒にお風呂に入っている夢を見たそうです。

 「夢の中の浅野君の体つきを見ると、筋肉モリモリのマッチョになっていて、いつの間にか、たくましくなってたんだなって、思ったよ」

 その後、先生はアメリカに滞在していた時の経験談をたくさん聞かせてくださり、渡仏に向けていろいろなアドバイスをして下さいました。


 西谷先生と別れるのは、正直辛かったのですが、今のフリーの立ち位置のほうが自分の良さを生かせるし、もっともっと西谷先生をバックアップできる、と思ったのです。

 20代の時に感じた「運命の予感」は、的中。

 さて、この先どんな運命に導かれていくのか…、今は不安よりも、期待で胸が高鳴っています。

 

近い未来のシナリオは決められている…だからこそ頑張れる!

 昨夜はパリで、初めての一夜と朝を過ごしました。
 目覚めの良いすがすがしい朝です。吉方位のパワーが充満してきたのかも知れません。

 朝の7時を過ぎたにもかかわらず、まだ外は少し暗くて、改めてここはパリなんだな…、って実感しました。
 午前7時といえば、日本ではすでに夕方の3時。どうやら僕は、時差ボケにはかからなかったようです。
 日頃から、あまり規則正しいといえない生活を送ってきたからかも知れません。

 昨夜は、飛行機に搭乗するまでのハプニングや、機内でどんな風に過ごしたかをブログに書いて、更新しようとしたのですが、どういう訳かうまくいかず、内容が全部消えてしまいました。
 眠くて疲れている状態でキーボードを打っていたので、何かへんなボタンを押してしまったのかもしれません。

 悔しい…と思いながら、もう一度、気を取り直して、全部の文章を打ち直しました。
 がしかし…、何故かまたしても内容が全部消えてしまったのです。

 今度こそ三度目の正直…
「絶対にあきらめないド根性だぁ~」…NARUTO疾風伝(笑)
とばかりに、二度と文章が消えないように、今度はパソコンのメモパッドを使って打ち込みました。

 ところがところが、どういう訳か、そのメモパッドを間違って閉じてしまったのです。
 いくら睡眠不足でもうろうとしながら文章を打っているとはいえ、こんな事は普通考えられないのですが…

 その時、これはきっとブログに出さないほうがいい内容なのだな、と思いました。
 こんな時は素直にそれに従ったほうがいい…、ふと、そう感じたんです。

 結局、内容として出せたのは、パリについたら暖かかったという内容と、1枚の写真だけ…。

 今までの僕なら、こういう時は延々と書きたい内容を全部、何が何でも更新してやろうと、はまってしまっていまいます。

 実はおととい、持っていく荷物をまとめている時もこの欠点が出て、やたらと準備に時間がかかり、成田空港に着いたのもギリギリで、飛行機のチェックインの時間にさえも間に合っていませんでした。
 いや、無事に搭乗できたのが奇跡だった、といって良いでしょう。
 たまたま電車の乗り継ぎがすんなりと運び、間一髪滑り込みセーフといった所です。一本でも遅かったら、今もまだ日本にいました…。神様が、とっさに守ってくれたのかもしれません。

 今回の渡仏も、自分で決めているようで、すでにどこかでシナリオが決められていたような、そんな気がするんです。

 奇跡的に飛行機に間に合った、という事だけではなく、今回そう思えるふしが、本当にいくつもあるんです。
 運命に導かれていた…みたいな。

 だからこそ、そう導いてくれた運命の神様に感謝しなければいけないって、今なら心から思えるし、目先の事にとらわれるのではなく、もっともっと先を見て頑張らなくちゃなって、素直に思いました。

 常日頃、たとえ自分なりにでも、一生懸命頑張っていれば、運命の神様はご褒美をくれます。
 これは別に、何か宗教とか信じていなくても、まったく関係ありません。

 恋愛についても仕事についても、やれるだけやって、どんなに頑張っても前に進んでいかない場合、運命の神様が、本来の正しい方向に進ませようとして、止めているのかも知れません。

 だからそんな時は、少し怖くても勇気を出して、こだわっている事を手放してみたら良いです。
 そうしたら、運命の神様が「これだよ」って言って、手渡そうとしているものが見つかりますから。

 運命の神様は、今まで一生懸命頑張ってきた人には、必ず素敵なシナリオを用意してくれています。

浅野太志 In Paris

 成田空港 21:55発の飛行機に乗って、14時間のフライトを終え、現地時間の4:20に、無事パリ近郊のシャルル・ド・ゴール空港に到着しました。

 その間いろいろとハプニングもあったのですが、それはまた改めて書きますね。

 空港を降りて、最初に感じたのは「思ったほど寒くない」という事でした。パリはかなり寒いと聞かされていたので、正直ホッとしました。
 聞いた話ですが、例年と違い、ここの所パリは暖かくなっているそうです。
 花の都のパリの春も、どうやらすぐそこまでやってきているようです。

 空港から降りたち、今回パリの案内をお願いしているムッシュ ステファン・ラングロアさん(プロデューサーであり通訳の達人でもある)のお出迎えを受け、車に乗って待望のパリの市街地へ、そのまま今回住まうアパルトマンに直行、アパルトマンの契約を済ませた後、街の中を案内して頂きました。

 車窓ごしですが、凱旋門もエッフェル塔も見えました。本物も写真とそっくりでした…当たり前ですが(笑)

 只今フランスの時刻では15時半ですが、日本時間ではもう23時半なんですね。
 
↓ パリ アパルトマンの近く BRASSENS にて、2/27 15:00

パリ アパート近くのBRASSENSにて、2/27 15:00

 もう眠くて倒れそうです。
 それでは、A bientôt <アビアント~> (訳:またね)


旅立ちの時

 間もなく成田空港から西の空に向かって、旅立ちます。

 何だか全てが現実離れしている気がして、夢をみているような気持ちです。
 外国に行きなれた人にとっては、何とでもない話だと思うんですけど、正直僕は国外に出るのは初めてなんです。

 いろんな事が走馬灯のように頭を巡ります。大げさに思うでしょうけど…。

 ふと感じたのは、人生そのものが旅なんじゃないかな、という事。
 鴨長明ぶってる訳じゃないですが…。

 そしてもう一つ、生きてて良かった…って事。
 これは、ちょっと照れくさいですけどね。

 今まで楽しい事も辛い事もいっぱいあったし、辛い時には本当に死にたいと思った。
 でも、その分だけ、「生きてて良かった」を実感できるんですね。

 だから、もし今辛くて死にたいって、そう思っている人がいたら、元気出してほしい。
 必ず、生きてて良かったって思える時が来ますから。僕が保証します。

 今、成田空港に向かう電車の中で、慣れないスマートフォンを使い、このブログを打ってます!!

 あと16時間後にはパリの空港に着く予定です。



プロローグ

 「占い師」というお仕事を始めて、早いものでもう7年が経ちます。
 初めてタロットカードを買ったのが、14歳の中2の時。
 でも考えてみれば、小学校の低学年の時から、トランプに勝手に占いの結果の意味をつけて、家族や友達に引かせて、遊んでいた記憶があります。
 変わった子供でしたね。

 東洋の占いである「四柱推命」に触れたのも、やはり中2の時。一番上の兄が四柱推命の本をいっぱい持っていて、それを盗み読みしたのがきっかけです。

 まさか大人になってから、占い師という職業につく事になるなんて、夢にも思っていませんでした。

 ある程度の年齢になった時、よく周りの人から、「君は占い師になったらいい」などと良く言われました。
 でも、そんな気には全くなれませんでした。まるで占い師という職業に現実感がわかなかったんです。
 最後に、西谷泰人先生に同じ事を言われるまでは…。

 今回の渡仏は、ある男に会いに行くためのもの…。

 18世紀にとっくに死んだ男…名前はエテイヤ(エッティラ) ~本名:ジャン・パプティスト・アリエット~、遊戯用のカードから初めての占い用タロット・カードを作り出した男です。

 残念ながら、エテイヤが作り出したオリジナル・タロットは、現代のタロット占いの主流からは、すっかり外れてしまっています。

 それは、エテイヤの作ったカードが、元々のマルセイユ系のタロットとあまりにもかけ離れている事や、エテイヤの唱えた古代エジプト起源説が完全に否定された事、カードの占い上の意味があまりにも狭義で当たりづらい事…など、様々な要因はあります。

 ところが、近年のタロットの研究では、最もポピュラーなタロット・カードである「ウェイト版」における「小アルカナ」の意味は、エテイヤ・タロットからの書き写しである事が発見されたりもしています。
 エテイヤの功績とエテイヤ・カードの価値は、今後、見直されていくに違いありません。

 何だか、小難しい話になってしまいました…。
 とにかく、この男がいた、フランスのパリに行ってみたいと思ったのです。何故だか無性に…。

 小さいころから、フランスのパリという街に憧れていました。
一度も行ったこともないのに、何故だかわからないけれど、胸が切なくなるような感覚 … 一体それが何なのか、確かめてこようと思います。

 旅立ちは明日…。
 まもなく、この生まれ故郷の日本を離れます。