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パリはいつでもそこにある

 午後の昼下がり、やわらかい時間の中で、おだやかな風を感じてみる……

 壁に掛けられたカレンダーの シャンデリゼ通りの風景が、懐かしい過去の記憶を呼びさます。

 窓から見あげる空の果てしない向こうには、あの賑やかで優しいパリがある。

 またあの街に、行こうと思う。

 3年前に旅立ったのは、あの街で心を満たす何かを探す為……
 今、それは僕の心の中にある。

 だから今度は、ただあの街に会いに行きたい。

 パリはいつでもそこにある。
 それは、愛に満たされた場所……

 ありがとう。

 僕の素敵な心のふるさと。



 今まで長い間、ご声援ありがとうございました。
 これからは、月一回程度、メルマガ 「シルフィーユ通信」 にて、お会いしましょう!



 P.S.
 今度はすごく軽いノリで、新ブログを始めました。

 「浅野太志 やさしい風のように ~心のつぶやき~
       「浅野太志 グリーンの風」改め(笑)
 
  本当、ただのつぶやきブログです(^^)



オリジナル曲 “Songe à Paris”

 このブログも、もうあと1回で終わり…

11月のカレンダー シルフィーユに飾ってある、みどりん先生から頂いたカレンダーの11月は、エトワール凱旋門から見たパリのシャンデリゼ通りの風景が写っていました。

 パリのアパルトマンで暮らしていたのは、もう3年前……

 懐かしいなあ……

 僕は子供の頃から、心がすごく満たされた時には、ふっとメロディーが浮かんできて、それを口づさんだりしてました。

 実際にある曲のメロディーの時もあれば、そうではなくて、全く聞いた事もないようなメロディーがわいてくる事もあります。

 昔の僕は、シンガーソングライターになりたくて、よくオリジナル曲を作っていたものです。
 いつもは、メロディーラインを先に作っておいて、その後に詞をつける……

 それで曲のメロディーのフレーズを思いつくと、すかさず紙に書き留めていました。

 譜面を書くのが面倒なので、その為にいつもテープレコーダーを持ち歩いていた時期もありました。
 その頃は、今みたいに、録音機能がついた携帯電話もありませんでしたし……

 あちこちにデモ・テープを持ち込んだものの、シンガーソングライターの夢は、残念ながら挫折です。
    あまりにも、歌が下手だった……

 その夢をあきめてからは、もう書き留める事はなくなってしまったんですけど、それでも、いつもメロディーは浮かんでくる……

 パリの街を歩いていた時、いつも同じメロディーがずっと流れていたんです。

 別に作曲する気なんてないのに、そればかり口ずさんでいたら、完全に曲になってしまった……

 なんか久しぶりに、曲のアレンジをしてみようかな……
という気になりました。

 本当はそんな事をしている時間は全然なくて、メールの返信も済まさなくてはいけないし、今度のタロット講座の準備もあるし……

 にも関わらず、どうしてもパリの思い出に浸りたくて…… 随分と時間を使ってしまいました。

 もちろん、詞はつけていません。
 完全にインストメンタルです。

 何気に これは凝ってます(笑)
 メロディーラインに、コードのシンセをつけて、ベースラインとドラムまで入れてみました。
 本物そっくりの音ですけど、実は全部コンピューターの合成音です……

 夢中になっていたら、あっという間に時間が過ぎてしまいました。    なにやってたんだ…… オレ……

 曲の名前は、“Songe à Paris”
 このブログのテーマ曲でもあります。

 パリで写した写真と一緒にして、Youtubeでアップしてみました。
  動画の作り方をマスターする為に、えらく時間がかかりました……



 明日、最後に書くブログの前に、どうか皆さま、このオリジナル曲を受け取ってくださいね(^^)


今ならあの時の失敗が話せる

 このブログも残す所、あと30回をきりました。
 いよいよ大詰めと言った所です。
 こんな訳のわからない文章を、毎日読んでくださっている皆さま、本当にありがとうございます。

 元々このブログは、パリでのエテイヤタロットの取材の様子をきちんとまとめようとの思いから、始めたものでした。

 今ではすっかり、パリと無関係になっちゃっていますけど……

 あの頃は、あわよくばこのブログが出版社の目にとまって、タロットの本が出せたらいいな…… という下心もあったりして(笑)
 このブログを始めたばかりの2年前の僕は、体はいたって健康でしたけど、心は乾ききっていました。

 でも、その時の夢は、こうして今 実現しています。

 ところで、パリについた最初の日、パリへと向かう飛行機の中であったハプニングを書き綴って、ブログにアップしようと思ったのですが、どうしてもうまく更新できませんでした。

 せっかく書きこんだ文章が、更新ボタンを押した瞬間、なぜか全部消えてしまって、そこでもう一度最初から文書を作って、更新ボタンを押したら、やっぱりまたしても消えてしまいました。

 あの頃は、今みたいに紙に下書きして文章を作っていなかったから、消えてしまうと全てやり直すしかありませんでした。

 2度も文書が消えて、かなりブルーになったのですが、3度目こそはと今度はパソコンのメモ帳に下書きして、絶対に消えないように文章を作りなおして、それをコピペしてブログをアップしようとした時に、寝ぼけてメモ帳ごと消してしまいました。
 (2012/2/28ブログ 「近い未来のシナリオは決められている…だからこそ頑張れる!」 参照)

 さすがの僕も、結局ブログをアップするのを観念しました。

 実はあの時は、飛行機の中で起きたどうしようもない失敗談を発表しようと思っていたのです。

 成田空港まで全速力で走り、奇跡的な電車の乗り継ぎの良さで、どう考えても間に合わないはずの飛行機に乗る事ができた話(2013/2/26ブログ 「あの日起こった奇跡」参照)と、その後、荷物検査の時に2度の超過料金を取られた失敗談(2012/5/14ブログ 「固定観念を打ち破れば、運が開く」参照)は、もう書きましたが、飛行機に乗った後にも、僕はとんでもない失敗をやらかしているんです。

 ブログをアップしようとしたら、3回も文章が消えちゃったから、この話は出さない方がいいのかな…… と思って、2年前はそのままアップしませんでしたけど……

 自宅から全速力で成田空港まで走りづめに走ってきた僕は、飛行機の中でもまだ少し息が切れていました。

 「今から14時間後は、憧れのパリか……」 とか思いを馳せて、今のうちに少しでもフランス語に慣れておこうと、フランス語の吹き替え版のハリソンフォードの 「逃亡者」 を見ていました。
 「Merci(ありがとう)」 と、「Qui est-ce?(誰?)」 しか聞き取れなかった……

 しばらくすると、機内食が運ばれてきました。
 その時、外国人の美しい女性がフランス語のメニューを見せてくれて、「お飲み物はいかがですか?」 みたいな事を聞かれたんです。
 多分英語でだったと思いますが……

 そのメニューには、ちゃんと小さな字で日本語の訳が入っていましたが、その中に唯一、訳を見なくても読めるフランス語があったんです。
 それは、「Vin rouge」 という言葉……

 Vinはワイン、そしてrougeは赤…… だから、これは赤ワインだ…… とかわかったら、ちょっと嬉しくなりました(笑)

 僕はそれまで、一人でお酒を注文して飲んだ事は一度もありませんでした。
 お酒というのは、誰かと一緒に飲むもので、一人では飲むものではないと決めていたんです。

 でも、特別に今日ぐらいはいいか…… と思って、Vin rougeを注文してしまいました。
 無事にこうして飛行機に乗れた事だし、無料で飲めるのだし……
 英語で聞かれているのに、Vin rouge s'il vous plaît. とか言って(笑)

 そうすると、赤ワインの小瓶と、プラスチックのグラスが来ました。
 思わず嬉しくなって、一人で一気にワインの小瓶を飲みほしちゃいました。

 日頃の僕からしたら、この程度のお酒の量なら大して酔う事もないはずなのですが、僕はこの時初めて、地上で飲むお酒と飛行機の中で飲むお酒の酔いの回り方が10倍ぐらい違うという事を知りました(笑)

 きっと気圧の関係ですね…… それに全速力で走り続けた後、まだ完全に体が回復していなかったというのもあると思います。

 その後、ものすごい吐き気に襲われて、トイレに駆け込んだんですけど、吐けない……
 とにかく、この下の地上がどこの国でもいいから、今すぐ降ろしてほしいような気分に襲われました。

 二人のスチュワーデスさんが介抱してくれて、特別のイスに座らせてもらいました。
 あれは今思い返しても、本当に恥ずかしかったです。
    歯医者さんでめまいを起こした時以上です……

 そのまま1時間半近く、死にそうな思いをしていました。

 でも、その後はやっと酔いもさめてきて、いつもの体の状態に戻る事ができました。

 本当にお馬鹿な話ですね。

 こうして取りあえず成功をつかんだ今でこそ書けますけど、やっぱり2年前のあの日のブログには書かなくて良かったかな…… なんて思います(笑)

 とはいえ最近思うのは、失敗も成功の一部だという事……

 思いっきり恥ずかしい思いをしながらも、あんまり自分を責めないで、励ましながら頑張っていたら、きっとそれは笑い話になるし、その経験はやがて人生の宝物になっていくはずです。


エテイヤが伝えたかった事

 ついにこのブログも、900回目を迎えました。

 夕方から出かける用事が入っているので、その前にこの記念すべき900回目のブログを書いてしまおうと頑張っていると、ドアをノックする音が……

 ヤマト運輸の人でした。

  宅急便

 送り主は、総和社からです。

 中を空けてみると……

タロット占い完全マニュアル見本出し これ、今度の新刊の刷り始めの本です。

 やっと、ここまでたどり着きました。

 本格的な製本をして書店に配本されるまでに、あと2週間ほどかかりそうです。

 あと一週間ほどしたら、また改めてこのブログとホームページで発表しますので、ご予約はもうしばらくお待ちになってください(^^)

 思えばこのブログは、今から200年以上前に生まれた、エテイヤというパリの占い師を調査する目的で、書き始めました。

 そして、エテイヤの事を知りたいと思ったのは、ウェイト版タロットの小アルカナの正しい意味のルーツをきちんと確かめて、本を出版したいと思ったから……

 今、その夢がやっと実現しつつあります。

エテイヤ これがエテイヤの若い時の肖像画。

 ハンサムですね……

 当時の音楽家とか、みんなこういうカツラをかぶっていたから、多分これって、カツラじゃないかと思います(笑)

エテイヤ
 もう一つのエテイヤ像……

 こっちはダンディーですね。

 僕は、エテイヤの事を訪ねて、パリまで行ったのに、結局その影をつかみきれずに、3週間ほどですぐに帰国する事になってしまいました。
 (2012/3/20ブログ 「かき消されたエテイヤの足跡」 参照)

 本当は、きちんと納得できるものをつかんでから帰国したいと思っていたのですが、まるで運命に導かれるように急きょ日本に戻らされる事になって、そして今の自分があります。

 エテイヤと言えば、世界初の占い用タロットデッキである 「エジプシャンタロット」 の作者としても有名ですが、数々の占い本や錬金術の本の著者でもあり、世界初の作家兼占い師として10冊ほどの著書を残しています。

 エテイヤというのは、多少商人気質も強いですけど、基本的には、人間というものや社会というものの事を、きちんと考える事ができるヒューマニズムな人だったと思うんです。

 例えば、フリーメイソンのような、迷信や宗教の類いに、惑わされる事もありませんでした。

 ほぼ同時期のフランス・パリで活躍した、マドモアゼル・ル・ノルマンの占いの鑑定料金は、小さな占いは6フラン、大きな占いは30フラン、スペシャル・ホロスコープ鑑定は、400フランでやっているのに対して、エテイヤの鑑定料金なんて、夢占い6ルーブル、カード占い24リーブル、ホロスコープ50リーブルです。(1フラン=1.0125リーブル)
     当時のパリでは、いくつかの種類の貨幣が使われていた……

 というか、マドモアゼル・ル・ノルマンがぼったくり過ぎですね……

 エテイヤは1791年に、亡くなったのですが、死の最後の年なんかは、毎週定期的に4ページのパンフレットを作って配っていたんです。
 占いの事も書いていましたが、ほとんどは当時のフランスの社会に対する自分の考えを述べたものです。

 4ページのパンフレットを、毎週書き続ける事って、かなり大変な事です。

 その中には、当時の死刑制度に対して、痛烈に批判したものもありました。

 このエテイヤという人は、本気で社会を変えようとしていたんじゃないかと思います。

 そしてきっと、本気で人々の幸せを願っていた……
 罪もない人がギロチン台の上に乗せられて、大衆の前で、首を切られるのに耐えられなかったのかも知れません。

 フランスで、エテイヤの悲願である、死刑制度が廃止されたのは、ほんのつい最近の事…… 1981年ミッテラン政権においてです。

 日本ではまだ死刑制度が存続していますが、ヨーロッパでは、ベラルーシ以外の国は全部死刑撤廃しています。
     日本でも、終身刑導入とともにやるべきだと思う……

 200年も前に生きたパリのエテイヤ……

 エテイヤというパリのタロット占いのパイオニアは、現代という時代に生きる我々にも、案外、様々な事を語りかけてくれているのかも知れません。

(参考文献 「タロット大全」 伊泉龍一先生・著)

なぜあの時パリだったのか

 昨夜はなかなか寝つけませんでした。
 いっその事、その時間に原稿の仕事に取り掛かろうかとも考えたんですけど、今日は早起きしなければならない予定があって、少しでも休んでおこうと、ベッドの中にいました。

 何だかずっと、胸が高鳴っていたのです。
 ベッドの中で、去年パリに旅立った時の思い出が、まるで走馬灯のように駆け巡っていました。

 ちょうど、去年の今日の今ぐらいの時間に、パリの地に初めて足を踏み入れたんです。
 (2012/2/27ブログ 「浅野太志 In Paris」 参照)

 何で、あの時行ったのがパリだったんだろう…… って、時々思います。

 もちろん、エテイヤのタロットに魅せられてパリに旅立ったというのも、まぎれもない事実なんですけど、それ以外にも、パリじゃなければいけない理由があるような気がする……

 吉方位だから…… というような理由じゃなくてです(笑)

 漠然としているんですけど、今、僕がこんなにも開放された気持ちで一年以上も居続けられているのは、あのパリの地と何か関係があるような気がするんです。

 なんか…… こんな事を書くと変な人と思われるかもしれないですけど、いや、もうとっくに変な人だと思われているだろうからいいんですけど(笑)

 遠い昔、あそこに住んでいたような気がするんですよ…… 多分……

 パリの街並みを見た時に、涙があふれそうなくらい感動したんです。
 それで、今まで抱えていたトラウマとか、ずっと心の中で割り切れない状態でくすぶっていた思い出が、パーッと溶けていったんです。

 思わず 「ありがとう……」 って言葉を何度もつぶやいていました。
  「Merci <メースィ>」 って言えれば、もっとカッコ良かったんでしょうけど(笑)

 この街こそが、僕の欲していたものだと思った……

 別に、彼女が出来た…… とか、念願の本が出版できた…… とか、そんなこの世的な喜びじゃなくて、あのパリの街並みを見ただけで、胸がいっぱいになったんです。

 きっと僕の心の故郷(ふるさと)がパリだったんだと思う。

 誰でもきっと、今までの人生の価値観をくつがえしてしまう、そういう場所があるんじゃないかと思います。

 それはこの日本かも知れないし、イタリアかも知れない。
 スペインかも知れないし、アメリカかも知れない。
 ひょっとしたら、名もないような南の島かも知れないけど……

 たまたま僕の場合は、それがパリだった。

 人生がくすぶって、夢や希望が持てなくなった時、旅立ってみたらいいです。

 きっとその場所で、なくしかけていた自分を見つけられるはずだから……

プロフィール

浅野 太志

Author:浅野 太志

14歳の頃から、占いの世界に興味を持つ変わり者。
フランス・パリでエテイヤ・タロットの取材を終え、占い師として活動再開。
専門は、四柱推命、タロット、姓名判断など。


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